第十三話 休日の風景2
あゆの部屋
「うぐぅぅぅ〜……」
この日月宮あゆは、人生最大の悩みに直面していた。
つい先程までは、祐一くんとデートだ、と浮かれていたのだが、時間の経過と共にそんな気分はどこかに吹き飛んでしまっている。いつの間にかあゆの心の中には、焦りにも似た気持ちが広がってきていたのだ。
「どうしよう……」
あゆがポツリと呟いた、丁度その時。
「あゆ〜?」
軽いノックの音と同時に、真琴が部屋に飛び込んできた。
「お昼だっ……て……」
部屋の惨状に、言葉を失う真琴。なぜなら、普段は綺麗に整頓されているあゆの部屋が、今は見る影も無く荒れ果てているからだ。
床一面にちりばめられた、服、服、服。
その中心付近で呆然とした表情のまま座り込んでいるあゆの姿は、普段の快活なイメージがまるでうかがえず、真琴はなにか形容しがたい恐怖のようなものを感じた。
「ど……どうしたのよぅ、あゆ」
いつもの様子で話しかけると、あゆは首だけ動かして真琴を見る。
「……ないんだよ……」
「あう?」
詳しく話を聞いてみると、どうやらあゆは今日祐一とデートをするらしい。それで服を選んでいるんだが、まったく決まらないのだそうだ。
「祐一とだったら、いつもの格好でいいんじゃないの?」
「うぐぅ、それじゃダメなんだよ」
あゆのいつもの格好は、キュロットスカートやオーバーオールなど、どちらかといえば男の子っぽい格好がメインで、スカートとかの女の子っぽい服はあまり持っていないのだ。これは入院生活によってあゆの肌が弱く、なるべく日に当たらないようにするために配慮されたものだったのだが、それが今になってこういう悩みのタネになろうとは、誰も予想していなかった。
そんなあゆの悩みは、同じ女の子として真琴もよくわかる。よく読む漫画には、服を選ぶ時間かけるほど、その女の子にとって大事な人なんだと書いてあった。
真琴にしてみれば祐一相手にデートするなんて、と思うところだが、あゆにとってはそうではないらしい。
七年ぶりの再会は、二人にとって運命の再会なのかもしれないし。そんなわけで、少しだけあゆの事がうらやましくなる真琴であった。
「……あゆはいいなぁ……」
「え? なに、真琴ちゃん」
ポツリ、と呟いただけなので、真琴の声は服選びに夢中なあゆの耳には届かなかったようだ。その小さな背中を眺めつつ、小さくため息をつく真琴。
こっちに越してきてまだ日も浅いので、真琴にはこういうお休みの日に遊びにいける友達がいない。名雪は部活で家にいないし、祐一の姿も見えない。秋子さんは忙しそうだし、あゆもデート。なんとなく、真琴だけが取り残されたかのような気分になってくる。
「どうでもいいけど……」
ため息交じりに口を開く真琴。
「早くお昼にしようよ。真琴、お腹ぺこぺこ」
「うぐぅ……」
色気より、食い気が勝る真琴であった。
商店街
さすがに日曜日だけあって、商店街は大勢の人でにぎわっていた。
「わぁ……人が大勢いますね……」
土曜日と違って学校帰りの生徒の姿こそあまり見ないが、それでもその盛況ぶりに、栞が感嘆の声を上げる。その横顔は驚いているとも感心しているとも取れる、かなり複雑な表情だ。
「確かに、今日は多いほうだな」
普段は学校帰りにちょっと寄るだけの場所だし、なにより休日に来る事はめったにないので、栞の隣で祐一も似たような表情をしていた。
「そうなんですか?」
おそらくは久方ぶりに見るであろう青空の下。栞が見上げるような感じで訊いてくる。
「そうだと思うけど」
それに答える祐一の声は、少々自信なさげだ。
「私、あまり人の多いところに行った事がなかったので、ちょっと新鮮です」
しかし、それでも栞は楽しそうだった。
「でも、商店街くらいは行った事があるだろ?」
