第二十一話 浴衣でGO! 5

 

「なんですって、あゆちゃんがいなくなった?」

「はぐれちゃったんだよ〜」

 どことなく間延びしたような口調に緊迫感はないが、それでも名雪は精一杯あわてている様子だ。もっとも、あゆとはぐれてしまったという驚きよりも、普段見ることが出来そうにないくらいにあわてた様子の名雪の方が香里には新鮮に映っていたが。

「とにかくあわてないで、これでも食べて落ち着きなさい」

「あ、イチゴ〜」

 出会ったところがカキ氷の屋台の前だったので、香里から差し出された氷イチゴを見た途端、名雪の表情はトロンとしたような感じになるが、あわてて頭を振って伸ばしかけた手を引っ込めるのだった。

「今、祐一と手分けして探してるんだけど……。香里たちは見なかった?」

 二人は少しの間顔を見あわせていたが、やがてそろって首を左右に振る。

 この人ごみの中で人を探すのは、それこそ砂浜に落とした一粒の砂金を探すようなものだ。名雪がこうして香里と栞に出会えただけでも奇跡みたいなものだというのに。

「待ち合わせ場所は決めてなかったんですか?」

「そうよ。確か花火を見るところに集合のはずよ」

 それまでは自由行動ということになっている。だから香里は栞と屋台めぐりをしているのだ。

「それが……」

 教える前にはぐれてしまったと、名雪は歯切れ悪く口を開いた。

「まあまあ、名雪さん。きっとあゆさんは大丈夫ですよ。あゆさんだって、子供じゃないんですし」

 そのうちひょっこり再会できるんじゃないですか、と栞は楽観的なのだが。

「子供じゃないんだから、かえって心配という考え方も出来るわね……」

 と、香里は名雪の不安をあおるような事を言うのだった。

「ど……どうしよう……」

 それを聞いた名雪の顔が、見る見るうちに蒼ざめていく。

「わたしたちのいないところで……あゆちゃんが知らないおじさんに、あんなこととか……こんなことまでされちゃって……挙句の果てに凸凹×なんてことになったりしたら……」

「な……名雪さん……?」

 突然とんでもないことを口走りはじめた名雪に、栞は素で引いた。しかも次第にエスカレートしていく名雪の話を聞いてるうちに、栞の顔はどんどん真っ赤に染まっていく。

「大変だよっ! あゆちゃんの貞操の危機だよっ!」

 叫ぶなり名雪は、たっと走って雑踏の中に姿を消す。浴衣姿に草履履きという条件なれど、そこは名雪も陸上部。あっという間にいなくなってしまった名雪の後ろ姿を、二人ともただ呆然と見送ることしか出来なかった。

「私たちはどうしましょうか?」

「そうね……手分けして探すって言うのも一つの手だけど、移動中の連絡手段がないんじゃはぐれるだけよ。ミイラ取りがミイラになっちゃったら洒落にもならないし。名雪たちに任せるしかないんじゃない?」

「そうですね」

 冷たいようだが、これでみんながはぐれてしまうよりかは、よほど効率的なのだ。

 

「なんだって、月宮とはぐれた?」

「それであゆを探してるんだが、北川たちは見てないか?」

 同じころ祐一も、あゆを探している途中で北川たちと出会っていた。そこは金魚すくいの屋台の前なのだが、なぜかそこには大勢のギャラリーが取り巻いており、時折大きな歓声が上がっていた。

