第十四話 休日の風景3
百花屋
商店街を歩いた祐一と栞は、やがて一軒の喫茶店の前についた。ここは百花屋、名雪たちの間では、量が多くて値段がリーズナブルな店として知られている。
「綺麗なお店ですね」
「まぁな」
と、いうよりも、その店しか知らない祐一であった。前は名雪と二人できて、今度は栞と二人きり。ムーディーなクラシックのかかる店内では、そこかしこのテーブルにカップルの姿が目立つ。
(……栞と一緒で助かった……)
テーブルを囲む柵には花が飾られており、どう見ても女の子向けのテイストだ。祐一も一人だったら、たぶん足を踏み入れることすら出来ないだろう。
店内は人でいっぱいだったが、祐一たちは丁度空いていた窓際の席に案内された。
「この時間帯が一番混むみたいだな」
「でも、座れてよかったです」
おしぼりを手にした栞が、にっこりと微笑む。店内を見回し、時計を確認すると午後二時五十分くらい。休日の学校で栞と出会い、そのまま商店街で遊んでいるうちに、かなり時間が過ぎていたようだ。
そのせいか祐一は大分腹が減っていた。簡単になにか食べていくのもいいかもしれない。
「……祐一さん」
メニューに目を通しながら、おずおずという様子で栞が話しかけてきた。
「私、アイスクリームがいいです」
「俺はサンドイッチとコーヒーにするけど、栞はなにがいい?」
「アイスクリームの、バニラがいいです」
「オムライスとかもあるのか」
「アイスクリームの、バニラを食べます」
「たい焼き……?」
「……………………」
メニューの隅から隅までじっくりと見て一喜一憂する祐一の様子を、栞は冷ややかな視線で見つめていた。
「祐一さん、嫌いです」
「御注文はお決まりでしょうか〜?」
「俺はコーヒーとサンドイッチのセット、こっちがアイスクリームのバニラ」
「かしこまりました。オーダーを繰り返します、コーヒーとサンドイッチのセットが一つ、アイスクリームのバニラが一つでよろしいですね?」
「はい」
ウェイトレスの営業スマイルにも負けない満面の笑みで栞はうなずいた。
「うぐ……美味しいです」
「そうだな」
「祐一さんも一口食べますか?」
そう言って栞は、にこやかにアイスののったスプーンを差し出してくる。好意はありがたいのだが、流石にそれはちょっとやばい。
「実は俺、医者にアイスクリームを控えるように言われてるんだ」
「そうですか……残念です」
本当に残念そうに、栞は差し出したバニラアイスを自分の口に運ぶ。
「仕方ありませんね、お医者さんの言うことはちゃんと守りませんと」
「そういう栞はどうなんだ?」
「お医者さんの言うことを守らない患者だ、って言われてます」
風邪をひいている、というわりには元気そうだし、なんとなく楽しそうな表情を見ていると、よくわからない女の子だと祐一は思う。
最初に出会ったころはなにかにおびえているかのようにも思ったが、祐一が考えているよりも栞はずっと明るいし、元気なしぐさを見せてくれる。言葉を交わせば交わすほど、最初の先入観が薄れていくようだった。
これが、栞という少女の本当の姿なのだろうか。
「そういえば栞は、好きなこととかないのか?」
「好きなこと……ですか……?」
そう聞かれて栞は、人差し指を口元に当てて、う〜ん、と考え込んだ。
「私、絵を描くことが好きです」
言ってから栞は少し恥ずかしそうに目を細め、照れたような笑顔を覗かせた。
「最近は描かなくなってしまいましたけど、昔はよくスケッチブックを持って絵を描きにいってました」
「絵って……抽象画かなにかか?」
「風景画ですっ」
ちょっぴり怒った感じで頬を膨らませる栞。
「それと……似顔絵も描いてました……」
こっちは小声になる。
「結構本格的じゃないか」
「まだまだヘタですけど……描いていると楽しいんです」
なにもなかった白い画用紙が、色とりどりの絵の具で埋まっていく。そして、最後には一つの風景がそのなかに出来上がる。一生懸命にそう語る栞の姿を瞳に焼き付けるようにして、祐一は耳を傾けていた。
「私ヘタですから、あんまり風景に見えないんですよね。どちらかというと似顔絵の方が得意です」
「今度見てみたいな、栞の描いた絵」
「いやですよ。恥ずかしいですから」
栞は顔を赤くしてうつむいてしまった。そんな栞の姿を可愛いな、と思った祐一は、ついついいじわるをしたくなってしまう。
「どうしても見たいな」
「でも……」
「俺だって専門的なことは、なにもわからないんだから」
「どーしても、ですか?」
ちょっぴり視線を上げて、栞は祐一を見る。
「全部とは言わないからさ」
「わかりました……。今度持ってきますね」
