第四話 転校初日

 

 朝の風景

 

「あさ〜、あさだよ〜」

「うおっ!」

 部屋に突然響いた女の子の声に、祐一は跳ね起きた。

「あさご飯食べて〜、学校行くよ〜」

「名雪?」

 このとろとろっとした感じの声は名雪に間違いない。祐一はあわててあたりを見回してみるが、昨日片付けたばかりの部屋の風景が広がるだけで、誰の姿も見えなかった。

「あさ〜、あさだよ〜」

「こいつか」

 声の発生源は、昨夜名雪から借りた目覚まし時計だった。祐一はさっきとまったく同じ調子で繰り返し続ける声を、目覚ましの頭についているボタンを押して止める。流石にこれ以上聞いていると、起きるというよりも眠くなってしまいそうだったからだ。

 よく見ると時計の裏側には録音ボタンがついていて、メッセージが入れられるようになっている。どうやら名雪はこの機能を使って自分の声を録音したらしい。

 それにしても、と祐一は小さな白い時計を見ながらふと思う。こんなので起きられる自分もなんだかなあ、と。

 そうこうしているうちに、隣の部屋からジリリン、ガシャガシャ、ワンワンとにぎやかな音が響いてきた。

「名雪さーんっ!」

 廊下から元気なあゆの声が響くと同時に、こんこんこんこんこんこん、と激しいノックの音が聞こえてくる。

「あさだよーっ!」

 

 こんこんこんこんこんこん……。

 

「おきてーっ!」

 

 こんこんこんこんこんこん……。

 

「名雪さーんっ!」

「おはよう、あゆ」

「あ、おはよう。祐一くん」

 あまりの騒がしさに廊下に出てきた祐一と、あゆはにこやかに朝の挨拶を交し合う。よく見るとあゆはすでに着替え終わっており、昨日名雪が着ていた制服とはリボンとケープの色が違うだけの制服に身を包んでいた。

「名雪はまだ寝てるのか?」

「うん、名雪さん朝弱いから……」

「いくら弱いっていっても、限度ってものがあるんじゃないのか?」

 部屋の中からは相変わらずけたたましい目覚ましの音が鳴り響いている。それに加えてあゆが激しく扉を叩いているというのに、中で人が動いているような様子はない。

「だって……」

 あゆはため息交じりに口を開いた。

「名雪さん朝弱いのに結構遅くまで勉強とかしてるし、ほとんど毎日部活もやってるし、家に帰ってからは秋子さんのお手伝いもしてるし、それに……」

 指折り数えていくあゆの姿に、祐一は思わず頭を抱えた。

 よくよく考えてみれば、昔から名雪はそうだったような気もする。人一倍不器用で要領も悪い上に、いやと言えない性格が災いしてか、結構色々押し付けられたりもしてしまうのだ。

 そのくせ他人を頼ろうとせずに一人で背負い込んでしまうのだから、やはりどこかに無理が生じてしまうのだろうとも思える。

 しかし、今はそんな事情よりも、名雪を起こすのが先決だ。そう考えた祐一は、名雪の部屋の前に正対した。

「名雪―っ!」

 

 どんどんどんどんどんどん……。

 

「起きろーっ!」

 

 どんどんどんどんどんどん……。

 

 祐一が大声を出して部屋の扉をノックすると、中からなにかが崩れるような音がした。どうやら名雪が目を覚ましたときに、寝ぼけてベッドから落ちたらしい。その後ばたばたと部屋の中からあわただしい音が響いた後、次々に目覚まし時計の大合唱が鳴り止んでいく。

「おふぁようごじゃいまふ……」

 やがて目が糸になった状態の名雪がまぶたをこすりながら、まだ夢の中にいるかのようにふらふらとゆれながら部屋から出てきた。

「うにゅ」

 よくわからない返事をして、そのまま名雪はふらふらと階段を下りていく。足取りは危なっかしいが、あゆがなにも言わないところから、これが名雪の普通なんだろうと祐一は思った。

「祐一くん、すごいね……」

「なにがだ?」

 ふと気がつくと、あゆが憧憬のまなざしで祐一を見つめていた。

「だって、あの名雪さんを起こせるんだもん」

 そう言って、あゆは軽く微笑んだ。

「今度から、名雪さんを起こすのは祐一くんにお願いしようかな」

「折角だが、それは辞退させてもらう」

「うぐ、どうして?」

「名雪以上のつわものが、そこにいるからだ……」

 そう言って祐一は、真琴の部屋を見る。これだけ大騒ぎをしているというのに、まったく真琴は起きる気配を見せなかったからだ。

 

