第三十六話 そして、時は流れゆく

 

 百花屋でのアルバイトを終えた舞と佐祐理を交え、祐一達は午後のひと時をしばしの談笑で過ごしていた。まったくの余談ながら、祐一の膝の上にはまいたんイエロー、舞の膝の上にはまいたんブラック、佐祐理の膝の上にはまいたんホワイト、香里の膝の上にはまいたんレッド、名雪の膝の上にはまいたんブルーがそれぞれ座っている。

 名雪達の膝の上にいるまいたん達は、みんな、ふかふか〜、とか、ぽにょぽにょ〜、とか、お尻や背中に感じる感触を楽しんでいるようだ。

「なんか悪いな、お前だけ俺の膝の上で」

「ううん。そんな事はない、とイエローは言ってみる」

 イエローが他の四人のまいたん達をうらやましそうに見ているような気がしたので、なにかフォローをしようと祐一は話しかけてみたのだが、予想に反してまいたんイエローは祐一を見上げるようにして微笑みかけてきた。

「お父さんのお膝の上は、こんな感じなのかとイエローは思ってみたり」

 その途端、四人のまいたん達が一斉にざわめきはじめた。

「ずるいずるい、とレッドはイエローに文句を言ってみる」

「ホワイトは、イエローにトレードを要求してみたり〜」

「それなら、ブルーは祐一をこう呼んでみるの」

 祐一の隣にいる名雪の膝の上に座ったまいたんブルーが、にこりと微笑む。

「ぱぁぱ♪」

 その一言は、激しく祐一の胸を貫いた。

「……だでぃ」

 祐一の正面に座った舞の膝の上で、ぽつりと呟くようなまいたんブラックの言葉にも、祐一は凄まじい衝撃を受ける。

「それならホワイトは、祐一の事をお父様って呼んであげるの〜」

「う〜う〜、それじゃあレッドは祐一をなんて呼んだらいいのかわかんない〜」

 確かに、お父さんにパパにダディにお父様とくれば、まいたんレッドは即座に他の呼び方を思いつかない。まさか、ダイレクトに父と呼ぶわけにもいかないし。そんなわけで、香里の膝の上でう〜う〜うなりはじめるまいたんレッドであった。

 その一方で祐一は、まいたん達に父親扱いされてしまったせいか、嬉しいやら恥ずかしいやら、なぜだかこそばゆいような気分になってしまう。そんな中で、舞だけが頬を赤く染めていた。

 

「はえ〜、それでは祐一さんは、卒業後は東京の大学へ?」

「まあ、無事に合格すればの話ですけどね」

 祐一達が通う学校は大学も併設されているので、成績などの条件が満たされていればエスカレーター式に進学が可能なのであり、実のところ舞と佐祐理もそうして進学したのである。

 とはいえ、学部や進路希望などの点において、外部の大学に進学する生徒も多くいる。スポーツ推薦を受けた名雪や、医学部への進学を希望している香里もそうしたケースなのだ。

「俺は、元々大学は向こうで決めるつもりでしたから」

 突然の海外転勤で秋子さんの所にお世話になる事になってしまったが、もともと祐一は前に住んでいたところから近い、都内の大学へ進学する予定であった。なので、名雪がその大学へ進学すると言うのは、祐一にとって都合がいい事だったりする。

「はえ? それではお住まいのほうは?」

 佐祐理が聞いた話によると、前に祐一が住んでいた所は社宅だったので、両親が海外出張してしまうとそこを出ざるをえなかったのだ。急な話だったので代わりの住まいを探す事も出来ず、なにより家事能力が皆無に等しい祐一を一人暮らしさせるわけにもいかなかったので、母方の叔母である秋子に預けられる事となったのだ。

「俺の親父のおじいさんの方で、家が一軒あるんですよ。本当はそこで親子水入らずの生活をする予定だったんですけど、親父の出張が延長戦に突入してしまいましてね、それで俺と名雪がそこへ行く事になったんですよ」

「香里も一緒に来るんだよね?」

「そうだけど……。でも、迷惑じゃない?」

「そんな事ないよ〜。香里と一緒だと、わたしは嬉しいよ」

 相変わらずなにも考えていない様子で、能天気に微笑んでいる親友の笑顔を見つつ、香里は軽く息を吐く。香里としては、せっかくの祐一と二人っきりの生活を邪魔しちゃ悪いと考えていたのだが、名雪としては、不慣れな都会で一人暮らしをするよりも、みんな一緒のほうが楽しいと考えていたのだ。

