第三十四話 文華の祭典3
前代未聞の新企画、男子ミスコンテストの会場となる講堂は、すでに立錐の余地もないくらいの大盛況となっていた。
広い講堂内いっぱいに並べられたパイプ椅子は満員で、さらに立ち見まで出ている状態だ。そんな中で名雪達三人と五人のまいたんは、名雪のコネによる陸上部の後輩が確保しておいてくれた席に座り、コンテストがはじまるのを待ちわびていた。
「うぐぅ、なんだか緊張してきたよぉ……」
自分が出場するわけでもないのに、なぜだかあゆはそわそわと落ち着かない様子だ。
やがて講堂内の照明がゆっくりと落ちていき、次第にあたりは真っ暗となる。そして、舞台の中央をスポットライトが照らし出し、そこへマイクを手にした司会が登場した途端、講堂内のボルテージは最大限に高まった。
「皆さん、こんばんは。水瀬秋子、十七歳です」
普通ならここで、おいおい、という突っ込みが入るところだろう。しかし、次の瞬間には、講堂内を凄まじい大歓声が揺るがした。耳をつんざくような大拍手が巻き起こり、思わず立ち上がった連中が踏み鳴らす足音が、冗談抜きで講堂を揺らしていた。
「あう〜っ!」
真琴は思わず耳をふさぎ、顔を伏せて自分を守る。まわりで興奮した連中がどっすんばったん跳ねまわっている中で、名雪とあゆ、それに五人のまいたん達は唖然とした表情で固まっていた。
「あれ……秋子さんだよね……」
「お……お母さん……?」
スポットライトの中で秋子はいつもの笑顔を浮かべ、娘と同じ制服を着ているのだから驚くなと言うほうが無理だ。事情を知らない普通の人達が騙されてしまうのも、無理もないように思える。
「ただいまより、男子ミスコンテストの開催となりま〜す。今から舞台上に候補者が一人ずつ登場して、それぞれアピールします。それを五人の審査員のポイントで評価します」
娘達の呆れた視線を知ってか知らずか、舞台上で秋子はノリノリで司会進行をしている。
「それでは、まずは審査員の紹介からです」
すると、舞台の袖から四人の少女が姿を現す。花嫁姿の祐姫を筆頭に、ナース服の佐祐理、女王様の香里、巫女装束の美汐。これだけでもミスコンテストが出来そうな顔ぶれに、講堂内の男子生徒はスタンディングオベーションで歓迎する。まだはじまったばかりだというのに、すでにフィナーレになってしまったかのようだ。
「あれ?」
そんな最中、あゆは舞台上の審査員席が五つあるのに、審査員は四人しかいないのに気がついた。それはまわりにいる人も気がついたらしく、さざ波のようにざわめきが広がっていく。
「さて、気になる五人目の審査員は……」
再び講堂内が真っ暗になり、ドラムロールが鳴り響く中をスポットライトが獲物を探すかのように動き回る。
「水瀬名雪さん、あなたです」
シャーン! とシンバルが鳴り響き、三方向からのスポットライトが観客席の名雪に集中した。
「審査員の持ち点は五点。獲得点数の多い人が優勝となります」
「うう〜恥ずかしいよ〜」
秋子が司会進行を続ける中、メイド服姿のまま舞台上の審査員席に着いた名雪は、注目されているせいか顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「名雪なんかまだいい方よ。あたしなんて女王様なのよ、女王様」
やたらと露出の多いボンテージルックに身を包み、やたらとかかとの高いピンヒールを履いた香里が小声で話しかけてくる。
「でも、香里似合ってるよ?」
「……うっさいわね……」
ふとあたりを見回してみると、にこやかに談笑している様子の祐姫と佐祐理とは対照的に、美汐が呆然とした表情で座っていた。
「どうして私がこんなところに……どうして私がこんなところに……」
よく聞くと小声で呪詛の用になにやら呟いている。その顔は蒼白で、今にも倒れてしまいそうな雰囲気があった。
「はい、それではエントリーナンバー一番。レスリング部代表ブッシュ斎藤君の登場です!」
