第二十六話 お昼の風景
「兄さん、ちょっとお話いいですか?」
純一が教室に戻ると、音夢がものすごい剣幕で詰め寄ってくる。
「やあ、音夢じゃないか! 元気かい?」
なんとなくいやな予感がした純一は、必要以上にニカニカ笑いながら、元気よく手を挙げた。
「ここでお話もなんですから、食堂にでも行きませんか?」
その音夢の笑顔に、純一はこれからしかられる子供のような心境になってしまう。出来る事なら純一は、このままどこまでも遠くに逃げていきたい。だが、音夢にがっしり腕を掴まれている現状では、それすらもかなわない望みだった。
かくして純一は、食堂の一角にある被告人席、要は音夢の対面の席に強制的に座らされた。前の席には裏モード全開バリバリの音夢の笑顔と親子丼。純一の前にはうどんが置かれている。だが、その親子丼もうどんも一向に減る気配はなく、音夢の口はもっぱら純一の追及に使われている。
「兄さん。どういう事ですか?」
かなりひきつった笑顔のまま音夢は朝の出来事、純一の許婚と名乗る美少女が現れた事を手短に説明する。
「どうって、なにがだよ」
そう言われても純一には思い当たる事が無い。前世でのメルヘンや記憶喪失とかならともかく、まったくと言っていいほど純一には身に覚えが無かった。
「もうっ! ごまかさないでください。許婚の事ですっ!」
「そんな事言われても、俺は許婚の事なんて知らない。なんにも知らないんだよ」
「ウソばっかり!」
「ウソじゃないって。大体俺は、胡ノ宮なんて知らないぞ」
「じゃあ、どうしてこういう事になるんですか?」
「俺が聞きたい」
「ずっと兄さんと一緒にいるけど、こんな話はじめて聞きましたよ?」
「だろうな、俺もはじめてだ」
あたりの迷惑も顧みず、純一と音夢は言い合いを繰り広げる。そのとき、食堂の入り口に目をやった音夢が、純一に合図した。
純一がそこを見ると、おしとやかな少女が立っていた。純一が音夢に確認すると、あれが胡ノ宮だという。
環は食堂の入り口付近できょろきょろとあたりを見回している。やがて動きを止めるとおもむろに制服に手をかけ、勢いよく脱ぎ捨てた。
ふわりと制服が宙を舞い、その下から純白の白衣と深紅の袴、巫女服が姿を現す。
「なあ、音夢。制服の下にあんなかさばるものを着られるものなのか?」
「わ……私に聞かないでよ。兄さん」
それはともかくとして、学校の食堂に巫女装束の環がいる。取り合わせから言ってもまったく関係の無いシチュエーションだ。
環はどこから取り出したのか弓矢を手に持っており、純一達のいるほうに向けてゆっくりと構える。
「なっ? まさか、俺を狙うヒットマン? いや、女だからウーマン? いや、それ以前にどこからあんなものを?」
「だから、私に聞かないでってば!」
不思議が一杯初音島。だが、常識を超えた不思議に純一は大混乱だ。
環はゆっくりと弓を引き、手を離した。食堂内の視線は矢の走る方に注がれる。矢は純一達がいた近くの男子生徒のどんぶりを貫通し、見事に二つに断ち割った。男子生徒は気の毒にも、真っ二つになったどんぶりを放心状態で見つめていた。
「申し訳ありません。ちょっと手元が狂ってしまって……。お騒がせいたしました」
環は男子生徒にそう言って詫び、深々と頭を下げる。
「……手元が狂った、ねえ……」
「……と、言うか……。思いっきり故意に見えたのは私だけ? 兄さん……」
純一は思わず音夢と顔を見合わせた。
「あら……」
「こ、こんにちは。胡ノ宮さん」
音夢に気がついたのか、環が話しかけてきた。緊張しているのか、音夢の声が上ずっている。
「えっと……胡ノ宮?」
純一は環と手短に自己紹介をし、そのときに純一は許婚の事を聞いてみた。
すると、純一と環は親同士が決めた許婚なのだそうで、だとしたら純一と音夢が知る由も無かったのだ。
「わたくしといたしましても、気になりまして……」
「あ、ああ……確かにな」
もっとも、この許婚と言うのは環にもわからない事だらけなのだそうだ。なんでも環は幼いころの記憶を失っており、母親から純一が自分の許婚であると聞かされて育ったのだそうだ。その母も他界しているため、今となっては誰一人として事の真相を知るものはいないのだ。
「母は……。わたくしと朝倉様の間には深い絆があると言うんです……」
「絆……?」
「それって、どういう事?」
純一や音夢の疑問ももっともだ。だが、当の環本人も詳しい事はわからないと言う。
「ですから、この学園で朝倉様と一緒に過ごす中で、答えを見つけたいと思っているんです」
本人同士に自覚の無い許婚というものに意味があるとは思えなかったが、純一は環の言う深い絆とやらには興味がある。なにしろ環は、十人中九人は振り返るであろう美人だ。こんな美少女に好かれるのは男冥利に尽きると言うものだ。
そんな事を考えていると、音夢からの視線が痛い純一であった。