「ところで、なにをやってるんだ? あそこで」

「祐姫ちゃんが金魚すくいをやってるんだが……」

「祐姫が?」

「ああ……」

 そこで北川は、軽く息を吐いた。

「最初は……オレがやってたんだ……」

 ふいに遠い目をして、北川は語りはじめた。

「祐姫ちゃんに、いいところを見せてやろうと思ったんだが、そう思ったのが失敗だったのか上手くいかなくてな……」

「それで祐姫が?」

「ああ。愛は金魚をすくう、とか言ってはじめたんだが……」

 ふとそこに視線を向けると、また大きな歓声が上がる。

「まさか、一個のポイであそこまですくい続けるとは、流石のオレも思いもよらなかったがな……」

 聞くと祐姫は、もうすぐ金魚を全部獲りつくしてしまう勢いなのだそうだ。そうこうしているうちに、ギャラリーからどよめきにも似た声があふれ出してきた。

「ぜ……全滅だと……?」

「あれだけの金魚が?」

「たった一個のポイで?」

「あの女の子は化け物か?」

 我が妹ながら、こういうときに発揮する祐姫の才能が信じられない祐一。なんとなくダメな兄とよく出来た妹という構図は、某ネコ型ロボットを連想させるものであるため、祐一は少しだけ面白くない気分になってしまう。

「久々に堪能いたしましたわ」

 しばらくすると人垣がわれ、そこから祐姫がなにかをやり遂げたような微笑で姿を現した。

「あら、お兄様」

「お兄様じゃない、こっちは大変なんだっ!」

 祐一から事の次第を聞くうちに、祐姫の顔色が見る見るうちに変わる。

「なんですって、あゆ様が?」

 しかし、祐姫もあゆは見ていないと首を左右に振る。

「くそっ……どこに行っちまったんだ、あゆ……」

 関節が白く浮き上がるくらい、硬く拳を握り締める祐一。

「御心配はいりませんわ、お兄様。わたくし、こういうこともあろうかと携帯電話を持ってきているんです」

「おおっ! まさか祐姫ちゃんがそんな文明の利器を持っているなんてっ!」

 祐姫が浴衣の袖から取り出したのは、小型のラジオくらいあるような大きい携帯電話だった。それを見た途端に、北川が大げさに合いの手を入れる。

「これで連絡を取れば、あゆ様の居場所はたちどころに判明いたしますわ」

 しかし、祐一の表情は暗く沈んだままだ。

「……祐姫」

「はい、なんですか? お兄様」

「悪いがそれは、まったく役に立たない」

「どうしてですか? これは便利な道具なんですよ?」

「確かに便利な道具である事は認めるが、役に立たない理由は二つ」

 祐一はピッと指を二本立てる。

「まず、あゆは携帯電話を持っていない」

「あっ……」

 祐姫がはっと息を飲む。

「もう一つは……液晶画面の表示を見てみろ」

「圏外……」

 文明の利器は、まったく役に立たなかった。

 

「それでしたら、こういうのはどうでしょうか?」

「なんだこれは?」

 祐姫が携帯電話を操作すると液晶画面が切り替わり、いくつかの光点が表示された。

「グローバルポジショニングシステムを応用した、位置検索装置です」

「なんだ? そのグローバルなんとかって言うのは」

「昇降点傾斜角が五十五度、昇降点経度が六十度ずつ異なる六つの軌道上を周回し、地球を取り囲むように配置された四機、計二十四機の人工衛星から発信される電波を受信する際の時間差を計測して地球上の位置を特定する装置です」

 にこやかに祐姫は解説してくれるのだが、祐一にはなにがなにやらさっぱりだ。

「このような形で衛星を配置すると、当該地点の上空には常時四機の衛星が存在する事になります。本来は軍事目的で使用されるものですが、その一部が民間にも開放されていますので、自動車のナビゲーションシステムにも使われているんですよ」

 北川は泰然と構えてはいるものの、おそらく祐一の半分も理解できていないだろう。それでもまったく動じていないのは流石である。

「こんな事もあろうかと、あゆ様に発信器を取り付けておいて正解でしたわ」

「随分と手回しがいいな」

 この手際のよさには祐一も感心だ。

「脱落しないよう、体内に埋め込んでおいたのが功を奏したようですね」

「ちょっと待て、祐姫」

「はい?」

 あまりにも不穏な内容に祐一は声を荒げるが、祐姫は微笑を絶やさずに訊き返している。

「あゆの体内にって……まさか……」

「はい……」

 そのとき、祐姫はぞくりとするような妖艶な微笑を浮かべた。

「まず、あゆ様をクロロホルムで眠らせてですね……」

「あ、いい。もういい……」

 案の定不穏な内容だったので、祐一はそれ以上聞く気になれなかった。

「まあ、それはどうでもいいとして、こいつを使えばあゆの居場所がわかるんだな?」

「一応は……」

 祐姫の返事は歯切れが悪い。

「位置がわかるといっても、正確な居場所がわかるというものではないんですよ」

 説明によると、人工衛星からの電波を受信する関係上、上空の電離層などの状態が悪いと正確に電波を受信できなくなってしまい、測位の算出結果に誤差が現れてしまうのだそうだ。そのため、この装置では大まかな方角がわかる程度なのである。

