第三十五話 冬到来

 

 三日続いた文華の祭典は大狂乱のバカ騒ぎの末、大成功のうちに終幕を迎えた。みんなの笑顔や泣き顔も、全部まとめて炎にくべて、夜空を真っ赤に焼け焦がす。

 戦い終わって日が暮れて、途中いろいろあったけど、終わりよければすべてよし。天にも届く火柱は、いわばみんなのボルテージ。熱く大きく燃え盛る。

 だが、楽しい時間はすぐ終わる。祭りの後の静けさは、なぜか不思議と物悲しく、すべて綺麗に燃え尽きた。

 祭りが終われば、帰ってくるのが日常。季節はいつしか輝ける紅葉から、どこか寂しいモノクロカラーに早変わり。あれほど綺麗だった落ち葉は色を失い、いつの間にか吹きはじめた木枯らしに飛ばされる枯れ葉となっていた。

 冬将軍の足音が、ほんのすぐそこまで迫っているような気がする、そんなある日。

「はぁぁ……」

 美坂香里が物憂げな溜息をついていた。あれだけにぎやかだった文華の祭典が終わりをつげ、退屈な日常に戻ってしまったのだから、香里が燃え尽きてしまったのだという事もうなずけた。

 時刻は六時間目の授業で、自習の途中。あともう少し我慢すれば放課後になるというそんなとき。首筋にちくちくと刺さるような視線を感じつつ、祐一がその方向を向くと、恨めしそうな眼で睨んでいるかのような香里と目が合う。

「はぁぁぁ……」

 祐一の顔を見つめて、香里はもう一度大きくため息。文華の祭典が終わってからすでに一週間が経過しているが、祐一の顔を見るたびに香里は恨みがましく大きなため息をつくのだった。

「……だから、なんなんだよ香里」

「……してなのよ……」

 まるで地の底から響いてくるような香里のデス声が、祐一の耳に突き刺さってくるかのように届く。

「どうして、祐ちゃんじゃないのよっ!」

「また、それかっ!」

 祐一が男に戻ってから続いているいつものやり取りに、自習中のクラスメイトはやれやれまたかと興味を失う。確かに祐一が男に戻ったというので一部の女子にはかなり不評であったのだが、これが本来の姿なのだと三日もすれば祐一への対応は普通に戻ったのであった。ある意味、香里だけが『祐ちゃん』に固執していたのである。

 とはいえ、それは祐一の母親も同様であった。忙しい中時間を作って祐ちゃんに会いに来たというのに、男に戻っていたのだからその落ち込み様は尋常じゃなかった。特にこのときは普段滅多に顔を合わせる事がないような父親まで同行していたため、まだ祐ちゃんに会った事のない父親に、この親不孝者め、と怒鳴られてしまう始末。

 そんな中で常に祐一の味方をしてくれていた名雪には、言葉では言い表せないようなくらい感謝している祐一であった。

「ちょっと、相沢くん。これ見てくれるかしら?」

 そう言って香里は、祐一の目の前に小さめの手袋を差し出す。香里の手編みと思しきその手袋には、手の甲の部分に可愛くYの字がアクセントになっていた。

「この手袋がどうした?」

「……これから寒くなるわよね。祐ちゃんの可愛いお手手がしもやけになったら大変だから、夜なべして作ったのに……」

 料理の腕は壊滅的だが、その代わり裁縫に関しては他の追従を許さない腕前を持つ香里。栞が愛用しているストールが香里の手編みである事からも、その腕前は確かな事がわかる。

「それに、マフラーも」

「………………」

「帽子にセーターまで作ったのにっ!」

「そこまで知るかっ!」

 次から次へと取りだされる祐ちゃん用の冬装備一式に、思わず祐一は頭を抱えてしまう。香里が体の心配をしてくれているというのは嬉しいのだが、ここまでいくと逆に過保護なのではないだろうか。

「大体だな、香里。お前は俺が男に戻れて嬉しくないのか?」

「そりゃあ、嬉しいでしょうね」

 そこで香里は、すっと視線を外す。

「特に名雪は……」

 その視線の先には、机に突っ伏して眠っている名雪の姿があった。この自習時間の最中に眠ってしまうというのはわかるが、名雪は午後の授業がはじまってからずっとこうしているのだった。

