第二十九話 秋の祭典といえば
女の子になってしまってからおおよそ一ヶ月がたち、その間に祐一は小学校高学年の女子児童を対象に行われる特別授業の内容を、その身で知る事となった。それはともかくとして、祐一もその状況に慣れつつあったある日の事。
カン! カン! カン! カン!
この日のロングホームルームの時間に、クラス委員を務める美坂香里は教壇に立ち、黒板に大きくなにやら文字を書いている。
カン! カン! カン!
「ちゃららららん、ちゃらっちゃらっちゃらっちゃらっちゃっちゃっちゃ」
ちょうど香里が黒板に字を書き終え、チョークをからんと戻して振り向くのに合わせ、後ろの席から北川がおかしなBGMを口ずさむ。
(ルパン三世?)
妙に懐かしさを覚えるその旋律を背中で聞きつつ、祐一が黒板の文字を読むと、そこには大きく『文華祭』と書かれている。
「文華祭?」
「今年もとうとうこの季節だね」
なにがなにやらよくわからない祐一とは対照的に、感慨深げにつぶやく名雪。
「いったいなんだ? 文華祭って」
祐一は文化祭ならまだわかるのだが、流石に文華祭というのははじめて見る。
「まあ、平たく言うと文化祭だな」
北川の話によると、この学校は文化的な創造活動に力を入れているという事だ。そう言われてみると、三学期に行われる舞踏会なんかはその典型なのだろうと祐一は思った。
ちなみに運動系はどうかというと、名雪が一人で頑張って陸上の全国大会に出場し、三位のメダルを持って帰ってきただけで、我が校はじまって以来の快挙である、と言われるくらいだったりする。
「まあ、そんなわけで美坂が張り切っているんだ」
「なんで香里が張り切っているんだ?」
「香里って、結構こういうのを仕切るのが好きなんだよ」
自分が目立つのは嫌いなのにね、と名雪は微笑む。演劇に例えるなら香里は監督か脚本家といった影の存在でありたいらしく、自分が主役になって舞台に立ちたいとは思わないらしい。
「そう言えば、前はなにをやったんだ?」
「ああ、あれはウケたな」
「ちょっと大変だったけどね」
その時の事を思い出したのか、笑い合う北川と名雪の姿に少しだけ疎外感を感じる祐一。考えるまでもなく、自分の知らない名雪を知っている北川にやきもちを妬いてしまっているようだ。
もしかすると祐一は女の子になっているので、そうした感情がダイレクトに現れてしまうのかもしれない。
「あのね、祐ちゃん。去年わたし達がやったのは『本格中華の楽しめる喫茶店』なんだよ」
そんな祐一の感情の変化を察したのか、にこやかに名雪が教えてくれる。
「本格中華の楽しめる喫茶店?」
しかし、祐一にはなにがなにやらさっぱりだ。少なくとも喫茶店という店の雰囲気に、本格中華はまったく似合わない。というか、ミスマッチングもいいところだ。
「あのときは終わってからが大変だったよな」
「なにが大変だったんだ?」
「料理はわたしが作ったんだけど、文華祭が終わった後で変なおじさんが来たんだよ」
「変なおじさん?」
「日本語じゃなかったからよくわかんなかったけど、星が三つとか言ってたみたい」
その時は香里が通訳したのだが、そのおじさんが話していたのは少なくとも英語じゃなかったようだ。
「それでどうしたんだ?」
「ああ、たまたまそこを通りかかった先輩の通訳でわかったんだ。どうもそのおじさんが今度出す本に、水瀬の事を載せたかったらしいんだよな。なんか料理のガイドブックを書いている人らしい」
「え? それって……」
フランスのタイヤメーカーが出してる本なんじゃないかと思う祐一。
「もちろん、それは断ったけどね」
「その時のおじさんがすごい残念そうな顔だったのは、オレ今でも思い出せるぜ」
なんかとてつもない内容を、単なる茶飲み話の延長であるかのように語る二人の姿に、少しだけ戦慄する祐一であった。
「あの、美坂さん」
そんなとき、一人の女生徒が挙手して席から立つ。
「もしかして、また今年も去年と似たような事をするの?」
「あたしとしてはそのつもりよ?」
その女生徒の素朴な疑問に、香里は教壇の上で誇らしげに胸を張りながら答える。ちなみに去年の本格中華の楽しめる喫茶店は、厨房を名雪と有志で集ったクラスメイトの女子数名が担当し、ホールでの接客業務は頭に動物耳のアクセサリーをつけた香里を含む女子数名が担当していた。男子生徒も数名がウェイターとして起用されたが、基本的には店を作る大道具と買い物などの雑用に回されていたのである。
「他と似たような事をしても、意味がないでしょ? このクラスならではの事をしないと、客は呼べないわ」
去年の香里は、料理上手の名雪なら客を呼び込めると計算していた。ところが、香里が予想していた以上の大盛況で、模擬店が長蛇の列で埋まってしまったのである。中華料理という事でかなり本格的に火を使うために中庭を借り切って行われたのだが、結局クラスが総出で列の整理に奔走するはめに陥ってしまい、他に迷惑がかかるからもうやめてくれと学校側からも言われてしまったのだ。