「よっしゃあぁぁぁぁぁぁっ!」
秋子の紹介で舞台上に登場したブッシュ斎藤の姿に、審査員は全員ずっこけた。なぜなら、ブッシュ斎藤の姿は筋骨隆々たる大男が、無理やりウェイトレスの格好をしていたからだ。
「あらあら」
「あはは〜」
「馬鹿にすんじゃないわよっ!」
「頑張ってるし……」
「……(ノーコメント)」
祐姫、佐祐理、香里、名雪、美汐は一斉に得点を出す。
「三点、五点、〇点、五点、二点。合計は、十五点です」
盛大な拍手と共に、ブッシュ斎藤は脇にある控え席に座る。
「はい、続いてまいりましょう。エントリーナンバー二番、体操部代表ホップ斎藤君です」
「はあぁぁぁぁぁっ!」
「二点、五点、一点、五点、二点。合計は、十五点です」
レオタード姿で華麗にタンブリングを決めるホップ斎藤であったが、男のレオタードはかなり不評のようだ。
「続いては、水泳部代表ジェット斎藤君です」
「ヘイ、ヘイ、ヘ〜イ!」
「三点、五点、二点、五点、一点。合計は、十六点です」
「続いては、マスク・ザ・斎藤君です」
「はりゃほれうまう〜」
「三点、五点、一点、五点、二点。合計は、十六点です」
そして、ついに舞台の上には十人の斎藤が揃うのだった。
「……この学校には、一体何人斎藤君がいるのよ……」
その光景を見ながら、頭を抱える香里。
「はい。続きましてはエントリーナンバー十一番、生徒会代表久瀬君です」
秋子の紹介で舞台上に姿を現した久瀬の姿に、会場は一瞬にして静まり返った。真紅のチャイナドレスに身を包んだ久瀬が一歩を踏み出すたびに、サイドの深いスリットから白い生足がのぞく。
「あらあら」
「あはは〜」
「まあ」
「頑張ってるし」
「……(ノーコメント)」
祐姫、佐祐理、香里、名雪、美汐は一斉に得点を出す。
「五点、五点、五点、五点、五点。合計は二十五点。満点が出ました、これまでのトップです」
「ごきげんよう」
久瀬のアピールに、会場は再びの大歓声に包まれる。
「それでは、いよいよ最後となりました。エントリーナンバー十二番、相沢祐一君です」
舞台の袖から、ゴスロリ風のドレスに身を包んだ祐一が緊張した様子で歩いてくる。
「ウソだろ……?」
誰かの声が響く。
「すげぇ可愛いぞ……」
女装した男子生徒と比べれば、今の祐一は女の子になっているのだから、確かにそれはそうであろう。
「うみゅうっ!」
よほど緊張していたのか、祐一は床を引きずっているようなスカートの裾に足を引っ掛けてすっ転んでしまう。先程の完璧な久瀬と比較しても、ドジさが目立つ祐一であった。
「あ……あの、相沢祐です」
コツン、ピー。
「いたた……」
お辞儀をしたときに、勢いよくマイクを頭にぶつけてしまう祐一。泣き出す寸前で頭をさすっているその姿は、不思議な事に男女を問わずに保護欲をかきたてるのだった。
「あらあら」
「あはは〜」
「祐ちゃん、いいわぁ……」
「ふぁいと、だよ」
「頑張ってください、相沢さん」
祐姫、佐祐理、香里、名雪、美汐が一斉に得点を出す。
「五点、五点、五点、五点、五点。合計は二十五点、ここでトップの二人がでそろいましたっ!」
「うおぉぉぉぉぉぉっ!」
会場内の盛り上がりは、ついに最高潮へと達する。会場内に満ちる異常なまでの熱気に、一瞬だが気おされてしまう祐一。
だが、その時祐一は、すぐそばから刺すような視線を感じる。振り向くとそこには、勝ち誇ったような笑みを浮かべる久瀬の姿があった。
それを見た途端に、祐一の心にめらめらと対抗意識が燃え上がる。こいつだけは絶対に負けないという、不退転の決意が瞳に宿る。
「さて、それでは頂上決戦。お二人には歌でアピールしていただきます。まずは久瀬君から、歌は『Last Regret』です」
「ありが〜とう〜 言わな〜いよ〜 ずっと〜しま〜って〜お〜く〜♪
さよな〜らは〜 翳り〜な〜い〜 夢の〜あと〜静かに〜降〜り〜立〜つ〜♪
