第七話 転校初日4
放課後 四階教室
「あう〜、疲れた〜」
「ご苦労様」
転校生の宿命ともいえる質問攻めも一段落つき、ほっと息を吐く真琴をねぎらうあゆ。
「今日はHRだけだから、もう帰れるよ」
教室を見回してみると、どうやら残っているのはあゆと真琴の二人だけのようだ。
「帰りに商店街に寄っていこうよ。色々案内してあげる」
「うん」
「そういえば、あゆは部活とかしてないの? なゆ姉ちゃんは陸上部って言ってたけど」
「ボクはそういうのじゃなくて、文化系のクラブなんだよ」
「ぶんかけい?」
「うん、料理クラブ。お菓子とか作ったりするんだよ」
お菓子、と聞いて、真琴の目がうわぁ、と見開かれる。
「今度よかったら見学においでよ。真琴ちゃんなら大歓迎だよ」
二人で廊下を歩きながら他愛のない話に花を咲かせていると、ふと窓の外を見た真琴が小さく声を上げた。
「どうしたの?」
「あれ」
真琴が指差す先には、複数の男子生徒に取り囲まれた一人の生徒が見える。しかもその男子生徒は、あゆの良く知ってる人物だった。
「あれ、祐一だよね……」
「うん……」
遠くてよくわからないが、確かに祐一に見える。
「あゆ、早く。祐一を助けないと」
「ちょっと待ってよ」
真琴にぐいぐいと引っ張られながらも、あゆは冷静に状況を見ていた。
祐一が絡まれている場所は中庭。ここからあそこにいく最短のコースは。
「真琴ちゃん、こっちっ!」
「えっ!」
突然反対方向に引っ張られ、目を丸くする真琴。
「早くっ! 急いでっ!」
「あう〜」
いつの間にか、立場が逆転している二人であった。
放課後 中庭
「ぐっ……」
あご先への一撃を受け、脳震盪を起こした男子生徒が雪に閉ざされた大地の上に倒れる。そのまわりには、すでにもう何人もの男子生徒が倒されていた。
「なんだこいつ……強いぞ……」
数を頼りにしていたのか、残った男子生徒はほぼ完全に逃げ腰になっている。
「こういう表現もなんだがな……」
また一人、襲いかかってきた男子生徒の鳩尾にひざを叩き込み、祐一は不敵に笑う。
「こっちは転校するたびに、儀式のように絡まれてるんだよ」
目つきがどうの、顔つきがどうのと。そんなわけで祐一は、相当場慣れしているのだった。
「さて……どれぐらい手加減すれば、正当防衛になるんだっけか?」
「どうする? 斉藤……」
「馬鹿、ここまで来て引けるかよ」
祐一から発せられるプレッシャーに、圧倒されつつも気丈に口を開く斉藤。
「いくぞっ! 俺に続けっ!」
斉藤を先頭に、残った男子生徒達が一斉に襲いかかってくる、だが、連携の取れない散発的な攻撃は、祐一にとっては格好の的だ。
鳩尾にひざを叩き込み、拳で鼻をつぶし、あご先をかすめる掌底で頭を大きく振らせて脳震盪を引き起こす。祐一がしているのはたったこれだけだが、ケンカ慣れしていない連中にはこれでも充分な脅威だろう。
「くそぅ……」
祐一の掌底をあご先にくらい、無様に倒れていた斉藤が、軽く頭を振りながらもなんとか立ち上がる。
「てめぇがいけないんだからな……」
見るとその手には、中くらいの折りたたみ式ナイフが握られていた。
「覚悟しやがれっ!」
昇降口
「あゆ、急いでっ!」
「ちょ……ちょっと待ってよ」
みんなこの広すぎる校舎がいけないんだ、とあゆは息も絶え絶えになりながら呟いた。元々あゆは、あまり体力に自信があるというわけではない。そのせいか、いつの間にか真琴と立場が逆転しているあゆであった。
「あれ?」
「どうか〜しましたか〜」
不意に声を上げた一弥に、麻里華が恐ろしくスローモーなテンポで反応する。その糸のようになった眠そうな目で、まわりが見えているのが不思議なくらいだ。
「月宮先輩と……誰でしょうか?」
一緒にいた瞳が呟くような声を出す。あゆとは面識がある瞳ではあるが、一緒にいる少女は見た記憶がない。
だが、一弥にはあゆと一緒にいる少女に見覚えがある。確か登校途中であった、相沢祐一と一緒にいた女の子だ。
(あいつは確か、あの相沢祐一の妹で、真琴とか言ってたよな)
祐一の名前を思い出し、内心舌打ちする一弥。だが、こうしてみていると、どうやら真琴は困っている様子であゆをせかしている。
「なにかあったんでしょうか?」
