第三十二話 文華の祭典

 

 平成十一年度文華祭は十一月の第一週を利用して三日間の開催となっている。開催期間のうち、最初は学校関係者の来賓を集めての会場となり、続く二日目が他校の生徒や入学希望者を集めての開催となる。そして、特に最終日となる十一月三日は一般にも公開するために大勢の来客でにぎわっていた。

 初日と二日目はネコを被っていても、この日ばかりは少しでも多くの売り上げを出すために各クラスは躍起になり、そうして起こる混乱を収拾するために実行委員が奔走する。まさに大混乱の渦中にあった。今年は商店街をはじめとして関係各位に案内状を送付したせいか、いつも以上のにぎわいを見せている。

「いらっしゃいませ〜、こちらはメイド喫茶です〜。お帰りなさいませ〜ご主人さま〜」

「こちらはプリンセス喫茶です〜、どうぞいらっしゃいませ〜」

「いらっしゃいませ、お穣様。執事喫茶はこちらでございます」

「当店在庫は百冊以上。漫画喫茶へようこそ〜」

 休憩時間にはいって北川は、祐姫のいる教室に向かう間、ふとあたりを見回してみる。すべてのクラスが喫茶店というのも、ある意味壮観な眺めであった。

「はい。こちら三列でお並びください」

「こちらは只今三十分待ちとなっておりま〜す。列の最後尾はこちらで〜す」

「はい、ここで切りま〜す。列通りま〜す」

 そして、それ以上によく頑張っているのが文化祭実行委員の面々であった。これだけの人手にもかかわらず、さほど大きな問題が起きていないというのは流石の領域であろう。

(うちのクラスは大丈夫かな……)

 一応みんな交代で休憩をとる事になっていたが、予想以上の大盛況ぶりについさっきまで列の整理にてんやわんやだったのである。女の子になってしまった祐一の愛らしさもさることながら、名雪に香里といった綺麗どころが揃うクラスなだけに、学校の内外を問わずに大勢の客が押し寄せていたのだ。

 当然、出せるメニューもあっという間に底を突き、なぜか三交代のローテーションで商店街へ買い出しに行く部隊まで整備されてしまった。

「いらっしゃいませ〜、ごゆっくりどうぞ〜」

 ひざ下まで隠れるようなロングスカートにパフスリーブのエプロンドレス。まさに清楚なメイドさんのイメージにぴったりな名雪の優雅な接客に、これまた名雪基準できちんと整理整頓されて清潔感あふれる教室は居心地がよく、それこそ何時間だっていたい気分になってしまう。

 しかし、すべてのお客がそれだと店の回転が悪くなってしまう。そのためにテーブルチャージはお一人様三十分までと決められているが、お帰りの際には次回来店時の割引券を配布しているので、リピーターが相当数に上っているのだった。

「なにしに来たのよ?」

 おまけに、名雪とは対照的なミニのメイド服に身を包んだ香里のツンデレぶりには妙な固定客がついてしまい、毎回同じ客が香里に冷たくあしらわれているのだった。おまけにその客が帰るときにはデレキャラぶりを披露しているので、そのツボを心得た接客は見事という他はない。

「すいませ〜ん、目線こっちにくださ〜い」

「え〜と。これでいいですか?」

「はい、オッケーで〜す。いきますよ〜」

 シャッター音が響くと同時に、フラッシュがたかれる。

「はい。ありがとうございました〜」

 教室内に設置された特設ステージでは祐一が、いろいろな衣装に身を包んでカメラ小僧を楽しませていた。どのカメラ小僧も礼儀正しいので、被写体となる祐一もなぜだか楽しい気持ちになってくる。そのせいか、乞われるままに祐一はいろいろなポーズをとっていたのだった

 

「え〜っと、祐姫ちゃんの教室は……」

 喧騒に包まれた三年生の教室が並ぶ階を抜け、二年生の教室が並ぶ廊下を歩きつつ、北川の興味は祐姫のほうに移行しつつあった。

 なんでも聞くところによると、祐姫のクラスでは他とは変わったコスプレ喫茶を営んでいるらしい。そうなると祐姫がどんな格好で接客しているのか、ものすごく気になる北川である。

 定番のメイドか、あるいは意表をついてナース服か。スレンダーながらも意外とプロポーションのいい祐姫の事であるから、どんな格好をしてもよく似合うと思えるが、その一方であまりそういう格好を他の男の前で披露してほしくないという男心も働いてしまう。

