夏模様

 

「祐一〜、準備できた?」

「ああ……」

 軽く扉をノックして入ってきた名雪に、背中を向けたまま答える祐一。先程から祐一は床に座り、背中を丸めたまま荷造りをしている。

 名雪は不意に祐一の背中に抱きつくと、まるでほお擦りをするようにその身を寄せた。

「祐一の背中、広いね……。それにあったかいよ……」

「な……名雪?」

 背中に伝わる心地よい感触。名雪の頭のしっかりした重みと、背中に当たる柔らかな感触に、祐一は思わず息をのんでしまう。

 きゅっと肩に回された細い腕。そして、つややかな髪から香るシャンプーの匂いが祐一の鼻腔をくすぐる。

 季節は夏真っ盛りで毎日が暑い。そのせいか今の名雪の格好は布地の薄いキャミソールワンピだ。状況が状況ならこのまま押し倒すんだけどな、と祐一は身体のある一部分を硬くする……。

「くー……」

 やがて聞こえてくる安らかな寝息に祐一は軽く肩を落とすが、何故か起こしてやる気にはなれなかった。

「祐一さん、準備のほうはできましたか?」

 秋子が名雪と同じように軽く扉をノックして部屋に入ってきたが、その中の光景にあらあらと目を細める。

 祐一の背中に抱きつき、半身を寄せて安らかな寝息を立てる愛娘。ここ最近は朝寝坊をしなくなった名雪ではあるが、祐一がそばにいると安心できるのか、こうして無防備な寝顔をさらしてしまうのだ。

「もう、名雪ったら……。祐一さんのご迷惑ですよ?」

 そう言って名雪を起こそうとした秋子を祐一が止める。

「もう少しこのままでいいですよ、秋子さん」

「でも……」

「……しばらくは、こうしてやることもできませんからね……」

 そんな二人の姿を、秋子はいつもの様子でほほえましく見つめていた。

 こうして祐一が荷造りをしているのには理由がある。それは、数日前のことだ。

 

 季節は冬をすぎ、この街にも夏がやってきた。

 世間一般では夏休み。誰もが夏を謳歌しているこのごろだが、受験生という立場の祐一は夏休み気分を味わう余裕がなく、夏期講習の毎日だった。このあたりが補習でロスタイムに突入した北川とは違うところだ。

 志望する大学を名雪と同じところにしたはいいが、ほぼ毎日を部活動で過ごしているわりには名雪の成績は良く、それに追いつくために祐一は香里を相手に必死に勉強の毎日だった。香里が言うには祐一の頭は悪いものではなく、きちんと勉強すれば名雪に追いつくのも容易いとのことだが。

 そんなわけで祐一は学年主席の香里を筆頭に、佐祐理さんたちの協力を得て受験勉強をがんばっているのだが、ここで少々困った問題が起きた。

 連日の猛暑はこの街に住むもの全てに平等に降り注いでおり、祐一の知り合いになる少女たちは皆夏の装いに身を包んでいる。

 夏でも紫外線対策と称して肌の露出を控えめにしている美汐はまだいい。

 連日の猛暑の中勉強を教えてもらおうと佐祐理と舞が一緒に暮らすアパートに向かった祐一は、出迎えた二人の格好に言葉を失う。二人とも薄手のキャミソールで自らのグラマラスな姿態を惜しげもなく披露し、祐一を惑わせるからだ。しかもクーラーをガンガンに利かせた部屋で、ちょっと寒いですね〜、といって寄り添ってくるのだ。二人で祐一の左右をがっちりと固め、柔らかなふくらみを押し当ててくるのだからたまらない。俺には名雪がいるんだからとかろうじて踏みとどまったが、これでは祐一の理性がもちそうにないし、勉強どころの騒ぎではない。

 もっとも、既成事実さえ作ってしまえばこっちのものです〜、という佐祐理の微笑みは、祐一のあずかり知らぬところではあるが。

 そこで今度は香里のところに行った祐一ではあるが、一緒に勉強をしているときの格好。下着が見えるくらいの薄手のブラウスとミニスカートの組み合わせは強力すぎる。いくら家の中だとはいえ、二人きりのときにその格好をされると、ここでも勉強する以前に祐一の理性が持ちそうにない。

