第二十四話 女の子になっちゃった?

 

「後継者が欲しかった……」

 この出来事の後、秋子はそう語ったという……。

 

ちゃかちゃんちゃんちゃんちゃん〜ちゃんちゃん〜……♪(BGM『約束』)

 

夢…

夢には終わりがある…

どんなに楽しい夢も…

どんなに怖い夢も…

暖かい布団のなかで…

お母さんに揺り起こされて、夢は途切れる…

悲しい夢…

泣きたくなる夢…

でも、それが夢だって気づくのは…

いつだって目覚めてからの事…

目覚めなければ、それが現実…

ずっとずっと変わらない、朝の風景…

だけど、今は…

夢は、現実…

 

『あさ〜あさだよ〜あさごはんたべて〜学校いくよ〜』

 いつも通りの朝。

 薄いカーテンから差し込んでくる朝の光を瞼の奥に浴びながら、祐一はまどろみの中を浮かんでいた。

『あさ〜あさだよ〜あさごはんたべて〜学校いくよ〜』

 ずっと聞いていると、また眠ってしまいそうになる目覚し時計の声が鳴り響くと同時に長かった夜が明ける。

 ようやっといつもの日常が戻ってきたような感じだ。

『あさ〜あさだよ〜あさごはんたべて〜学校いくよ〜』

 祐一は鈍く痛む頭をゆすりながら体を起こす。このときに祐一はなぜか枕を抱いて、横向きに寝ている事に気がついた。なんとなくであるが、いつもけろぴーを抱いて寝ている名雪の気持ちが、少しだけわかったような気がする祐一であった。

『あさ〜あさだよ〜あさごはんたべて〜学校いくよ〜』

 まだ鳴り続けている目覚し時計を止めると、祐一は深くため息をついた。

「……やっぱり、夢じゃなかったか……」

 自分の声とはとても思えないような高く響く声。胸元から覗く谷間。そして、失ってしまった息子。

 本来あるべきはずのものが無く、無いはずのものがある。

 まるで悪い夢でも見ているようだが、悲しいけどこれは現実である。

 過ぎ去ってしまった事を、くよくよ後悔するのは男らしくないと祐一は思う。

 だけど涙が出てきちゃうのは、やはり女の子だからだろうか。

 んしょ、とベッドから飛び降りると、祐一はカーテンをいきおいよく開ける。網膜を射す強い光の向こうにあるのは、いつもと変わらぬ見慣れた風景。

(変わったのは、俺のほうか……)

 そっとカーテンを握っている、もみじのような小さい手には思わずため息が漏れてしまう。

 今祐一が着ているのはあゆのパジャマであるが、それすらも手足がだぶだぶになってしまうくらいのコンパクトなボディ。姿身で見たときには、つい可愛いと思ってしまったくらいではあるが、それがあくまでも愛でるほうであって、まさか祐一自身がこうなってしまうとは思いもよらなかった。

 

こんこん

 

「祐ちゃ〜ん、おきてる〜?」

 そんなとき、控えめなノックの音と、明るく能天気な声が聞こえてくる。それは誰あろう、祐一の母親。相沢未悠の声だった。

「祐ちゃ〜ん?」

「おきてるよ〜」

 放って置くと部屋にまで入ってきそうだったので、とりあえず返事をしておく祐一。

 しかし、ハイテンションな母親とは対照的に、祐一の気分は重い。

 男が女に変わってしまっただけでも混乱するというのに、その混乱にさらに拍車をかけたのがこの母親なのだ。

 

 ここで話は少し前にさかのぼる。

 それは祐一が女の子になってしまった、その直後の出来事だった。

 

「あれがああで、これがこうですから。ここがこうなってこう……」

「それですと秋子様、そこがそうなってしまいます。そうなりますと、そこがそうですから……」

「困りましたね……」

 先程から秋子は祐姫と一緒に複雑な図が書かれた紙をにらめっこしている。二人はそれがなんであるかわかっているようなのであるが、祐一と名雪が見てもなにがなにやらちんぷんかんぷんであった。

 ちなみにあゆと真琴は、リビングで現実逃避の真っ最中である。

 いつもなら明るく和気藹々とした団欒の風景がそこにあるのであるが、今は不思議な緊張感が漂っている。

 

ぴんぽーん♪

 

