第二十六話 商店街

 

 昇降口

 

「……あ」

 教室を出て昇降口に向かっている途中で、名雪が小さく声をあげた。

「どうした? 名雪」

「わたし、忘れ物」

「教室か?」

「うん。持って帰らないといけないプリント、机に入れっぱなしだったよ」

「じゃ、一緒に戻るか?」

「ううん、いいよ。祐一は先に出てて」

「わかった。じゃ、昇降口のところで待ってる」

「うん。すぐに行くからね」

 パタパタと階段を駆け上がっていく名雪と別れ、祐一はただ一人昇降口で靴を履き替える。まだ真新しい名札の張られた靴箱に上履きをしまい、そのまま外で名雪を待つ。

「しまった……めちゃくちゃ寒いぞ……」

 雪こそ降っていないものの、空はどんよりとした黒い雲に覆われており、時折吹きつける風が容赦なく祐一を襲う。そんな中で祐一は石畳の通路に積もった雪を、白いため息をつきながら眺めていた。

「……なにしてんのよ?」

 突然背後からかかった声に振り向くと、香里が呆れたような視線で祐一を見つめていた。

「なにって……名雪を待っているんだが……」

「わざわざ外で待たなくてもいいんじゃない?」

 言われてみると、確かにこの寒空の中で名雪を待つ必要はない。栞と違って校舎内にいるのだから、中で待っていればいいだけの話だ。そこで祐一はそそくさと昇降口の中に戻った。

「それで、どう? そろそろ新しい学校には慣れた?」

 制服が前開きの短いスカートであるにもかかわらず、大胆にも祐一の目の前でしゃがみ込みこんで靴を履き換えながら香里はそんな事を訊いてきた。

「ああ。寝ても大丈夫な先生と、そうでない先生の区別がつくようになった」

「ふ〜ん」

 隣の名雪を見ていればわかる事だが、それに対する香里の反応は冷ややかだった。

「なんだよ、そのふ〜んっていうのは」

「言葉通りよ」

「いや、それがわからないから訊いてるんだが?」

「ところで、名雪は今日も部活?」

 祐一の質問に応える気はないのか、香里は唐突に話題を変えた。

「いや。今日は休みだとかで、一緒に帰るところだ」

「……そう」

「なんだか、意味ありげな呟きなんだが?」

「言葉通りよ」

「だから、わからんつーのに」

「じゃあね、相沢くん」

 話はそれまで、と言わんばかりに香里はくるりと踵を返して去っていく。

「やっぱり、わからんな……」

 香里の態度に違和感を覚えるほど付き合いが長いというわけでもなく、かといって詮索しようにも本人の姿はない。

「祐一、お待たせ」

 そんな事をしていると、走って来たのか名雪が少し肩で息をしながら現れた。

「よし、行くぞ。とりあえずは商店街だ」

「うん」

 頷く名雪と並んで、祐一は学校を後にした。

 

 商店街

 

「たまには、二人でゆっくりと歩くのもいいよね」

「いつもは大抵走っているからな……」

「走るのも好きだよ」

「そうだな……」

 やはり名雪相手に皮肉は通じなかったか、と祐一はがっくりと肩を落とす。二人がやってきた放課後の商店街は、木曜日という事もあってしまっている店も多く、どこか寂しい雰囲気に包まれていた。

「祐一は商店街好きだよね?」

「そりゃ、嫌いじゃいけどな……。でも、改まって好きだっていうほどの事もないぞ」

「今日も夕焼けになるのかな……」

 足を止めた名雪が、そう言って空を見上げる。先程まではどんよりと曇っていた空は晴れて、僅かに青い空が覗いている。一日の最後になって、ようやくいい天気になったようだ。