 まったくの余談だが、ここぞとばかりに薄手のキャミソールで参戦してきた妹に対し、服に着られるようじゃまだまだね、という姉の一言は辛辣だった。

 これは祐一が居候している水瀬家においても同様で、名雪はキャミソールワンピで魅惑的なボディラインを惜しげもなく披露し、あゆは名雪のお下がりの胸元が涼しげな肩を紐で止めるタイプのサマードレスに白いリボンで一夏のお嬢様の雰囲気をかもし出し、真琴もあゆと同じく名雪のお下がりのタンクトップとホットパンツで活動的なイメージを演出していた。

 このあたりは名雪の服装に関するセンスの良さが如実にあらわれたところだろう。

 夏が少女たちを開放的にするのか、彼女たちは連日そのような格好で祐一の前をうろつきまわり、その結果祐一は理性がリミットブレイクを迎える寸前にまで追い込まれつつある。そんなある日のことだった。

 

 ある晴れた日の昼下がり、昼食を終えてくつろいでいたリビングに、突如として電話の電子音が鳴り響く。

 せっかくの二人きりなのに無粋な、と祐一は電話を睨みつける。なにしろ今日は名雪の部活が無く、秋子さんも仕事で不在。あゆは栞の家に夏休みの宿題を片付けに行き、真琴も同じく美汐の家だ。

 つまり、今祐一は水瀬家に名雪と二人きりなのだ。

 名雪とは恋人同士であり、これまでにも結構深い関係にまでなってはいるが、いかんせん家族が共に過ごす家で二人きりになるのは難しいことだ。

 そんな千載一遇のチャンスを邪魔されて、祐一は少し不機嫌になってしまう。

「あ、電話……」

 それまで祐一の肩に身を寄せていた名雪が、キャミソールワンピの裾を翻して電話に向かう。名雪夏バージョンとでも言うか、所謂部活仕様で髪を赤いリボンで一つに束ねた名雪の白いうなじのラインが妙になまめかしく見える。

 さっきまで少しだけいいムードだっただけに、祐一はなんとなく獲物を逃したような気分になっていた。

「はい、水瀬です」

 鈴を転がすような名雪の声がリビングに響く。実はこれが名雪のよそいきの声で、祐一と二人きりのときはもう少し甘えた感じの声だ。

「はい、あ……」

 名雪の顔が少し明るくなったので、祐一は知り合いからだと思った。たぶん香里からだろう、狙いすましたかのようなタイミングだ。

「……はい、ちょっと待ってくださいね。祐一〜」

「俺?」

「祐一のお母さんからだよ」

「お袋から?」

 祐一の両親は今海外にいる。こうして電話をかけるにしても、会いに行くにしても金がかかるため、こうして連絡が入るというのは珍しいことだ。

 普段は放任主義を公言してはばからない両親なだけに、祐一は少しだけいやな予感をしつつも受話器を受け取る。

「もしもし?」

 さっきまでこの受話器を名雪が使ってたんだよな、と邪なことを考えつつ祐一は電話を替わる。

『お楽しみのところを邪魔して悪いね、祐一』

「ごふっ!」

 突然の言葉に祐一は激しくむせかえる。見てたんですか、母さん……。

 ふと見ると名雪が怪訝そうな顔でこちらを見ている。祐一は気を取り直して電話に向かった。

「で? なんの用だよ。国際電話って高いんだろ?」

『子供がそんなこと気にするんじゃないわよ。まあ、用件は手短に言うけど……』

 

「祐一のお母さん、なんだって?」

 間違ってもおばさんといわないところがいかにも名雪らしい。それはともかくとして、母親からの電話を終えた後、妙に浮かない顔をしている祐一を心配して、名雪は祐一の背中にしなだれかかるようにして聞いてみた。