幼そうな外見なれど、その実しっかりしているのあゆがあそこまであわてているのは、瞳にとっては珍しい事だ。
「事件〜ですね〜」
口調はスローモーなれど、麻里華はなんとなく楽しそうだ。
「ったく、しょうがねぇな……」
口ではそういいつつも、一弥も気になって仕方がない。結局、野次馬根性に抗えるはずもなかったのだ。
「もうっ! 中庭はどこなのよぅっ!」
祐一の事も心配だが、あゆの事も心配だ。とりあえず真琴は、無意味に広い校舎に八つ当たりする事で怒りの矛先をそらした。
「うぐぅ〜……」
大きく肩で息をしながら、あゆは小さく呻いた。あの事故の後あゆはしばらく昏睡状態に陥っていたせいか、相当な筋力の低下を引き起こしていたのだ。現在ではある程度まで回復し、日常生活に支障はほとんどないが、基本的な発育不良に伴う体力不足はどうしようもなかった。
「あゆ姉っ!」
そんな時、学生服の少年が駆けてきた。その後ろにはセーラー服を着た二人の少女が続いている。
「大丈夫か? あゆ姉っ!」
一弥はきっ、と真琴をにらみつけた。
「あゆ姉は医者から激しい運動を禁止されているんだぞ、それを……」
「し、知らなかったのよぅ……」
だが、そんな一弥を、あゆはその小さな手でやんわりと宥めた。
「真琴ちゃんは悪くないよ……。それより一弥くん、大変なんだよ」
あゆは事情をかいつまんで話した。
「なんだって?」
今中庭で、祐一が複数の男子生徒に取り囲まれているという。ただ事でない事態に一弥の背筋に戦慄が走る。
とはいえ、こんな状態のあゆを放っておくわけにもいかない。実際真琴も祐一の事が心配だが、それ以上にあゆの事が心配なので身動きが取れなくなってしまっているのだ。
「あゆさんの事は、私達に任せて」
「そうです〜、一弥君は〜中庭に行ってください〜」
二人に軽くうなずくと、一弥は中庭に向かって走り出した。
「真琴も行くわよぅ」
そして、その後には真琴も続く。
「祐一、無事でいなさいよ……」
一弥も結構足が速いほうだが、真琴はそれに平気でついていっていた。今まで女子で、自分の足についてこれるのは舞か名雪くらいだと一弥は思っていたのだが、どうやら思っていた以上に世界は広いようだ。
二人は言葉も交わさぬまま、中庭への道をひた走るのだった。
中庭
一弥と真琴が中庭についたとき、丁度ナイフを持った斉藤と祐一が対峙しているところだった。
「ゆうい……」
声をかけようとした真琴の口を、一弥はあわてて塞ぐ。抗議をしようとする真琴ではあるが、一弥の真剣な目に気おされ、黙って行く末を見守る事にした。
それにしても、と一弥はふと思う。
相手がナイフを持っているというのに、祐一にはまるで動じた様子がない。どちらかといえば、ナイフを持つ手が震えている分、斉藤のほうが不利に思えた。むしろこういう状況下で下手に相手を刺激してしまえば、最悪の事態にもなりかねない。先程、一弥が真琴を止めたのはそのためだ。
二人の足元には男子生徒達が転がり、呻いている。その数は十何人かいるようにも見えるが、あれを全部祐一一人で倒したとでも言うのだろうか。
一応、一弥は格闘技の経験があり、有段者でもある。その一弥が似たような状況にあったとしても、ここまで鮮やかに対処できるかも怪しいし、そもそも手加減できるかどうかさえもわからない。
この対決に二人が見入っているうちに瞳と麻里華に連れられて、追いついてきたあゆが、うぐぅ、と息を呑む。恐ろしく張り詰めた緊迫感に、胸の鼓動が激しくなる。
一方、斉藤は祐一がナイフを見てもまったく動じていないために、内心の動揺が隠し切れなかった。その斉藤のあせりは腕を通じてナイフに伝わり、小刻みに震える事で手に取るようにわかる。
(度胸ねぇな、こいつ……)
光りもん抜きゃびびるとか思ってたんだろう。だが、祐一にとっては予想の範囲内だ。その証拠に斉藤は、抜いたはいいがそれ以上一歩も動けないでいる。
結局、この勝負はナイフを抜いた時点で、斉藤の負けなのだ。
「どうした? かかってこないのか?」
祐一の声に、斉藤の顔はかわいそうなくらいに真っ青になる。
「くそっ! 死ねえっ!」
ナイフを振りかざし、突進してくる斉藤。その後に続くであろう光景に、その場にいた女の子全員が目を閉じる。
「馬鹿……」
