第三十話 生徒会長の憂鬱

 

「……すまないが、安藤君。もう一度言ってくれないだろうか?」

「はい」

 文華祭を間近に控えた生徒会室。各クラスの展示を確認しているその最中、生徒会長の久瀬は終始苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

「それでは、繰り返します。今年度文華祭における、各クラスの出展物は以下のとおり。まず一学年はメイド喫茶、巫女喫茶、ナース喫茶、アイス喫茶……」

 生徒会副会長を務める安藤奈津子は、まるで感情をさしはさまない淡々とした口調で、文化祭参加クラスの出店予定リストを読み上げていく。

「……巫女巫女&ナース喫茶店、コスプレ喫茶、祐ちゃんが一人でコスプレする喫茶店、以上です」

「……なんですべてのクラスが示し合わせたかのように、喫茶店なんだ……?」

「偶然とは怖いものですね」

 頭を抱える久瀬とは対照的に、奈津子の口調はどこか他人事であるような雰囲気があった。

「ですが、これは考えようによっては好都合かもしれませんよ?」

「なにがどう好都合なのかね? 安藤君」

「これですべてのクラスの条件が同じになりますので、公平な勝負が出来るようになります」

 文華祭であるとはいえ、各クラスは自分の店に客を呼び込むために、さまざまな創意工夫をせざるをえない。しかし、喫茶店とそれ以外の店では土俵が違うため、一概に勝負というわけにもいかない。金魚すくいとお好み焼屋で勝負といっても、レギュレーションが異なるのでは対戦のしようがないからだ。

 今回は偶然にもすべてのクラスが喫茶店を行うのである。つまり、この条件で一位になったクラスこそが、名実ともに文華祭のナンバーワンを名乗る資格があるのだ。

「それに、喫茶店でしたらまだいいじゃありませんか。これですべてのクラスがお化け屋敷だったらどうなると思いますか?」

「う〜む……」

 学校の敷地に一歩足を踏み入れた瞬間に、そこは人外魔境となる。各クラスの叡智を結集した恐怖の数々が来場者を襲う。とはいえ、学校全てがお化け屋敷となると、その規模からギネスに登録できるかもしれないが、全てが闇に包まれた空間になるので、それ以外の問題が発生するのも必定だろう。

 そう考えれば、喫茶店というのはまだましな方なのではないかと思う久瀬であった。

「それと、もう一つの案件がございますが……」

「今年も企画だけは来た例の奴だな?」

 ため息交じりの久瀬の声に、静かにうなずく奈津子。

「……校内ミスコンテスト」

「反対ですからね」

 眼鏡越しに睨みつけるかのような奈津子の視線に、思わず久瀬も気おされてしまう。

「女性をオークションにかけるかのような行為には、絶対反対ですから」

 もともと奈津子は、こうしたミスコンがセクハラではないかと思う一人だ。なので、彼女はこうしたイベントの開催には終始反対の立場をとるのである。念のために断っておくと、奈津子は自分がノミネートされる可能性がないから反対しているというわけでは無い。

「いや、しかしだね安藤君。こうした生徒の要望に応える事もまた、生徒会の役目なのではないかと……」

 それだけで人を殺せそうな奈津子の視線に射抜かれているせいか、久瀬の言葉もしどろもどろだ。それでもなんとか抗弁を試みる久瀬であったが、蛇に睨まれた蛙の如く、どんどん逃げ腰になってしまう。

「とにかく、生徒会としてはミスコンテストの開催に反対。それでよろしいですね? 会長」

「う……」

「会長?」

 ずずい、と顔を寄せてくる奈津子の圧倒的なまでの迫力に、久瀬は圧倒されつつあった。だが、ここで奈津子に屈してしまっては、生徒会長の威厳はおろか、生徒多数の意見も汲み取れない無能者としての烙印を押されてしまう。

 特に久瀬にとっては、この文華祭が生徒会長として最後の仕事となる。これまでの生徒会が断念してきた夢の企画を久瀬の代で実行できたとしたなら、それは生徒会史上に残る偉業として長く記録される事だろう。