 夏場にこうしてくっついてくるのは多少暑苦しいが、名雪の柔らかい感触が楽しめるため、祐一は特に気にしていなかった。

「ああ、それは後でみんながいるときに話すよ。そんなことより、名雪……」

 祐一は名雪の体を正面から抱き寄せると、そのままソファーに押し倒す。ある意味祐一は限界だったからだ。

 張りの良い豊かな乳房と、陸上競技で鍛えられた引き締まった尻肉。名雪がキッチンを忙しく動き回るたびに、それがぷるんぷるんと揺れて祐一を誘惑するのだ。どうせ二人っきりなのだからと名雪に『はだえぷ』を要請した祐一であったが、それは光の速度よりも早く却下されてしまう。それならばと祐一はキッチンの椅子に陣取ったまま、昼食ができるまで名雪の後姿を堪能することにしたのだ。

 このまま名雪の背後から襲いかかり、思うままに獣欲の限りをつくしたい、という欲望と、やはり食後のデザートに、という欲望が真っ向からぶつかり合い、しのぎを削っている間に昼食ができてしまったのだ。

「あ……祐一……」

 正面から至近距離で、祐一は名雪の顔を見つめる。名雪の肌はきめ細かくて弾力があり、引っ張るとどこまでも伸びそうなくらいに柔らかい。祐一は特に化粧もしていないのに、ひときわ赤い部分の感触をじかに楽しもうと静かに唇を寄せていく。

 そして、お互いの唇が今まさに触れあおうとした、その刹那。

「ただいま〜」

「あう〜、あつかった〜」

 玄関のほうからひときわ大きな声が響き、あゆと真琴はそのままバタバタとクーラーの効いたリビングに駆け込んでくる。

「うぐぅっ!」

「あう〜っ!」

 その中の光景に言葉を失う二人。異常なまでの静寂がリビングを包み込み、水瀬家の時が止まった。

「………………………………」

「………………………………」

「………………………………」

「………………………………」

 四者四様の想いがそれぞれの胸中に去来し、そして時が動き出す……。

「ボ、ボク、急用を思い出したから……」

「ま、真琴は忘れ物してきちゃったの……」

「そんなあからさまに気を使うなっ!」

 あわてて踵を返し、リビングを出て行こうとした二人を祐一が止める。このとき祐一は、やはり水瀬家で名雪と二人きりになるのは無理なのだと心のそこから確信した。

 

「まあ、姉さんが……」

「親父が一週間ばかり休みが取れたんで、その間だけでも家族で過ごそうってことなんですが……」

 昼に受けた電話の内容を、祐一は夕食時にみんなにかいつまんで話した。

「私は了承ですけど……」

 途端に騒然となる食卓に、秋子はいつもの様子で左手を頬に当てる。

「うぐぅ、どういうこと? 祐一くん」

「そうよ、どういうことなのよぅ」

 案の定、騒ぎ出すのはあゆと真琴の二人だ。ちなみに名雪はというと、不思議な沈黙を守ったままだった。

 お子様である二人が祐一関連でわがままになるのはいつものことで、それを宥める秋子さんと名雪というのもいつものことだ。

「それなら祐一くん、ボクも……」

「あゆずるいっ! それなら真琴も……」

 あゆと真琴は瞳をきらきらさせて同行を志願する。しかし、祐一はできることなら余計な気苦労をすることなく、両親のところへいこうと考えていたのだ。

「二人とも、あまりわがまま言って、祐一を困らせたらだめだよ」

 そこに名雪が助け舟を出すように二人を宥める。祐一と離れたくないという気持ちが一番強いのは名雪本人だろう。その名雪がこうして宥めるのだから、あゆと真琴はそれ以上言葉を続けられなくなってしまう。