「うん、いいお天気」

「寒いけどな」

「後、半年くらいの我慢だよ」

「そんなにかかるのか?」

「嘘だよ」

 それを訊いた途端に、祐一は名雪の頭を軽く小突いていた。

「殴る様な事じゃないよ〜」

「いや、悪質な冗談だ」

「う〜……悪質なのはいつも祐一の方だよ……」

 不満げに涙目で祐一を見上げ、小突かれた頭を押さえる名雪の仕草が妙におかしく、不思議と可愛かった。

「そういえば、お腹空いたね」

 名雪は切なそうにお腹を押さえる。そう言われてみると、祐一も小腹が空いてきたところだ。

「そうだな……。それじゃなにか食っていくか」

「イチゴサンデー」

 その即答ぶりには、ついつい祐一も天晴れと思ってしまう。百花屋さんのイチゴサンデーは、名雪のお気に入りだ。

「今日はおごりじゃないからな」

「えー?」

「えー、じゃない!」

「うー」

「うー、でもない!」

「くー」

「寝るなっ!」

「流石に、冗談だよ」

 そう言って名雪は微笑むが、どこまで冗談なのか祐一にはわからない。

「そんな事をしていると、置いていくぞっ!」

「わっ。待ってよ、祐一」

 先に立って歩きはじめた祐一の手を取り、名雪は必死にひきとめる。

「百花屋さんはこっちだよ」

 名雪が指さした方向は、祐一の歩きはじめた方向と正反対だった。

「ちょっとした冗談だ」

「今本気だったよ?」

「俺はいつでも本気だ」

「なんだか言ってる事が矛盾してるよ?」

「行くぞ、名雪」

「あ、うん」

 そうして、百花屋を目指す二人であった。

 

 百花屋

 

「ごちそうさまでした」

 きちんと両手を合わせていただきますと食べはじめ、食べ終わるときちんとごちそうさまを言う。相変わらずの礼儀正しさには、正面でコーヒーを飲んでいた祐一も思わず苦笑してしまう。

「甘いものばっかり食べてると、虫歯になるぞ」

「大丈夫だよ。ちゃんと食べるたびに歯を磨いてるから」

「……律儀な奴だな」

 秋子の教育の賜物なのか、単に根が真面目なためなのかは定かではないが、少なくとも祐一には真似ができそうにない。

「祐一は、ちゃんと磨いてる?」

「たまにならな……」

「たまに、はダメだよ」

 案の定、怒られてしまった。

「そんなしっかり磨かなくたって大丈夫だ」

「祐一、さっきと言ってる事が矛盾してるよ?」

 相変わらず名雪は、きょとんとしたような表情で祐一を見つめている。祐一からすると名雪は結構変な性格をしているように思えるのだが、それでまったく性格の違う祐一と血がつながっているのだから、なんとも不思議なものだった。

「あ……」

「どうした?」

「時計、止まってる……」

 名雪の左手首に巻かれた時計の秒針がピクリとも動いていない。どうやら、電池が切れてしまったらしい。

「どうしよう……。時計がないと不便だよ」

 確かに、朝のデッドラインに突入した際、あとどれぐらい走ればいいのかの目安がないのは厳しい。

「幸い、ここは商店街だ。どこかその辺の時計屋で電池を換えてもらったらどうだ?」

「そうだね……」

 会計を済ませて店を出て、しばらく商店街を歩いていると、すぐに目的の場所は見つかった。

「ちょっと待っててね。すぐに電池交換してもらうから」

 それだけ言い残して店に入っていく名雪の後ろ姿を、祐一は特になにかをするわけでもなく見送っていた。一緒に店にはいっても良かったのだが、時計屋になにか用事があるというわけでもないので、素直に外で待っている事にする。

「お待たせ、祐一」

 そして、しばらく待っていると、名雪が店から出てくる。手にはなにやら大きな箱の入った袋が握られており、どうやら電池を交換するついでになにかを買ってきたようだ。

「名雪……。まさかそれは……」

「うん。目覚まし時計」

 可愛いのがあったから買っちゃったよ。と、名雪は満足そうに微笑んでいる。

「起きられないだろ? お前は……」

「大丈夫だよ」

 笑顔でそう言い切る名雪ではあったが、翌朝祐一の懸念が見事に的中した事はもはや言うまでもない。名雪の部屋が目覚まし時計だらけの理由も、なんとなくわかる気のする祐一であった。

 

 なんでも屋

 

 この季節はとにかく陽が落ちるのが早い。商店街を名雪と二人でなにをするまでもなくぶらついていると、あたりはすっかり夕暮れ時のオレンジ色に染まっていた。今から帰れば、丁度陽が落ちるくらいには家につくだろう。

「あ、ちょっと待って祐一」

「うん?」

 見ると名雪は家とは反対の方向を指さしていた。

「あと少し、寄りたいお店があるんだけど……」

「今からだと暗くなるぞ?」

「大丈夫だよ。祐一と一緒だもん」

 笑顔でそう言い切る名雪ではあるが、逆に別の心配はないのかと問いただしたくなる。

「わかったよ。で、どこだ?」

 祐一は苦笑して、先に立って歩く名雪の後に続いた。

「ありがとう、祐一」

 すぐ横に並んだ名雪が、そう言って微笑みかけてくる。

「なんだか、デートみたいだね……」

「そうか?」

 祐一の感覚としては、仲のいい兄妹が商店街で一緒に買い物をしているだけだ。とはいえ、事情を知らない人間からすると、これは紛れもなく放課後のデートである。

「このお店だよ」

 商店街の奥に数分ほど歩いた所にある、一軒のお店の間で名雪が立ち止まる。

「ここってどんな店なんだ?」

「なんでも屋さん、かな?」

「いわゆる雑貨屋か……」

「うん。そんなところ」

 百花屋へ行ったあと時計屋に行って、最後に雑貨屋で締める。はじめは定番のデートコースだったが、祐一は次第に道がずれていっているように感じた。

 名雪が店に入っていくのに続いて、祐一も店の中に足を踏み入れる。店内には所狭しと商品が雑然と並んでおり、名雪の言う通りになんでも屋という表現がぴったりくるくらいの品揃えだった。