 結局、名雪の笑顔のお誘いを断りきれず、なし崩し的に同居を承諾してしまう香里であった。

「そうですか……。寂しくなっちゃいますね……」

 そう力なく微笑む佐祐理の隣で、舞もなんとなく消沈しているように見えた。佐祐理にしてみれば、このまま祐一達と一緒のキャンパスライフが楽しめると思っていたからだ。それが、突然東京に行くと言う事を知らされてしまったせいか、その落胆ぶりは普段の彼女を知る者からすれば、劇的と言っても過言ではないくらいだった。

「そんな事ないですよ。夏休みとか、冬休みとかの長期休暇の時には、なるべくこっちに帰ってくるつもりですから」

 あわてて祐一はフォローしようとするが、気休めにもなっていなかった。それは祐一達の進学は、佐祐理達と今までのような付き合いが出来なくなってしまう事を意味していたからだ。

 もっとも、このあたりは祐一があゆと真琴を説得するのに苦労した点であった。彼女達にしてみれば、祐一の存在はなによりも大きいものだったからだ。実のところ香里も、栞を説得するのにはかなり苦労をした。

「祐一さんと同居するなんて、お姉ちゃんずるいです」

「相沢くんとじゃないわ。名雪と同居するのよ」

「一緒ですっ!」

 などというやり取りが姉妹の間であったと言う事はかなり想像に難くなく、その点美汐は物分かりがよくて助かったのであった。

「はえ〜……残念です……」

 佐祐理と舞を悲しませてしまった事に、かなり心が痛む祐一であったが、とにかくこれで言いにくい報告はすべて済んだ。

 

 十二月に入ると、途端にまわりが慌ただしくなる。受験勉強に追われつつも、美汐の誕生日に名雪の誕生日を祝う。去年はまだ祐一がこの街にいなかったし、あゆや真琴に栞に祐姫、佐祐理と舞と言ったメンバーも揃っていなかったためか、この年のクリスマスはかなり盛大で豪華なものとなった。

 名雪と一緒に過ごす年の瀬。まだ二人の関係がいとこ同士で、祐一が冬休みに水瀬家を定期的に訪れていた時は何度も過ごしたが、恋人同士となってからは初めての時間だ。それは家族みんなで過ごす、幸せなひと時となった。

 年が明けたら初詣。振り袖姿の名雪は祐一にとっては目の保養となり、留袖姿の秋子と初めての着物に戸惑っている様子のあゆと真琴は、実に初々しくて可愛かった。

 そして、なんとか無事にセンター試験を突破した祐一は、いよいよ本試験に向けて旅立ちの時を迎えるのだった。駅には見送りに来てくれた、あゆ、真琴、栞、美汐、祐姫、秋子、北川の姿がある。祐一達が東京へ旅立つこの日、佐祐理と舞は都合がつかなかったために、見送りにいけなかった事を残念そうにしていた。

「じゃあ、行ってくるわね。栞」

「お姉ちゃん……」

 これが今生の別れになると言うわけではないが、やはり別れというものはつらいものだ。香里は栞の温もりを確かめるように、その体をしっかりと抱きしめた。

「元気でね、祐一くん……」

「あぅ〜、祐一……」

 祐一も別れの辛さからか、涙ぐんでしまったあゆと真琴の二人をしっかりと抱きしめる。

「名雪、つらくなったらいつでも帰ってきていいのよ? ここがあなたの家なんですからね」

「お母さん……」

 そして、秋子も最愛の娘の体をしっかりと抱きしめるのだった。

 やがて発車のベルが鳴り響くと、祐一達三人はそろってデッキに立つ。

「じゃあな、相沢」

「お兄様、お元気で」

「それでは、相沢さん。水瀬先輩と美坂先輩も、また、です」

 この春から北川は、地元の電気会社で働く事が決まっていた。まだ見習いの立場ではあるが、これから北川は祐姫を養っていかなくてはいけないために、頑張る決意をしていた。

 北川、祐姫、美汐が別れを告げると同時に扉が閉まり、電車がゆっくりとホームを離れていく。手を振りながら、電車を追いかけてくるあゆと真琴。祐一達はその姿が見えなくなるまで手を振り返していた。