原住民なんだし、と祐一が言うと、少しだけいやな顔をする栞ではあったが。
「ありますけど、こんなに人が多いときにきたのは初めてです」
そう言って人混みを見渡した栞の表情は、どこか楽しげであるように祐一の目には映る。
いつまでも商店街の入り口で人ばかり見ていてもしょうがないので、二人は連れ立って人混みのなかを歩いていく。
「あ」
やがて商店街の一角を指差して、栞が小さく声をあげた。
「あれって、ゲームセンターですよね?」
「……そうだと思うが」
店の看板に『ゲームセンター』あるいは英語で『GAME CENTER』と書いてあるならまだわかる。しかし、『K゛ームセンター』と言う具合に、アルファベットに濁点がついた文字は、どのように発音すればいいのか祐一にはわからなかった。
「そんなに珍しがるようなものか?」
看板はともかくとしても、店内は普通のゲームセンターだ。
「私、一度でいいからゲームセンターでゲームをしてみたかったんです」
「と、言う事は栞。お前もしかして一度もやった事がないのか?」
「中に入った事もないです」
「変な奴」
「変じゃないですよー」
途端にほっぺたを膨らませる栞。
「今までたまたま機会がなかっただけです」
それでもその表情は、相変わらずどこか楽しげな様子である。
「だったら、ちょっと寄っていくか?」
別段どこかに行く当てがあるわけでもない。祐一の誘いに栞は緊張した面持ちでゲームセンターの入り口をじっと眺め。
「はい、お願いします」
店に一歩足を踏み入れた。
「……緊張しますね」
店内にはところ狭しとゲームの筐体が置かれ、にぎやかなBGMがあたりを満たしている。祐一には見慣れたいつもの風景なのだが、栞は珍しい様子であたりを見回していた。緊張した感じで小さく両手を握り締めるている栞の姿には、ついつい祐一も苦笑してしまう。
「栞はなにかやりたいゲームとかあるか?」
「私、ゲームセンターにあるゲームは、インベーダーを撃つゲームしか知らないです」
炎のコマ、とか色々栞は言うのだが、祐一にはどうにもさっぱりだ。
「正直に答えてくれ、栞。お前本当は何歳だ?」
「たぶん、祐一さんの二つ下です」
早生まれですから、と微笑む栞。
「今時のゲームセンターに、そんなゲームないぞ」
「え? そうなんですか?」
驚きに目を丸くする栞。どうやらゲームセンターに入った事がないどころか、ほとんどゲームをした事もないようだ。
「私、よくわからないので祐一さんにすべてお任せします。出来れば、簡単なゲームの方がいいですけど」
「簡単なゲームか……」
栞の言うインベーダーゲームのように、ただ撃つだけの単純なゲームと違い、最近のゲームは対戦格闘が主流だ。その意味で言えば、技のコマンドを覚えなくてはいけない関係上、複雑になったといえるだろう。
実のところ祐一も、難解になる一方のゲームにはついていけなくなる事のほうが多い。
「これなんかどうだ? 栞」
そこで祐一は、店先に置かれている大きな機械を指差した。
「どういうゲームなんですか?」
興味深そうに筐体を覗き込む栞。
「もぐらたたきくらいは知ってるだろ?」
「……名前は、聞いた事がありますね」
見るのは初めてのようだ。
「穴がいっぱいあいてるだろ? その中からモグラが頭を出すから、それをこのハンマーで叩くんだ」
「はい」
両手でしっかりとハンマーを握ったまま、緊張した面持ちで祐一の説明に耳を傾ける栞。
「時間内に、どれだけたくさんモグラを叩く事が出来るか競うゲームだ」
「はい」
「どうだ、簡単そうだろう?」
「はい、それなら私にも出来そうです」
これ以上簡単なゲームは、探すのが難しそうであったが。
「じゃあ、やってみるか」
早速祐一は財布の中からコインを取り出すと、投入口に放りこんだ。