両手には〜 降り注ぐ かけ〜ら〜を〜 いつま〜でも〜いつま〜でも抱〜い〜て〜♪
最後〜ま〜で〜 笑って〜る〜 強〜さ〜を〜 もう〜知って〜い〜た〜♪」
静かなイントロに続き、久瀬の歌声が響く。その堂々とした歌いっぷりには、思わず祐一も聞きほれてしまうくらいだった。
盛大な拍手をバックに、歌い終えた久瀬がゆっくりと祐一の隣に戻ってくる。その表情からは、完全にこれで差をつけたという、確信の色が見て取れた。
「続いては、相沢祐一君です。歌は『風の辿り着く場所』です」
「足元に風〜 光が〜舞った〜 日常にだけ〜積もった分の奇〜跡が〜♪
見上げれば雲〜 遠くへ〜の帰路〜 幼〜い日の〜自分よりも〜早く〜♪
雪解けを〜待って〜た〜 子供のように 走る 光る滴〜 飛び跳〜ね〜て〜る〜♪
明日の出〜会〜いさ〜え〜 気付かずにいる 季節 たちの中で〜輝〜い〜て〜いるよ〜♪」
軽快な曲調にあわせるように軽くステップを踏み、小さな体を精一杯使って大きく振りつけをする。どちらかといえばたどたどしい感じで、いかにも一生懸命歌っています。というのを最大限にアピールしつつ、随所でキラリと笑顔も忘れない。
「世界〜中にはど〜んな〜思〜いも〜 か〜なう日〜が〜来〜る〜♪
ず〜っと旅〜をしてゆ〜く〜僕〜らに〜 小〜さな〜精たち〜 舞〜い降〜りる〜♪」
盛大な拍手をバックに歌い終えた祐一の表情からは、自分の出来る事を精一杯やったという色がある。
「はい。それでは審査員の皆さん、優勝はどちらかフリップをどうぞ」
そして、勝負は決した。
「はぁぁ……」
すでにみんなが後夜祭に向けて移動してしまった後の控室で、祐一はメイクも落とさず、着替えてもいないままがっくりとうなだれていた。グラウンドでは生徒会主催で巨大なやぐらが組まれており、点火されるのを今か今かと待ちわびている事だろう。
審査員の厳正なる投票により、三対二で優勝は久瀬に決まってしまったのだ。確かに、女装した男子がメインのこのイベントに、服装だけでなく肉体的にも女の子になってしまったのは、少々反則であるような気がしないでもない。とはいえ、それでも応援してくれた人には、優勝できなかったのが悔やまれる。
一応、祐一もすぐに行くとは言ってあるのだが、なんとなくだがみんなとは顔を合わせづらい。さて、どうするかと、祐一が思案しはじめたその時だった。
「秋子さん?」
控室に入ってきたのは秋子だった。秋子がまだ学校の制服を着ていたので、最初は誰だかわからなかった祐一であったが。
「残念でしたね、祐一さん」
「ええ、まあ。仕方ないですよ」
これも運命。そう割り切っては見るが、やはりどこか割り切れない部分があるのが乙女心というものだろう。ここしばらくはずっと女の子であるせいか、どうにもこういう考えになってしまう。もうしばらくすると、言葉遣いまで女の子らしくなってしまうのではないかと、祐一は妙な不安に襲われてしまうのだった。
「それでは、頑張った祐一さんにご褒美です」
「秋子さん、これは……?」
手渡された小瓶の中には、七色に輝くゲル状の物体が入っている。
「ジャムです」
「ぢゃむ?」
にこやかに微笑んでいる秋子には悪いが、祐一にはどう見てもこれがジャムであるようには見えない。これなら秋子特製の、あの鮮やかなオレンジ色をしたジャムのほうがまだましであるように思えた。
「……食べられるものですよね?」
「ええ、もちろんですよ」
その表情は妙に嬉しそうなのだが、秋子の性格からしてわざとそう言うものを作るとは思えない。おそらくはあの特製ジャムと同じで、きっと独創的な味がする事だろう。少なくともこれはジャムと言える代物ではないと思う。それを考えてしまうと、食べるのが少しだけ怖い祐一であった。
「あの……秋子さん……?」
「はい?」
「このジャムの材料、なんですか……?」
「企業秘密です」
それを聞いてしまうと、祐一は余計に気になってしまう。しかし、それ以上追及するのも、なんとなく怖い感じがする。
