第十一話 放課後の風景

 

 放課後 生徒会室

 

「と、まあ。そういうわけなのよ」

「なるほど」

 舞の話を聞き終えた少年は、かけていた銀縁のメガネを指で押し上げた。彼の名は久瀬武士。この学校の生徒会長を勤める人物である。

「それで? 水瀬さんのほうは?」

「なゆなら大丈夫よ。一応念のために、その日はあたしんとこに泊まったし」

 そこで舞は一息つく。

「……斉藤が教えてくんなかったら、あたしも気がつかなかったけどね」

 実は名雪を襲おうと計画を立てていた斉藤たちであったが、まさか本物が現れるとは思っても見なかったらしい。あまりの出来事のためかすっかり逃げ腰になってしまい、たまたま近くに居合わせた舞に助けを求めたのだ。

「まあ……だからってわけでもないけど……」

「わかってますよ。今回の斉藤君たちの件は不問に付す。ということで……」

 流石に転校生を取り囲んで中庭で暴れたというのは、生徒会側としても放置しておくわけにはいかない問題だ。しかし、話を聞けばどうも嫉妬がらみのようであるし、転校生に返り討ちにあってしまったのではどうしようもないだろう。

 もっとも、一応この件に関しては、昨夜の内に彼の妹である久瀬瞳から大体の事情は聞いているのであったが。

「水瀬さんは今?」

「ん〜、今日は部活が休みだからもう帰ってるんじゃない? 祐君が一緒なら助かるけど」

「祐君? ああ、転校してきた水瀬さんのいとこですね」

 この学校で名雪は、ちょっとした有名人だったりする。その名雪が男子と親しくしていると聞いて、彼女の非公認ファンクラブはついに彼氏が出来たのか、と大騒ぎをしたものだったが、その日のうちに本人の口から祐一がただのいとこであることが判明したので、騒動が沈静化したという逸話がある。

「信頼できる人なんですか?」

「うん」

 即答であった。

「あったのは十年ぶりくらいなんだけど、あのころとあんまり変わってなくてね……」

「ああ、はいはい。それはいいですから」

 放って置くといつまででもしゃべり続けそうな舞を制し、久瀬は強引に話を元に戻す。

「このことを倉田さんは?」

「佐祐理にはまだ話してないのよ」

 舞の親友である佐祐理は、先代の生徒会長を勤めていたと言う実績を持つ。そのせいか会長職を辞した現在でも、オブザーバーとして会議に出席することもあるのだ。

「それはどうして?」

「下手に佐祐理に知れて見なさいよ。最悪、次の日から学校のまわりを黒服が取り囲むことになるわ」

 確かに、あの人ならやりかねない。そう思って久瀬は息を飲む。

「迂闊になゆに近づこうものなら、狙撃もしかねないわよ」

 実は、苦い経験がある舞。

 以前舞が暮らしているアパートで、とある事件がおきた。それを佐祐理に話した翌日、黒服の男たちが舞のアパートのまわりを取り囲んでいたのだ。

 聞くとこの男たちは倉田家私設のガードマンだという。流石に近所の人たちとの体面もあるので即日引き上げてもらったが、今更ながらに佐祐理と付き合うことの難しさを思い知る舞であった。

「大会も近いし……なゆに余計な気を使わせたくないのよ……」

「なるほど」

 舞にとって名雪は親友であると同時に、かわいい妹のようなものだ。部活においても後輩であるし、部員を纏める部長さんの大変さも知っている。少しでも大会に集中させてやりたいという舞の気持ちは、久瀬にも良くわかる。