 それ以前にさかのぼれば、お昼休みに名雪は祐一と二人でどこかに姿をくらませてもいる。さらにそれ以前となると、名雪は朝からずっと眠そうだった。

「ねえ……相沢くん……」

 そして、不意に蔑むような視線で祐一を見る香里。

「ちゃんと名雪の事を、寝かせてあげているんでしょうね?」

「ぐ……」

 言葉に詰まった祐一を一瞥したのも一瞬、再び香里は物憂げな溜息をついて黙りこんでしまう。

 まさに、萌え尽き症候群であった。

 

 ホームルームが終わると、念願の放課後となる。

「この子、まだ寝てるわよ」

 担任が出ていった後、香里が呆れたように席を立ち、名雪のそばによる。当の名雪はと言うと、もうすでにスポーツ推薦で進学を決めているためか、こうして寝ていても特に文句は言われないのであった。

「寝てるといえば、こいつもだが」

 祐一が後ろを向くと、北川も机に突っ伏して寝ている。もっとも、こちらは見ているとつい和んでしまうような名雪の寝顔と違い、まるでうなされているかのように憔悴しているのであったが。

「おい、起きろよ北川」

 祐一がゆさゆさと肩をゆすると、北川はびくっと体を震わせて跳ね起きる。そして、寝ぼけ眼であたりを見回すと、ここが教室である事に気がついて安堵の息を漏らすのだった。

「大丈夫か? 北川」

「大丈夫……。ああ、オレは大丈夫さ……」

 なんとかして平静を取り繕うとしているかのような笑みを顔に張り付かせながら、まるでうわごとのように大丈夫を連呼する北川。その様子は誰がどう見ても大丈夫という感じではない。文華の祭典が終わって以後の北川は、ほぼ毎日がこんな様子なのだった。

「やっぱり、あれか? 祐姫の相手は大変か?」

「いや、大変じゃないぞ。祐姫ちゃんのせいじゃない」

 慌てて否定するが、北川の変調の原因が祐姫にあるという事は、実は祐一が一番よくわかっている事なのだ。

 

 ここで話は、文華の祭典が終わった直後にさかのぼる。

 

 この日北川は、文華の祭典が終わった振替休日を満喫していた。なにしろ今日はシフトの関係でバイトも休みであるし、こうした完全休はかなり久しぶりなのだ。

 そこで北川はとりあえず昼まで寝ようとしていたのだが。

「潤様、起きてください。潤様」

 という聞き覚えのある声で目を覚ました。

「やっと起きてくださいました。潤様」

「……って、祐姫ちゃん?」

 叫ぶなり、がば、と飛び起きる北川。

「一体どうしてここに? てか、それ以前にどうやって入ったんだ?」

「あら? 嫌ですわ、潤様。今時鍵開けは、乙女の必須技能でございますわ」

「あ……あのね、祐姫ちゃん」

 礼儀正しくきちんと正座している祐姫にあわせるように、北川もきちんとさっきまで寝ていた布団の上に正座した。

「いいかい? 年頃の男女が一つ屋根の下にいるという事はだね……」

「それでしたら、わたくしのお兄様も名雪お姉様やあゆ様、真琴様と一つ屋根の下で暮らしておりますわ」

「え〜と、結婚もしていない男女が一つの部屋に……」

「それなら、しましたわ」

「は?」

 意外と言えば意外な祐姫の言葉に、北川は目を点にして訊き返した。

「しましたわ、結婚」

 うっとりとしたような満面の笑顔で、祐姫が取り出した写真を見たとき、北川は言葉を失った。なぜならそれは、文華の祭典で祐姫と行った結婚式の写真だったからだ。

 北川にしてみれば、あれは遊びの延長のような感じだった。しかし、それを素直に伝えてしまうと、祐姫が『わたくしとの事は遊びだったのでございますね』と言い、よよよ、と泣き崩れてしまうのが容易に想像できた。

 この時はちょうど祐一の両親が帰省していた時でもあったため、なんとか説得してもらえないだろうかと相談を持ちかけてもみたのだが、北川の予想以上に祐姫の意思は固く、結局のところなし崩し的に祐姫との同居が決定してしまった北川だった。

「潤様。不束者ではございますが、どうか末長くよろしくお願いいたします」

「あ、はい。こちらこそ……」

 祐姫にそうまで言われてしまっては、北川としてもそう答えざるをえなかった。かくして、祐姫は北川の押しかけ女房となってしまったのである。

 それからの北川は天国と地獄を同時に味わう事となった。アルバイト先から自室に戻ってくると、なぜか着替え中の祐姫と鉢合わせる。お風呂に入っていると、お背中流しますね、と祐姫が入ってくる。おまけに寝ている時は、油断していると隣で寝ているはずの祐姫が北川の布団に潜りこんでくる。