「は……はじまりました」
軽快なBGMが鳴り響くと同時に液晶画面がきらびやかに点滅し、ゲームがスタートした。
「……緊張しますね」
ハンマーを両手でぎゅっと握り締めたまま、言葉どおりに緊張した様子で筐体を見つめる栞。
「え……えっと」
「はじまってるぞ、栞」
一定の間隔をあけて、次から次に穴から顔を出すモグラ。
「わかってます……えいっ!」
小さく気合を入れてモグラを叩く栞ではあるが、タイミングが合わずにはずれてしまう。
「思いっきりタイミングがずれてるな……」
「わかってます」
ゲーム開始から数十秒後。
「……終わってしまいました……」
悲しげに呟く栞。
「……0点なんてはじめて見たぞ、俺……」
祐一の予想を遥かに上回るくらい、栞は下手だった。なんとかモグラを叩こうとするのだが、不思議とタイミングが合わず、後半は完全にモグラに翻弄されっぱなしの栞であった。
「……どーせ、私は反射神経ないですよ」
「いや、あそこまで完璧にタイミングをはずすのは、なかなか出来る技じゃない」
「そんなこと言う人、だいっきらいですっ」
途端にほっぺたを膨らませる栞。
「冗談だって」
「冗談でも傷つきました」
どうやら完全にへそを曲げてしまったらしい。
「本当に悪かったって。お詫びになんでも好きなもの奢ってやるぞ」
「本当ですか?」
途端に栞の表情が明るく輝く。
「でも、あまり高いものはダメだぞ。俺は貧乏なんだからな」
なにしろ祐一は、居候の身分だ。
「本当に、なんでもいいんですか?」
「ああ」
「わかりました……」
一呼吸おいて、栞は口を開く。
「アイスクリームがいいです」
「は?」
聞き慣れない。と言うよりも、聞き慣れすぎているが、まったくこの場にそぐわない言葉に思わず訊き返してしまう祐一。
「私は、アイスクリームがいいです」
「アイスクリームって……あの冷たいアイスクリームか?」
「温かいアイスクリームって、あるんですか?」
怪訝そうに訊き返す栞。確かにアイスの天ぷらと言うのもあるが、それだって温かいわけではない。
「なんで、この時期にアイスなんだ?」
「大好物なんです」
そう言って、屈託のない笑顔を見せる栞。
「アイスクリーム、嫌いですか?」
「嫌いってわけでもないけど、時期にもよるだろう?」
少なくとも、この時期に食べるものではない。
「本当に、アイスでいいのか?」
「はい」
「わかった、じゃあ行こうか……」
二人で連れ立って歩きながら、苦笑するしかない祐一であった。
水瀬家
「ねえ、あゆ。これなんてどうかな?」
「うぐぅ……ちょっと子供っぽすぎないかな」
「じゃあ、これは?」
「うぐぅ」
お昼にラーメンを食べてからは、真琴と一緒に服選びをしているあゆであったが、なかなかこれだというのがなかった。
クローゼットの奥から色々服を引っ張り出してみるものの、どうにもしっくりこない。その結果、時間ばかりが無情に過ぎ去っていく。
「うぐぅ、どうしよう。真琴ちゃんだったら、どんな格好して行く?」
「そんなの訊かれてもわかんないわよぅ」
実のところ、真琴もデートなんて言うのは初めての事で、具体的にどうすればいいのかさっぱりわからなかった。真琴がよく読んでいる少女漫画でも、デートに着ていく服選びに悩むヒロインはよく出てくる。真琴としてはどうしてそんなに悩むのか理解に苦しむ部分もあるものの、こうして目の当たりにするとそのヒロインの気持ちがよくわかるような気がした。
「とにかく、自分らしい格好をするのが一番なのよ」
それでも、自分のもつ知識を総動員してアドバイスする真琴であった。
とはいえ、どういう格好が自分らしいのか、あゆにはさっぱり。さすがに普段どおりの格好で、祐一に会うわけにもいかないだろうとも思う。
