第三十三話 文華の祭典2

 

「それじゃ、栞の方も大成功だったのね?」

「はい」

 三日間かけて行われた文華の祭典もいよいよ最終日を迎え、一般公開も残すところ男子ミスコンテストと後夜祭となった現在。クラス展示が一段落して休憩を取った香里と栞の美坂姉妹は、二人仲良く最後のひと時を楽しんでいた。

 この時間になってしまうとどのお店もほとんど看板状態となってしまっているが、香里にとっては最後の文華祭であり、栞にとってははじめての文華祭である。そして、姉妹が同じ制服を着て文華祭に参加するのはこれで最後という事もあって、こうして水入らずで楽しんでいるのだった。

「総合ではどうかわかりませんけど、少なくとも学年別では上位入賞間違いなしです」

 そう言って胸を張る妹の姿に、香里は思わず目頭が熱くなる思いでいっぱいになる。なにしろ去年の今頃の栞は入退院を繰り返していて、余命いくばくもないと言われていた。その栞が今はこんなにも回復しているなんて、香里でなくても奇跡という言葉を使いたくなるだろう。

「それでですね、お姉ちゃん……」

 栞がさらなる自慢話に花を咲かせようとした時、ものすごい勢いで影が二人のすぐ脇を駆け抜けていく。それはさながら一陣の風のごとく。

「大丈夫? 栞」

「は……はい」

 とっさに栞を抱きよせ、影を見送る香里。遠ざかるその姿は、どこかで見たような気もする。

「舞さん?」

 首をかしげながら、栞が呟くような声を出す。言われてみると確かに、その後ろ姿は舞によく似ていた。

「祐ちゃんを抱きかかえていたみたいですけど、なにをやっているんでしょうか?」

「本当なの? 栞」

「はい。ちらっとですから、自信ないですけど……」

 豹変、という言葉がよく似合う香里の変貌ぶりに、すぐ脇で見ていた栞もたじたじになってしまう。ここ最近の姉は、祐ちゃんがらみになると途端に暴力的になってしまうのだ。

「追いかけるわよ」

「あ、待ってください。お姉ちゃん」

 脱兎の如く駆け出す香里を、慌てて追いかける栞であった。

 

 さて一方、舞にさらわれた祐一を救うべく、その後を追ったあゆと真琴。だが、その行く手に立ちふさがったのは、赤いウサギ耳のカチューシャをつけたまいたんレッドの姿だった。

「うぐぅ」

「あうぅ」

 未だ多くの人が行きかう廊下に、不思議な緊張が走る。しかし、祐一を追うには、今目の前にいるまいたんレッドを乗り越えていかなくてはいけない。

 どうしようかとあゆ達が悩みはじめた、丁度その時。

「あ、二人ともここにいたんだ。準備ができたよ〜」

 全く場の空気を読まない名雪の能天気な声が、せっかく高まった緊張感をすべて台無しにしてしまうのだった。

「あ、レッドちゃんも来てたんだ」

「え? え〜と」

 名雪があまりにも自然に微笑みかけてきたせいか、一瞬まいたんレッドの反応が遅れる。

「ちょうどよかったよ。お菓子いっぱい用意したから、レッドちゃんも食べていってね」

「えと、その……」

 お菓子と聞いて、まいたんレッドの心が揺らぐ。今は与えられた使命を果たす事が先決であるが、お菓子という言葉に甘美な響きがある事も事実。

「ジュースはなにがいい? オレンジ? アップル?」

「アップル〜」

 瞳を輝かせてそう答えてしまった瞬間に、懐柔されてしまうまいたんレッドであった。そんな心の葛藤に気がつく事もなく、了解だよ〜、と微笑んで、まいたんレッドの手をとって教室に入っていく名雪。

