第二十八話 女の子として

 

「すっかり遅くなってしまいましたわね、潤様」

「ああ、そうだな……」

 放課後、北川は祐姫とデートを兼ねて、商店街へショッピングに出かけていた。薬局で買い物を終えて店の外に出ると、あたりはかなり日も落ちかけて薄暗くなりはじめていた。そこで北川は買い物袋を両手に持ちながら、祐姫を送って行こうと水瀬家への帰路を急いでいた。ついこの間までは街を取り囲んでいる山が紅葉で真っ赤に染まっていたと思ったのであるが、ふと気がつくと吹き下ろしてくる風は冬の訪れを告げるかのように冷たいものに変わっている。

 また、寒い季節が来るんだな。と感慨深く思う一方で、どうにも北川は気分が暗く落ち込んでいくのを感じていた。

「最近の薬局は品揃えがよくて、大助かりですわ」

 そう言って満面の笑顔を浮かべる祐姫を見ながら、北川は内心溜息をつく。

(あの店員、絶対勘違いしたよな……)

 祐姫が大量に買い求めた男性用強壮剤の数々に、しばらくあの店には行けないな、と思う北川であった。

 女の子になってしまった祐一を元に戻すために、大量の男性ホルモンが必要だ。と、いう事ぐらいは北川にもわかる。しかし、会計の際にレジ係のお姉さんが北川を見たときの、憐れみをおびた視線には耐えられそうになかった。

 あの、こんなに若いのに不能者? とでも言わんばかりの視線には……。

「で? 祐姫ちゃん。これで相沢の奴は元に戻れるのか?」

 これで戻れなかったら、北川が恥ずかしい思いをしてまで買い物に行った意味がない。とはいえ、こうした男性用の強壮剤を、祐姫一人に買いにいかせるというわけにもいかないのが頭の痛いところだ。

「それは、わかりませんわ……」

 不意に祐姫は物憂げな瞳で北川を見た。

「そもそもの原因がどこにあるのかは、いまだ調査中でございますので。わたくしの料理と秋子様のジャムの複合効果によってお兄様の女性ホルモンが活性化した結果、お兄様の女性化を促してしまった可能性を考えれば、同様の手法を用いて男性ホルモンを大量に投薬する事によって、お兄様の男性化が促されるかもしれませんし……」

 どちらにしても、やってみなければわからないというところである。

 北川にとってはよくわからない単語の羅列であるものの、祐姫の言う事は一理あると思う。ただ、方法を逆にしたからと言って、逆の効果が得られるとは限らないだろうとも思う。

 実際、祐一は確かに女の子の体になってしまってはいるが、行動や思考のパターンなどは男性だった時のままだ。そのおかげで北川も、普段と変わらずに祐一と接している事が出来ているように思う。ただ、今の祐一は容姿が容姿なので、別の意味での問題が発生してしまっているのだ。

 祐一が北川と一緒にトイレに行ったときに、男子用便器の前で呆然としていた祐一の姿が強く心に残っている。それ以前に女の子が男子トイレに間違えて入ってしまうのは、相当な問題であるようにも思う。

 いっそのこと、祐一が心まで女の子になってしまっているのなら、こうした問題も起きずに済んだのかもしれない。

 しかし、事実をありのまま包み隠さずに公表すると決めた以上、これは避けて通るわけにもいかない問題なのだ。

 祐姫は、自分のせいで祐一がこんな事になってしまったのを深く反省しているし、秋子もついつい悪ノリしてしまった事を深く反省している。二人とも祐一を元の姿に戻すべく、精一杯頑張っているのだ。

 名雪も香里も、祐一に近しい少女達は一致団結してこの事態を乗り越えるべく、全員が一丸となって祐一のサポートに回っている。当然、北川も祐一の味方だ。

「すみません。潤様にもご迷惑をおかけしてしまって」

「いや、気にする事はないさ」

 聞けば祐姫は、北川に美味しいお弁当を食べてもらうために努力した結果、こういう事態を招いてしまったのだそうだ。美味しいお弁当を作るのと祐一が女の子になってしまうのとの間にどういった関連があるのか北川にはわからなかったが、それでも祐姫の熱意だけは伝わってきた。

 事の次第はともかくとして、祐姫は祐姫なりに北川のために頑張ってくれたのだから。それだけに北川は、取り立てて迷惑とは思っていなかったのである。

 