 とはいえ、祐姫と二人っきりになってしまうとどうしても緊張してしまうので、あくまでも自然にさりげなくというのを必死に考えながら歩いていく北川であった。

「いらっしゃいませ〜、コスプレ喫茶はこちらでございま〜す」

「よぉ、天野ちゃん」

 教室の前で客引きをしていた美汐に、片手を上げて気軽に声をかける北川であるが、なぜか違和感がある。コスプレ喫茶という割には、なぜか美汐の格好はいつもの制服の上にエプロンをしているだけだった。

「……コスプレ喫茶じゃなかったのか?」

「コスプレ喫茶ですよ?」

 そう言って美汐が教室内を見せると、中では客がコスプレをしていた。

「お客様にコスプレしていただく喫茶店なんです」

「じゃな、天野ちゃん」

「あ、待ってくださいっ!」

 そのまま立ち去ろうとする北川を、美汐は腰にすがりついて引きとめる。

「なにも言わずに帰ろうとするなんて、人として不出来ではありませんか?」

「悪いがオレにはコスプレする趣味はないんだ。じゃな」

 しゅた、っと手をあげてその場を去ろうとする北川ではあるが、美汐がその細い腕に似合わないものすごい力でしがみついているせいか、全く身動きがとれない。

「祐姫さんから言われているんです。北川さんが来たら絶対に引きとめておけと。だって、そうしないと私は……私は……」

「天野ちゃん?」

 あまりにも美汐が必死なので、逃げようとした北川の力が弱まる。

「今ですっ! 皆さん出番ですよ〜」

「はぁ〜いっ!」

 美汐の呼びかけに応じ、教室内からエプロンをした女生徒がわらわらと現れる。

「そぉ〜れっ!」

「なにぃっ?」

 女生徒達は前から横から北川の体に組みつき、一斉に教室に押し込もうとした。これが男子生徒であるなら北川も強引に振りほどいてしまうところだが、相手がいたいけな女生徒だとそうするわけにもいかない。たちまちのうちに北川は黄色い歓声に包まれてしまった。

(あ……北川先輩って、意外と胸板が厚い……)

(北川先輩の腕って、こんなに太くてたくましいんだ……)

(き……北川先輩がこんな近くに……。ああ……)

 実は意外と下級生の女子には人気の高い北川。本人にあまり自覚はないが、頼れるお兄ちゃん的なところがいいらしい。役得とばかりに北川の体に抱きついた女生徒達は、陶然となりかける精神を奮い立たせ、己の役割を果たそうと必死になっていた。

「た……助け……」

 そして、北川の奮戦も虚しく、教室へと引きずり込まれてしまうのだった。

 

「で?」

 女生徒達に無理やり教室に引きずり込まれた北川は、即座に屈強な男子生徒数人がかりで拘禁服を着せられてしまい、そのままカーテンで仕切られた教室の床の上に転がされてしまう。一応見張りに女生徒がついているのだが、彼女はおろおろとした様子で北川を見守るばかりだった。

「オレはいつまでここにこうしていればいいんだ?」

「ひぅ……」

 北川としては脅したつもりはないのであるが、その女生徒は声をかけたと同時に涙目になって言葉に詰まってしまう。見張りがこの女生徒一人なので、北川は逃げ出そうと思えばいつでも逃げだせたのだが、流石にそれをするわけにもいかない。こう見えて北川は紳士である。か弱き女性に暴力をふるうのは、漢のするべき事ではないと考えているからだ。

「わ……私にもわかりません……。た……ただ私は……ここで見張ってろって言われただけで……」

 そんなおびえた小動物のような眼で見るなよ。と、北川は心の中で小さく呟く。

「おい……」

 するとそこに一人の男子生徒が現れ、女生徒と何事か話をする。小さく頷いた女生徒はとことこと北川に近づくと、拘禁服を外しにかかった。

「準備が整ったみたいです」

「準備?」

 言われている意味がわからず、北川は逃げる事も忘れて首をかしげる。

「はい。ですから、この服に着替えて欲しいんです」

 その女生徒から手渡された紋付の羽織袴に、北川は若干の不安が頭をよぎるのを感じた。

「まさかな……」

 一応着替えて鏡に映してみると、季節外れの新年か七五三という感じだろう。こういう格好は自分でも似合わないと北川は思う。

「潤様、支度は出来ましたか?」

「祐姫ちゃん?」

 聞きなれた声に北川が振り向くと、そこに立っていた人物を見て愕然とした。そこには自慢の黒髪を文金高島田に結いあげて綿帽子をかぶり、白無垢の衣装に身を包んだ祐姫の姿があったからだ。

