第十六話 中庭の少女2

 

 廊下

 

「ただいま〜」

「おかえりなさい」

 祐一が廊下に戻ると、同じ場所で名雪が待っていた。

「あの子、祐一のお友達?」

「名雪は知ってるか?」

「ううん、知らない女の子だけど」

 祐一の問いに、名雪は静かに首を横に振る。どうやら本当に知らないようだ。

「誰?」

「ああ、美坂栞って言ってたな」

「美坂?」

 なにか思い当る事があるのか、名雪は少し考え込むようにしてうつむいた。

「それって、香里と同じ名字だよ」

 美坂香里。言われてみれば確かに、香里と同じ名字だ。

「そうか……」

 鈴木とか佐藤とかならまだしも、美坂なんて名字はそうそうない。

「じゃあ、もしかすると香里の妹なのかもしれないな」

「どうなんだろう……」

 しかし、名雪はなにか思いつめたような表情に悩んでいる。

「なんだ、知らないのか? 香里とは結構長いんだろう?」

「香里と初めて出会ったのが中学一年のころだから、長いといえば長いかな? でも、香里って家族の事とか話したがらないんだよ……」

「だとすると、弟なのかもしれないな」

「それ、栞ちゃんが訊いたら本気で怒ると思うよ?」

 祐一の冗談口に、名雪も少しだけ笑顔になる。

「香里はね、いつも明るく話すけど……時々悲しそうな顔をする時があるんだよ」

 しかし、それはすぐに悲しそうな表情に戻ってしまう。

「わたしも心配で理由を聞いてみるんだけど、いつも気のせいだって言ってなにも話してくれないんだよ……」

 祐一には、そういう名雪の表情のほうが悲しそうに見える。

「最近の香里、特にそうなんだよ」

 そこで名雪は、悲しげな瞳で祐一を見た。

「ねえ、祐一。わたしは香里の力になってあげられないのかな?」

 その力を失ってしまったかのような笑顔は、祐一もはじめて見るものだ。

「名雪に、心配かけたくないだけじゃないのか?」

 だから祐一はわざと素っ気なく答えてから、名雪の表情をうかがう。

「そうだね……うん、ありがとう祐一」

 そして、名雪はさっきより自然な笑顔を祐一に向けるのだった。

 

 教室

 

 教室に戻ると、当然のように祐一と名雪を除いた全員が戻ってきていた。

「どうして、先に戻ったはずのあんた達が一番遅いのよ?」

「名雪が道に迷ったんだ」

 二人を見るなり口をとがらせる香里に、わざと素っ気なく答える祐一。

「えっ? わたしは関係ないよ」

「迷惑かけた上に言い訳か? 名雪」

「悪いのは祐一のほうだよ」

 名雪は必死に抗弁するが、どうもその表情には迫力というものが感じられない。

「大丈夫よ、名雪。本当の事を言っているのがどっちかなんて、みんなわかってるから」

 そう言って祐一をさげすむような瞳で見る香里。

「ああ、そうだ。香里に訊きたいんだが」

「なによ?」

 こういう事は本人直接訊くのが一番だと祐一は思う。

「栞が学校に来てるの、香里は知ってるか?」

「…………………………」

 特に反応はない。それよりも香里は不思議そうな瞳で祐一を見ていた。

「……栞って、誰?」

 なにかを考え込むような仕草で、香里はぽつりと呟く。

「誰って……」

「悪いけど、聞いた事ないわ。その子、相沢くんの知り合い?」

 祐一の視線を、怪訝そうな表情で返す香里。

「香里の妹とかじゃないのか?」

「……あたしに、妹なんていないわ……」

「じゃあ、弟か?」

「なに言ってるのよ? あたしは、一人っ子よ」

 祐一がさらに訊こうとしたところで、授業開始のチャイムが鳴り響く。

「じゃね、相沢くん」

 そう言って自分の席に戻る香里の横顔を、名雪は心配そうに見つめていた。

 

 放課後

 

