第六話 転校初日3

 

 四階廊下

 

「あう〜……」

 目の前を歩く担任教師に連れられ、真琴は転入する教室に向かう途上で低く呻いた。

 幼いころから両親の都合で転校が多く、こうした事には慣れているのだが、人見知りが激しいという生来の気質はなかなか改善できる事ではなかった。

 どんな人達が居るんだろう、ちゃんとお友達は出来るかな、そんな思いばかりが頭の中をぐるぐる回る。

 そんな真琴の様子に、先を歩く担任教師の沢渡先生は軽く笑みを浮かべた。

「緊張してるの?」

「あう?」

 優しく響く声に顔をあげると、今日はじめて会ったばかりの沢渡先生が心配そうに見つめていた。体育を担当しているせいか上下がジャージ姿といういでたちではあったが、その瞳には優しさが満ちており、なんとなく真琴が大好きな名雪を思わせる雰囲気に、小さくうなずいた。

「それにしても、随分ひさしぶりよね……」

 明るい微笑といっしょにポツリと出たその言葉に、真琴は首を傾けた。

「あの時あんな小っちゃい子供だったのが、こんな立派なレディになってるなんてね」

 そこで真琴は思いをめぐらせた。紹介されたときに、確か担任教師が沢渡真琴と名乗ってた事を思い出したのだ。

「もしかして……まこお姉ちゃん……?」

 真琴と同じ明るいキツネ色の髪に、見覚えのある笑顔。優しくうなずく沢渡先生の姿と、真琴の思い出の中にある笑顔とが一致した。

「まこお姉ちゃん!」

 叫びながら胸に飛び込んでくる真琴を、沢渡は優しく受け止めた。

「まこお姉ちゃんが学校の先生をしてたの?」

「まさかまこちゃんとこんな形で会えるなんてね。祐坊は元気?」

「元気元気、うわぁ〜」

 久方ぶりの再会を喜ぶ姿は、まるで仲のよい姉妹のようだ。なにしろ真琴は、沢渡先生の事を実の姉のように慕っていたからだ。同じ名前という親近感もあり、昔は家が隣同士だった事もあって、家族ぐるみでお付き合いをしていたのだ。

 そのせいか引越しをすることになったときには、真琴が大泣きをしたものだった。

 それが今、こんな形で再び逢う事になるなんて、神様の粋な計らいに真琴は沢渡先生に思いっきり抱きつく事で感謝した。

「ウチのクラスはいい子がそろってるから、まこちゃんならすぐにみんなと仲良くなれるよ」

「うん、真琴がんばるね」

 そう言って微笑む真琴の顔からは、先程までの不安が綺麗さっぱり消え去っていた。

 

 高等部 一年の教室

 

 この日は講堂で始業式があるだけだったので、教室内は帰りのHRを待ちわびる生徒達の喧騒で満ちていた。

「は〜い、みんな席について〜。帰りのHRはじめるわよ〜」

 はいってきた担任教師の姿に、みんなばたばたと席に着く。

「今日は、みんなに新しいお友達を紹介するわね」

 沢渡先生の言葉に、教室内にざわめきが広がっていく。

「男子のみんな、喜んで。可愛い女の子よ」

 爆弾発言に、教室内のざわめきが最大限に高まった。

「相沢真琴さん、入ってきて」

 沢渡先生に名前を呼ばれ、真琴はギクシャクとした様子で教室に入ってきた。恐ろしく緊張しているせいか、右手と右足が同時に出てしまっている。それでもなんとか教壇の前に立つと、恐る恐る教室内を見回した。

 クラス中の誰もが自分に注目しているのが全身でわかる。これだから転校なんてしたくないのよぅ、とは思うが、こうなってしまったものはどうしようもない。

 誰も知ってる人のいない教室。そのはずなのだが、真琴はびっくりしたような顔で小さく手を振っているあゆと目があった。

「はい、自己紹介して」

「相沢真琴です」

 まこお姉ちゃんとあゆの姿に安心したためか、真琴は満面の笑顔で自己紹介をはじめた。

「まだこっちに来て日が浅いのでわからない事だらけなので、色々教えてください。よろしくお願いします」

 真琴がペコリとお辞儀をすると、教室内から割れんばかりの拍手が巻き起こった。よく見ると男子生徒はスタンディングオベーションで真琴を歓迎しているようだ。

「はい、静かにして。それじゃあ、相沢さんはあそこの空いている席に座ってくれる?」

 沢渡先生が指示した席は、あゆの一つ前という場所だった。

「よかったね、真琴ちゃん」

 真琴が席につくと、あゆがにこやかに話しかけてきた。それに対して真琴もにっこり微笑む事で答える。

 誰も知り合いがいない教室よりも、一人でも知ってる人がいると心強いものだ。

 そしてHRも終了し、放課後となった。

 

