第二十七話 祐ちゃんの危機

 

 白いカーテンに区切られたベッドの上で祐一が気づくと、そこは知らない天井だった。

「あれ?」

「あ、気がついた?」

 その声のほうに向くと、名雪が心配そうに覗き込んでいる。祐一を保険室送りにした負い目があるせいか、その表情にはいつも明るさが見られない。とりあえず祐一が無事だったようなので、ほっと一安心というところだ。

「気絶してたのか……俺……」

「ん〜、というよりも……」

 そこで名雪はくすっと微笑む。

「寝てた、って感じ。いびきとか寝言とか、歯ぎしりとかもしてたし……」

 なぜか頬が熱くなるのを感じる祐一であった。

「あ、祐ちゃん。気がついた?」

 するとそこに、香里がにこやかに入ってくる。先程まで体操着だったのが、制服に着替えている。よく見ると名雪も制服だ。そうなると、体操着でベッドに寝ている祐一だけが、妙に浮いて見えてしまう。

「それにしても、良く寝てたじゃないの。もう放課後よ?」

 言われてみると、もうすでに日は西の空に傾きかかっているせいか、少し薄暗いようにも感じる。

「とりあえず、祐ちゃんの制服とカバンを持ってきてあげたわよ」

 はい。と差し出される制服とカバンを受け取る祐一。

「それでどうするの? 祐ちゃん。ここで着替えちゃう?」

「この上に着ちゃうよ。どうせ後は帰るだけだし」

 このあたりは元男なだけに、かなりアバウトな祐一であった。

「下に着てると、温かいしね」

 穏やかに微笑む名雪に見守られながら、体操着の上に制服を着る祐一。まだ秋口に差し掛かったばかりだとは言え、北のほうに位置するこの街は結構寒い。そんなわけで意外と温かいこの格好に、祐一も満足した様子だ。

「まあ、祐ちゃんは大丈夫そうね。それじゃ、名雪。あたし達もそろそろ行くわよ?」

「あ、もうそんな時間なんだ」

「なにかあるのか?」

 時間を気にして慌てて出ていく様子の二人に、祐一が訊く。

「わたし達、これから生徒会の会議に出席しなくちゃいけないんだよ」

「生徒会?」

 それは祐一も初耳だ。

「まあ、あたしが文化部総代で、名雪が運動部総代だもの。今日は引き継ぎとかもあるから、どうしても出席しないといけないのよ」

 うんざりだわ。とでもいいたげに、香里は大げさに両手を開いて見せる。

「それで、祐ちゃんは今日これからどうするの?」

「どうするって……帰るけど?」

「一人は危ないよ?」

 名雪はそう言って心配そうな表情を浮かべる。今の祐一は女の子なのだから、その意味では危険がいっぱいだ。

 ちなみに今日あゆは所属しているクッキングクラブがある日なので、真琴もそっちに行っている。美汐は図書委員で図書館に行っているし、祐姫は北川とショッピングで、栞は美術部という具合にみんなバラバラなのだ。

「とりあえず、祐ちゃんはあゆちゃんのところにでも行ってる?」

「そうするか」

 今日はタイ焼きを作るんだと張り切っていたな、と祐一は今朝がたの事を思い出す。わざわざ家からタイ焼きの型まで持っていったのだから、その情熱には祐一も脱帽だ。この間食べたクッキーも味は結構まともだったし、めきめきと腕を上げているあゆの料理を食べるのは、ここ最近の祐一の楽しみだったりする。

「名雪、急がないと」

「あ、うん。祐ちゃん一人で大丈夫?」

「家庭科室に行くだけだろ? 大丈夫だって」

 そう胸を張る祐一であるが、方向音痴という特殊技能の持ち主であるだけに、名雪の不安は大きい。

 結局時間がない事もあり、保険室で別れた三人であった。

 

 校舎同士をつなぐ長い渡り廊下を抜けると、そこは。

「あれ?」

 まったく知らない場所だった。

「え〜と……」

 祐一はきょろきょろとあたりを見回してみるが、全く見覚えがない。見渡す限りの教室の扉、窓の外にはグラウンド。代わり映えのしない風景に、自分がどこにいるのか全くわからなくなっている祐一であった。