 もっとも、あゆや真琴が実際に祐一と同行できるかといえば、それも無理な相談であった。

 あゆは七年の眠りから覚めたばかりで、まだ病院関連の定期健診があり、とても遠出のできる状況でない。

 真琴はこの街から離れることに不安があるし、ましてや人見知りの激しい性格では祐一の苦労は目に見えている。

 名雪はまだ夏休みが序盤であり、陸上部の大会はこれからが本番。部長という立場ではまだまだ多忙な日々が続き、名雪の性格上個人の事情で部活をないがしろにすることもできない。それにせっかくだから祐一には家族水入らずで過ごして欲しい、という気持ちもある。

 祐一もそんな三人の気持ちは痛いほどわかる。しかしながら、これ以上刺激的な環境下で理性を保ち続ける自信に乏しいのも事実だ。

 小さいころから学校が長期の休みになるたびに水瀬家に訪れていた祐一ではあるが、夏に来たことはあまり無く、その当時はまだ子供であったために男女の性差を意識するまでには至らなかった。

 だが、現在の状況。ほとんどハーレムに近い環境下では、いやでもあゆたちの女性を意識してしまう。少し頭を冷やす意味でも、一人になりたいというのが本音だ。

 できれば名雪を連れて行き、恋人として両親に紹介したいという思惑もあったが、都合がつかないのではどうしようもない。

 そして、下手に誰かを連れて行って誤解されるのも面倒だし。結局のところ、秋子と名雪の二人がかりの説得により、あゆと真琴も納得してくれたのだった。

 

「それじゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい、祐一くん」

「祐一〜、お土産忘れないでね」

 水瀬家の玄関先で、あゆと真琴をはじめとして家族みんなで見送ってくれる。本当は駅まで見送りにいく予定だったが、流石にそれは祐一が遠慮した。

「いってらっしゃい、祐一さん。姉さんと義兄さんによろしく伝えてくださいね」

「………………………」

 にこやかな笑顔の秋子とは対照的に、祐一には名雪の表情はどこか苦しげに感じられた。やはり祐一と別れるのが辛いのだろうが、一人で両親のところに向かうのを了承した手前、そのことを言い出せないのだろうと思われた。

「じゃ、いってくるぞ、名雪」

「あ……うん……。いってらっしゃい、祐一……」

 でがけにそんな表情をされると出て行きにくくなるが、未練を断ち切るつもりで祐一は玄関のノブに手をかけた。

「祐一っ!」

 突然の名雪の叫びにその場にいた一同の視線が集中する。

「……なんでもない……。気をつけてね、祐一……」

「あ……ああ……」

 そうして玄関を出て行く祐一の後姿を、名雪は瞳に焼きつけるようにしてずっと見つめていた。

 

 その日の夕食。最初の異変は、この食卓で起きた。

 いつもならみんながわいわいにぎやかに食事をする場であるのに、何故かこの日は会話が少なく、食器と食器のあたる音が静かに響くのみだった。

「あう〜……」

 お箸の先を口元に当てたまま、真琴が一つだけ空いた席を見てうめくような声を上げる。

「どうしたの、真琴。食事が進んでいないみたいだけど……」

 そんな真琴の様子に、秋子は心配そうに声をかける。それを横目で眺めつつ、真琴は呟くような声を出した。

「……祐一がいないとつまんない……」

 何気ない一言であったが、その場の雰囲気を盛り下げるには充分であった。

「真琴ちゃん!」

 あゆの叫びに、真琴は隣の名雪を見た。まるで生気を失ったかのように蒼白になった名雪の顔色に、真琴は自分の発言の重大さを知る。

「あ……これ美味しいね、秋子さん」

「真琴これが好き〜」

 なんとか二人は場を盛り上げようとするが、時すでに遅し。

「……わたし……ごちそうさま……」

「まだ残ってるわよ、名雪……」

「ごめんなさい……食欲がないの……」

 そのまま力なくキッチンを出て行く名雪の後姿を、あゆたちは黙って見送るしかできなかった。

 