「只今戻りました〜」

「おじゃましま〜す」

「あ、おかえり祐姫ちゃん。それと、いらっしゃい北川くん」

 すっかり日も落ちて真っ暗になった頃、家に帰ってきた祐姫をあゆが出迎えた。

「あれ? あゆちゃん。もしかして、みんな来てるのか?」

「……うん」

 玄間にきちんと並べられた女性用の靴を見た北川がそう訊くと、あゆは力なくうなずいた。

「どうかなさったのですか? あゆ様」

「うん、それは後で話すよ。みんなもいるから」

 着替えてきた祐姫は、この場に祐一がいない事を不審に思っていたが、事情を聴いた後では沈痛そうな面持ちになる。

「……そうですか、お兄様が……」

「よりにもよって、相沢がレイプされそうになったなんてな……」

 もともと祐一は男だったのだから、このあたりは大丈夫だろうと思ったのがそもそもの原因であった。しかし、よくよく考えて見れば今の祐一は体力的にはあゆよりも劣る女の子であるにすぎない。しかも、その心は男の子のままなのだ。

 つまり、普通の女の子がレイプされそうになると言うだけでもショックであるのに、祐一の場合は心情的に男が男にレイプされそうになったのである。そのショックはこの場に集った少女達には、到底図りきれるものではなかった。おまけに祐一の戸籍上はいまだに男性であるために、通常の婦女暴行事件として扱うわけにもいかないのだ。

 結果としてこれは男同士のスキンシップの延長線上にあるものになってしまうために、祐一を襲った男子生徒に対しては厳重注意をするしか方法はなく、これといった処分を下す事も出来なかった。こればかりはいくら久瀬が生徒会長であっても、どうする事も出来ないのである。むしろ、その男子生徒に制裁を加えた香里の方が、暴力事件にもなりかねない状況だったのだ。

 現場に居合わせた佐祐理の心情としては、その男子生徒達を退学処分にしてやりたいところではあったが、個人の事情でそうした処分を決めるわけにもいかない。結局、祐一は泣き寝入りをする以外に道はなかった。

「そうなると、問題は他にもあると言う事か……」

「はえ〜、そうなんです……」

 軽く腕組みをして思索にふける北川の呟きに応じたのは佐祐理だった。

「今回の件が通常の婦女暴行事件として処理されない以上、今後同様の被害が出ないとも限りません。祐一さんの貞操を守る観点からも、この状況が好ましくないのは確かなんです」

「困ったものですね」

 そう言う美汐の口調も沈痛そのものだ。たとえこれが通常の婦女暴行事件であったとしても、基本的に親告罪として扱われるために女性からの被害報告がないとどうする事も出来ないのだ。多くの女性はそうした被害を恥として受け止めてしまうため、なるべく世間に知られないように隠してしまう傾向がある。結果として、事件として計上されない被害の方だけが増えてしまう。

 その意味で、婦女暴行は立件しにくい犯罪であると言えるのだ。

 もっとも、立件されてもそのほとんどは、痴情のもつれから来るものと判断されてしまうケースも多いのであるが。

「あう〜……」

 次第に重くなっていく一方に雰囲気に退屈しはじめたのか、ソファーに座ったまま真琴は足をバタバタさせはじめる。実のところ真琴は、なんでみんながこんなに深刻になっているのかさっぱりわからないでいるのだ。

 実のところ当事者である祐一を除いては、現場に居合わせたのは名雪、香里、佐祐理の三人。それ以外のメンバーは又聞であるにすぎないのだ。あゆも真琴も学校でなにか騒ぎがあったのは知っているが、それがなにかを知ったのは美汐と一緒に帰ってきてからだった。

 祐一は部屋に閉じこもったきり出てこないし、名雪、香里、佐祐理、栞の四人が重いため息をついてリビングで顔を見合わせていたのだ。もっとも、その場に一緒にいた舞はいつもの無表情でお茶を飲んでいただけのようにも見えたのであるが。

 一応名雪から事情を聞いてあゆと美汐は内容を把握できたのであるが、真琴だけがいまいちよくわからなかったのである。確かに、元妖弧の真琴にそうした人間の事情を理解するのは、かなり難しい相談であった。

「それで? 相沢はどうしてるんだ?」

「今はお部屋にいるよ」

 そう力なく答えたのは名雪だ。その表情からは、もうどうしたらいいのかわからないと言う色がうかがえた。その気持ちは北川もわからないでは無い。

 実際、北川だって男にレイプされそうになったとなれば、相当なショックを受けるだろう事は容易に想像できるからだ。あまりのショックに閉じこもってしまう気持ちもわからないでもない。とはいえ、こういうときに親友として、なんといって慰めていいものか。