不意に栞は、真剣な瞳で祐一を見た。
「絶対に、笑わないでくださいね」
「大丈夫だって、笑ったりしないから」
「約束ですよ?」
何気ないやり取りの一つ一つが、やがて大切な思い出へとかえっていく。いつまでもこんな時間が続けばいいのに、と純粋に心のそこから祐一は思った。
ふと目にした窓の外は大分日が傾いたようで、そろそろ赤く染まりはじめることだろう。時計を見ると、午後四時を回ろうかというところだった。
「……って! もうこんな時間じゃないか。悪い栞、ちょっと急用で……。じゃな〜」
すばやく会計を済ませ、一気に表へ駆け出す祐一の後ろ姿を、栞は唖然とした様子で見つめていた。
駅前のベンチ
「うぐぅぅ〜……」
ここは駅前のベンチ、祐一との待ち合わせの場所。一人の少女がここに座りながら、時折低く呻き声を上げている。
その少女、月宮あゆは所在無げに、もじもじとあたりを見回す。
なぜか先程から道行く人の視線が気になってしまう。そんなに変な格好はしてないよね、とあゆは少し手ぐしで髪を整えてみたりしてみる。
待ち合わせの時間は四時半であるが、未だに祐一が来る気配がない。とはいえ、意外と時間にルーズなのは昔からだよね、とついついあゆは顔をほころばせてしまう。
本当に変わっていないよね。と思うと、不思議と待つのも辛くなくなってくる。
そんななかあゆは、雑踏の中に見知った顔を見つけた。
「あっ! 祐一く〜ん」
祐一の姿を見つけたあゆは、ベンチから立ち上がって大きく手を振った。
「もう少し、しおらしく待てないか?」
「だって、嬉しかったんだもん」
いつものダッフルコートの下にはおしゃれな桜色のワンピースが覗いているが、中身はやっぱりいつものあゆのようだ。
「そんなに映画が嬉しかったのか?」
「映画もそうだけど、やっぱりずっと待ってた人が来てくれるのが一番嬉しいよ。それだけで、今まで待ってて本当によかったって思えるもん」
「なんか大げさだな」
「ううん、そんなことないよ」
とはいえ、こうして子犬のように喜んでくれるのだから、祐一としても悪い気はしない。
「行こ、祐一くん。早くしないと、日が暮れちゃうよ」
「おいおい」
祐一の手を取り、駆け出すあゆ。
「そういや、あゆ。今やってる映画ってなにか知ってるか?」
「ううん、全然」
「なんの映画かも知らないのに誘ったのか?」
「うん。」
祐一の手を引っ張りながら、うなずくあゆ。
「まぁ、いいけどな……」
それでも、あゆの嬉しそうな様子を見ていると、つられて祐一も嬉しくなってしまう。
「ボク、あんまり映画って見ないから」
「そういや、俺も見ないな」
「昔は……お父さんとお母さんと一緒に見に行ったこともあるんだけど……」
「昔?」
「小学生くらいのころかな……」
大体祐一と会っていたころだ。
「急がないと、はじまっちゃうよ」
「今、何時くらいだ?」
基本的に祐一は時計を持ち歩かないので、正確な時間がわからない。
「五時五分前だね」
「じゃあ、そろそろ中に入るか」
「うん」
元気よく歩きはじめたあゆであったが、突然その動きを止めてしまう。
「どうした? あゆ。銅像ごっこか?」
「………………」
祐一の声にも反応を示さず、あゆはじっとなにかを見つめたまま動かない。あゆの視線の先にあるもの。それは映画の告知用看板だった。
「今日、上映の映画はこれか」
去年公開されて、怖いと話題になったホラー映画だ。2ということは、その続編である。一度見てみたいと思っていたことからも、祐一にとっては都合が良かった。
しかし、あゆはまだ固まったまま、うつろな瞳で看板を見ている。
「どうした? あゆ。早く行かないとはじまるぞ」
祐一が声をかけても、やっぱりあゆは固まったままだった。
「もしかして、怖いのか?」
「……うぐぅ」
祐一のコートの裾をしっかり握り、泣きそうな表情でうなずくあゆ。
「大丈夫だって。どうせ言うほど怖くないんだろうから」
だが、あゆは無言で首をふるふると振っている。
「さ、いくぞ」
祐一は固まったままのあゆの手をしっかり握ると、そのままずるずると引きずって映画館に入ろうとする。
「うぐぅ……やっぱりボクやめるっ!」
「今更なにを言ってるんだ。面白そうじゃないか」
「で、でもっ! この映画『2』って書いてあるよっ!」
「そりゃそうだ。続編なんだから」
「だってボク、前作見てないしっ!」
「大丈夫だ。この手の映画は前作を見なくても、内容がわかるようになってるんだ」
「うぐぅぅぅ……」
悲鳴をあげるあゆを、強引に引っ張りこむ祐一であった。
映画館
「まいったぁっ! おれはまいったぞぅっ!」
ドチャァッ!