『あさ〜、あさだよ〜』

「なゆねえ?」

 突然部屋になり響いた声に真琴はあわてて飛び起きた。

『あさご飯食べて〜、学校行くよ〜』

「なゆねえ、どこ?」

 真琴は部屋を見回してみるが、どこにも名雪の姿はない。落ち着いて声の位置を確認すると、枕元に目覚まし時計が置かれており、そこからとろとろとした名雪の声が鳴り響いていたのだった。

「あう〜……」

 誘眠効果抜群のボイスを発し続ける目覚まし時計を抱きしめたまま、真琴は大きく息を吐くのだった。

 

 登校

 

「寒い……」

 目の前に広がる一面の銀世界に、祐一はコートの前をあわせながら率直な感想を漏らす。どうやらこの雪は昨夜のうちに降ったらしく、まだ誰の足跡もついていなかった。

「いい天気だね〜」

「うん、そうだね。名雪さん」

 綺麗に晴れ渡った青空を見上げ、名雪とあゆがにこやかに言葉を交わしあう。

「……いい天気なのは認めるが……」

「あう〜……」

 雲はまばらで雪の上にはくっきりと影が落ちている。これで日中の最高気温が氷点下でなければ、確かにいい天気なのだろう。つくづく今まで自分達が住んでいた街とは違う環境に、祐一は思わず真琴と顔を見合わせた。

「よく平気だな、お前達……」

「今日は暖かいほうだよね、あゆちゃん」

「うん」

 追い討ちをかけるような二人の会話に、さらに祐一の気が滅入る。これから毎日こんな中を学校に行かなくてはいけないのかと。

「でも、これからどんどん寒くなるんだよね」

「……………………」

「……………………」

「どうしたの? 二人とも」

 不意に押し黙ってしまう祐一と真琴に、名雪が心配そうに声をかけた。

「俺、国に帰る……」

「でも、祐一だって昔はこの街に住んでいたんだよ?」

「そうだけど、正直あんまり憶えてない」

 確かに祐一の母親は秋子の姉で、この街の出身だ。祐一はこの街の生まれだというが、そんな昔のことなんて良く憶えてはいない。いずれにしてもブランクが長いのだから、はじめて来るのと大して変わらないだろう。

「祐一くんもすぐに慣れるよ」

 にこやかにあゆはそう言うものの、正直あまり慣れたくはない祐一だった。

 

 シャリシャリと音を立てて足元の雪が沈み込む。

「足跡♪ 足跡♪」

 なにが楽しいのか真琴は、雪の上に足跡をつけながら、無邪気な笑顔を浮かべている。その隣ではあゆも一緒になって足跡をつけており、寒さの中にほほえましい光景が広げられていた。

「あ、そうだ。祐一〜」

「ん〜?」

 あまりにも寒いので身体を動かしたくはないのだが、祐一は少しだけ顔をあげて先を歩いている真琴を見る。

「帰ったらさ、かまくら作ろうよ。かまくら」

 こ〜んなの、と真琴は両手を大きく広げた。

「そんなの作ってどうするんだ?」

「中でお餅焼くの」

「台所で焼けっ!」

「どうしてよぅ。かまくらで焼いたお持ちは美味しいのよ?」

 真琴の隣ではあゆがうんうんとうなずいており、祐一の隣では名雪も同意するようにうんうんとうなずいている。

「絶対に嫌だ」

「残念だったね、真琴」

「あう〜……」

 名雪の言葉に、心底残念そうに息を吐く真琴であった。

 

 雪の街を、白い息を弾ませながら学校への道を行く。もっとも、あゆが言うにはこうして歩いて学校に行くのはかなり珍しい事らしく、普段は名雪と一緒に走っているか、先に一人で行っているからしい。

 今日は祐一と真琴が転校初日であるため、学校への道案内もかねているのだそうだ。

 不意に特徴的な形の屋根が、祐一の視界に飛び込んでくる。丁度そんなときだった。

「おっはよ〜、な〜ゆ〜っ!」

「わみゃぁっ!」

 突然名雪の背中に一人の少女が抱きついた。

「なゆだ、なゆ。ひっさしぶり〜」

 その少女は名雪より少し背が高く、やや小さめの顔に大きめの瞳が印象的だった。見た目は割と美人だし、均整の取れたプロポーションは道行く男の目を引く事だろう。ただ、言動がやや幼いせいか、綺麗と言うよりは可愛い系の女の子だった。

「あ……」

 その声に気がついたのか、あゆがパタパタと走りよってきた。

「舞さん、おはようございます」

「うん、あゆもおはよう」

 にこやかに挨拶をするところからして、おそらくは顔見知りなのだろう。舞と呼ばれた少女の長い黒髪を後ろで束ねる紫色のリボンが、ペコリとお辞儀をしたときにゆらりと揺れる。