 そんななか、チャイムの音が響き渡った。

「いいですわ、わたくしが出ます」

 軽く微笑んで祐姫は立ち上がると、そのままいそいそと玄関に向かう。

 こんな時間に誰だろう。と思いつつ玄関を開けると、そこには見知った人物が立っていた。

「あら、お母様」

「久しぶりね、祐姫。元気だった?」

「はい。お母様こそどうされたのですか?」

 確か祐一と祐姫の母親である未悠は、父親と一緒に海外のはずだ。それなのに、どうしてこんなところにいるのか疑問に思う祐姫。

「……どうしたもこうしたも無いわよ……」

 かわいらしく小首を傾げて問いかける祐姫に、苦虫を数十匹ほどまとめて噛み潰したかのような表情で応える未悠。その母の表情に、祐姫は背筋に戦慄が走るのを感じた。

「あの……お母様……?」

 おそらくは父の浮気が原因なのだと思われるのだが、迂闊に地雷に触れてしまうわけにもいかない。なんと声をかけたらよいものやらと、そう祐姫が考えはじめたときだった。

「誰〜?」

 難しい話をしているキッチンにいるのが退屈になったのだろう。祐一がとたとたと玄関に歩いてきた。

「あ、母さん。久しぶり」

 そう言って祐一がにこっ、と微笑みかけた次の瞬間、未悠の動きが止まる。いつもの調子で母親に話しかけたのだが、よくよく考えてみると今の祐一は女の子だ。

 身長は測っていないが、たぶん150いくかいかないかと言うところだろう。体が縮んでしまったせいか、ズボンもぱんつもまとめて脱げてしまっていたので、上に着ていたTシャツだけと言う、ほとんど丸裸に近いという格好だ。

 そのせいか、歩くたびに胸の先が布地でこすれて少し痛い。

 そして、女の子に変わってしまった祐一の姿を見た途端に、未悠の目が点となる。

「祐姫、この子は……?」

「はあ……」

 どう説明したらいいのか、少しの間悩む祐姫であったが、結局事実ありのままを伝える事にした。

「お兄様です……」

 次の瞬間、青い閃光が祐姫の前を横切った。

「かわい〜っ! かわい〜っ! 祐一、かわい〜っ!」

「むぐ〜っ! むぐ〜っ! むぐ〜っ!」

「祐一〜っ! 祐一〜っ! 祐一〜っ!」

「むぐ〜っ! むぐ〜っ! むぐ〜っ!」

「祐一〜っ! 祐一〜っ! 祐一〜っ!」

「むぐ〜っ! むぐ〜っ! むぐ〜っ!」

 まるで猫を見つけた時の名雪のように、豹変する未悠。その姿を見ていると、やはり血縁者なのだなという事が伺える。

 突然の騒ぎに秋子、名雪、あゆ、真琴がわらわらと玄関に集まってくる。その一同の視線が集中するなかで、未悠は満面の笑顔で息子を抱きしめており、祐一はその胸のなかで窒息寸前になっていた。

 

「それで?」

 無理やり祐一と引き離されてしまったせいか、やや不機嫌な様子で口を開く未悠。ちなみに祐一は、実の母親の過剰なまでの愛情表現に心底おびえており、名雪の背中に隠れたまま出てこようとしない。

「どうしてこういう事になってしまったのかしら?」

「はあ……」

 実の母親の強い口調に、なんとも気の抜けた返事を返す祐姫。

「おそらくは、わたくしの料理と秋子様のジャムの相乗効果によって、お兄様が女性化してしまわれたものと思われます」

「本当に?」

 未悠の表情には疑問符が浮かんでいるが、それも無理のない事だ。確かに魚類の中には成長度合いや生活環境に応じて性転換を行う種類もいるが、哺乳類である人間で無理な話しなのだから。

「お母様も御存知の通り、秋子様のジャムには若返りの効果があります」

 言うなれば、秋子のジャムは食べるドモホルンリンクルと言うところだろう。良薬口に苦しの格言にあるとおり、有効成分の味がダイレクトに現れてしまうために、とんでもなく独創的な味わいになってしまうのである。

 あえて例えるなら、気の抜けたコーラと言うところか。

「わたくしはお兄様の健康を第一に考え、身体機能の改善と、滋養強壮に効果のあるものを用意いたしました」

 祐姫のほうも素材の味に忠実なため、とんでもなく独創的な味わいになってしまうのである。なんだかんだ言いつつも北川が食べ続けているのは、味はともかくとしても健康を維持するのには最適であるという理由からだ。