 旧校舎に新校舎、そこに加えて特別教室棟や部室棟などが広い敷地内に建てられているせいか、いまだに祐一は道に迷ってしまう事が多い。

(ど……どうしようぅっ……)

 まるで迷宮にでも迷い込んでしまったかのような状況に、祐一の頭は容易くパニック状態に陥ってしまう。男だった時はそうでもなかったのだが、女の子になってから祐一はこうなってしまう事が多くなっていた。

 なんとか落ち着こうとするのだが、次から次へといやな想像が頭の中を駆け巡ってしまい、全く考えがまとまらなくなってしまうのだ。

「う……うみゅぅぅ〜……」

 完全にパニック状態に陥ってしまった祐一は、廊下を走りながら教室の扉を手当たり次第に開けていくのだが、目的地となる家庭科室には行きつかない。

 ホルマリンに浸かった不気味な標本の並ぶ理科準備室。

 埃のかぶった地図の置かれた地理準備室。

 その他にもただの物置と思われる空き教室。

「お?」

 そのうちに祐一は、数人の男子生徒が車座になってタバコを吸っている現場に出くわしてしまった。

「え……え〜と……」

 これはやばい。そう祐一の頭の中で警鐘が鳴り響くのだが、パニックになった今の状態では満足に体が動かない。一刻も早くこの場を離れなければいけないとは思うのだが、考えれば考えるほど駆け巡る思考が体の動きを封じ込めていってしまうのだった。

「見られたんじゃ、仕方ないな……」

「ひうっ!」

 その中にいた一人の男子生徒に腕を掴まれ、空き教室にひきずりこまれてしまう祐一であった。

 

「放せーっ! 放せったらっ!」

 祐一は必死に抵抗するが、女の子になってしまった今の腕力では全く抗う事が出来ない。なんで自分はこんなにも無力なのかと悔むが、ここは普段からあまり人が立ち入らない場所なのだろう。先程から祐一が大声で助けを求めているというのに、誰も助けに来ない。

「静かにしろっ!」

「ん〜っ! ん〜っ!」

 祐一は首を振っていやいやをするが、数人がかりで押さえこまれているせいか、虚しい抵抗にすぎなかった。

「は〜い、おとなしくちまちょうね」

「おとなしくしてれば、すぐにおわりまちゅからね」

 祐一の容姿が幼いせいか、男子生徒達は口元に下品な笑みを浮かべながら、制服の短いスカートをまくりあげる。その時に祐一は、自分も名雪に迫っている時は、こんないやな顔をしているのだろうかと、ひどい嫌悪感にさいなまれた。

「おいおい、こいつスカートの下にブルマーはいてるぜ」

「いけまちぇんね〜。これは校則違反でちゅね〜」

「はい、ぬぎぬぎちまちょうね〜」

 男子生徒達がニヤニヤしながら祐一のブルマーを脱がそうとした、その時だった。

「そこまでよっ! この悪党っ!」

 突如として空き教室に凛とした声が響く。

「な? 誰だ?」

 教室の扉には鍵を掛けてあるので、誰もここには入れないはずだ。それなのに女の子の声が聞こえる。

「おい、あそこだ」

 一人の声に全員がそっちを見ると、五人の少女達が教壇の上に並んでいる。

「まいたんレッド!」

「まいたんブルー!」

「まいたんイエロー!」

「……まいたんブラック」

「まいたんホワイト〜」

 赤、青、黄、黒、白のウサギ耳のカチューシャをつけた、今の祐一とそう変わらない背格好の少女達が、名乗りをあげると同時にそれぞれポーズを決めていく。

「五人そろってっ!」

 そこで少女達は、ざん、と揃い踏み。

「ゴマイタン!」

 まいたんレッドを中心に、Mの字を形作るのだった。

 

「我らっ!」

「祐ちゃんを守るっ!」

「五人のっ!」

「……戦士」

「ゴマイタン〜」

 唖然呆然といった風情の男子生徒達が見守る中、五人のまいがそれぞれにポーズを決めている。レッドからイエローまではまだ元気で迫力があるのだが、ブラックは本体の舞と同じく無口らしく、ホワイトに至っては妙にのんびりとした口調だ。