名雪のおかげでクラスとしては校内一の売り上げを誇る結果となったが、学校側に言われるまでもなく、もう二度とああいうのはごめんだ、というのがクラスの総意となった。自転車で大量の食材を買い付けに行かされる者の身にもなってみろ。と、言うのが北川の談だ。
「じゃあ、美坂さんは文華祭でなにをする予定なの?」
あまりにも突飛な意見であれば、全員で却下すればいい。その女生徒はそう考えていた。
「今回は教室でやるから、あまり凝ったものはできないわね。中庭と違って火が使えなくなるから、軽食を中心とした喫茶店でいいと思うの」
意外とオーソドックスな香里の意見に、クラスの中からはそれならいいかも、という意見が上がりはじめる。
「軽食というと、サンドイッチかなにかになるのか?」
「う〜ん、それなら必要なのはパンとそれに挟む食材だけだから、作る方も楽でいいと思うよ?」
当日は校外からも大勢の客が来るというし、ちょっとした休憩所代わりに使ってもらえればいいだろう。そう名雪と話しながら祐一は考えていた。それよりも祐一としては当日になんとか名雪と二人で抜け出して、文華祭を楽しむにはどうしたらいいかを考えはじめていた。
祐一が女の子になってしまってからは、名雪と二人きりで出かけるという事も少なくなってしまっていたし、デートをするにはいい機会なのではないかと思ったからだ。
「ところで、美坂」
そこで北川が挙手して立ち上がる。
「喫茶店をするのはいいとして、接客はどうするんだ? やっぱり、コスプレ喫茶とかみたいにするのか?」
ざわり。
北川の発言に、クラス内の主に女子からざわめきが走る。確かにメイド喫茶とダイレクトに言わないだけまだましかもしれないが、逆に単なるコスプレであれば、なにを着る事になるかわからないという不安もある。
その意味では、メイド喫茶の方がまだましと言えた。その根底には、それが似合うのは名雪や香里といったきれいどころがメインで、自分達が着るわけではないという楽観もあるのだが。
「……いいわね、コスプレ……」
うっとりした表情でそう呟く香里に、クラス内のざわめきは最高潮に達する。
「でも、美坂さん。コスプレなんて……」
いやよ。と言おうとした女生徒を制し、おもむろに香里は口を開く。
「さあ、みんな。目を閉じて……。チャイナ服、ナース服、メイド服……」
香里は次々にコスプレの定番ともいえる服を列挙していく。
「……それを着た、祐ちゃんの姿を……」
「……って、俺かよっ!」
がたーん。と、激しく椅子を鳴らして立ち上がる祐一であるが、身長が低いために全く立っているように見えない。その時に祐一は、まわりの視線、特に女子の視線が自分に集中しているのを感じた。
「……美坂さん……」
先程、コスプレなんて、と言おうとした女生徒は教壇に立つ香里に近づくと、その手をがっしり握り締めた。
「天才よ、美坂さん」
「そうよね。この手があったのよね」
「これなら大勢客が呼べるわ」
次々に女生徒が立ち上がり、口々に香里を賛美しはじめる。
「コスプレ喫茶か……」
「それなら俺達には関係ないな」
「ああ、相沢に頑張ってもらえばいいさ」
そして、やや消極的だが、男子もほぼ同意を得た。
「……俺に拒否権はないのか……?」
「はいはい、祐ちゃん泣かないの」
一人落ち込む祐一と、それをなだめる名雪。かくして、祐一達のクラス展示は、祐一が一人でコスプレする喫茶店に決まったのであった。
さて、そのころ二年生の教室では。
「とりあえず、文華祭の演目はコスプレ喫茶にしたいと思いますが、皆様如何でしょうか?」
クラスの文化祭実行委員に選出された相沢祐姫が、教壇の上でクラスメイトの反応を待つ。一応、事前のアンケートで演目の内容を募集しておいたのだが、一番票を集めた喫茶店を単にするだけではあまりにも芸がない。
そこで祐姫が思いついたのが、コスプレ喫茶なのだった。
「あの、よろしいですか? 祐姫さん」
「はい。なんでございますか? 美汐様」
「コスプレ喫茶という事は、私達もいろいろな衣装を身につける事になるのでしょうか?」
美汐の意見は、おそらくはクラスの女生徒のほとんどが思っている事だろう。可愛い恰好が出来るのは嬉しいが、それを誰かに見られるのは恥ずかしいという乙女心だ。
ちなみに男子は、女子のそういう格好をぜひとも見て見たいという願望があるのだが、女子に総スカンされる恐れからも誰一人として口を開かず、事態の推移を眺めているのみだった。
「それは希望者のみ、とすればよろしいかと。ですが、わたくしといたしましては、美汐様にはぜひとも巫女服を着ていただきたいと考えておりますが」
「巫女服、ですか……」
その時美汐は、自分の頬が熱くなっていくのを感じていた。
「天野が巫女服?」
「意外と似合うかもしれないな」
「天野さん、萌えっ!」