 久瀬にしても女子陸上部は、今度の駅伝大会が三連覇のかかった大事な大会となる。学校の体面としても、彼個人としても名雪を応援したいと言う気持ちに偽りはないのだ。

「後、これはまだ極秘なんですが……」

 オフレコで、と言い置いてから久瀬は口を開いた。それを聞いた途端に舞の顔色が蒼ざめていく。

 聞くとこの近辺の学校で、学校帰りに襲われた女子生徒がいるのだという。

「知っての通り、婦女暴行は親告罪。つまりは被害者が届けを出さないと罪には問われません」

 大抵の場合、被害者は泣き寝入りをしてしまうため、この種の事件が明るみに出る事はない。もっとも、被害者側が勇気を持って事件を告発したとしても、具体的な犯人がわからないのでは、警察も警戒を強化すると言うのが精一杯なのである。

 そして、生徒会としてもなんとかしたいのは当たり前なのであるが、下手に事実を公表してパニックを引き起こすよりも、生徒一人一人に注意するように勧告するしか出来ないのが現状なのだ。

 そういう状況下において、特定の個人のみを優遇するわけにもいかない。このあたりの事情は、舞も生徒会の仕事を手伝った事があるのでよくわかる話だ。

「わかってるわ。とりあえずあたしもなるべくなゆとは一緒にいるようにするから」

「そうしてくれると助かります」

 なるべく、事件を表に出したくない。こういう点において両者の思惑は一致していた。ただし、全校生徒の安全を考えなくてはいけない久瀬と、特定の個人の安全のみを考えていればいい舞の違いなのだ。

 その後もいくつかの対策案を話し合い、舞が生徒会室を出たのは夕闇が迫るころだった。

 

 放課後 商店街への道

 

「ひどいよ〜、祐一」

「だから、悪かったって」

 商店街への道を歩きつつ、御立腹の様子の名雪を宥める祐一。

「色々と、複雑な事情があったんだ」

「わたし、ずっと待ってたんだよ?」

「先に帰ってたらよかったのに」

「だって、約束したから……」

 そう言って名雪は、少しだけ唇の先を尖らせた。

「祐一は、約束を破ったりしないもん」

 遅れる事はあってもね、と続ける名雪。

「……わかった、本当に俺が悪かった」

 それは事実なので、素直に謝っておく祐一。

「お詫びに、商店街で好きなものおごってやるからさ」

「本当?」

 その声はちょっとだけ嬉しそうだ。

「あまり高いものはダメだぞ? 寿司とか……」

「なんにしようかな〜」

「なにがいいんだ?」

「色々あって迷うよ〜」

 好きな食べ物で真剣に悩む名雪の横顔を眺めながら、雪の街をぼんやりと歩いていく。

 祐一もかつては同じ風景の中を歩いていたのかもしてないが、今ではほとんど知らないような雪景色が続くのみだ。

「なあ、名雪。このあたりって、昔と変わったか?」

「ううん、あんまり変わってないと思うよ」

 祐一の問いかけに、小さく首を振って名雪は答える。

(変わったのは、俺のほうか……)

 白い街並み。すぐ隣には嬉しそうな笑顔を覗かせているいとこの少女。確かに、祐一のかすかに残る記憶の中の風景にもあったような気がする。

 七年ぶりに名雪と再会したときには多少の違和感もあったし、真琴もびっくりしていたくらいではあったが、言葉を交わすうちにその緊張はほぐれていった。

 よくよく考えてみれば、祐一が名雪と初めて会ったのは十二年くらい前の事だ。そのころはお互いに緊張していたものだったが、いつしか名前で呼び合うようになっていた。

 あのころから名雪は要領が悪かったが、それは今でも変わらないんだろうな、と思いつつ祐一は名雪に遅れないように歩く。

 目的は百花屋のイチゴサンデー。笑顔の名雪を先頭に、商店街への道を進むのだった。

 

 商店街 百花屋

 

「ごちそうさまでした」

 鉄のスプーンが空になったガラスの器に滑り込み、からーん、と音を立てる。イチゴとクリームがたっぷり乗った大きなパフェを空っぽにした名雪は、なんとも満足げな笑顔を浮かべていた。なにしろその様子を眺めていると、祐一も幸せな気分になれそうであったし。