 それでもやはり、美味しい料理を作りたいと思うのは、乙女心のなせる技だろう。その矢先にこの出来事なのだから、もしかすると自分には料理の才能がないのかもしれないと思う祐姫であった。

 ある意味で言うと、それ以外の才能にはずば抜けたものがありそうなのであるが。

「皆様も御存知の通り、女性ホルモンには卵胞ホルモンと呼ばれるエストロゲンと、黄体ホルモンと呼ばれるプロゲステロンの二種類があります。排卵の前から分泌され、月経周期を司るエストロゲンと、排卵後に分泌され、排卵の抑制、及び受精卵であった場合は妊娠状態を維持するプロゲステロンです」

 いつの間にか白衣を着用し、ホワイトボードになにやら図を書きはじめる祐姫。

「女性でも卵巣や副腎から男性ホルモン、テストステロンが分泌されていますが、それは卵巣にある芳香化酵素、アロマターゼの作用によってすぐに女性ホルモンに転換されてしまうため、女性が男性化する事はありません。ですが、加齢によって卵巣機能が低下してきますと男性ホルモンが優位に働く事で、女性が男性化してしまう場合もあります」

 まったくの余談ながら、この場合の女性の男性化は、髭などの体毛が濃くなったりする程度のものから、乳房の萎縮や無月経、性器の変形などの症状が確認されるものまで多岐にわたっている。加齢だけではなく、副腎に出来た腫瘍によって男性ホルモンが過剰に分泌されるために起こる場合もある。

 ちなみに、女性ホルモンのうちエストロゲンはテストステロンを体内に止める働きをし、プロゲステロンは体外に排出する働きをする。したがって、男性化を防ぐにはプロゲステロンを補充する必要がある。

 プロゲステロンは子宮がんや乳がんなどの婦人病を予防したり、乳房の形成にも大きな働きをする。他にも脂肪を燃焼しやすくしてくれたりと、至れり尽くせりのホルモンといえる。もっとも、この種のホルモン製剤は過剰に摂取しても体のバランスを崩すだけなので、何事も程々が一番なのであるが。

「つまり、その影響で祐一の男性ホルモンが女性ホルモンに転換されて、女性化してしまったとでも言うの?」

 未悠の疑問ももっともなものだ。

 男性ホルモンは男性らしい体つきや機能を決定するホルモンであり、女性ホルモンは女性らしい体つきや機能を決定するホルモンである。確かに、俗にニューハーフと呼ばれる男性の中には定期的な女性ホルモンの投与によって、乳腺の発達による乳房の形成などの女性らしい体つきになる場合もあるが、だからといって持って産まれた性が変わるわけではないのだ。

「もしかすると、お兄様の体質にも問題があるのかもしれませんし……」

「体質?」

「はい。一般的に男性は男性で、女性は女性ですが、極まれに男性的な女性や女性的な男性という事例も確認されていますから。これは俗に言うところの性同一性障害と言うものですが……」

 男性と女性では大脳の構造が異なっている。基本的には似通った構造をしているが、左右の脳をつなぐ前交連や脳梁、本能などを司る視床下部に違いがある。特に脳梁は女性のほうが太く、この部分に大きな性差が確認されている。

 胎児の段階における男児が成育過程で充分な男性ホルモンが分泌されなかった場合脳は女性化してしまい、女児であっても副腎から男性ホルモンが過剰に分泌されてしまうと脳が男性化してしまうのだ。

「要するに祐姫は、祐一がその女性型男性だとでも言うつもりなの?」

「それはなんとも言えません……」

 詳しい事は、まだ調査中なんです。と祐姫は小さく付け加えた。

「お兄様が外見的に女性化してしまっているだけなのか。それとも、内面まで女性化してしまっているのかは定かではありません。いずれにしても、お兄様を元に戻して差し上げるためには、今後も継続した調査が必要になると思われます」