 祐姫は恥ずかしそうに頬を染め、俯きがちになっている。その姿を見ているうちに、なぜだか北川の心は徐々に落ち着いていった。

「じゃ、行こうか。祐姫ちゃん」

「はい、潤様」

 北川は祐姫の手を取り、案内役の女生徒の指示に従って歩を進めた。

 

 教室内ではいつの間にか祭壇が作られており、その中を北川は祐姫と並んで最前列まで歩いていく。少し恥ずかしそうに頬を染め、俯いたままの祐姫を見ているうちに、北川はもうあと何年かしたらまたこういう祐姫の姿を見られるのではないかと思った。そして、その時に隣に並ぶのは、やはり自分でありたいとも思う。

 今はこういう遊びの延長でしかないが、いつかはちゃんと祐姫にプロポーズしないといけない。その日のためにも頑張らないとな、と決意を新たにする北川であった。

 巫女服姿の美汐が待つ祭壇の前に到着すると、なぜかいきなり結婚式がはじまる。どうやらこれは神式で行うらしく、祭壇には玉串が奉納されていた。

 人間と神様の魂同士を結ぶといわれる玉串を神前に奉納して二拝二拍、最後に一拝する。これは最初の二拝は神への敬意を示し、次の二拍は右手が神を表し、左手が人を表すもので、二回手を合わせる事によって、神と人が一つになった事を示している。

 そして、最後の一拝は二人が神の前で結ばれた事に感謝を示すものだ。

「新郎、北川潤よ」

 厳かな美汐の声が教室内に響く。

「汝は、新婦となる相沢祐姫を貴方の妻とし、良いときも、悪いときも、富めるときも、貧しきときも、病めるときも、健やかなるときも、死が二人を分かつまで、愛し慈しみ貞節を守る事をここに誓いますか?」

「はい。私は貴女の夫となる為に貴女に自分を捧げます。そして私は今後、貴女が良いときも、悪いときも、富めるときも、貧しきときも、病めるときも、健やかなるときも、死が二人を分かつまで、命のある限り貴女を愛し慈しみ、この誓いの言葉を守って、貴女と共にある事を約束します」

 神の前で、北川は誓いの言葉を述べる。

「新婦、相沢祐姫よ。汝は、新郎となる北川潤を貴女の夫とし、良いときも、悪いときも、富めるときも、貧しきときも、病めるときも、健やかなるときも、死が二人を分かつまで、愛し慈しみ貞節を守る事をここに誓いますか?」

「はい。私は貴方の妻となる為に貴方に自分を捧げます。そして私は今後、貴方が良いときも、悪いときも、富めるときも、貧しきときも、病めるときも、健やかなるときも、死が二人を分かつまで、命のある限り貴方を愛し慈しみ、この誓いの言葉を守って、貴方と共にある事を約束します」

「それでは、誓いの口づけを」

 北川は祐姫をそっと抱き寄せると、すっかり綺麗になったその顔に見とれつつ優しく口づけを交わした。これで二人の結婚が神の前で誓われた事となる。

 つづいて、儀式は三献の儀へと移る。これは三つの盃に入れられたお神酒を、新郎新婦が二人で飲み干すというものだ。

 一杯目の盃は小杯で、神による新郎新婦の出会いを示す天の盆となる。次の二杯目の中杯が二人で力を合わせて生きていく事を示す地の盆となり、最後の大杯が一家の安泰と子孫繁栄を示す人の盆となる。

 これを最初に新郎新婦新郎の順で飲み、次に新婦新郎新婦、最後に新郎新婦新郎の順で飲み干すのである。これは単に儀式であるので本当に飲む必要はないが、最後の三回目だけは飲まなくてはいけない。実際、北川と祐姫は未成年なので、杯の中に入っているのはただの水だ。

 そして、美汐が神前で感謝の舞いを奉納し、玉串を撤撰して結婚の儀は終了した。すると、参列した人の中からしだいに拍手が巻き起こり、やがてそれは教室全体に響き渡るものとなっていた。この場に集った全員が、北川と祐姫の結婚を祝福してくれたのだ。

(コスプレ喫茶の余興なのに、みんな大げさだな……)