堂々巡りにも近い考えにあゆが落ちこんでいきそうになった、丁度その時。
「ただいま〜」
部活から名雪が帰ってきた。
「なるほどね」
二人から事情を聞いた名雪は、納得したようにうんうんとうなずいた。
「それじゃあ、あゆちゃん。祐一の事、びっくりさせちゃおっかぁ」
「うぐぅ?」
場所は変わって名雪の部屋。あゆに手渡されたのは、桜色のワンピース。
「ちょっと着てみてくれる?」
「うん」
このワンピースから漂う防虫剤の香りから、名雪がこの服をよほど大切にしていただろう事がわかる。そんな大切なものに袖を通してしまっていいものか悩むあゆであったが、名雪の視線に後押しされるように着てみるのだった。
「丈は……少し長いけど大丈夫だね。良かった、あゆちゃんにぴったりで」
「うぐぅ、でも……」
「あゆちゃんは気にしないでいいよ。どうせわたしは着られないし、あゆちゃんに着てもらったほうがお洋服だって嬉しいと思うよ」
少なくともたんすの奥にしまいこんでおくよりかはずっといい。
「後は……下着も替えないといけないし……」
「し……下も?」
「そうだよ。本当のおしゃれは、下着からだよ」
「うぐぅ……」
そんな二人のやり取りに、おしゃれって大変なんだな、と思う真琴であった。
「うん、こんなもんかな」
ブラシで丁寧にあゆの髪を梳く名雪。仕上げにいつものカチューシャを乗せると、いつもより少しだけ綺麗になったあゆがそこにいる。
名雪の手際のよさには、脇で見ていた真琴も呆然とするばかりだ。
先程からあゆも鏡を見つめ、これがボク? と、何回も呟いている。
「それじゃ、最後の仕上げだよ」
そう言って、化粧品を一式取り出す名雪。
「お化粧もするの?」
「あゆちゃんのお肌ツルツルですごく綺麗だけど、なにもしないのはもったいないよ」
軽くメイクするだけだから、と名雪が作業を開始してから数十分後。
「どうかな?」
名雪から手渡された手鏡に映る自分の姿に、しばし呆然となるあゆ。
「……すごい」
「あゆ、綺麗……」
素肌に薄くファンデーションを塗り、眉の形を整え、リップに色を乗せた程度のナチュラルメイクだが、普段から化粧っ気のないあゆだけに別人みたいに見えてしまう。
カチューシャをしているから、かろうじて女の子に見える。と言う具合にいつもあゆをからかっている祐一が見たら、さぞかしびっくりする事であろう。
もっとも、誰だかわからないと意味がないので、目印代わりにいつものカチューシャをつけているあゆであったが。
「うん、問題ないみたいだね」
最後に、姿見の前でくるりと一回転してチェックするあゆ。
時間を見るとすでに三時を過ぎている。待ち合わせの場所に行くまでの時間を考えると、もう出なくてはいけない時間だ。
「それじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい、あゆちゃん」
楽しんできてね、とにこやかに送り出す名雪。
「お土産忘れないでね」
と、真琴。
「あまり遅くならないようにね」
と、秋子。この後に、遅くなるようなら連絡してね、と付け加える事も忘れない。
三人に見送られ、あゆは家を出た。
「あう〜……」
その姿を見送った後、真琴は小さく息を吐く。あのあゆがあんなに綺麗になるなんて、真琴にとってはちょっぴりうらやましい事だ。
「真琴も、おしゃれしてみる?」
そんな真琴を背後から優しく抱きかかえ、問いかける名雪。
「いいの?」
「もちろんだよ」
「うん、真琴もおしゃれするっ!」
鳴いたカラスがもう笑う。そんな格言が即座に浮かぶくらい、満面の笑顔で答える真琴であった。
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