「それでもいい。あゆはどっちの方にいるんだ?」

「ええとですね……」

 液晶画面を凝視する祐姫。いくつかの光点の中から、移動している点を見つけた。

「丁度あちらの方角ですね」

 祐姫が指差したのは山の方だ。

「よし、待ってろよあゆ」

 叫ぶなり走り出す祐一。祐姫と北川は、ただ呆然とその後姿を見送るのみだった。

「なあ、祐姫ちゃん。オレたちも月宮探すの手伝った方がいいんじゃないか?」

 人手は多いほうがいいだろうという北川の主張に対し、祐姫は黙って首を左右に振る。

「それでわたくしたちまで迷子になってしまっては意味がありません。冷たいようですが、ここはお兄様に任せるべきです」

 これで二重遭難にでもなったら大変ですからね、という祐姫の主張には北川も同意するものがある。なにしろ祐姫以外は誰も携帯電話を持っていないのだ。それに肝心の携帯電話も圏外ではまったく役に立たない。連絡手段を封じられてしまった以上、下手に動くことも出来ないのだ。

 結局、あゆを捜すのは祐一に任せ、屋台巡りを再開する北川たちであった。

 

「うん、それでね……」

 そのころあゆは、浴衣姿の女性に手を引かれて歩いていた。

「祐一くんったらひどいんだよ。ボクがお化けとかが苦手なの知ってて、怖いビデオを借りてきたりするんだもん」

 そう言ってあゆはほっぺたをぷぅ、と膨らませるが、その表情はどことなく愛らしいもので、まったく怖くなかった。もっとも、このときあゆは真琴と一緒になって、必死に名雪にしがみついていたため、少々寂しい気分になった祐一ではあったが。

「え? 寂しくないかって?」

 そう問われて、あゆは眉間にしわを寄せて考え込む。

「お母さんがいなくなって……一人ぼっちになっちゃったって思ったとき……。そのとき、ボクは寂しかったよ……」

 先ほどまでの笑顔が消え、少しうつむきがちになったあゆは、ポツリポツリと口を開いた。

「でもね」

 それまでの暗かった表情が明るく輝き、あゆはぱっと顔を見上げた。

「祐一くんと出会ってからは楽しくて、悲しいことも忘れられたんだけど……。でも……」

 その瞳に涙が浮かぶ。

「ボクが事故にあって……そのせいで祐一くんを傷つけちゃって……ボクなんかいない方がいいんじゃないかと思ったけど……」

 頬に伝う涙をぬぐいもせずに、あゆは言葉を続ける。

「祐一くんも名雪さんも、みんなみんな良い人たちばかりで。そんな暖かくて優しい人たちに囲まれているから、ボクは寂しくなんてないよ」

 もう涙で顔がぐしゃぐしゃになっているというのに、それでもあゆは笑顔を作って答えるのだった。

「でも、変だよ。どうして秋子さんがそんなこと聞くの?」

 だが、女性はなにも答えない。ただ口元に柔らかな微笑を浮かべるのみだ。

 それを聞いて満足したのか、浴衣姿の女性はすっとあゆから離れた。

「あれ? どこ行くの? 秋子さん。ここでお別れって……?」

 あわててその後を追いかけようとしたあゆだったが、脳裏に不思議な聞き覚えのある声が響いた。

 

(……来ちゃダメ……)

 

「……え……?」

 ふと気がつくとあゆは、池のほとりにたたずんでいた。あたりには人の気配はなく、祭りの喧騒も遠い。あゆはどうして自分がこんなところにいるのか、まったく見当がつかなかった。