「にいさぁ〜んっ!」
「ちょっと物足りないかな」
「……そうだね」
教授の姦計に翻弄される兄妹が、時計塔の中で最後の戦いを挑む。しかし、妹を人質に取られた兄は成す術も無く教授の罠にはまり、ついにはその身体に仕込まれた爆弾が爆発してしまうのだった。
血まみれになりながらも、かつて兄だった身体の破片をかき集める妹。それを見て教授は、恍惚とした表情で高笑いする。
それなりに怖いシーンになると、観客席のあちこちから小さく息を飲む声や、かすかな悲鳴が聞こえる。しかし、それでも祐一にとっては期待していたほどでもなかった。
もしかすると、話題になった前作の方が遥かに怖かったのかもしれないな、と思う祐一。
「今度ビデオでも借りてきて、一作目も見てみようか」
「……そうだね」
「あれだけ嫌がっていたわりには、結構冷静じゃないか?」
「……そうだね」
頭からダッフルコートをかぶり、いっさいスクリーンに目を向けない隣のあゆを見て、軽くため息を漏らす祐一。
「……って、全然スクリーン見てないだろっ!」
「うぐぅっ!」
祐一があゆのコートを引き剥がした途端に、ひときわ大きな悲鳴が上がる。
あわててあゆはコートを取り戻すと、再度耳を塞ぐようにしてかぶりなおした。
「こ……こわかったよぉ……」
完全に耳を塞いで横を向いてしまっているあゆの姿に、軽くめまいを感じる祐一。そこで祐一は客席から悲鳴があがりそうなタイミングを見計らい、もう一度あゆからコートを引き剥がした。
「うぐぅ〜っ!」
客席の悲鳴で、あゆが悲鳴を上げる。スクリーンを見ていないわりには、ナイスなタイミングだ。
「お前、ちゃんと見てるのか?」
「み……見てるよぉ……」
「横向いてるじゃないか」
「横向いてるけど……ちゃんと見てるもん」
再び客席の悲鳴にあわせて、悲鳴をあげるあゆ。観客の悲鳴でこれだけ驚けるというのは、ある意味大したものである。そこで祐一はあゆからコートを引き剥がすと、手の届かない反対側の席に置いた。
「うぐぅぅ〜、返してよぉ〜」
途端に涙目になってあゆは、祐一をかわいらしく握り締めた両手でポカポカと叩く。映画館の暗がりでよくわからないが、スクリーンからの光に照らされたあゆの格好は、普段のイメージとは違ってずいぶんと女の子らしかった。
「せっかくの映画なんだから、せめてこの場の雰囲気くらい楽しめ」
「いじわる〜」
その後の客席からの悲鳴にあわせて、うぐぅ、とか、うぐぅっ、とか、うぐぅ〜っ、とか言う声が隣から聞こえてくる。うぐぅにも色々なバリエーションがあるんだな、と思いつつも、あえて祐一は無視した。どうやらあゆはあゆなりにこの映画を楽しんでいるようだし、それを邪魔するのは野暮というものだろう。
帰り道
「うぐぅ〜……」
映画館から出るころには叫びつかれたのか、憔悴しきった様子のあゆが祐一の腕にぶら下がるようにしていた。ふらふらと歩くその足元は頼りなく、気取ってかかとの高い靴を履いているせいか、妙に危なかった。
「ボク、へろへろだよ〜……」
「あれだけ楽しんだからな」
確かに体力も尽きるだろう。
「楽しんでないよぉ〜……」
冬場は日の入りが早いせいか、表に出るとすでに真っ暗だった。
「それにしても、あゆ。お前結局一度も映画見なかったんじゃないのか?」
「うぐぅ……だって怖かったんだもん……」
家路を辿りながら、人気もまばらになった商店街を二人で歩く。あたりが暗くなっているせいか、あゆはすがりついていた祐一の腕を、さらに強く抱きしめた。
「あゆは大げさなんだよ。普通に見てたらそれほどでもなかったぞ」
「でも……ボク、子供のころからお化けとか、幽霊とかが全然ダメなんだよ……」
「それにしても怖がりすぎだ」
うぐぅ、と呟いて顔を伏せてしまうあゆを見ているうちに、夜中にトイレにいきたくなった時はどうするのか、少し気になる祐一であった。