「うぐぅ、名雪さんマイペース……」

「あうぅ〜」

 わかっている事だったが、全く争う事なく事態を収拾してしまう名雪の能力には、あゆも真琴も脱帽だ。

「あ〜っ!」

 だが、そこに再び大きな声が巻き起こる。その方向に目を向けると、残りのまいたんブルー、まいたんイエロー、まいたんブラック、まいたんホワイトの四人が揃っていた。

「こっちが一生懸命やってるって言うのに」

「レッドばっかりずるいっ!」

「……ずるい」

「ず〜る〜い〜」

 四人のまいたんは、口々にまいたんレッドを非難しはじめた。

「大丈夫だよ。ちゃ〜んとみんなの分も用意してあるからね」

 そう言う事なら、という感じでまいたん達の騒ぎも鎮静化する。五人のまいたんをひきつれて教室にはいっていく名雪の姿に、やっぱり流石だな、と思ってしまうあゆだった。

「あ〜っ!」

 すると、突然真琴が大きな声を出す。

「どうしたの真琴ちゃん」

「あゆってばなにぐずぐずしてるのよぅ。のんびりしてたら、お菓子みんな食べられちゃうわよぅっ!」

「ああっ!」

 その叫びに我に返ったあゆは、慌てて教室内へと引き返す。かくして、もう一つのバトルがはじまりを告げるのだった。

 

「それで、舞さんはどうして祐ちゃんを連れてっちゃったの?」

「うん、あのね。祐ちゃんにはコンテストに出てもらうの」

 名雪の質問に、まいたんレッドは簡潔に答える。

「コンテスト?」

「もしかしたら、男子ミスコンテストの事じゃないかな?」

「あう〜」

 それに対して、あゆと真琴は首をかしげながら、自信なさげに口を開く。実のところ自分達のクラスの準備に忙しくて、文華祭の詳しい内容までは把握していないのだ。

「だって、祐ちゃん可愛いし〜」

「コンテストに出れば、優勝間違い無しだし〜」

「……佐祐理にも勝てる」

「だから〜、舞は祐ちゃんを連れてったの〜」

「ふう〜ん。そうなんだ」

 それに対して名雪は穏やかな笑顔を浮かべたまま、まいたん達の話に相槌を打っていた。いつの間にかあたりに和やかな雰囲気を作り上げ、その中でまいたん達から事情を聴きだしている手腕は見事の一言だった。

 こう見えて、まいたん達は意外と口が堅い。なので、強引に口を割らせようとしても無駄だろう。しかし、お菓子やジュースに囲まれているとなると、自然とまいたん達も口が軽くなってしまう。

 そんなわけで名雪達は、まいたん達の口から直接おおよその事情を把握する事が出来た。

 なんでも聞くところによると、今回の文華祭の目玉になっている男子ミスコンテストに、佐祐理は久瀬を女装させて参加させるつもりらしい。バックに佐祐理がつくとなると久瀬の優勝はほぼ本決まりであるが、それだと舞台としては全く盛り上がらなくなってしまう。コンテストする前から優勝が決まっているような出来レースなんて、誰も興味はないからだ。

 そこで今回のコンテストの開催にあたり、生徒会は合法非合法を問わずに参加者を募り、参加総数はかなりの数に上っている。すでに書類選考による一次審査は終わっているので、舞台に上がるのはそこから選ばれた精鋭十二名と生徒会特別枠からの参加となる久瀬。そこに一般代表枠からの参加者を合わせた、総勢十四名での決勝大会となる。その一般代表枠の選出役となったのが、舞だったのである。

 佐祐理の推薦する久瀬と舞の推薦する参加者の、どちらが上位入賞するかという賭けを、舞は佐祐理としていた。その内容はどちらが牛丼をおごるかという些細なものであるものの、舞としてはなにもしないで負けるのだけは避けたい。

 とはいえ、舞の知っている男子といえば、祐一か北川という程度。そこで白羽の矢が立ったのが、祐一だったのだ。

「でも、それって大丈夫なの?」

 真琴の疑問ももっともであった。今回のイベントの骨子は、女装した男子によって争われるものだ。一応、祐一の戸籍上と学校での扱いは男子のままなので、その点でいえば参加資格はある。しかし、肉体的にはまぎれもなく女子になっているので、本来の目的である女装した男子には該当しないのではないかと思われるのだ。

「う〜ん、どうなんだろうね……」

 裏で佐祐理が関わっているのであれば、おそらく祐一は強制的に参加させられてしまうのではないかとあゆは思う。そんな事を考えながら、あゆはついつい名雪の方を見てしまうのだった。

「どうしたの? あゆちゃん」

 いつもと変わらぬ笑顔で微笑みかけてくる名雪を見つつ、あゆはついため息をついてしまう。

「なんでもないよ。ただ、普通にミスコンテストをやったら、名雪さんが優勝するかもしれないな、って思っただけ……」

「そ、そんな事ないよ〜」

 あゆにそう言われて、名雪は顔を真っ赤にしながら大きく手を振った。

「わたしなんかより綺麗で可愛い人なんていっぱいいるよ。そんなところにわたしなんかが出ても、場違いもいいところだよ」

 名雪はそう言うが、あゆからすればコンテストなんて綺麗な服を着て舞台に立っていればいいのだから、別にかまわないのではないかと思う。いくら名雪が普段家で寝ぼすけであっても、そんなプライベートな事なんて誰もわかりはしないからだ。