「あの、みなさま……」

 誰もが頭を悩ませはじめたその時、おずおずという感じで口を開いたのが祐姫だった。

「もし、よろしければ。この場はわたくしにお任せいただけませんか?」

「祐姫ちゃんに?」

「はい」

 自信に満ちた祐姫に表情に、名雪は一筋の光明を見たような気がした。

 

「うう、ぐず……。女の子なんて……」

 光のない暗い部屋で、ただ一人祐一は枕を抱きしめて泣いていた。突然女の子になってしまっただけでもショックなのに、レイプまでされそうになってしまったのでは、泣きっ面に蜂とも言える状態であった。

 確かにこれも女の子ならではの事故であるともいえるが、祐一もまさか自分がこんな目にあうとは思ってもみなかった。少なくともこの体が女の子でさえなければ、降りかかる事のない災難なのだから。

「お兄様、よろしいですか?」

 軽いノックの後に細く扉が開き、部屋をのぞきこむ祐姫の影が長く伸びる。

「真っ暗ですわね」

 どこか楽しげな祐姫の声が部屋に響く。

「明かりをつけてもよろしいですか?」

「ダメだ、つけるな」

 嗚咽の混じった祐一の声を聞きつつも、祐姫は部屋に入るとそっと扉を閉めた。

「もっと真っ暗ですわ」

 どこか楽しげにつぶやきつつ、部屋の暗さに目が慣れた祐姫はそっと祐一の横たわるベッドの端に腰をおろした。

 しばらくの間、二人は無言のままでいた。そして、そのまま時間だけが静かに、確実に流れていく。

「……なにしに来たんだ」

「なにしに来たのでしょうか?」

 どこか楽しげな様子の祐姫の口調には、祐一の心をいら立たせるのに十分だった。

「あのな、俺は落ち込んでいるんだぞ」

 お前のせいで。と、言おうとした祐一の唇を、祐姫は自分の唇でふさいだ。

「わかっておりますわ、お兄様」

「祐姫……」

 単に唇同士を合わせるよりも少しだけ長い口づけの後には、なぜか祐一の心から怒りの衝動が消えていった。その代わりに背筋から、頭のほうにゾクゾクとするような感覚が上がってくるようだった。

「ですから、わたくしがお兄様に女の子の素晴らしさを教えて差し上げます」

「……祐姫?」

 再び祐姫に唇を奪われた後は、祐一の意識は真っ白に染まっていくのだった。

 

「祐姫ちゃん、大丈夫かな……」

 しばらく祐一と二人きりにさせてほしいと階段を上がっていった祐姫であるが、本当に大丈夫なのかあゆには心配だった。とはいえ、今の祐一の悩みをあゆが解決できるかといえば、無理だと言わざるを得ないのだが。

 そうなるとあゆが七年も眠っていた事が、他の女の子と比較しても相当なハンデのようにも思えてくる。あゆにはそうした経験がないために、祐一に対してどのように接していいのかわからないからだ。

「大丈夫だと思うよ」

 そんなあゆの不安を感じ取ったのか、名雪が笑顔で太鼓判を押す。

「祐姫ちゃんはしっかりしてるし、今は任せておいた方がいいと思うんだよ」

 相変わらず根拠がまるでないが、不思議と名雪の言葉には説得力があった。なぜだか名雪の言葉を聞いていると、時折本当にそうなってしまうのではないかと思ってしまう場合がある。中学時代からの付き合いがある香里から見ると、名雪は自分のまわりにいる人達を鼓舞する才能に長けているようにも思えるのだ。

 その意味で、名雪が陸上部の部長さんというのはかなり適任であったのだろう。

「まあ、祐ちゃんの事は祐姫ちゃんに任せておけばいいでしょう」

 そう言って、香里はその場をまとめる。こういう時にリーダーシップをとれるのは、やはり香里が適任なのだ。

「で、それはそれとして、ちょっとあたし名雪に聞きたい事があるのよ」

「わたしに?」

「相沢くんとは、どうなの?」

 それを聞いた途端、豪快にずっこけた名雪はリビングのローボードに頭をぶつけた。

「か……香里?」

「ほら、あたし達ってそういう経験ないし。だから具体的にどうなのかなって思っただけよ」

「ど……どうって……?」

 香里は笑顔であるが、なぜか名雪はまわりにいる女の子の視線が集中している事に気がついた。よく見ると北川も居づらそうにしているが、気にはなっている様子だ。ちなみに舞は顔を真っ赤にしてそっぽを向いているが、視線だけはちらちらと名雪に送っている。