「ん〜、それにしても意外ね」

 名雪に抱きついたまま、舞はじっと祐一を見る。

「なゆが男の子と一緒にいるなんて。彼氏?」

「わっ、違うよ。わたしのいとこの男の子だよ」

 それを聞いて舞はうんうんとうなずくと、名雪からはなれて祐一のそばに近寄り、少し身をかがめるような感じで顔を覗き込んだ。

「ねえ、あたしの事憶えてる?」

「えっ?」

 突然の言葉に祐一の思考が真っ白になる。言われてみれば確かにどこかで会ったような気もするが、少なくとも祐一の記憶に舞という少女の名前はない。

 しばらく祐一が固まっていると、舞は悪戯が成功したかのように微笑んだ。

「まあ、憶えていないのも無理ないわよ。だってあの時はお互い自己紹介だってしてないし……」

 不意に舞は祐一から視線をそらすと、遠くの彼方を見上げるようにして口を開いた。

「十年位前、麦畑で会った女の子……」

「あ……」

 ようやっと祐一も合点がいった。確かに会った事があるわけだが、一緒に遊んだのは短い間だったし、あれから会う事もなかったのですっかり忘れてしまっていた。

「それじゃ、改めまして。あたしは川澄舞。まいちゃんって呼んでもいいわよ?」

 流石にそれは勘弁したい祐一。

「俺は相沢祐一。俺の事は好きに呼んでくれてかまわないから。それでこっちが妹の真琴」

「じゃあ、祐君とまこちゃんね」

 にっこり微笑んで舞はそう言った。

「……いや、流石にそれはちょっと」

「む〜、お姉さんの言う事が聞けないわけ?」

 ぷっくりとほっぺたを膨らませて舞はそう言うが、どうも子供っぽい言動のせいか祐一にはそうは見えなかった。だが、舞の着ている制服は名雪が着ているものとはケープとリボンの色が違う。名雪が赤、あゆと真琴が緑。そして、舞が青である。あゆは名雪より一学年下だというから、舞は一学年上だという事だ。

「じゃあ、よろしくね。祐君、まこちゃん」

 そう言って微笑む舞の笑顔に、抗う術を持たない祐一達であった。

 

「舞〜っ!」

 そんな事をしていると、後ろのほうからパタパタと一組の男女が駆け寄ってくる。

「もう、突然走り出すからびっくりしちゃったじゃないですか〜」

 はあふう、と胸に手を当てて息を整えながらも、少女は妙にのんびりとした口調で話しかけてきた。その隣では学生服を着た少年が、同じようにして息を整えている。

「ごっめ〜ん、佐祐理」

 そう言って軽く手を振る舞。屈託のないその笑顔には特に悪びれた様子もなく、つい許してしまいそうだった。

「それで、えっと……」

 佐祐理、と呼ばれた少女は、おずおずといった感じで祐一の方を見た。

「あの……お友達ですか? 舞の……」

「彼氏だ。全校生徒公認のな」

 祐一は思いっきり威張って言った。

「ふぇ〜」

 その言葉に佐祐理は大きく目を見開いたが、その隣にいる少年は怒りに満ちた瞳で祐一をにらみつけた。祐一はちらちらと舞の様子を窺うが、当の本人は特に気にした様子もなく静かに微笑んでいる。

 ふと見ると名雪も驚愕に目を見開いており、あゆも呆然と立ち尽くしている。ただ一人状況が飲み込めていないのか、真琴だけが小首を傾けていた。

「こらっ! 否定しないから信じてるじゃないか」

「別にあたしに否定する理由はないし……」

 天晴れなくらいの即答振りに、祐一は思わず頭を抱えた。結局祐一の冗談である事がわかり、あたりに高まっていた緊張感が薄らいでいく。

「それで、どういったお知り合いなんでしょうか?」

 不意に佐祐理はきらきらとした視線を祐一に向けた。祐一はこれまでの成り行きで気がつかなかったが、この佐祐理という少女はかなりの美少女だった。顔立ちがやや幼めであるので美人というよりはかわいいという感じだが、全身から他の少女とは違う気品があふれ出ていた。

「佐祐理も知ってるでしょ? なゆのいとこの相沢祐一」

 舞からそれを聞いて、佐祐理は改めて祐一に微笑みかけた。

「はじめまして、倉田佐祐理です」

「あ、はい。相沢祐一です。それでこっちが妹の……」

「あう〜、相沢真琴……」

 先程から立て続けに初対面の人に会っているせいか、真琴は祐一の背中に半分隠れるようにして自己紹介をした。元々真琴は人見知りが激しいせいか、こうして初対面の人と話をするのが苦手なのだ。しかし、一度打ち解けた人には生来の人懐こさを発揮し、甘えん坊なところを見せる事もあるのだが。