「なんだかよくわからねぇが、やっちまえ!」

「おぅっ!」

 一人の男子生徒が、まい達に向かう。まいの容姿は十歳児程度、つまりは今の祐一とそう変わらない外見のために、その男子生徒も油断していたのだろう。

「まいたんブレードっ!」

「ぐあっ!」

 まいたんレッドが手にした剣の一撃を脳天に受け、その男子生徒は糸の切れたマリオネットのように、くたくたとその場に崩れ落ちた。

「まいたんアローっ!」

「ひぃっ!」

 まいたんブルーの放った矢によって、男子生徒は壁に縫い付けられてしまい。

「まいたんバズーカっ!」

「うぁっ!」

 まいたんイエローの持っているバズーカで何人かはまとめて吹き飛ばされ。

「……まいたんカッター」

「うぉっ!」

 舞一人はたんブラックが両手に持ったナイフで制服を切り裂かれ。

「まいたんランス〜」

「ぎょえっ!」

 穏やかな笑顔とは裏腹のまいたんホワイトによるランスが急所にあたり、悶絶する男子生徒。たちまちのうちに空き教室内は阿鼻叫喚のるつぼと化した。こうなると、最早祐一を襲っているような状況ではない。男子生徒達が逃げ出そうにも扉にしっかり鍵がかけてあるのでそれも容易では無く、ゴマイタンの執拗な攻撃によって次第に教室の隅へと追い詰められていく。

「とどめよっ!みんなっ!」

「うん」

 まいたんレッドの声に、残りのまいたん達が一斉にうなずく。先ず、まいたんイエローの持つバズーカの砲身が伸び、その上にまいたんブルーの弓がボウガンのように組み合わされ、弓の両端部分にまいたんブラックのナイフが取り付けられる。まいたんホワイトのランスがバズーカの下に装着され、柄の部分が肩当てに変形する。

 最後にまいたんレッドのブレードがバズーカの上部にちょうど矢の位置に装着され、それを五人のまいたん達は教室の隅にひと塊りになった男子生徒達に向ける。

「ミラクルカノンっ!」

 まいたんイエローがトリガーを担当し、まいたんブラックがその前で片膝をついて砲身を支える。まいたんブルーは右から、まいたんホワイトは左からミラクルカノンを支え、まいたんレッドはその尾栓部分からミラクルなパワーを注入していく。

「エネルギー充填、一二〇パーセントっ!」

「照準固定!」

「電影クロスゲージ明度二〇!」

「発射一〇秒前! 総員対ショック! 対閃光防御!」

「五、四、三、二、一……」

 ミラクルカノンを構えるゴマイタンの、穏やかな笑顔の中で行われている絶望へのカウントダウンが、静かに男子生徒達の耳に響く。

「ミラクルシュート!」

 そして、すべてを閃光が包み込み、天地をつんざくような爆発音が校舎を揺るがすのだった。

 

「こいつは……」

 ちょうど隣の部屋で生徒会の会議を行っていた久瀬は突如として鳴り響いた爆音に、何事かと思って空き教室に飛び込んでみると、その中の惨状にずれ落ちそうになるメガネを必死に押さえていた。

 教室の真ん中で、着衣が乱れたまま泣いているのは祐一。そして、部屋の隅には男子生徒達が、折り重なるように倒れている。しかもその中の一人が下着姿では、この中でなにがあったのかは一目瞭然だ。

「祐ちゃんっ!」

「名雪〜」

 名雪の胸に飛び込んで泣きじゃくる祐一。女の子になってしまっただけでも神経がおかしくなりそうなのに、そのうえ男に襲われそうになったのでは、もうこれ以外になにも出来なかった。