「……ていうか。よく考えたら、受験が終わったら一度帰ってくるのよね? あたし達……」

「まあ、それを言うなって……」

 もう駅のホームすら見えなくなってしまったと言うのに、まだ手を振り続けている名雪の姿を見つつ、そう冷静に突っ込みを入れる香里であった。

 

 そんな三人の想いを乗せて、列車は走る南を目指して。

 途中で新幹線に乗り換え、三人掛けのシートの左右に名雪と香里を侍らせて、しばしの間王侯気分を楽しむ祐一。仙台、福島、小山を経て、祐一達を乗せた列車は目的地である大宮駅に到着する。

「へぇ……」

 キャリーカートをカラカラと引きながら、名雪と香里は物珍しそうに駅のコンコースを眺めている。その姿は誰がどう見ても、地方から出てきたおのぼりさんそのものだった。

「ここが東京なの?」

「いや。ここはまだ大宮だから埼玉だな。東京に行くんだったらここからまた電車に乗らないと」

 そう言う祐一は結構なれたもので、乗り換え客でごったがえす駅のコンコースの雑踏をすいすいと歩いていく。祐一と違って荷物の多い名雪と香里は、それについていくだけで精一杯だ。

「本当はもう少し新幹線に乗って上野とか東京とかに行きたいんだが、そこまでいくと今度は乗り換えが面倒なんでな」

 祐一の話では、名雪達の街と違って東京の駅には色々な所に行く電車が多数乗り入れしているので、道に迷いやすいのだそうだ。

「そんなに電車がいっぱい走っていて、よくみんな間違わずに乗れるものよね」

 駅の階段を降りながら、ふと香里がそんな事を口にした。

「ああ、それには理由がある」

 駅のホームに立つと、祐一はちょうどそこに止まっていた電車を指差した。見るとその電車は、銀色のボディにスカイブルーの帯が貼られている。

「東京、と言うか首都圏の電車は、みんなああやって路線ごとに色分けされているんだ。だから、間違う心配はほとんどないぞ」

 その後名雪達は電車に揺られながら、車内に張られた路線図の説明を祐一から受ける。スカイブルーの帯が京浜東北線、ライトグリーンの帯が山手線、カナリアイエローが総武線、オレンジが中央線、エメラルドグリーンが常磐線と埼京線、レッドが京葉線と言う具合に教えてくれるのだが、土地勘のない名雪達にはなにがなにやらちんぷんかんぷんだった。

 しかし、これから試験会場に行くのに電車を利用する事もあるし、合格したらこっちに住む事になるのだから、覚えておく必要がある。

 そして、太陽が西の空に大きく傾きかけたころ、祐一達は目的地にたどり着いた。

 

「……結構、大きな家なのね」

「ああ、俺もはじめて見たけどまさかここまでとはな……」

 もともと両親が海外出張に出かけなければ、祐一達は社宅を出てこの家に家族三人で暮らしていたはずだった。そのせいか間取りには結構ゆとりがあるようで、こうして見た外観はかなり大きな家だった。

 この家は先日、祐一の両親が近況報告と今後の事について話し合うために帰郷した際に、二人が東京で暮らすのならと紹介されたものだ。

「聞いた話だと、家は古いが作りはしっかりしてるからまだまだリフォームの必要もないし、誰かが住まないと結構な額の固定資産税を払わなくちゃいけないらしくてな。それで、俺と名雪が住むんならちょうどいいって事になったんだ」

「それにしちゃ、家が大きすぎるようない気もするけど?」

「そうだよね。わたしと祐一なら一部屋あれば十分なんだし」

 実のところ名雪が香里を誘ったのは、この家には十分な部屋数があるので遊ばせておくのはもったいないと思ったからだ。香里はとにかく家事の才能がないので、不慣れな一人暮らしで栄養が偏ったりなんかしたら大変な事になる。ここなら家賃とかもかからないし、一緒に暮らせば毎日の健康管理とかもきちんとできると考えたのだ。

「まあ、こうしてても仕方ないわね。寒いから、そろそろ中に入りましょ」

「そうしようよ。早くお夕飯の用意とかもしなきゃいけないし」

 そう言って寒そうに身を震わせた香里と、食材の入ったビニール袋を持ちつつ、今日はカレーでいいよね、と明るく微笑む名雪の笑顔に心が温まるような気持ちになりながら、祐一はドアに鍵を差し込んだ。