 午後の退屈な授業が続いていた。食事を終えたあと、という事もあるが、この学校の進みが早いせいか祐一にとって全くわからない授業内容では、退屈するなというほうが無理だった。

 ふと隣を見ると、名雪が一生懸命に黒板の文字を書き写している。この様子なら、ノートはあとで名雪に借りてコピーすればいいなと思い、祐一は意識を手放した。

「祐一〜、放課後だよ〜」

 六時間目が担任教師である石橋が担当していたせいか、授業が終わると同時にホームルームがはじまる。そして、他のクラスよりも少しだけ早く放課後に突入した教室で、にこやかに話しかけてくる名雪の姿に祐一は、今日もやっと一日が終わった事を実感するのだった。

「そうだ、名雪。お前今日も部活か?」

「うん、そうだよ」

 部長さんだもん、と言って名雪は小さくガッツポーズをする。

「そっか……。じゃあ、いいか」

「どうしたの? 祐一」

「ちょっと探してるCDがあってな、帰りに買っていこうと思ってたんだ」

「CDだったら、商店街の中にお店があるよ?」

「それで名雪に案内してほしかったんだけど、部活なら仕方ないよな」

 あたりを見回すと、すでに知り合いの姿はいない。祐一が名雪と二人でいるときに気を使ってくれているのかもしれないが、今の状況ではかえって困ってしまう

「そのお店、ちょっと説明しづらい場所にあるんだよ」

 そんな中で名雪が、申し訳なさそうに声を落とす。

「いや、気にするな。自分で探すから」

「う〜ん……じゃあ、地図書いてあげようか?」

 流石にそれは情けなさすぎる。

「大丈夫だ」

 そう言って背を向けて教室を出ていく祐一の姿を、名雪は不安そうに見つめていた。

 

 商店街

 

「だめだ、わからん」

 放課後の商店街を祐一はひとりでさまよい歩き、どこにあるかもわからないCD屋を探していた。歩道に寄せられた雪が赤く色づきはじめたころまで探していたが、一向に見つかる気配がない。

「しまったな……店の名前くらい聞いておけばよかった」

 そうすれば人に聞くという手も使えたのだが、今となってはすべてがあとの祭りだった。よくよく考えてみれば、この街に着いた時も秋子に連絡しておけば、名雪が遅刻してきても大丈夫だったと思うのだが、それができていなかったために真琴と一緒にいつ来るかわからない名雪を待つはめに陥ったのだ。

 結局、店の場所が分からないまま、いたずらに時間ばかりが過ぎていく。こういう表現もあれだが、商店街で祐一が知っているのは名雪と行った喫茶店ぐらいのものだった。

 昔はもっといろいろなお店を知っていたのかもしれないが、七年という歳月の間に商店街も様変わりしたせいか、どこになにがあるやらさっぱりだ。

 思い出せない記憶の彼方。

 もしかしたら昔CD屋に行った事もあるのかもしれないと思うと、今こそそのころの記憶が戻ってほしいと切に願う祐一だった。

「祐一く〜んっ!」

「ぐぁっ!」

 そんな事を考えていると、突然祐一の背中に衝撃が走る。なにかがおぶさってくる重さに耐えきれず、祐一はそのまま前のめりにずっこける。

「やっぱり、祐一くんだぁ」

 首だけ振り向いて後ろを見ると、嬉しそうな笑顔であゆが祐一の背中に乗っていた。

「嬉しいよぉ、こんなところで祐一くんに会えるなんて」

「それはいいから、早く俺から降りろっ!」

「わっ!」

 祐一が起き上ったはずみで、コロンとひっくり返るあゆ。あんな短いスカートの割には、パンツを見せないところに女の意地を感じる。

「うぐぅ。ひどいよぉ、祐一くん」

 ペタンと蛙のように足を広げて地面に座り込んだまま、あゆは涙目で祐一を見上げる。こうしていると、なぜだか祐一のほうが悪者であるように見える。

「ちょっと抱きついただけなのに……ひどいよぉ」

「頼むから普通に登場しろ。それと、これは誰の入れ知恵だ?」

 祐一があゆの後ろのほうを見ると、真琴が必死に街灯の影に隠れようとしていた。それはいいのだが、あんな細い街灯では体は丸見えだ。

「えっ? これって普通じゃないの?」

 そう言ってあゆも真琴のほうを見る。

「だって、あゆが……」

 真琴の話を聞くと、前に祐一みたいな人が歩いていたのでびっくりさせようとしたらしい。こういうときは、後ろから近づいていって『だ〜れだ』とするのが恋人同士の定番だと聞いたあゆがダッシュで近づき、攻撃をしたのだという。