 そうは思うが、やはり北川もこうまで祝福してくれるのは悪い気はしていない。とはいえ、文華祭の余興でこれなのだから、本番の時はもっと大変だろうと思ってしまう。

「はい、写真撮りま〜す」

 フラッシュでやや顔が歪んでしまったようにも思えるが、写真部のメンバーがとってくれたのだからきっと写真はいい出来だろう。これは将来子供達にお父さんとお母さんの青春を語る時、いい思い出になる事だろうと北川は思う。そう考えると、幸せなんてものはどこにでもありふれているものなのかもしれない。

 時刻は午後四時を回り、このイベントを最後に一般公開の部は終了を告げた。

 

「うみゅぅぅぅ〜……」

 やっと終わった。カーテンで仕切られた控室に置かれた椅子に座り、祐一大きく息を吐いた。今日は開店時から着替えたり笑顔を作ったりで大忙しだった。喫茶店が大盛況だったのは良い事だが、祐一も名雪も忙しく動き回っていたために、結局二人で文華祭を楽しむという事が出来なかったのだ。

 流石に今からだと撤収作業があるので見て回るというわけにもいかないし、香里は香里でさっさと休憩をとって栞と文華祭を楽しんでいる始末。

「お疲れ、祐ちゃん」

 そんな所に、名雪が笑顔でやってくる。今日は開店した時からずっと調理や接客で忙しく動き回っていたにもかかわらず、そんな素振りを全く見せない笑顔が眩しい。

 メイド服の定番ともいえる濃紺のエプロンドレスに身を包み、丈の長いロングスカートとパフスリーブで体の露出している部分はほとんど無いにもかかわらず、名雪はそのスタイルの良さが隠せない様子であった。なにしろかかとの高い靴を履く事で背筋はピンと伸び、くるりとターンするときにふわりとなびくスカートが見るものを楽しませていたからだ。おまけに作り笑いではない笑顔は見るものを和ませ、天性の資質か恐ろしく質の高い接客能力は流石の一言であった。

 また、こうした店にはよくある性質の悪い客に対しても、名雪はトラブルを起こす事無く対処していた。どちらかといえば名雪は、すぐにけんか腰になってしまう香里を宥めるのが主でもあったが。

「片づけは終わったのか?」

「ん〜、今日はごくろうさんだから、先に休んでていいって言われちゃった」

 そう言って名雪は、少し残念そうに微笑む。どうせなら最後まで関わりたいと思っていた名雪ではあったが、流石にこれ以上働かせるのも悪い気がするクラス一同だった。

「なゆき〜お客さんよ〜」

「はぁ〜い」

 クラスの女子に案内されてはいってきたのは、あゆと真琴の二人だった。

「よぉ、あゆあゆにまこぴー。どうだった? はじめての文華祭は」

「……つかれたわよぉ〜……」

「でも、楽しかったよ?」

 椅子に座るなり、ぐだ〜、と机に突っ伏してしまう真琴と、天使のような笑顔を浮かべているあゆの姿は好対照と言えた。あゆもまた、名雪と同様に天性の資質ともいえるエンジェリックスマイルによって多くの客を獲得しており、栞の主宰するアイス喫茶は追加で買い出しに行く羽目に陥ってしまったのである。その意味においては、大成功といえるだろう。

「二人ともごくろうさま。ジュースとお菓子を用意してあげるね」

 残りもので悪いけど、と言い置いて名雪は準備のために控室を出ていく。それと入れ違うようにして、一人の少女が姿を現した。

「……祐一」

「舞?」

 今日は一般公開の日なのだから、すでに学校を卒業した舞が来ているのはわかる。だが、しっかり学校の制服に身を包んでいる舞の姿に、唖然とする祐一であった。

「……私と一緒に来てほしい」

「理由は?」

「いいから、早く」

 言うが早いか舞は祐一を小脇にかかえると、さっと教室から出ていく。

「あう、祐一が……」

「早く、追いかけないと」

 あわててあゆと真琴は舞を追って教室を飛び出す。

「ちょっと待ちなさい」

 だが、二人の前に立ちふさがる小さな影。それは赤いウサギ耳のカチューシャをつけた、まいたんレッドの姿だった。

「ここを通りたかったら、あたしを倒していく事ね」

 そう不敵に微笑む、まいたんレッド。あたりに立ちこめる雰囲気のせいか、あゆと真琴は知らず知らずのうちに戦闘態勢を整えていく。

 未だ多くの人が行きかう廊下で、相対する三人の間に不思議な緊張が高まっていくのだった。

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