 放課後の教室 二年生

 

「普通の自己紹介だったわね」

 祐一の右斜め後ろの席に座っている香里が、少しだけ不満そうな顔で話しかけてきた。その瞳からはなにかを期待するような輝きがあるように感じたが、困った事に祐一は普通でない自己紹介とやらには縁がないのだ。

 無難に自己紹介を済ませ、担任教師に指示された席は窓際の列。しかも名雪の隣で香里の斜め前という立地条件だった。

「まさか本当に同じクラスになるなんてな」

「わたしもびっくりしたよ〜」

 いつの間にか祐一の席のまわりには、名雪と香里が集まっていた。他のクラスメート達は明らかに不思議そうな視線で祐一達を眺めている。

「でも、良かったね祐一」

「なにが良かったんだよ」

 祐一が少しぶっきらぼうに聞くと、名雪は少しだけ頬を膨らませた。

「一緒のクラスになれて良かったね、だよ」

 名雪が怒ってもあまり怖いという感じはなく、むしろ可愛いという感じだ。

「祐一は、一緒のクラスになれて嬉しくなかったの?」

「そんな事はないぞ。本当は今にも踊りだしそうなくらい嬉しいんだ」

「よくわからないけど。うん、よかったよ」

 そう言って名雪は笑顔をのぞかせる。それにつられて祐一も笑顔を見せた。

「やっぱり、仲がいいわね」

 それを見た香里が、呆れたように口を挟む。

「そんな事はないぞ、香里。こう見えても顔をあわせるたびに生傷が絶えないんだ」

「ええっ? そうなの、祐一」

 心配そうに名雪が聞き返してきた。祐一としては冗談のつもりだったのだが、まさか名雪が本気にするとは思っても見なかった。

「やっぱり仲いいじゃない」

 楽しそうに微笑みながら香里はかばんを持った。よく見るとすでに放課後であるため、ひとり、また一人とクラスメートが教室から出て行くところだ。

「それじゃ、あたしは先に帰るわね」

「香里、今日も部活?」

「ううん。部室にはよるけど、今日はそのまま帰るわ」

「わたしは今日も部活だよ」

「部長さんは大変ねー」

「でも、走るの好きだから」

「好きだからって、なにも部長まで引き受けなくてもいいのに」

「でも、やっぱり走るの好きだから」

「まぁ、名雪の勝手だけどね」

 二人の会話が横に3メートルくらい離れているように感じる祐一ではあるが、それについていけてる香里は大したものだとおもった。

 祐一は香里とは面識がないものの、名雪とは性格が正反対のような気がした。だけどこの二人を見ていると、本当に仲の良い親友同士である事が良くわかる。

 その後軽く挨拶をかわして香里は他のクラスメートに混じって教室を出て行き、後には祐一と名雪が残された。

「あ、わたしもそろそろ部活にいかないと」

「それじゃあ、俺も帰るか」

「わたしは部活があるから一緒に帰れないけど……」

 人気もまばらになった教室で、名雪は心配そうに声を落とした。

「祐一、一人で帰れる?」

「朝通った道を逆に辿ればいいだけだろ? それくらい余裕だ」

「うん、そうだよね」

 口ではそういうものの、名雪はまだまだ心配そうだ。

「昇降口までなら送っていくけど?」

「いや、大丈夫だ」

 名雪の心配はわかるが、流石にそれはちょっと恥ずかしい。いくら広い学校だといっても、まさか昇降口に行くくらいで迷ったりはしないだろう。祐一が一人で大丈夫だというので、名雪は心配そうにしつつも教室を後にした。

 そうして祐一が教室を出ようとしたとき、不意に刺すような視線を感じたのだった。

 

 放課後 校舎裏

 

「迷った……」

 一人で教室を出て、どことも知れない廊下をふらふらと歩く。そうしてさまよっているうちに、昇降口につくはずだったのだが。

 ふと気がつくと祐一は、校舎裏で迷子になっていた。

 一応出口らしきところがあったのであけてみたが、結局知らない場所であった。見上げる先には校舎がそびえており、目の前には閑散としたスペースが広がっていた。今は雪に埋もれてしまってみる影もないが、一応ベンチなどの設備が整っており、時期が時期なら数多くの生徒達でにぎわいそうな場所だった。