「そう言えばさっき、やっぱり俺だとか言ってなかったか?」

「うん、言ったよ?」

 きょとん、とした表情であゆは聞き返す。

「もしかして、俺かどうかも確認できなかったのに攻撃を仕掛けたのか?」

「攻撃じゃないよっ! 抱きついただけだもん」

「一緒だ」

「うぐぅ」

 ついつい頭を抱える祐一。嬉しかったのはわかるが、もう少し遠慮とか女の慎み深さとかを身につけてほしいと、切に願う祐一だった。

「まあ、とにかくだ。今日はもう遅いし帰るぞ」

 あゆを助け起こしながら、真琴に向かって祐一はそう言った。冬の日の入りが早いせいか、西の空に沈みゆく夕日が最後の輝きを放ち、朱色の絶叫を残しているところだ。

 新しい街では、CD一枚買うのも一苦労だな。と、思いつつ、祐一はあゆと真琴を連れて商店街を後にした。

 

 水瀬家

 

「ただいま〜」

「あ、三人ともおかえり。祐一、遅かったね」

 日が落ちてから家に帰りつくと、すでに名雪が帰宅していた。夕食の時間までまだ間があるせいか、リビングでくつろいでいたというのに、わざわざこうして出迎えてくれるのだからありがたい。まるで新妻のようだと思うが、それは口にしない祐一であった。

「CDは見つかった?」

「CDどころか店が見つからなかった」

「今週の木曜日だったら部活がお休みだから、一緒に行く?」

「そうしてくれると助かる」

「うん、お安い御用だよ」

 その名雪の笑顔が、なんとも頼もしく思える祐一だった。

 部屋に戻って着替えた後、祐一はベッドに寝っ転がったままマンガを読んで時間を潰す。今頃は秋子主導のもとに、名雪とあゆが一生懸命夕食の支度をしているところだろう。最近は真琴も手伝っているらしく、そんなわけで夕食の時間を楽しみにしている祐一であった。

「いかん、暇だ……」

 マンガを読み終えた後の時間を見ると、夕食まではまだまだ時間がありそうだ。といったところでなにかをするには足りず、なんとも中途半端な時間である。

 とりあえず、ぼ〜っとして過ごそうかと考えた祐一であった。

 ぼ〜っ……

 ぼけ〜っ……

 キシャァァッ!

「……って、なんだ? キシャァァッ! っていうのは」

 そんなバカな事を考えていると。

「ゆういち〜」

 ノックもせずに真琴が部屋に飛び込んでくる。

「お前な、ノックぐらいしろ」

「晩御飯できたよ……ってなにしてるの?」

「いや、なんでもないが」

 そう言って部屋を出る祐一であったが、夕食の時間に真琴が、祐一が部屋で変な声だしてた、と言った瞬間に、楽しい食事の雰囲気が一瞬にして凍りついた事は言うまでもない。

 秋子さんが、祐一さんも男の子ですからね、という笑顔がなによりも祐一には痛い。とりあえず、あとで真琴には制裁を加えておこうと決意する祐一であった。

 

 夜の学校

 