一言呟いて素早く斉藤の内懐に飛び込んだ祐一は、間髪いれずに左の掌低であご先を突き上げた。
「ぐぅ……」
カウンター気味に激しく頭を揺さぶられ、白目をむいて悶絶する斉藤。雪の上に大の字になって倒れ、手からナイフが転げ落ちる。
勝敗は決した。
(強い……)
ほとんど一瞬のうちに斉藤を倒してしまった祐一の実力に、思わず一弥は目を見張った。
とはいえ、斉藤の目と腰つきを見れば、まるで度胸が据わっていない事がよくわかる。こういうときは下手に刺激すると逆上してナイフを振り回したりするため、かえって危なくなってしまうのだが、祐一は逆に挑発する事で相手を逆上させ、その上で冷静に対処した。
祐一にしてみればいつもの事だし、手馴れたものであるのだが、一方の一弥にしてみれば、こうまで冷静に対処できるかどうかの自信がない。
「くっ、新手か?」
「一弥がいるぞ」
「久瀬の妹もいやがる」
「逃げるぞ」
一弥達に気がついた男子生徒達は気絶した仲間を連れ、一目散に逃げ出した。それを見て真琴達は祐一に駆け寄ってくる。
「祐一〜っ!」
真っ先に駆けつけてきたのは、真琴だった。
「祐一、大丈夫? 怪我はない?」
「ああ、大丈夫だ。安心しろ」
ほい、と力こぶを作って見せると、真琴は安心したのか笑顔を見せる。
「祐一くんって、強いんだね。ボク、びっくりしちゃったよ」
そう言ってあゆが無邪気な笑顔を見せるのだが、すぐとなりにいる一弥はまるで睨みつけるかのように祐一を見つめていた。
「お前達がきてくれて助かったよ。ほんとに」
祐一はわざとおどけて見せるのだが、一弥の視線は消えない。と、いうよりも、先程まで立ち回りを演じていた男と、同一人物であるとは思えないほどの豹変振りに戸惑っている様子だ。
「あの〜」
そんななか、恐ろしくスローモーな声が響く。それはさらさらロングのストレートヘアを、白いリボンで一くくりにした長身の少女、五十嵐麻里華の声だった。
「お強いんですね〜」
「あ? ああ……」
ずずい、と詰め寄ってくるような麻里華のしぐさに、祐一は気おされるように一歩引いた。
「お兄様と〜お呼びしても〜、よろしいでしょうか〜?」
麻里華は両手をかわいらしく組み、見上げるような視線を祐一に送る。よく見ると、普段は糸のようになっている目が、ハートマークになっているようだ。
そんな麻里華のまっすぐな告白に、祐一はただ乾いた笑いを浮かべるしか出来なかった。
遊歩道
中庭での攻防戦の後一弥達と別れた祐一は、あゆの案内で商店街の散策をしていた。幼いころにも何度か訪れた事があるようなそんな風景。
そんな中に身を置いていると、懐かしいあのころの気持ちが蘇ってくるようだった。
(そういや昔、名雪と一緒に雪だるまとかかまくらとか色々作ったよな……)
あのころは雪が珍しくて、雪を使った遊びはほとんどやりつくしたような気もする。以前にも家中を雪だるまだらけにしてしまい、秋子さんに怒られてしまったのも今ではいい思い出だ。
日が沈むにはまだ時間があるものの、それほど余裕があるわけでもない微妙なとき。祐一達はうっそうと木が生い茂る遊歩道に来ていた。
人気がなく、なんとなく寂しい感じのする通り道。随分とへんぴなところだった。
見上げると木に積もった雪が陽光に照らされ、見慣れない不思議な光景を形作っている。
「そういえばおなかすいたね」
少しだけ感慨深くなっていた祐一の気持ちを、突然あゆが現実に引き戻す。大事そうに抱えていた紙袋を開くと、中からふわりといい香りが広がってくる。
「真琴ちゃんにもあげるね。はい、たい焼き」
「ありがとう、あゆ」
もはや二人の目にはたい焼きしか映っていないようだ。
「やっぱりたい焼きは焼きたてに限るね」
「うん」
さっきまで祐一と一緒になって幻想的な風景を見ていたとは思えない。やはりこいつらは色気よりも食い気なんだろうな、と思うと祐一は内心ため息をついた。
とはいえ、本当に美味しそうにたい焼きをほおばっている二人に姿を見ていると、不思議と祐一も幸せな気分になってくる。
「うぐ、うぐ」
「あむ、あむ」
不意に視線に気がついたのか、にっこりとあゆは祐一に微笑みかける。
「祐一くんにもあげるね、はい」
「いや、いいって」
「遠慮する事なんてないのに」