「お前が相沢祐一かっ!」

 そんな時、突然少年が大声を上げた。

「そうだけど、君は?」

「ていっ!」

 それには答えずに、少年は思いっきり祐一のむこうずねを蹴り飛ばした。

「……渡さないからな……」

 痛みにうずくまる祐一を見下すように、少年は言葉を吐き棄てるように口を開いた。

「お前なんかに、なゆ姉ちゃんも舞姉ちゃんも渡すもんかっ!」

「あ、こらっ! 一弥っ!」

 佐祐理の制止を振り切って、一弥と呼ばれた少年は雪道を走り去っていく。

「弟がすみません。祐一さん、お怪我はありませんか?」

 本当に申し訳なさそうに佐祐理が何度も頭を下げるたび、頭の後ろで髪を止めているチェック柄のリボンがゆれる。あまりにも一生懸命に佐祐理が謝るので、祐一は気にしてませんから、とそれを片手で制した。

「なんなんだ? あいつは……」

 その祐一の呟きに、名雪と舞は困ったように顔を見合わせるのだった。

 

 校門前

 

「ここが今日から祐一と真琴が通う、わたし達の学校だよ」

 校門の前で名雪は校舎に背を向け、わざわざガイドのように片手をあげて紹介した。

「……随分大きな学校だな……」

「中高一貫教育だからね」

「それに大学も併設されてますから」

 祐一の率直な感想に、舞と佐祐理が簡潔に答える。聞くところによると、二人はこの春から大学のほうに進学するのだそうだ。

「おっはよ、名雪」

 すると、高く上げられて名雪の手を後ろから誰かが軽く叩いた。

「あ、おはよう。香里〜」

「香里さんおはよう」

 名雪達とは知り合いなのか、香里と呼ばれた赤いリボンの制服を着た少女はにこやかに挨拶をかわす。

「ひさしぶりね〜、元気だった?」

 そう言って少女は屈託なく笑い、名雪の背中に抱きついた。よく名雪は抱きつかれるな、と祐一は思う、もっとも、これは後で聞いた話だが、名雪はかなり抱き心地がいいらしい。

 実際名雪もあまり困った様子も見せない事から、これが彼女達のコミュニケーションのとり方なのだろう。えてして女性はこうしたスキンシップを好むものだし。

「相変わらず眠そうな顔してるわねぇ、名雪は」

「わたしは昔からこんな顔だよ……」

 それに同意するように、舞がうんうんとうなずいていた。

「それにひさしぶりって、一昨日も電話したよ?」

「直接会うのはひさしぶりって事よ」

「確かその前は一緒に映画を見に行ったよ?」

「三日会わなかったら充分にひさしぶりよ」

 それに同意するようにうんうんとうなずく舞。それを聞きながら祐一は、内心そうかな、と思っていた。

「そういえば、さっきから気になっていたんだけど……」

 そう言って香里は祐一に視線を向けた。

「誰? この人」

「わたしのいとこの男の子だよ」

「ああ、電話で言ってた人ね」

 納得したようにうんうんとうなずく香里。

「はじめまして、美坂香里です。香里でいいわよ」

「俺は相沢祐一。こっちが妹の真琴、俺の事は祐一でいいぞ」

「あたしは遠慮しておくわ、相沢くんに真琴ちゃん」

 軽く会釈して自己紹介をした後香里は、屈託のない微笑を浮かべた。

「わたしと香里は一緒のクラスなんだよ。祐一も一緒のクラスになれると良いね」

「ああ、そうだな」

「うんっ!」

 嬉しそうに名雪がうなずくと、同時にチャイムの音が鳴り響いた。

「走ったほうがいいわね、石橋とどっちが速いか勝負」

 八時半の担任との攻防は、どこの学校でも同じらしい、見ると舞と佐祐理も校舎に向かって走り出していた。

「祐一はどうするの?」

「俺はとりあえず職員室に行ってみるつもりだ」

 校舎に消えていく背中に向かい、祐一はそう答えた。

「あう〜」

 不意に制服を引っ張られたので祐一がその方向を見ると、真琴が不安げな瞳で見つめていた。

「職員室って、どこ?」

「あ……」

 あわててあたりを見渡してみるが、すでに人っ子一人いなかった。校門付近で呆然と立ち尽くす二人の間を、冷たい風が静かに吹き抜けていった。

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