「これは、祐一さんを元に戻すためのジャムなんですよ」
秋子の説明によると、祐一を元に姿に戻すための要素をすべて余すところなく合わせた結果、このようなジャムに仕上がったのだそうである。祐一が元に戻るにはこれを一瓶全部食べきる必要があるのだが、味のほうまでは保証できないらしい。
なにしろどのような効果をもたらすものであるか、製作者である秋子や祐姫にも予想がつかないため、迂闊に試食もできない。基本的には女性を男性化させるジャムであるため、最悪の場合『生えてきてしまう』恐れもあるからだ。
だが、それこそ祐一にとっては待ちに待ったものであるといえる。祐一は可愛らしく両手でジャムの入った瓶を持つと、そのまま一気に喉の奥へと流しこむのだった。
「うあっ!」
途端に祐一の体が変化をはじめる。体中の細胞が唸りをあげて活性化し、着ている服がパンパンに膨らみはじめる。呻き声が女の子らしい甲高いものから男性的な太い声へと変わり、ついにはそれまで祐一が着ていたゴスロリ風のドレスが徐々に引き裂かれていく。
「があぁぁぁぁっ!」
獣のような雄叫びをあげた祐一が大きく体を伸ばすと同時に、盛り上がった筋肉によって引き裂かれた服がついに弾け飛んだ。
久方ぶりに感じる、ごつごつとした大きな手に厚い胸板。そして、見事に復活を果たした自慢の息子。元の姿に戻れた喜びに、祐一の体が打ち震える。
「見てください、秋子さん。ほら、元の姿に……って秋子さん?」
「は……早く服を着てくださいっ!」
せっかく祐一が元に戻れたというのに、秋子は背中を向けたまま後ろ手で服の入った紙袋を差し出すだけだ。確かに、今の祐一は丸裸なのだから当然の反応といえるが、なんとなく今の秋子の姿は初々しくて可愛らしかった。
(祐一さんってば、なんて立派な……。もしかして、名雪はいつもあんなすごいのを味わっているの……?)
相手は自分の甥だというのに、妙に秋子の動悸は早くなってしまう。確かに秋子は、亡くなった主人以外の人のものを見た事があるわけではなく、その意味では男性経験すらほとんど無い。なまじ知識があるだけに直視する事ができず、耳まで真っ赤にしてしまう秋子であった。
グラウンドでは本日最後の、そして文華祭を締めくくるビッグイベントが行われていた。大きく音を立てて爆ぜ、天を焦がす勢いで燃え盛る炎の前では賞品授与式が行われ、見事に総合優勝を果たした香里が勝利の高笑いをしている。
藍色に染まる夜空を輝く火の粉が舞い踊る中、グラウンドの片隅には長蛇の列ができていた。
「あの、水瀬さん。俺と踊ってください」
「ずっと前から憧れていました。お願いしますっ!」
「第一印象で決めていましたっ!」
「ごめんなさい」
次々に差し出される手を、名雪は本当に申し訳なさそうに頭を下げて断っていく。スピーカーからはちょっと間延びした感じをした定番の音楽が流れはじめ、すでに何人かのカップルがのんびりとしたテンポの曲にあわせて踊っている。その中では新郎新婦の衣装に身を包んだままの北川と祐姫の姿もあり、二人の仲睦まじい様子を辺りにアピールしていた。
「お穣さん、一曲お相手願えませんか?」
先程から続くお誘いの言葉に断ろうと唇を開きかけたとき、名雪は聞き覚えのある声に思わず顔をあげた。
「ゆ……」
それはまぎれもなく、名雪がずっと待ち望んでいた人の姿。
「祐一〜っ!」
途端に大粒の涙をあふれさせながら、名雪は祐一の胸に飛び込んでいく。そんな二人の姿に、先程まで出来ていた列はあっさり解散となった。
「じゃあ、行くぞ名雪。最後の思い出作りだ」
「うん」
そして、二人を互いに手を取り、炎を囲んで踊る人の輪に加わる。
こうして迎えた文華祭最後の夜。最高の思い出ができた名雪であった。
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