 夕食を食べ終えた後、祐一は部屋に戻る事にした。祐一がドアノブに手を触れたところで、誰かがトントンと階段を駆け上がってくる足音が響く。

「祐一」

 そのほうに顔を向けると、祐一の姿を見つけた名雪が急いで駆け寄ってくるところだった。

「食後のマッサージか? 悪いな、名雪」

「そんなのしないよ。それに、食後にマッサージなんてしたら、気持ち悪くなるよ? たぶん……」

「それもそうだな。じゃあ、風呂上がりに頼む」

「わ、まってよ」

 それだけ言って部屋に入ろうとした祐一の腕を、名雪がつかんで止める。

「なんだよ」

「わたし、まだ用を言っていないよ」

「風呂上がりでいいだろ?」

「マッサージの話じゃないよ」

 名雪は声を荒げるが、どうもその表情には迫力というものがない。

「じゃあ、なんだよ」

「ノートを返してもらいに来たんだよ」

「ノート?」

 ハニワ顔になって訊き返す祐一。

「貸してあげたよ? わたしのノート」

「あっ」

 今日の帰り際に、学校の授業範囲を把握するために、名雪からノートを借りていた事を思い出す祐一。もっとも、それは今の今まで開かれる事はなく、目すら通していない祐一であったが。

「今から予習とか復習とかするから、ノートを返してほしいんだよ」

「ああ、待ってろ」

 部屋に入ると祐一は、教科書やノートをまとめて放り込んである机の引き出しを開く。祐一が普段そのほとんどを学校に置きっぱなしにしてるためか、引き出しの中にはめったに使わないような教科書や、新品のノートくらいしか入っていない。なので、当然名雪のノートが出てくるはずもなかった。

 そこで祐一は床に投げ出したままのカバンの中身を調べて見るが、ノートどころか教科書すらも満足に入っていない。

「……と、言うわけで学校だ」

「うそ……だよね……」

 名雪の目が驚愕に見開かれる。

「悪いな、明日学校で言ってくれたら、その場で返すからさ。じゃ」

「じゃ、じゃないってば〜」

「じょ」

「じょ、でもないよ〜っ!」

「じゃあ、なんだ」

「それはこっちが訊きたいよ。どうしたらいいの?」

「名雪」

 祐一は優しく名雪の名前を呼んだ」

「お前、疲れてるんだよ。だから、とっとと寝てしまえ」

「なに誤魔化してるんだよ〜」

 これまでの話を総括すると、名雪は毎日教科書とノートを家に持ち帰り、毎晩寝る前に予習復習をしているらしい。祐一のように、掃除当番泣かせの重い机にしていないのだ。

「じゃあ、どうしたいんだよ。名雪は」

「予習と復習をしたいだけだよ」

「じゃあ、名雪は俺に今から風呂に入って湯冷めしないうちに寝ろと言うんだな?」

「言わない」

 そう言って名雪は祐一をジト目で見る。

「まあ、今夜は冷えるからな。言われなくても俺はそうするぞ」

「……昔から変わっていないよね、そういうところ」

「なにがだ?」

「自分の都合でわたしを困らせても平気なところ」

「困ってたのか?」

「なんだと思ってたの?」

「一日くらい予習復習ができなくたって、その分授業中に頑張ればいいだけだろ?」

「そうなんでけどね……」

 しかし、名雪は授業中に自分が寝てしまう事を自覚しているだけに、どうしてもそれを補うための予習復習が欠かせないのだ。

「しかたない、今から学校に行ってノートをとってきてやるよ」

「別に、そこまでしてくれなくてもいいよ」

「もとはと言えば俺のせいだしな。行ってくるよ」

「学校、開いてないよ?」

 ちょっぴりい言い過ぎたと思ったのか、名雪の声に勢いがなくなっていく。

「宿直の先生ぐらいいるだろ? 事情を話せば、なんとかしてくれるさ。いなきゃいないで窓ガラスを割ってでも入ってやる」

「そんな事したらダメだよ」

「冗談だ、とにかく行ってみるよ。それでだめならあきらめてくれ」

 祐一が部屋に戻り、コートを羽織って出てくると、完全防備の名雪がそこに立っていた。

「じゃ、行こうか。祐一」

 まったくの余談だが、外は猛烈に寒い。祐一にしてみれば名雪に迷惑をかけている以上、これは自業自得でもあるのだが、名雪としては自分のわがままで、祐一に迷惑をかけているように思ってしまう。

 結局、二人揃って夜の学校に向かうのだった。

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