 しかし、それを達成するためには、この潔癖ともいえるくそまじめな副会長の承認を得るしかない。奈津子を説得するのはかなり難しい相談であるような気もするが、久瀬生徒会が有終の美を飾るためにはどうしても必要な事だ。

 さて、どうするかと久瀬が考えを巡らせた、ちょうどその時だった。

「あはは〜、ミスコンテストというのも面白いんじゃないですか〜?」

「倉田先輩?」

 奈津子の視線がオブザーバーとしてこの会合に参加している佐祐理に向いたせいか、久瀬はほっと安堵の息を漏らす。とはいえ、刺すような視線の奈津子と、穏やかな微笑みを浮かべつつその視線をしっかり受け止めている佐祐理の間に挟まれている状況では、久瀬も息を抜いている余裕はないのであるが。

「まさか、あなたがこんな軽佻浮薄なイベントを肯定するとは……」

 確かに校内でミスコンを開催すれば、佐祐理は確実に上位入賞するだろうし、場合によっては優勝する事も夢ではないだろう。しかし、彼女はすでに卒業した身分であるため、参加資格を持たない。

 で、あるにもかかわらず、佐祐理はこのイベントに対して肯定の立場をとるという。その彼女の真意を図りかね、奈津子はやや困惑気味の表情を浮かべてしまう。

「しかし、それ以前に卒業したはずの倉田先輩がなぜここに?」

「はえ? 佐祐理は久瀬さんに頼まれているはずですよ? 卒業後も相談役として、御指導御協力頂く予定であります、って言われてますから」

 きちんと学校指定の制服に身を包み、生徒会役員である事を示す眼鏡をかけた佐祐理がたおやかに微笑む。

「会長……?」

「あ……いや、その……」

 再び奈津子の刺すような視線が向けられたせいか、久瀬は全身から嫌な汗をだらだらと流しながら弁解を試みるのだが、全くいい方法が思いつかない。そればかりか、佐祐理からも似たような視線を向けられているせいか、今の状況はまさしく四面楚歌だった。

「それはともかくとして、このミスコンの一件ですけども、佐祐理はこれを開催するのは意味がないと思います」

「は? それはどういう……」

 佐祐理はミスコンの肯定派なのではないか、と思っていた奈津子は、予想外の発言に呆気にとられた様子だ。

「だって、この学校に入学するときに面接を受けたじゃありませんか。実はそれ、入学を希望する女子生徒が制服映えする容姿かどうかの選考会も兼ねたものだったんですよ〜」

「なんですって?」

 今ここに明かされた事実に、唖然とする奈津子。確かにこの学校は、制服目当てに受験する女子中学生が多い事で有名だ。だが、まさかそんな方法で合否を決定していたとは、生徒会役員である奈津子も知らなかった事だ。

 とはいえ、よくよく考えてみると自傷騒ぎを起こした佐祐理が入学できたというのも、そうした理由なら納得できた。奈津子は佐祐理の父である倉田議員の後ろ盾のおかげだと思っていたのだが、今の話を聞く限りでは佐祐理が制服映えする容姿の持ち主だった事が一番の理由であるようだ。

「ですから、この学校にいる女子生徒はみんな水準以上の美少女ばかりなんですよ。そんな中で一番を決めるのは、どんくりが背比べをするようなものです」

 確かに、自薦他薦を問わずに我こそはという女子生徒がエントリーしてきたら、その処理だけでも大変な騒ぎになることは明白だ。今更ながらに久瀬は、ミスコン開催の難しさをしる。

「でも、佐祐理としてはどうしてもミスコンは開催してみたいです。そこでですね、こうチョイチョイと……」

 佐祐理が書き足した文字を見た途端に、奈津子は大きく目を見開いた。

「こんなのでどうでしょう?」

「ああ……」

 その時、奈津子の目からなにかがはらりと落ちる。

「なんだこれは?」

「ウロコ、のようですねぇ……」

 まさしく、目からウロコが落ちた瞬間だった。

「素晴らしい……素晴らしいですわ、倉田先輩」

 先程まで敵対していたとは思えない表情で、奈津子は佐祐理の両手をしっかり握りしめた。

「早速理事長に掛け合ってきます」

「あ、お〜い。安藤君」

 言うが早いか生徒会室から駆け去っていく奈津子の後ろ姿を、久瀬はただ呆然と見送っていた。

 