「大体な、あゆ。こういうシチュエーションの時は、女の子が悲鳴を上げてしがみついてくるもんだろ?」
「そんな余裕ないもん」
「それだから子供っぽく見られるんだ」
「うぐぅ……」
そのままあゆがうつむいてしまったので、少し言い過ぎたかな、と思う祐一であった。
「真っ暗だね……」
商店街はまだ明るかったが、少しそこから離れると街灯もまばらな暗い道が伸びているだけだ。いつもは通いなれている通学路も、こうしてみると普段とは違った表情を見せているようだ。
「あゆ、今日は楽しかったぞ」
「え?」
予期せぬ言葉だったのか、少し驚いたような感じであゆは祐一を見た。
「ありがとうな、映画に誘ってくれて」
そのおかげでいつもより少しだけ可愛くなったあゆを堪能できたのだから。
「うんっ! ボクも楽しかったよ」
少し戸惑ったよう様子を見せながらも、あゆは元気よくうなずいたのだが、少し恥ずかしかったのかすぐに顔を伏せてしまった。
明かりの少ない夜の道を二人で寄り添うように歩いているうちに、水瀬家の門に辿り着く。
「ただ〜いま〜」
いつもの様子で玄関を開ける祐一。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
その異様なまでの光景に、思わず玄関の扉を閉めてしまう。
「どうしたの? 祐一くん」
後に続いて入ろうとしたあゆであったが、突然祐一が動きを止めてしまったので背中に鼻をぶつけてしまった。鼻を押さえているせいかあゆの声はかなり変だったが、それ以上に変なものを祐一は目にしていた。
「あゆ。お前先に入れ」
「どうして?」
「どうしてもだ」
祐一の言葉に釈然としないものを感じながらも、あゆは勢いよく玄関の扉を開いた。
「ただいま〜」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
そのまま、ゆっくりと玄関の扉を閉ざすあゆ。そして、信じられないものを見たといわんばかりの表情で、祐一の方に振り返った。
「い……今のは? 祐一くん」
「お前も見たのか? あゆ」
その言葉に、あゆはまるできつつきのように激しく首を上下に振った。
「いくぞ、あゆ」
「うん」
今度は二人で同時に取っ手に手をかけ、勢いよく玄関を開く。
「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様」
すると、メイド服に身を包んだ名雪が優雅に一礼して二人を出迎えるのであった。
「名雪……なんだ、その格好は……?」
祐一が上ずった声を上げるなかあゆは、やっぱり名雪さんって綺麗な人だな、と思っていた。
「ちょっとした気分の問題だよ。はい、祐一」
「なんだこれは?」
祐一の手に、一着の服が手渡される。
「それに着替えて降りてきてね。今日はあゆちゃんとのデートの日なんだから」
「うぐぅ……」
名雪に微笑みかけられた途端に、顔を真っ赤にしてうつむいてしまうあゆであった。
夕食会
いつもの食卓もクロスがかけられ、丁寧に磨かれた燭台に火が灯ると、幻想的な雰囲気があたりを満たす。いつもより綺麗に着飾ったあゆと真琴が席に着き、その後ろにはメイド服に身を包んだ秋子と名雪が控える。そして、白のタキシードに身を包んだ祐一が着席すると、厳かに夕食会が行われた。
いつもよりちょっぴり高級感のある料理に舌鼓を打ち、少しだけセレブの気分を味わってみる。
「夢みたいだよ」
「真琴も」
うっとりとした様子の二人を見ていると、自然と祐一からも笑みがこぼれてしまう。
こうして楽しい夕食会は終わりを告げたが、祐一は少しだけ憂鬱な気分になっていた。
明日からは、もう学校に行かなくてはいけないからだ。
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