「しかし、名雪。そんな甘いもの、よくそれだけ食えるな」

「あと、三杯は大丈夫だと思うよ?」

「晩御飯が食えなくなるぞ?」

「あ、そうだね……」

 祐一の鋭い突っ込みに、がっくりと肩を落とす名雪。一応同意するようにうなずいたものの、なんとも名残惜しそうだ。

「ねえ、祐一。もう一杯だけ、いいかな……?」

 そのなんともかわいらしい名雪のおねだりに、苦笑しつつも祐一はウェイトレスを呼んであげるのだった。

「ありがとう、祐一」

「一杯だけだからな」

「わかってるよ〜。さすがにそんなには食べられないもん」

 しばらくして、名雪の目の前に先程と同じパフェが運ばれてくる。

「それでは、いただきます」

 食べ終わった時もそうだが、食べる前にきちんとそういうところが名雪らしい。

「イッチゴ〜、イチゴ〜」

 謎の歌を口ずさみつつ、嬉しそうに目を細めながら名雪は先の割れたスプーンでイチゴを掬い取る。

「わたし、しあわせだよ〜」

 ¥880(税別)で幸せになれるんだから、なんとも安上がりだと祐一は思う。そんな名雪の幸せそうな笑顔を、お代わりのコーヒーを飲みながら眺める祐一であった。

「そうだ、祐一。あしたはどうするの?」

「あした?」

 名雪に言われて気がついたが、あしたは日曜日でお休みである。ちなみに名雪はいつもどおりに部活があるのだが。

「うん、あした」

「ぼーっとしてる」

「ぼーっと……?」

 怪訝そうに首を傾げる名雪。

「そうだ。一日中ぼーっとしてる」

「祐一、もったいないよ」

 せっかくのお休みなのに、と名雪は不満そうだ。

「一日の半分くらいを寝て過ごしているような奴に言われたくない」

「寝てるほうが、ぼーっとしてるよりずっといいよ」

「いや、ぼーっとしてるほうがより建設的だ」

「うー……」

 そのまま不思議な沈黙が二人の間に横たわる。

「どっちもどっちだな……」

「うん、そうだね……」

 やがて、どちらからともなく笑顔がこぼれる。そんないつも二人だった。

「今度こそ、ごちそうさまでした」

 そう言って、満面の笑顔で名雪はスプーンをガラスの器に滑り込ませる。

「しかし、よく食ったな……」

「……ちょっと苦しいかな?」

「それは、当たり前だ」

 そうは言いつつも、少しだけ苦しげな表情を浮かべている名雪。

「大丈夫か?」

「うん。大丈夫」

 まだ苦しそうだったが、名雪が席を立ってレジに向かったので、祐一もその後を追う。

 百花屋から出ると、あたりはすっかり夕焼けの景色が広がっていた。

「やっぱり夕焼けだね」

 それを見上げて、名雪がポツリと囁くように口を開く。その照り返しを受けて、名雪の顔も赤く染まっていた。

「帰ろっか、祐一」

「そうだな」

 冬の日の入りは早く、もうじきあたりは真っ暗になるだろう。

「また来ようね、祐一」

「ああ。名雪の部活が休みのときにな」

 そして、二人は夕闇迫る商店街を後にして、家路につくのだった。

 

 放課後 商店街

 