 そんなわけで、自分の部屋にいるというのに全く気の休まる暇がないせいか、ここ最近の北川は急速にやつれていってしまっているのだった。

 

「……悪いな、北川。俺の妹が迷惑かけて」

「あ、いや。別に迷惑ってわけじゃないんだ」

 表情は憔悴しきったものだったが、不思議と北川の瞳は輝いているように見えた。

「オレが帰ってくると、祐姫ちゃんが『おかえりなさいませ、ごくろうさまでした』って言って出迎えてくれるだろ。そんで『お食事の用意ができております』と、来るわけだ。それが前みたいに凄い味とかじゃなくて、凄く美味い飯でさ。そんでもって……」

「……ひょっとして、北川。それは惚気ているのか?」

「そうだ、悪いか?」

 祐姫ほどではないが、幸せいっぱいという感じの北川を見ていると、胸やけにも似た感じがする祐一であった。

「ほら、名雪。起きなさい」

 その傍らでは香里が名雪を起こそうと声をかけ続けていた。

「……うにゅ」

「あ、動いた」

「ふぁ……ダメだよ、祐一……」

 しかし、名雪はまだ寝ぼけているようだった。

「あふぅ……そこ、違……」

 すでに放課後に突入しているとはいえ、教室にはまだ結構人が残っている。そんな中で名雪は、おそらくは夢の中で祐一と真っ最中であると思しき寝言を口にしていた。

「そんな大きいの……無理だよぉ……」

 その途端に教室内に残っていたクラスメイト達の耳がダンボとなり、二人の痴態を聞き逃すまいと聞き耳をたてはじめる。

「……大きい……?」

 香里の蔑むような視線が祐一に突き刺さる。

「だめぇ……裂けちゃうよぉ……」

「……裂けちゃう?」

 その香里の呟きに、クラス中がざわめきはじめた。クラス中の男子は嫉妬と羨望が入り混じったかのような視線で祐一を睨み、クラス中の女子は祐一と視線を合わせようとせず、頬を赤くしてうつむいている。

「壊れちゃうよぉ……祐一ぃ」

 あわてて教室から逃げ出そうとした祐一の腕を、香里がわっしと掴んで離さない。その香里の笑顔はとても素敵なものであったが、なぜか祐一の背筋には嫌な汗がだらだらと流れていく。

「祐一ぃ……ここじゃ、恥ずかしいよぉ……」

「わぁーっ! 起きろっ名雪」

 祐一が名雪の細い両肩をつかんで激しく揺さぶると、ゆるゆると言う感じで名雪が身を起こす。

「ふぁ……おはよう……」

 まだ頭がぼぅっとしているのか、かなりスローモーではあるものの、お目覚めの挨拶をする名雪。その姿にクラスメイト達は、これでおしまいかと興味を無くしたようだ。

「もう放課後だぞ」

「あ……そだね。学校行かなきゃ……」

「ここが学校よ」

「だったら、部活行かないと……」

「もう引退したでしょ?」

 普段から人の七倍は時間がかかる名雪ではあるが、寝起きの名雪はさらにそれに輪をかけて三倍は浮世離れしているように感じる香里。

「え?」

 机から立ち上がってふわふわとした足取りで歩いている最中に振り向く名雪。

「俺と百花屋に行くんじゃなかったのか?」

「あ、そうだね」

 やっと名雪の思考能力が正常に戻ったようだった。

「香里も一緒に来るんだったよね?」

「そうよ。どうせ暇だし」

 受験シーズン真っ只中という今の時期に暇を公言出来るのは、やはり香里が学年一の成績保持者である所以だろうか。とはいえ、大学受験もそれほど気楽なものではない。根を詰めるよりは、たまには息抜きも必要だよ。と、言うのが名雪の談だ。

 

 香里と名雪を左右に従えての商店街。すでに初雪を迎えた小路は、あちこちに融ける事のない雪が積み重なっている。これからもっと寒くなるんだよね、と明るく香里と笑い合っている名雪の笑顔に少しだけ憂鬱になる祐一。

 祐一は寒いのが苦手なだけあって、灰色の雲に蔽い隠された曇り空は、今の彼の気持ちを的確に表しているようだった。

 カラン、とドアベルを鳴らして百花屋に入ると、ウェイトレスのお姉さんにいつもの窓際にある席に案内される。そこに祐一は名雪と香里と差し向かいで座り、注文するのはいつものメニュー。