 祐一は深くため息をつくと、上履きの泥を落として校舎に戻った。

「相沢くん?」

「振り向くと、そこには美坂香里がたっていた」

「なに状況説明してんのよ?」

 祐一が振り向いた先では、香里が呆れ顔で立っていた。先に教室を出たはずだが、祐一が校舎をうろうろしていたせいで、こんな時間に鉢合わせたのだろう。

「どう? そろそろ新しい学校にも慣れた?」

「慣れるわけないだろ。今日が初日なんだから」

 転校初日でいきなりなじんでいたら、それはそれで嫌なものだ。

「でも、良かったじゃない。クラスに知ってる人がいて」

「そうだな……」

 確かに誰一人として知り合いのいない教室よりも、誰か一人でも知っている人がいるほうがましだ。そのおかげで、転校初日からこうして声をかけてもらえるのだから。

 そのあたりでは名雪に感謝するべきだと祐一は思う。

 しかし、名雪の家に居候している事は黙っておいたほうがよさそうだとも思う。変に誤解されて妙な噂にでもなったりしたら……。

 いつまで隠し通せるかはわからないが、当分の間は秘密にしておこうと、祐一は心に誓った。

「そういえば、相沢くんって名雪の家に住んでるんでしょ?」

「ぐあ、いきなりばれてやがる」

 三秒しかもたない秘密であった。

「だって、名雪が言ってたもの」

 普通こういう事は隠すもんだろう、と祐一は頭を抱えた。

「香里、頼みがある……」

「なに? 食べ物なら持ってないわよ?」

「いきなり食い物の催促をするか。それよりも今の事はクラスのやつには黙っててほしいんだが」

「今の事って、相沢くんが名雪の家に住んでるって事?」

 軽くうなずく祐一を、香里はなぜだかとても優しい瞳で見つめるのだった。

「みんな知ってるわよ。だって朝名雪がみんなの前で言ってたから」

 多分に不可抗力としての要素があるのだが、もうすでに秘密は秘密でなくなっていた。

「俺、明日から学校休む……」

「いきなり登校拒否は良くないわよ」

 実はクラス委員の香里であった。それはそれとして祐一は名雪がなにを考えているんだろうかと思いはしたが、やっぱりなにも考えてないんだろうな、と思い、香里と並んで廊下を歩きながら、どこまでも深く長いため息を吐きだすのだった。

「ここが昇降口よ、相沢くん」

「知ってる」

 まるでガイドのように片手を挙げて昇降口を紹介する香里に、憮然とした様子で応じる祐一。

「知ってるわりには校舎裏で思いっきり途方にくれてたじゃない」

 香里の冷静な突っ込みに、祐一は二の句が告げなくなる。

「不審な行動取ってるから、てっきり密命を帯びてどこかの特殊機関から派遣されてきた秘密工作員かと思ったわよ」

「俺は普通の高校生だ」

「ちょっと残念」

 本当に残念そうな笑顔で、香里は靴を履き替えた。その隣で祐一も靴を履き替えるが、朝の雪で靴がぐっしょりと湿っていた。つくづく以前とは違う光景に、思わず祐一の口からため息が漏れる。

 ふと気がつくと、香里が微笑みながら見つめていた。

「……なんだよ」

「相沢くんって、名雪に聞いてたのと一緒だなって思って」

「名雪のやつ、俺の事なんだって言ってた?」

「不思議な人だって言ってた」

 そう言いながら、香里は祐一の横にすっと並ぶ。

「どこが?」

「そういうところが」

 なんだか妙に楽しそうに香里は言葉を続けた。

「今日の名雪、嬉しそうだったね」

「そうか? 相変わらずのほほんとしてたみたいだったが」

「あのときの名雪、あたしが今まで見た中で一番嬉しそうだったけどな」

「あのときって?」

「相沢くんがはじめて教室に入ってきたとき」

「……気のせいだよ」

 それだけ答えて、祐一は視線を上に向ける。重く曇った灰色の空からは、いつの間にか雪がゆっくりと落ちてきていた。

「降ってきたわね……」

 同じように空を見上げた香里が呟く。

「これぐらいならすぐにやむわよ?」

「俺やっぱり故郷に帰るわ」

「あきらめなさいって」

 香里が苦笑している間に、空には静寂が戻った。今のうちに帰るのが吉だろう。

「今日はこれからどうするの?」

 校門の近くで香里が訊く。

「ちょっと行きたいところがあるんだ」

「怪しいところ?」

「どこだよ、それ」

「駅前のパン屋」

「どのあたりが怪しいんだ?」

「賞味期限がサインペンで消してあるのよ」

 確かにそれはそれで怪しい。

「今度買ってくるから、食べる?」

「食べるかっ!」

「名雪は気にしないで食べるけどね」

 本当に楽しそうに香里は微笑んでいる。

「じゃあ、また明日ね」

 元気よく言って香里は走り出した。その後姿を眺めつつ、祐一も背を向けて歩き出す。

「待ってたぜ、相沢……」

「振り向くと、そこにはガラの悪い男子生徒が立っていた」

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