 ふと気がつくと、真琴もあゆと同じように名雪を羨望の眼差しで見ていた。その視線が合うと、なぜだか二人揃って力ない微笑みを浮かべ、同時に大きくため息をつく。その後はとりとめのないおしゃべりに興じつつ、お菓子を食べるのに専念する二人であった。

 

「うみゅぅぅぅ〜……」

「……動いちゃ、ダメ」

「そんな事言ってもな……」

「とにかく、ダメ」

 いきなり舞に拉致られた祐一は、どこだかわからない狭い部屋に押し込められていた。そこは講堂にある控室のようで、カーテンで小さく区切られたあちこちから、何やら奇妙な臭いが立ち込めていた。例えるならそれは、体育会系の暑苦しい男達の汗臭さと、徹底的に自分を磨きあげた中年女性の香水のにおいが入り混じっているような感じ。

 先程から祐一は椅子に座らされ、舞の手によってメイクが施されているのだが、どう考えても舞の手つきはおっかなびっくりという感じだった。それはまるで、小学生がパレットに出した絵の具を片っ端から画用紙に塗りたくっているような。

 祐一も化粧をするという事に慣れていないので何とも言えないが、甘い匂いに包まれているうちになんとなくだが、舞の表情に焦りの色がにじみ出てくるように感じていた。状況を把握しようにも鏡を見せてもらえないし、舞が次から次に化粧品を塗りたくっていくので、いい加減首がつかれてきたところだ。

 しかし、舞は真剣そのものという感じで祐一のメイクに取り組んでいるため、あまり強い態度にでるわけにもいかない。そうしているうちに、やがて舞の手がぴたりと止まる。

「できたのか?」

 普段無表情な舞には珍しく、妙にひきつったような表情をしたまま、ふるふる、と首を横に振る。

「できたんじゃないのか?」

 祐一は再び舞にそう訊いてみるが、舞の反応は鈍い。鏡を見せてもらおうとしたが、なぜだか舞は鏡を背後に隠したまま、ふるふる、と首を振るばかりだ。

「ねえ、栞。本当にこっちであってるの?」

「はい。祐ちゃんを抱えた舞さんが、ここに入るのを見た人がいるそうですから」

 そんなとき、がやがやと何やら話をしながら、二人の足音が近づいてくる。

「ここね? 入るわよ」

「香里、栞」

 勢いよくカーテンを開いて姿を現したのは、香里と栞の美坂姉妹。しかし、二人は祐一を見た途端に凍りついてしまう。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 次の瞬間。二人はいきなり腰くだけになって、ずりずりと壁際まで後退する。

「どうした、二人とも。なぜ俺を見て叫ぶ?」

 祐一が一歩近付くと、二人はさらに大きく悲鳴を上げてしっかりと抱き合う。

「ごめんね、栞。あとはよろしくね……」

 どこにも逃げ場のない状況に、神経が耐えきれなくなってしまった香里はあっさりと意識を手放し、かくん、と栞の胸に顔をうずめてしまう。

「わっわっ、お姉ちゃんずるいですよっ!」

 栞は慌てて香里を蘇生させようと激しく体を揺すぶるが、頭がかっくんかっくんと動くだけで全く何の反応も示さない。それはもう見事なくらいに。

「大丈夫か? 香里〜」

「えうぅ〜、来ないでくださいっ!」

 魔除け、とばかりに突き出された鏡に映る自分の姿に、しばし絶句する祐一。

 

「……って、なんじゃあこりゃぁっ!」

 

 そこには、デスメタルの帝王が映っていた。

「……頑張った……」

 そんな阿鼻叫喚の地獄絵図を前に、舞はただ呆然と呟くのみだった。

 

「……なるほど。事情はよくわかったわ」

 パイプ椅子に深く腰掛けて軽く足を組み、腕組みをしたまま香里はクールビューティーを地でいく様子で頷いた。これでおでこに熱さまし用の冷却シート(栞の常備薬)が張り付いていなければ、実に絵になるポーズだ。