 やがて注文の品がテーブルに揃うと、しばしの間は舌鼓。

「はあぁぁ……」

 いつものチーズケーキとダージリン紅茶のセットを半分ほど楽しんだ後、物憂げな溜息をつく香里。

「どうしたの? 香里。暗いよ?」

「そりゃ、暗くもなるわよ……」

 こういうときは、親友の持つ能天気さが少しだけうらやましくなる。

「名雪はいいわよね。もう入る大学とか決まってて」

「うにゅ?」

「あたし達はこれからセンター試験受けて、それから本試験なのよ」

「考えただけでも頭痛くなってくるな……」

 そして、二人揃って憂鬱な溜息を吐く祐一と香里。センター試験は基本的にマークシート方式であるので比較的突破は容易であるといえるが、問題はその後の本試験である。

 実のところ名雪がスポーツ推薦で通う大学は香里の第一志望校で、祐一もそこを第一志望としているのだ。成績優秀である香里であるならば突破も可能であるのだが、問題は祐一のほうにあった。

 そもそも祐一が両親の海外転勤に付き合わないで日本に残ったのは、こうした進学の問題があったからである。ところが祐一自身はさほど身を入れて勉強をするようなタイプではなかったため、今になって苦労しているのだ。

 一応、夏休みの中盤あたりから祐一は、香里とマンツーマンでみっちり受験対策をしてきており、その成果もあって今ではなんとか合格圏内にまで成績を伸ばす事に成功していた。このあたりはなんとしても名雪とキャンパスライフを送りたい祐一の、執念がなせる業だろう。

 しかし、それでなんとかなるほど受験も甘いものではない。祐一としては、もう一押しなにかが欲しいところだった。

「でも、わたしは大丈夫だと思うよ? だって、祐一も香里もすっごく頑張ってるもん」

 相変わらず名雪は、根拠のない自信に満ち溢れているようだ。祐一としてはその自信がどこから来るのか疑問ではあるが、不思議と名雪の言葉には奇妙な説得力があった。

「お客様〜コーヒーのおかわりはいかがですか〜?」

 そう言えばここはおかわりが自由だったな、と思った祐一がもらおうとウェイトレスを見たとき、一瞬その動きが止まる。

「佐祐理さん。なにしてんですか? ここで」

「はい。佐祐理はここでアルバイトをしてるんですよ〜」

 そう言われてみると、確かに佐祐理は百花屋の制服を着てコーヒーのポットを持っている。まるでメイド服のようなデザインの制服は、佐祐理の持つ清楚で可憐なイメージを強調しているかのようだった。

 聞くと佐祐理は接客のコツを学ぶために、しばらく前からここで舞とアルバイトをしているらしい。

「ここの制服は可愛いですからね。舞ももう大喜びで」

 いつものさわやかなスマイルを浮かべながら佐祐理は、遠くで注文の品を運んでいる舞を示すが、祐一には相変わらずの能面であるようにしか見えない。とはいえ、同居している佐祐理がそう言うのだから、きっと舞は表情に出ないだけで喜んでいるのだろうと思われた。

「お待たせしましたー。フルーツパフェが一つと、チーズケーキとダージリン紅茶のセットが一つです。御注文の品は以上で結構ですか?」

 

ドガラシャーン!

 

 妙に明るくハイテンションな舞の声に、祐一は本気で椅子から転げ落ちた。これだけの衝撃を祐一が受けているというのに、まるで動じた様子のない名雪と香里は、ある意味流石の領域である。

「な……あれ?」

「今の舞はまいちゃん達と一体化しているんですよ〜」

 確かに元は一つの存在なのだから合体してもおかしくはないのだろう。しかし、普段の舞とのあまりにも激しいギャップのためか、祐一はしばらくの間は立ち直れそうになかった。

「お客様〜。店内ではお静かに……って、祐一?」

「お? おお、舞」

 騒ぎを聞きつけてやってきた舞の姿に、祐一は妙な感動すら覚えた。普段無表情な舞が、今は笑顔に彩られている。年相応のはにかんだような舞の笑顔は、実に新鮮であった。

「祐一達は、もう少しここにいる?」

「その予定だが、なんでだ?」

「あたしと佐祐理のバイトがもう少しで終わるのよ。そしたら、ちょっとみんなでお話ししましょ」

 言うだけ言うと、舞は鼻歌を歌いながら、スキップでも踏みそうな軽い足取りで仕事に戻っていく。それを見て佐祐理も、祐一にコーヒーのお代わりを注ぐと仕事に戻っていった。

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