 半日で授業が終わったせいか、まだ日は高い。そんななかをあゆは真琴と一緒に歩いていた。

「真琴ちゃん、後で美味しいもの食べにいこうね」

「うん」

 あゆの声に、大きくうなずく真琴。

「どこかいいお店あるの?」

「うん。いっぱい知ってるよ」

 そう言って微笑むあゆは、不思議と頼りになりそうだった。

「あ、あゆ。もしかして、また屋台のたい焼き?」

「う〜ん、たい焼きも捨てがたいけど……。やっぱり今日は別のお店にするよ」

 にこやかに談笑しながら、二人は商店街の雑踏のなかを歩いていく。とりあえず、普段あゆがよくいくところを順番に回っていく事にした。

「ここのクレープは、とっても美味しいんだよ」

「わぁ、見た事ないメニューがいっぱい」

 おそらくは御当地限定と思われるメニューに、色めき立つ真琴。

「それで、ここのお菓子屋さんが……」

 あゆは次々にお店を紹介していくのだが、なぜか食べ物屋ばかりだった。しかし、真琴は特に気にした様子もなくあゆの話に耳を傾けている。

「あ!」

「どうしたの?」

 突然大きな声を上げ、真琴は通りの向こうをみた。

「そういえば、この先にケーキ屋さんがあったのよぅ」

「あ、真琴ちゃん」

 パタパタと走って通りを曲がった真琴を、あわてて追いかけるあゆ。

「あう?」

 しかし、その先にあるはずのケーキ屋はなく、代わりに大きな本屋が建っていた。

「ケーキ屋さんだと思ったのに……」

「三年位前に、なくなっちゃったんだよ」

 追いついたあゆが、息を整えながら口を開く。

「真琴……ここのシュークリーム好きだったのに……」

「ボクもだよ」

 残念、と消沈する真琴を、なんとか宥めるあゆであった。

 

「おなかいっぱいだね」

「うん、満足満足」

 二人がお店から出てきた時には、すでにあたりは夕暮れの朱色に染まっていた。早速真琴は振り返り、今日初めて入った甘味処の店名をチェックする。

 たい焼き好きのあゆのお薦めだけあって、店のメニューは和風のぜんざいなどが主流であるが、充分に満足できる味であった。

 真琴も女の子だけあって、こういうチェックは結構厳しかったりする。

「また、来ようね」

「うん」

 今のこの季節は日の入りが早い、もうまもなくあたりは真っ暗になるだろう。

「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」

「そうだね」

 この時間だと、家に帰り着くころが丁度日が落ちるくらいだ。いくら冬場と言えども、女の子だけで夜道を歩くのは危ない。

 ほとんど沈みかけた夕日を背中に浴びつつ、家路につく二人であった。

 

 帰り道

 

「あ、そうだ。ちょっと待って、祐一」

「なんだ?」

「あと少し、寄りたいお店があるんだけど」

「いいけど、暗くなるぞ?」

「大丈夫だよ」

 名雪は少しとびはねて祐一の前に回りこむと、下から見上げるようにして微笑んだ。

「だって、祐一と一緒だもん」

「……わかったよ」

 なんでそこまで名雪の信頼を得ているのかはわからないが、苦笑しながら名雪の後に続く祐一であった。

 ほとんどの店がシャッターを占めているなか、いとこの少女と並んで歩く。ふと見ると名雪は微笑みながら歩いていた。

「どうした?」

「なんだか、デートしてるみたいだなって……」

 少し頬を赤らめてそう言う名雪ではあるが、祐一にしてみれば仲のいい兄妹が歩いているようなものだ。もっとも相手はいとこで、そういう対象としてみる事もできるのではあるが。

(どうなんだろうな……)

 七年ぶりに再会した名雪は、顔も声も知らない少女へと変貌を遂げていた。だが、言葉を交わしていくうちに、かつての面影を残している事がわかった。

 とはいえ、こうした名雪のちょっとしたしぐさに、妙な胸の高鳴りを感じてしまう祐一であったが。

「どうしたの?」

「あ、いや。なんでもない……」

 どうやら気がつかないうちに名雪の顔を凝視してしまっていたらしい。

「それで? どこに行くんだ?」

「すぐそこだよ」

 ほら、と名雪が指を差したその先にあるのは、いつものスーパーだった。聞くと朝出る時、秋子さんに今晩のおかずを買ってきてほしいと頼まれたのだそうだ。

 二人が買い物を負えて家に帰りついたときには、すでにあたりは真っ暗になっていた。

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