 そんな中で名雪は嬉しそうに、店内にある様々な品物を物色している。祐一には特にこれといって興味を引くようなものはなかったが、女の子にとってはこうした雰囲気を味わうのも大事なのだった。

「そういえば、あの目覚まし時計……」

「うん?」

「祐一に貸してあげたあの目覚まし時計、ここで買ったんだよ」

「あの余計に眠気を誘う、やる気のない目覚ましか?」

 そんなので起きられる祐一も祐一だが、ああいうメッセージを録音する名雪も名雪であった。

「祐一、ひどい事言ってる?」

「いや。ただ、珍しい目覚ましだなって思ってな」

「だって、私の二番目にお気に入りの目指ましだから……」

「じゃあ、一番はなんなんだ?」

「歯車の見える時計」

 名雪の部屋の片隅にひっそりと鎮座する、すごく大きくて文字盤が透明で中の歯車が動いているところの見える時計がそうだと名雪は言う。ちなみに一番の理由は、値段が高かったからだそうだ。なんとも名雪らしく、一番説得力のある答えだった。

 そんな事を語り合いながら店内を回っていると、やがて一周して元の場所に戻っていた。

「これで全部か」

「そうだね。そろそろ出ようか」

「結局、なにも買わなかったのか?」

「欲しいものはあったんだけど、時計を買っちゃったから……」

 お金がピンチになってしまったのである。ほとんど毎日を部活で過ごす名雪はバイトで稼ぐというわけにもいかず、部活がない時のイチゴサンデーが楽しみなのだそうだ。このあたりの経済事情は祐一も似たようなものなので、少しは名雪の気持ちもわかるつもりだ。

「例えば、祐一がなにかわたしにプレゼントしてくれるとか……?」

「それは夢のまた夢だな」

「ちょっと残念」

 口ではそう言うものの、名雪はちっとも残念そうではない。ある意味では、祐一の反応は名雪の予想通りのものだったからだ。

「大体だな。俺だって経済状態は名雪と似たようなものなんだからな」

「それなら、わたしはこれでいいよ?」

 そう言って名雪が手にしたのは、店の外に陳列されていた赤いビー玉だった。

「安いよ? 20円」

「そんなの、なにするんだ?」

「なにもしないよ。ただ持っているだけ」

「まぁ……それぐらいならな……」

 祐一は名雪の手に十円玉を二枚手渡す。

「ありがとう、祐一」

 なにがそんなに嬉しいのか、名雪はたった一つのビー玉を胸元で抱きかかえるように持っていた。

「……やっぱり変な奴だ」

 ビー玉一個もらってなにがそんなに嬉しいのだろうか。再び店内に消えた名雪の姿に、祐一は素直にそう思った。

 やがて、手にチェック模様の小さな紙袋を持った名雪が店から出てくる。

「じゃあ、帰るぞ」

「うんっ」

 上機嫌で頷く名雪と一緒に、ほとんど沈みかけた夕日を浴びて家路につく祐一であった。

 

 水瀬家 夕食時

 

 家に帰ってからの名雪は、とにかく上機嫌だった。それを見ている祐一が恥ずかしくなってしまうくらいに。

 当然のことながら、名雪の様子がおかしいことに気がついたあゆと真琴の事情聴取を受ける事となる。

「もっといいもの買ってもらえばよかったんじゃないの?」

 まるで我が事のように喜ぶあゆとは対照的に、真琴は至極まっとうな事を口にする。そんな20円程度のものをもらってそんなに嬉しいのかというのは、祐一も抱いている疑問だからだ。

「だって、祐一がはじめてわたしに買ってくれたものなんだよ? 値段は関係ないよ」

 たとえそれが一個20円の赤いビー玉だったとしても、そう言う付加価値をつける事で同じ重量のルビー以上の価値と輝きを見いだせる。女の子というのはそういう生き物だ。

 笑顔ではっきりとそう言う名雪の笑顔を前にしては、祐一も真琴もそれ以上なにも言う事は出来なかった。

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