「……頑張った……」

「頑張ればいいってものじゃないでしょうに……」

 先程から舞は栞の胸に顔をうずめて、ぐじゅぐじゅ、とぐずっている。普段から化粧っけのない彼女にしてみれば、これでも精一杯頑張った方なのだ。

「大体ね、祐ちゃんは素材がいいんだから。あんなに派手にぺたぺた塗りたくるより、もっとナチュラルにメイクした方がいいのよ」

「うみゅぅ?」

 メイク落としのシートを何枚も使い、やっとの思いですっぴんに戻った祐一であったが、おとがいに手を当てて妖しげな微笑みを浮かべている香里の姿を見た途端に、背筋に嫌な感じの汗が流れていくのを感じた。

「うーごーかーなーいーでー。まずはベースメイクからよ〜」

 なんとも楽しそうな様子で、香里は祐一のメイクにとりかかった。細く長い指の間にはサイズが違う何本ものブラシを挟み込み、両手の甲にはパフを装備して、高級そうな化粧品をつけたりぬぐったりと大活躍だ。ポケットには丸めたティッシュを常備して、制服の襟元には時折こぼれ落ちてくる祐一の前髪を押さえるためのヘアピンが留められている。少なくとも先程まで奮闘していた舞とは、桁違いの手際の良さだった。

「……香里、すごい」

「そりゃ、そうですよ」

 まるで我が事のように、無い胸を張る栞。

「名雪さんの家に遊びに行くだけだって言うのに、お姉ちゃんったら何時間もかけてああやって何枚も化けの皮をかぶって、おまけにネコまでかぶって出かけるんですから」

 大したもんです。と、いう栞の言葉に、深く納得するものを感じる舞。実のところ佐祐理も、名雪の家に行くときには何時間もかけて何枚も化けの皮をかぶるのだから。

 そして、そんな苦労は微塵も見せずにおほほうふふと笑い合うのだから、女というのは恐ろしい生き物である。

「はい、動いちゃダメよ〜。目ぇ閉じて〜、口結んで〜」

 ペンシルタイプのアイラインで目元と眉の形を整え、軽くファウンデーションした上から薄くグラデのアイシャドウ。リップラインを整えた上から、軽くグロスで艶を出す。その間にも香里は手にした化粧品を、手の甲にぺたぺたと一滴ずつ垂らして祐一の肌と見比べる。

「う〜ん、あんまり派手にするのは祐ちゃんのイメージに合わないし、かといって地味にするもあれだし……」

 祐一の顔を覗き込み、ああでもないこうでもないと真剣にメイクする香里の後ろ姿は鬼気迫るものがあり、舞と栞は迂闊に声をかけるわけにもいかないまま、黙って事の成り行きを見守るしかなかった。

「ん〜……こんなもんかしらね」

 すっと香里が差し出した鏡を覗き込んだ祐一は、そこに映る美少女の姿に唖然とした。

「もしかして……これが俺か……?」

 もともと祐一は小顔型の顔立ちをしており、香里のメイクによってそれがさらに強調されていた。アイラインを整える事で目鼻立ちもはっきりとし、リップラインも形を整えてグロスをのせる事でふっくらと艶を増しているように見える。

「ちょっと、派手じゃないですか?」

 祐一の顔を覗き込んだ栞は、おずおずといった感じで口を開く。

「このまま外にお出かけするって言うなら派手だけど、これから祐ちゃんは舞台に立つんだからこのくらいでちょうどいいのよ」

 このあたりは、流石演劇部というところだろう。自然光のもとではベースにUVケアをしてナチュラルにメイクするのが一番であるが、舞台で強いスポットライトを浴びるとなると、肌を保護するためにもメイクを濃い目にする必要がある。また、派手目のメイクで観客にアピールするという目的もある。

「それで、舞さん。祐ちゃんの衣装は?」

「……これ」

 舞が差し出したのは、リボンとフリルがふんだんに使われた、着るのも脱ぐのも面倒そうなゴスロリ服だった。確かにこの衣装であれば、他よりコンパクトなボディラインを誇る祐一によく似合う事だろう。まったくの余談ながら、こういう事に舞は疎いので、この衣装はまいたん達が選んだものである。

「さあ、祐ちゃん。お着替えしましょうね〜。それがすんだらヘアメイクよ〜」

「うみゅぅぅぅぅぅ〜……」

 そして、再び香里のおもちゃになってしまう祐一であった。

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