「え?」

 それを聞いた途端、未悠の瞳が驚愕で大きく見開かれる。

「……戻しちゃうの……?」

「はい」

「ダメよっ! ダメダメダメっ!」

 突然未悠は大きな声で叫んだ。

「こんなに可愛いのに、元に戻しちゃうなんてダメっ!」

「でもっ!」

 それに対抗するように、大きな声を張り上げる名雪。

「祐一だって困ってるよ。一刻も早く元に戻してあげないと」

「名雪ちゃん……」

 あまりにも真剣な様子の名雪に多少気おされたかのような未悠であったが、おもむろに軽く息を吐くと口元にわずかな笑みを浮かべて口を開いた。

「そうよね。名雪ちゃんにとっては、祐一は男の子のほうが良いものね」

 未悠がなにを言いたいのかわからず、名雪は小首を傾げる。

「だって名雪ちゃんは、祐一に女の悦びを与えられているんだもの」

「な……!」

 突然の爆弾発言に、言葉を失う名雪。

「二人の仲がいいのは結構な事よ? でもね、名雪ちゃん。祐一はきちんと避妊はしてくれているのかしら?」

「それは……」

 咄嗟に顔をそらす祐一。名雪との情事におぼれるあまり、つい忘れがちになってしまうが、実は一番大事な事だ。とはいえ、名雪の『大丈夫』をあてにしての行為と言うのは、さすがに問題があるだろう。

「ついでに言うと、外に出したからって避妊にはならないわよ?」

「え? そうなの?」

 名雪の疑惑の視線が祐一へと向く。その場に集った女性陣から放たれる冷ややかな視線の集中砲火、それどころか退路まで絶たれた十字砲火の只中で、さらに身を縮こまらせる祐一。

 実は男性器より分泌されるカウパー腺液にも微量ながら精子が含まれているので、膣外射精は厳密な意味での避妊手段にはならないのだ。

「家族が大勢で、にぎやかな家庭もいいものだと思うわ。だけどね……」

 未悠からはなたれる得体の知れないプレッシャーに凍りつく一同。それどころかようやく復活したあゆと真琴はしっかりと抱き合ったまま、部屋の隅で震えている。

「あたし、まだおばあちゃんになるつもりはないのよ……」

 その意味では、祐一が女の子になってしまったのは好都合といえる。

「そうですね。確かにあゆちゃんや真琴の教育上、あまりいいとは言えませんし」

 ため息混じりに呟く秋子。

 

 結局、祐一を元に戻すのには時間がかかる事もあり、しばらくの間は現状維持という事となった。

 

 昨夜の出来事を思い返すと、思いっきりブルーな気分が広がっていく。

 そんな気持ちをぐっと抑えて、祐一はいきおいよくパジャマを脱ぎ捨てた。

「あ……そか……」

 よくよく考えてみれば、今の祐一のコンパクトなボディに合う服などない。今穿いているショーツもあゆから借りたものだが、それもちょっと大きいくらいなのだ。

「しかたないか……」

 やむをえず祐一は、自分のTシャツを頭からかぶる。男だったころはぴったりだったのに、今は裾がひざ下くらいまでの大きさだ。

 首まわりは大きく広がって胸元が見えそうなくらいになっているし、袖はひじの先くらいまである。

 見方によっては可愛い格好だと言えなくもないが、他に着るものがないのではどうしようもない。

 祐一は深くため息をついて、自分の部屋を後にした。

「おはよう、母さん」

「おはよう、祐ちゃん」

 廊下にいた母親と、挨拶をかわす祐一。

「なんだよ、その『祐ちゃん』っていうのは……」

「だって『祐一』じゃおかしいでしょ? だから、祐ちゃんよ」

 にこやかにそう語る母親の姿に、頭が痛くなるのを感じる祐一。とはいえ、こんな嬉しそうな母親の姿を見るのは久しぶりなので、しばらくはこのままでもいいかと思う祐一であった。

 朝食を摂るために階段を下りる未悠に続き、祐一も階段を下りる。

「どうしたの?」

 その途中で動きを止めてしまう祐一に、未悠は心配そうに声をかけた。

「胸が揺れて……」

 体が小さくなっているせいか、階段の段差がやたら大きく感じる。そのせいかいつもより敏感になった胸の先がTシャツの裏とこすれ、強すぎる刺激が容赦なく祐一に襲い掛かってきた。

「胸が揺れてって……ブラジャーはちゃんと着けているの?」

「ブ……ブラ?」

 途端に顔を真っ赤にする祐一。ある意味、はずした事はあっても、着けた事はない。

「しょうがないわね……」

 祐一の様子に眉をひそめる未悠。

「今日はお休みだったわね?」

「え? うん……」

 昨日に引き続き、今日も休みで連休である。普段なら名雪とデートしたりとか、楽しい時間を過ごすところではあるが。

「よし、じゃあ買い物に行くわよ」

「か……買い物?」

 なんとなく、いやな予感のする祐一。

「そうよ、祐ちゃん。女の子のもの、色々買い揃えないと」

 うきうきと、今にもスキップを踏みそうな未悠の様子に、さらに気分が落ち込んでいく祐一であった。

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