「うぐぅ……」

 吹きぬける風がまわりの木々を揺らし、耳障りな音を立てて過ぎ去っていく。そのときに突如として現れた群雲が月を覆い隠してしまい、あたりは一寸先も見えないような真っ暗闇になってしまった。

「どこだろ……ここ……」

 ついさっきまで秋子さんと一緒に話をしていたはずなのに、いつの間にかあゆは人気のない場所で一人ぼっちになってしまっている。思わず口から漏れた声があたりにやたら大きく響いているような感じがして、あゆの背筋にぞくりとするような感覚が走る。

 ぽっと小さく灯った不安と言う名の火が、恐怖と言う油を注がれることで燃え盛る炎へと変貌を遂げる。あゆがパニック状態に陥る寸前、その刹那のことだった。

 

ガサガサガサッ!

「うぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」

 

 不意に茂みをかきわけるような音が鳴り響き、続けて飛び出してきた黒い影に絶叫するあゆ。

「あゆっ!」

「え? あ……。祐一くん……」

 聞き覚えのあるその声に、あゆは安堵の息を漏らすのだった。

 

「本当に、心配したんだぞ?」

「うん、ごめんね……」

 真っ暗闇の中、そっと抱き合う祐一とあゆ。そうすることで、お互いの体温だけが存在を示すものとなる。

 荒い息に早い鼓動。よほど必死になって探してくれたんだと思ったとき、あゆはなにものにも変えがたい安心感を得るのだった。

「ああ、クソ。走り回ったから、汗かいちまった」

「祐一くん。はい、これ」

「おお、サンキュ。あゆ」

 差し出されたタオルで額、顔、首筋、と順に拭いていく。

「そういや、あゆ。こんなものどこから出した?」

「うぐぅ……それは……」

 浴衣姿のあゆがこんな大きなタオルをどこから出したのか、祐一には疑問だった。あゆはうぐうぐうなっているばかりで要領を得なかったが、そのとき不意に雲が晴れ、あたりを優しい月明かりが照らし出した。

「あゆ……」

 乱れた浴衣にはだけた胸元。裾もそろわず、深くひらいたスリットからは下着が見えてしまいそうだ。

 

「うぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」

 

 あゆの悲鳴が夜のしじまを切り裂いて響き渡る。

 どうやらあゆは、自分がお腹に巻いていたタオルを祐一に差し出したらしい。そのせいで浴衣が着崩れてしまい、かろうじて体を覆っているだけのあられもない格好になってしまったのだ。

「みないでっ! みないでっ!」

 必死に右手で今にも落ちてしまいそうな浴衣を押さえ、残った左手でポカポカ祐一を殴りつけるあゆ。

「わかった、悪かった」

 苦笑しつつも祐一はあゆに背を向け、なるべく見ないように心がける。だが、それでもあゆは祐一の背中をポカポカと殴りつけていた。

「でも、あゆの温もりを感じたぞ」

「うぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」

 再びあゆは真っ赤になって絶叫した。

 

「あゆちゃん、大丈……ぶ?」

 その悲鳴を聞きつけたのか、茂みから飛び出してくる名雪。ところが、二人の様子を見た途端に絶句してしまう。

「これは……どういうことなのかな……」

 突然あゆがいなくなり、やっと思いで見つけ出してみれば、あられもない格好で祐一と一緒にいる。これらの状況から類推されるのは、唯一つしかない。

「いやぁ、これはだな……。その……」

 祐一はなにか気のきいたことでも言って場を和ませようかと試みたが、名雪の瞳に浮かんだ怪しい光の前に二の句が継げなくなってしまう。

「あ……あのね、名雪さん……」

「あゆちゃんは悪くないんだよ。悪いのはみんな祐一なんだからね」

 それは、とても素敵な笑顔だった。ただ、それは普段の名雪が見せている、見るものを暖かくさせる太陽のような微笑とはまったく異なるもので、背筋に底冷えが走るぐらい恐ろしいものだ。そのせいか先程まで和やかだった空間は、ぱきぱきと音を立てて変わりつつあった。

 

 そして、祐一の悲鳴が夜のしじまを切り裂き、響き渡るのだった。

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