「別に遠慮しているわけじゃなくて」
あゆは笑顔で祐一に、ほっこりと湯気の立つたい焼きを差し出してくる。こうしてすぐそばに来ると、驚くほどあゆの体が小さい事に気がつく。祐一は思わずあゆの頭をぽんと撫でてしまった。
「うぐぅ、くすぐったいよう」
ちょっと顔を赤らめながら、体をもじもじとさせるあゆ。
「いいから早く食べろ。暗くなる前に帰るぞ」
「うん」
「わかったぁ」
二人ともはぐはぐとたい焼きを食べながら、うんうんとうなずいている。特に真琴は涙目になって美味しいたい焼きに感動しており、祐一の話を聞いている様子がない。結局、祐一とあゆが二匹、真琴が三匹のたい焼きをおなかに収めた。
「さて、いい加減に帰らないと日が暮れるぞ」
「そうだね」
「うん」
三人はそれぞれに並んで家路に着く。夕焼けの赤い光に照らされた影が長く伸びる。
「それにしても祐一くん、本当に変わってないね。ボクが知ってるころの、変な男の子のままだったし」
「悪かったな」
「あれ? それって」
ぴょこんと小さく跳ねるような感じで、真琴が祐一の顔を覗き込んだ。
「祐一がぜんぜん成長してないって事?」
不意に訪れる沈黙のとき。そんななかであゆは、その小さな肩を小刻みに震わせた。
「こら、真琴〜っ!」
「へへ〜んだ、ここまでおいで〜」
たっ、と真琴が走り出した、丁度そのとき。
「真琴ちゃん、前っ!」
「えっ?」
「きゃっ」
真琴は一人の少女とぶつかってしまう。その子は雪の上でも映えるような白い肌が印象的な、小柄な女の子だった。おそらくは祐一よりも年下で、あゆや真琴と同級といったところだろうか。
その少女は白い衣を纏った地面の上に、微動だにせず座り込んでいる。まるで自分の身になにが起きたのかわからないという様子だ。
転んだ拍子に落としてしまったのか、様々な荷物が雪の上に散乱してしまっている。それらを拾うともせずに少女は、祐一を見上げていた。
「大丈夫か?」
「え……? あ……」
少女は目の前に立つ祐一と、地面に散らばったスナック菓子や文房具、雑誌を交互に視線だけで見る。
「あ……の……」
口を微かに動かすと、少女の口から空気を吐き出すように小さな声が漏れる。声にはなっているのだが、言葉にはなっていない。
「あれ? もしかして、栞ちゃん?」
祐一の後ろから顔を覗かせたあゆが、少女を見て声を上げる。どうやらあゆとは面識があるようなのだが反応が鈍く、脅えているというよりは戸惑っているという感じだ。
「とりあえず、立てるか?」
「あ……はい」
祐一は栞の手を取って立たせてやる。そのときに栞の頬が少し赤くなったような気もしたが、とりあえず無視した。
「祐一〜、真琴は〜?」
「お前は自分で立て」
「どうしてよぅっ!」
「被害者と加害者の差だ」
そんな二人のやり取りを、栞はただ呆然と眺めていた。
「ごめんね、ぶつかっちゃって。真琴ちゃんも悪気はないんだよ」
あゆがフォローを入れてくれるが、やはり栞の反応は鈍い。
「……拾うの、手伝う」
流石に悪いと思ったのか、真琴が地面に散乱した荷物に手を伸ばしたとき。
「あっ!」
栞の鋭い声に、思わず真琴は手を引っ込めてしまう。
「あ、なんでもないです。私、自分で拾いますから」
早口に白い息を吐いて、栞は今思い出したかのように動きはじめた。一つ一つ確認しながら袋にしまい、肩からずり落ちていたストールを羽織りなおす。
「……もうすぐ、日が暮れますね」
大事そうに袋を抱えた栞が、ポツリと呟いた。
「それじゃあ、俺達はそろそろいくけど。怪我とかしてないよな?」
「あ、はい。大丈夫です」
「あう、ごめんなさい……」
しおらしく頭を下げる真琴を、栞は笑顔で許す。その後二言三言言葉を交わした後、祐一たちは栞と別れて家路についた。
「あの……」
背を向けて歩き出した祐一達を、栞は背後から呼び止めた。栞はなにかを言いかけるのだが、うつむいて言葉を飲み込んでしまう。
「じゃあ、本当に帰るから」
「はい、さようなら」
「ばいばい〜」
「またね〜」
それぞれに挨拶をしながら、祐一達は栞と別れる。そんな三人の後姿を、栞は見えなくなるまで目で追っていた。
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