「あの……。わたくしの事は、良かったら『環』と呼んでください……」
「ああ。許婚はともかく、俺達は友達だからな。俺の事も純一でいいぞ」
「はい、朝倉様」
純一の言葉に、環はにっこりと微笑んだ。先程から、音夢からは照準レーザーでも放たれているように視線を感じる。口こそ挟んでこないものの、呼び方でやきもちを妬かれて純一は困った。
それから環は、お弁当を教室に置いてきたと言って、純一達に深々と頭を下げて食堂から立ち去っていく。その後純一は音夢からの嫉妬の視線にさらされる事になり、とても食事どころではなくなってしまった。
そのころ祐一達は、佐祐理に呼び出されて本校の屋上に来ていた。
「こんなところに呼び出して、一体なんの用なんだ?」
祐一の疑問はもっともだが、それに答えられるものはだれもいない。意を決して屋上への扉を開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
「お姉ちゃん、ポン酢頂戴」
「はい」
「ありがと」
美少女が屋上で鍋をつつきあっている。その光景はとてもこの世のものとは思えないくらいにのどかなものだ。
「舞〜、白菜煮えましたよ〜。とってあげますね」
祐一には見覚えの無い美少女二人と、舞と佐祐理が一緒に鍋をつついている。先程から屋上で繰り広げられている団欒の風景に、祐一達は言葉を失って立ち尽くしていた。
屋上でお弁当を食べると言うのはよくある風景だが、屋上で鍋と言うのは一風変わったシチュエーションだ。
「あっ!」
祐一達の姿に気がついたのか、ショートヘアの女の子が声を上げた。
「あ……」
ワンテンポ遅れてその隣にいたロングヘアの少女も声を上げる。
「あはは〜、祐一さん。いらっしゃい」
「あ、はい……。佐祐理さん、一体ここで何を?」
「はい、鍋は大勢で食べた方が美味しいですから」
答えになっていないどころか、会話すら成立していなかった。
「あれ? あんた確か……」
ショートヘアの少女が祐一を見て目を丸くする。祐一の方もこの少女に見覚えがあるような気がするのだが、いかんせん人の名前と顔を覚えるのが苦手な祐一にわかるはずもない。
「あたしは、水越眞子。で、こっちがお姉ちゃんの……」
「水越萌と言います。よろしくお願いしますね」
やたらとのんびりとした様子で、萌は丁寧に挨拶をした。それに合わせて祐一達もそれぞれ自己紹介を交わす。
「あ、どうも。相沢祐一です」
「美坂香里です」
「月宮あゆです」
「水瀬名雪です」
「天野美汐と言います。よろしくお願いしますね」
佐祐理の倉田家と水越姉妹の水越家とは懇意の間柄で、姉妹の父親が初音島で経営する総合病院の設立の際に多額の寄付をしたのが縁となっているのだそうだ。
「なるほど、そうでしたか」
「はい〜、倉田さんとはお友達なんですよ〜」
やたらとのんびりした様子で、萌が受け答えをする。こういうのんびりした相手には慣れているつもりの祐一であったが、上には上がいると言う事が良くわかる。
「ところで、相沢くんはどんな鍋が好きですか?」
「鍋ですか。そうですね……」
そう言って祐一は隣の名雪を見た。
「この間名雪が作ってくれた鍋はうまかったな。あれは一体なんだ?」
「あれは……ただのお味噌のお鍋にバターを入れただけだよ?」
こちらも萌に負けず劣らず、ポケポケした様子で名雪が答える。
「あれ? あんた達って、そう言う関係なの?」
「あ、いや。そうじゃなくて……」
眞子の疑問を、祐一は両手を振って否定する。祐一はとりあえず名雪とはいとこ同士なのだと説明した。
「ふうん、そうなんだ。あたしは鍋と言ったら南蛮鍋ね、それも鴨が入っていたら最高よ」
とりあえず話題をスルーさせてくれる眞子に、祐一はほっと胸をなでおろした。
「そう言えば〜」
突然萌が口を開く。
「『いとこ同士は、鴨の味』と言いますね〜」
「うぐぅ〜、どういう事なの? 萌さん」
「はい、それはですね」
萌はあゆの疑問に懇切丁寧に答えた。
鴨の肉はしっとりと味わい深い、いいものである。実際鍋に使われる鴨は合鴨といい、野生の鴨とアヒルをかけ合わせたものなのだ。アヒルは元々鴨を家畜化したものなので、両者の関係はいわばいとこ同士である。野生の鴨では味が強すぎ、アヒルでは脂が強すぎる。それが合鴨になると実に味わい深いよい肉となるのだ。
このようにいとこ同士のカップルは、鴨の味のようによいものであるという事である。
「そうなんだ、まるで祐一くんと名雪さんみたいだね」
何気ないあゆの一言であったが、祐一も名雪も何故か妙に緊張してしまい、食事どころではなくなってしまっていた。
その後も食事は続き、祐一達は萌の鍋談義や、意外な鍋奉行振りを見る事になる。予想に反して、屋上では不思議な団欒の風景が演出されていた。
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