口々に男子が囃し立てるせいか、美汐はますます顔を赤くしてうつむいてしまう。
実のところ美汐は実家が神社をしている関係で、巫女服を着てアルバイトをする事がある。そのせいか美汐にとっての巫女服は神聖な仕事着であるので、このような軽佻浮薄な連中の前で披露するものではないと考えている。
しかし、あまりこのようなクラスの行事に参加した事がない美汐にとっては、これがクラスと打ち解ける好機であるともいえた。祐姫のお陰で一年生だった頃とは違って、クラスで一人浮いているという事もなくなってはいるが、まだまだ努力が足りないと美汐は考えている。
ある意味、美汐にとってはかなり難しい二律背反する状況であった。
「そんなにご心配なさらずとも、皆様にとって悪いようにはいたしませんわ」
そんな美汐とは裏腹に、祐姫にはなにか策があるようだ。
「祐姫さんには、なにか良い方策がおありなのですか?」
「はい。わたくしにお任せください」
教壇の上で誇らしげに胸を張る祐姫に、美汐をはじめとしたクラス一同は期待と不安が混然一体となった視線を送るのだった。
そして、一年生の教室でも。
「アイスです」
クラスの文化祭実行委員に選出された美坂栞が、教壇の上で大きく声を張り上げていた。
「アイス?」
突飛といえば、あまりにも突飛な栞の発言に、クラス内から乾いた声が上がる。もう少しすれば雪でも降ろうかというこの季節に、なぜアイスなのか。
「はい。おそらくは他のクラスでも喫茶店をするところは多いと思います。そうなると、競合するクラスが多くなってしまう都合上、他のクラスにはない特色を前面に押し出す必要があります」
流石に姉妹だけあって、このあたりは姉と同じ発想をする栞であった。
「それでアイスなの? 栞ちゃん」
「はい」
挙手して立ち上がったあゆに、栞は満面の笑顔で答える。
「うぐぅ、それならこれからの季節はアイスじゃなくてたい焼きだと思うけど……」
「そうよぅ、なんてったって肉まんよぅ」
続いて真琴も立ち上がる。とりあえず、この三人は自分の好物を並べているだけなのだが、その中でも栞は我に策ありという笑顔で二人を見つめている。
「そうですね、それは私もわかっています。確かにアイスは、こんな寒い時期に食べるものではありませんからね……」
軽く顔を伏せ、小さな声で呟くように語りだす栞。そのどこか寂しげな雰囲気には、いつしかクラス中が包まれていた。なによりあゆも真琴もその雰囲気のせいか、ただ立ちつくすのみだった。
かつては余命いくばくもないと宣告され、自分の誕生日までは生きられないだろうと言われていた栞。一度は自殺を考えたが、残りの時間は自分の好きなように生きようと思いなおし、真冬の中庭で祐一とアイスを食べていた事もある。
その後は奇跡的に延命に成功した栞は、夏にも大好きな姉と一緒にアイスを食べた。アイスを食べている時の栞はとても幸せそうな笑顔を浮かべているので、あゆと真琴はそれを知っているだけに強い態度に出られないでいた。
「でも、だからなんです。少なくとも、他のクラスではこういったものは出さないでしょうから……」
「あ……あのね、栞ちゃん」
確かに出さないだろうけど、だからと言ってアイス喫茶というのはどうかと思うあゆ。
「たい焼きアイスも美味しいでしょうね」
「あ……」
それを聞いてあゆは、ストンと腰をおろしてしまう。
「あ、あゆ〜……」
一人残された真琴は恨めしそうな眼であゆを見るが、どうやらあゆの心はたい焼きアイスへ移行してしまったようだ。
「雪見大福というのも美味しいかもしれませんし」
「あ……」
それを聞いて真琴も、ストンと腰をおろしてしまう。実のところ真琴も、アイスは嫌いではないのだ。
「私達にとっては、初めての文華祭となります。だからせめて、思い出になるような事をしようじゃありませんか」
いつしかクラス中が、教壇の上からの栞の演説を聞いていた。そしてそれは、いつしか怒涛のようなエネルギーとなって、教室中を駆け巡っていった。
「そうだよな、美坂の言う通りだよな」
一人の男子が立ち上がり、そう言ったのをきっかけにして。
「そうよね、あたし達の文華祭だものね」
「俺達で盛り上げなくてどうするんだよ」
「よく考えたら、この季節にアイスなんてちょっと他じゃないわよね」
クラスの男女を問わず、皆誰もが口々に栞を賛美しはじめた。
「よぉーし、やるぞぉっ!」
「えいえいおーっ!」
異常な盛り上がりを見せるクラスの雰囲気とは対照的に、あゆはふと我に返っていた。
(うぐぅ、栞ちゃんって意外と策士……)
そんなクラスメイト達を、教壇の上から口元に妖しげな笑みを浮かべつつ眺めている栞の姿に、あゆは言葉では形容できないような恐怖を感じるのだった。
各クラスとも文華祭の演目が決まり、後は準備に向けて奔走する運びとなる。
勝利の栄冠は、誰の手に。
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