「あれ?」

「どうしたの?」

「……鍵が、開いてる……?」

 脇から覗きこんできた香里と、祐一は沈黙したまま顔を見合わせる。

「よし、開けるぞ……」

 背後に名雪をかばうようにして、祐一は静かに扉を開けていく。その隣にはナックルを手にはめた香里が、有事に備えて臨戦態勢のまま待機している。

 そして、扉が完全に開ききった時、祐一は信じがたい光景を目の当たりにする事となった。

「お帰りなさいませ〜ご主人さま〜」

「……お帰りなさい」

 それは、メイド服に身を包んでにこやかに微笑む佐祐理と、同じくメイド服に身を包んで頬を赤く染めた舞の二人だった。

 

「……で? なんで佐祐理さんと舞の二人がここにいるんですか?」

 祐一に詰問され、佐祐理はいつもの笑顔を浮かべつつも、その表情はどこかひきつったようだった。おそらく今回のこの計画は佐祐理の独断によるもので、舞はそれに巻き込まれているだけなのだろう。先程から祐一と視線を合わせようともせず、そっぽを向いたままの舞の態度から容易に推察できた。

「だって……」

 その時、佐祐理の眼尻に真珠の輝きが浮かぶ。

「だって佐祐理も、祐一さんのお役に立ちたかったんです……」

 そう言って顔を伏せてしまう佐祐理の姿に、祐一はしまったはめられたと思った。今この状態で女の最終兵器を使われては、祐一にはもはや成す術がない。下手をすれば、名雪と香里と言う祐一にとって最大の味方すら失いかねない状況だ。

「……佐祐理」

「舞」

 佐祐理は舞の胸に顔をうずめると、そのまま低く嗚咽を漏らしはじめる。こうなってしまうと、祐一も強い事は言えなくなってしまうのだった。

「どうする? 名雪」

「ん〜」

 祐一に聞かれ、名雪は人差し指を唇にあてて考えた。

「わたしは、別にいいと思うよ? お部屋はいっぱい余っているんだし、家族は多い方が絶対に楽しいよ」

「名雪がそう言うんだったら、あたしも異存はないわ」

 確かに佐祐理の家事能力の高さを考えれば、家事を担当する名雪の苦労も軽減されるだろう。それに、かつては学年一位の成績保持者であった佐祐理なら、祐一と香里の勉強を見てもらうと言う事も出来るかもしれない。

 メリットとデメリットを比較すれば、メリットの方がはるかに多そうだ。そんなわけで、佐祐理と舞の同居を了承してしまう祐一であった。

「これからにぎやかになるね〜」

 そう言って微笑む親友の姿を、ライバル増やしてどうすんのよ、と香里は冷めた目で見ていた。

 

 休む事無く、時は流れゆく。それはまるで川の流れの如く、留まる事を知らず。

 桜の花びらが舞い落ちる校門で、一人の少女が遠くにそびえる校舎を眺めていた。今日は待ちに待った入学式。これから四年間、もしかしたらその先も何年かお世話になるかもしれない学び舎を、少女は風に揺れる蜂蜜色のお下げ髪を軽く手で押さえながら、もう結構長い時間ずっと見つめていた。

 もうあと少したったら、講堂で入学式が行われる事だろう。一緒に来た親友は、さっさと講堂へ向かってしまった。

 しかし、まだ少女はキャンパスに足を踏み入れるための、心の準備が出来ていない。そこで少女は軽く深呼吸をして、最初の一歩を踏み出そうとしたその時。

「なんで入学式から走ってるんだ、俺達は?」

 突然聞こえてきたすさまじい足音と、怒鳴り声にも似た声に思わず振り向いてしまった。

「大体、名雪がいつまでも寝ているから……」

「なに言ってるのよ、相沢くん」

「そうだよ、祐一。昨夜寝かせてくれなかったのは誰かな?」

「あはは〜、明日は入学式があるって言ったじゃありませんか〜?」

「……祐一が悪い」

 盛大に土煙を上げ、ものすごい勢いで走ってくる五人の少年少女達。

「相沢……?」

 聞き覚えのあるその名前に、少女は思わず呟いた。

「到着……。あれ……?」

 その時祐一は、校門の前に立っていた少女に気がつく。容姿は大人びているが、その不愛想な表情と長く伸びた蜂蜜色をした二本のお下げ髪にはかつての面影がある。

「もしかして、里村か?」

「お久しぶりですね。相沢君」

 出会いと別れは人生の必定。この出会いが、今後の祐一の人生にどういった転機をもたらすのか。

 物語は、続かない。

 

妹がやってきた♪ 完

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