「受理されました〜」

 しばらくして帰ってきた奈津子の笑顔を見た途端に、佐祐理の笑顔がひきつってしまう。

「受理、されちゃったんですか……?」

「はい、もう理事長が大喜びで」

 喜色満面、という風情で奈津子が差し出した企画書には、確かに大きく了承印が押されている。

「佐祐理の冗談、だったんですが……」

「一体どういう事なんですか?」

 疑問に思った久瀬が企画書を見ると、その途端に我が目を疑ってしまう。

「校内男子ミスコンテスト……?」

「はい。この企画が成功すれば我が生徒会の英雄的行為は、必ずや後世にまで語り継がれる事になります」

 確かに語り継がれるかもしれないが、出来るならこんな事で語り継がれたくはない久瀬であった。

「はえ〜、こうなってしまっては佐祐理も女です。きっちりと責任をとらせていただきます」

 なにかを決意したような表情で、佐祐理は久瀬の肩をぽんと叩く。

「はい?」

「がんばりましょう、久瀬さん」

「って、僕が出場するんですかっ?」

「そうです。これには会長が率先して参加する事で、企画を盛り上げていただかなくては」

 次いで、奈津子も久瀬の肩をぽんと叩く。そして、微笑み合う二人の姿に、言い知れない恐怖を感じる久瀬。

 

 かくして、前代未聞の新企画『校内男子ミスコンテスト』は、このようにしてはじまりを告げるのだった。

 

「まったく香里の奴め……」

 その日祐一は、一日の疲れを癒やそうとお風呂に入るところだった。昼間の出来事を思い返してみるが、コスプレというのはどうにも抵抗がある。とはいえ、可愛い恰好が出来るんじゃないかと思うと、なぜか心がわくわくしてくるような感じもする。

(……なに考えているんだ? 俺は……)

 そのとき、ふと祐一は脱衣所に置かれた鏡を見る。そこに映るのは、飾り気のない白の上下に身を包んだ女の子の姿。

(こうして見ると、可愛いと言えなくもないかな……)

 確かに胸やお尻は秋子や名雪に比べるとコンパクトであるものの、一応出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる体形はしていると思う。

(え〜と、こんな感じ……)

 祐一が鏡に向かってポーズをとろうとした、丁度その時。

「あ、祐ちゃん。一緒にお風呂入ろうよ」

 突然、名雪が乱入してきた。

「なななななな、なゆ……?」

「どうしたの?」

 祐一は思いっきり鏡に向かってポーズをとっていたところだったのだが、名雪は特に気にした様子もなくのほほんとした笑顔を浮かべている。

「あ、いや。ちょっちブラがきつくなってきたかなって……」

「本当?」

 そう言うと名雪は、祐一の脇にそっと手を入れた。

「名雪?」

「あ、やっぱり」

「やっぱりって、なにがだ?」

「ほら、ここ。脇の下の所に副乳ができちゃってるよ」

「副乳?」

 聞きなれない単語に、祐一は顔をハニワのようにして訊き返した。

「本当なら胸になるはずのお肉がね、脇の下とかに出来ちゃう事だよ。放っておいたら背中とかのお肉にもなっちゃうんだよ」

「そうなのか?」

「うん。小さいブラジャーとかを無理やり着けてると、そうなっちゃう事があるんだよ」

 つまり、祐一のバストは順調に成長を続けているという事だ。今ここに明かされた事実を祐一は喜んでいいのか、それとも悲しむべきなのかを真剣に思い悩む事となる。

 ちなみに、副乳とは本来の医学的な意味では正常なバストの位置以外に出来る乳頭部分や乳腺組織などの盛り上がりを指す言葉であるが、名雪は単にこれを通常のバストの位置以外の場所にできた脂肪組織の盛り上がりを指してそう言っているだけである。

 