「ちょっと、どうしたのよ?」

 遅れて空き教室に入ってきた香里が、中の様子にすべてを理解する。

「よくも……」

 香里の両手に、棘のついたナックルが握られる。

「よくもあたしの祐ちゃんを……」

「お……落ち着きたまえ、美坂君」

「あたしは冷静です……」

 確かに香里の声音は冷静だ。それはもう見事なくらいに。

「ええ……冷勢です……」

 口元に妖しい笑みを浮かべたまま、香里はゆっくりと男子生徒達に向かって歩を進める。

 久瀬はあわてて香里を止めようとするのだが、その身にまとった圧倒的なまでの殺気に気おされてしまっているのか、その体は蛇に睨まれた蛙の如く動かない。

 やがてゆっくりと香里が男子生徒達の前に立った時、その中の一人が目を覚ました。

「トイレは済ませた? 神様にお祈りは済ませた? 部屋の隅でガタガタ震えながら命乞いをする準備はOK?」

「ひぃっ!」

 喉の奥から絞り出すような悲鳴を上げたその男子生徒は、なんとかこの場を切り抜ける方法はないものかと必死で考えを巡らせる。しかし、無情にも華麗なる死神が、軽やかな足音と共に近付いてくる。

(逃げなくちゃダメだ。逃げなくちゃダメだ。逃げなくちゃ……)

 後ろ向きな考えに頭が支配されそうになる中、その男子生徒は扉の所に久瀬が立っているのを見つけた。それを見つけた時のその男子生徒の顔は、気持ち悪いくらいの歓喜に包まれた。

「よぉ、久瀬」

 その男子生徒の顔に見覚えがあるのか、久瀬の顔がわずかにひきつる。

「この女に好き勝手させるのもいいが、家系図くらいは頭にいれとけよな」

「くっ」

 この街には古くからの因習と言うものがあるらしく、それがこの学校でも生徒会と反生徒会の対立という図式で現れてしまうらしい。どうやらこの男子生徒は久瀬よりも高い格式の家柄のようだ。

「はえ〜、そうですね。家系図を調べてみますね」

 そこに能天気という形容がぴったりと当て当てはまる少女の声が響いた時、その男子生徒の顔は気の毒なくらいに真っ青になった。

「く……倉田……?」

「はい、佐祐理ですよ〜」

 いつもと変わらぬ穏やかな笑顔と共に、佐祐理は冷ややかな視線でその男子生徒を見ていた。単純な家柄でいえば、この男子生徒の格は佐祐理よりも低いのだ。

「どうしてお前がここにいるんだっ!」

 男子生徒の叫びももっともである。佐祐理はとっくの昔に卒業しているので、この学校にいるはずがないからだ。

「はえ? だって佐祐理、久瀬さんに『卒業後も相談役として、我が校生徒会の発展のため、御指導御協力頂く予定であります』って言われてますから」

 確かにそれを言ったのは久瀬であるが、まさか佐祐理がそれを本気にするとは思ってもいなかったというのが本音だ。とりあえずあの場はそうする事で舞の反省を促し、舞踏会の失敗によって失墜した生徒会の威信を回復させるための方便であるので、久瀬本人としては佐祐理に対するこだわりはあまりなかった。

 二人の関係は父親同士が知り合いであるというだけで、舞踏会の事件までは直接の面識はほとんどなかったのだが実情だ。また、佐祐理と会ったときに久瀬はなにを話してよいものかわからず、とりあえず無難な話しでお茶を濁していたという事情もある。

 とはいえ、佐祐理が生徒会にかかわるようになってからは以前よりも話をする機会が増えたせいか、お互いの間にわだかまっていた妙な誤解も解けて前以上に親密な関係になれたので、少しだけよかったかなと思っている久瀬ではあるが。

「詳しい事情は聞きませんけれど、か弱い女の子に狼藉を働くのは感心しませんね……」

 表情はいつも通りの穏やかな笑顔なのだが、佐祐理の背後はなんとも形容しがたいオーラに満ち溢れていた。

「と、いうわけですから香里さん。やっちゃってください」

「おっけー」

 佐祐理が自分の親指を下に向け、喉をかっ切る仕草を了承の合図と取った香里は、両手にはめたナックルを激しく打ち鳴らす。

 

 そして、名雪の胸の顔をうずめて泣きじゃくる祐一の鳴き声が響く教室で、地獄の第二幕がはじまるのだった。

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