「あ、そう言えば祐一のおかーさんが言ってた。名雪は女の悦びを知ってるって」

「げふっ!」

 真琴の爆弾発言に、北川は鼻血を吹いて悶絶した。しかし、誰一人として北川を介抱する様子はなく、名雪がなにを話すかに注目していた。

「ねえ、美汐〜。女の悦びってなに? 真琴は肉まんとかもらえると嬉しいけど」

「ええと、そうですね……」

 普段おばさん臭いと言われる美汐であるが、実のところこうした男女の営みについては奥手といってもいいくらいだった。そもそも、経験の有無どころか、男性とまともにお付き合いをした事のない美汐にとっては未知の領域の話題である。

「真琴も、大きくなればわかりますから」

「あう〜……」

 とりあえず、無難な回答をしておく美汐だった。

「もう、香里。変な話しないでよ」

「そうですよ」

 気分を変えようと、紅茶を一口啜った名雪を擁護したのは佐祐理だ。

「でも、やっぱり名雪さんは祐一さんとはえろえろなんですか?」

「ぷっ」

 佐祐理の爆弾発言に、名雪は紅茶を吹き出してしまう。

「あはは〜、佐祐理も興味ありますから〜」

 その笑顔に、名雪はこの場に自分の味方はいないのだと悟った。

「それでしたら、私も興味あります」

「あら? 栞にはまだ早いんじゃないかしら?」

「なにを言ってるんですか、お姉ちゃん」

 軽く勝ち誇ったような笑みを浮かべ、おもむろに栞は口を開く。

「だって私は、祐一さんのベッドで寝た事があるんですから」

 その時、今まで和やかだったリビングの空気が音を立てて凍りついた。

「それなら真琴も、祐一と一緒に寝た事があるわよぅ」

 栞に負けまいと、真琴も胸を張る。

「二人ともいいよね……」

 それを聞いたあゆは、うぐぅ、とうつむいてしまう。

「ボクなんか一生懸命怖いのを我慢して祐一くんのお部屋に行ったのに、祐一くんってばボク一人残して部屋を出ていっちゃったんだから……」

 以上の話を総合すると、栞は具合が悪くなったので横になっていただけ。真琴は単に添い寝してもらっていただけ。あゆはせっかく決心して祐一の部屋まで行ったのに、空振りに終わってしまったのだ。しかし、それでも祐一の部屋でのイベントがない舞にとってはうらやましい限りだったりする。

「……と、いう事はやっぱり……」

「あはは〜、そうですね〜」

 強制イベントだった名雪に聞くのが一番手っ取り早いと言う事である。よく見ると美汐も興味津々という感じで名雪を見ているし。

「え……え〜と」

 結局、根掘り葉掘り聞かれてしまう名雪であった。

 

「いかがでしたか? お兄様」

 お互いに生まれたままの姿になりながらベッドに横たわり、祐姫の腕に抱かれながら祐一は真っ赤な顔で俯いてしまう。女の子同士なのだから恥ずかしがる必要もないと思うが、状況が状況なだけに祐一はまっすぐ祐姫を見る事が出来ない。

 女の子のツボを心得た祐姫のフィンガーテクニックによって祐一は、全身が甘く痺れているような快楽の余韻に包まれていた。初めて感じる女の子の快楽に、祐一はこういうのも悪くないと思う。

「女の子の体も、悪くないでしょう?」

「うん、まあ……」

 祐一と関係した後に名雪もこんな気持ちになるのかな、と思うと、女の子の体というものはとても神秘的であるようにすら感じてくる。

 このふっくらとした胸も、細く引き締まった腰回りも、可愛いお尻もみんな女の子のために用意されたものだ。いうなれば男の愛情のすべてを受け入れて、その愛情の結晶を生み出すための体なのだ。

 祐一はまだか弱い女の子でしかない。しかし、愛を受け入れたときの女が持つ強さを祐一は知っているし、なにより母親の持つ強さは秋子を見ればよくわかる。

 そう思うと、しばらくは女の子のままでいるのも悪くないかな、と祐一は思うのだった。

 

 この数日後、お赤飯を食べるまでは……。

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