「祐ちゃんも、そろそろ新しいブラジャーを買わないといけないね」

「でもなぁ、俺この間恥ずかしい思いして買ってきたばかりなんだぞ?」

 名雪と一緒に湯船につかっている間、祐一は波間にぽよぽよと浮かんでいる名雪の豊かなバストに、わずかながらの劣等感を感じつつ口を開く。流石にここが風呂場だけあって声の反響具合が実にいい。

 祐一がまだ男だった頃は家人がいないのを確認したうえで名雪との行為に及んでいた事もあったが、女になってしまった今ではただ虚しいだけだった。

 とはいえ、こうして祐一が女の子になったせいか、前以上に名雪と一緒にお風呂に入る機会に恵まれるようになったのも事実である。男女間では問題のある行為である事に違いはないが、やはり同性間であると『あらあら、仲がいいわね』の一言で済んでしまうからだろうか。

「それでも、だよ」

 有無を言わせぬ強い口調で名雪はいう。あゆや真琴と同居するようになり、祐一が女の子になってしまって以後の名雪は、こうして特にお姉さんを意識しているかのような行動をとる事がある。

 女の子初心者の祐一にとってはありがたい限りであるが、どうにも名雪に迷惑をかけてしまっている感はぬぐえずにいた。

 詳しく話を聞いてみると、名雪は大体小学三年生ぐらいから胸が大きくなりはじめたのだそうだ。その当時はブラジャーを着けるのも恥ずかしかったのだが、それでも成長具合に応じて適切なサイズのブラジャーを身に着ける事で、今の豊かなバストがあるのだそうだ。成長期のバストはとてもデリケートなものであるため、膨らみはじめたあたりからきちんとしていないと、本来ならバストになるはずのお肉が余分なところについてしまって体形が悪くなってしまう事もあるのだ。

「祐一だって女の子なんだから、身だしなみにはもう少し気を使わないと。それに、女の子にとっては必要な事なんだからね?」

「わかったよ」

 おそらく、今も祐姫達は祐一を元に戻すために頑張っているところだろう。そうした女の子の身だしなみについてはあまり気が進まない祐一ではあったが、とりあえずそう返事だけしておいた。

 

「……ところでだな、名雪」

「なに? 祐ちゃん」

「どうして俺はこんなものを着ているんだ?」

 ここは祐一の部屋。普段祐一が寝ているベッドの上には笑顔の名雪がいて、祐一は寝間着に緑色のカエルのぬいぐるみを着せられていた。

「けろぴーはここだよ?」

「あのな、そう言う事じゃなくて……」

「それじゃ、おやすみなさい」

「おい」

 明かりを消した途端に祐一は名雪のやわらかな腕に包まれた。やがて穏やかな名雪の寝息が祐一の耳に届いた時、もはやなにを言っても無駄だという事を悟る。

 こうして名雪と一緒になるようになって、祐一は女の子が横向きで寝る事の意味を知ったような気がした。

 なにしろ女の子というのは胸の上に重りが乗っているようなものなので、仰向けに寝ると肺がつぶれる感じがして息苦しいし、胸が邪魔でうつぶせにもなれない。結局、横向きに寝るしかないのだ。

 名雪がけろぴーを抱いて寝ているのも、今の祐一にはよくわかるのだった。

「くー」

 祐一を抱きしめたまま安らかな寝息を立てている名雪の無防備な寝顔を見ていると、次第に祐一にも睡魔が襲いかかってくる。

(おやすみ、名雪)

 昔とは比べ物にならないくらいの小さな手で名雪の頭をなでると、祐一も睡魔に身を委ねる事にした。

 

 さて、一方そのころの久瀬は。

「久瀬さんにはこっちの方が似合うと思います〜」

「チャイナドレスですか? 倉田先輩ってなかなか趣味に走ってますね〜」

「勘弁してください……」

 当日の衣装を決めようと倉田邸では夜中になっても明かりが消える気配がなく、佐祐理と奈津子が久瀬にあれこれ衣装を着せ、その都度メイクもバッチリ決めてみる。ほとんど着せ替え人形のようにされてしまった久瀬はもう完全に涙目であるが、少なくとも嫌がってはいない様子だ。

 それでもあれやこれやと意見をかわしあう二人の姿を、舞は興味なさそうに眠そうな目で見ていた。

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