「祐一……」

 入浴の後、名雪は祐一の部屋の前にいた。昨日まではここにいた住人がいないため、部屋は妙に静かだ。

 扉の向こうは暗く、それはそのまま名雪の心情を表しているかのようだ。

「あれ? 名雪さん」

 振り向くとそこにはあゆがいた。風呂上がりでさっぱりしたのか、いつもより輝いているようにも見える。

「もしかして……祐一くんがいないと寂しい?」

「そ……そんなことないよ」

 あゆの言葉に名雪は思わず大きな声を出してしまう。口では大丈夫だとは言うものの、内心の動揺までは隠せないようだ。このあたりが名雪のウソがつけないところであろう。

「それに、わたし七年待ったんだよ?」

 七年待ったのはあゆも一緒であるが、あゆがずっと寝たきりだったのに対して名雪は現実の時間の中をすごしてきたのだ。その間に名雪は祐一に手紙を書いたこともあるが、祐一からはただの一度も返事が来ることはなかった。名雪からの手紙を全部読んでいたにもかかわらず。

「だから……大丈夫だよ……」

「名雪さん……」

 なんとか心配かけまいとする名雪の心遣いが、いまのあゆの目には痛々しく映る。ある意味あゆたちはそれなりに納得したうえで祐一を送り出したのだが、やはり名雪の心のどこかでは祐一を求めてしまうのではないだろうかと思われた。

「そうだ、名雪さん」

 いいことを思いついた、とばかりにあゆはぽんと手を打つ。

「今日はこのまま祐一くんのベッドで寝ちゃおうよ」

「え……? でも……」

「ボクも祐一くんがいなくて寂しいんだよ。だから、名雪さんが一緒に寝てくれると嬉しいな……」

 あゆはそう照れたように笑う。

「ああっ! あゆなにしてんのよぅ」

 二人が祐一の部屋に入ろうとしたときに、丁度真琴が二階に上がってきた。お風呂にはぴろと一緒に入っていたのか、二人とも風呂上りのさっぱりとした雰囲気だ。

「名雪さんと一緒に祐一くんのベッドで寝ようと思ってるんだけど……。真琴ちゃんはどうする?」

 名雪に比べるとささやかだが、真琴に比べると張りと形のいい胸をそらしてあゆはふふんと笑う。少しはこうして姉らしいところを見せないと、あゆも立場のないところだ。

 もっともこのあたりは、祐一に言わせると『どんぐりの背比べ』なのだが……。

「あ……あう〜……」

 あゆにそう聞かれて、真琴は真剣に悩んだ。真琴としても祐一のベッドで寝たい、名雪と一緒に寝てみたい。でも、名雪と一緒に寝るならぴろと一緒に寝られない。真琴は頭から煙が出るくらい必死になって考えた。

 祐一がいなくて寂しいというのは事実。名雪を支えたいというのもまた事実。

 おそらくあゆや名雪には想像もつかないであろう激しい葛藤の末、真琴はぴろと寝るのをあきらめて名雪たちと一緒に寝ることにした。

 

 祐一の広いベッド。いくら広いとは言っても、女の子三人が川の字になって寝るには少々狭いようだ。これが男女の間であれば、多少狭いくらいが丁度いいのだが。

 夏場にくっついて眠るというのは少々暑苦しいものがあるが、名雪たちはこうしたふれあいが好きだったりする。

 右手にあゆ、左手に真琴を抱きつかせながら、名雪は眠れずにいた。

「祐一くん……」

「祐一……」

 寝言で祐一の名を呼びながら、あゆと真琴はころんと丸くなって名雪に身を寄せてくる。名雪が落ち込んでいるのを心配して、こうして寂しくないようにしてくれているのだろう。そんな二人の心遣いが、今の名雪には嬉しく思えた。

(元気、出さなくちゃね……)

 自分を包みこむような柔らかな温もり、それと鼻腔をくすぐる祐一の残り香に、名雪はいつしか夢の世界へ誘われていった。

 

 祐一の帰省期間は五日。少なくとも移動に一日を費やすということを考慮すれば、両親と過ごせるのは三日という計算になる。また、両親のほうも海外からの帰省とあって、移動には一日を費やす。結局のところしばらくぶりの親子の対面というイベントも、時間との戦いになってしまうのだ。

 そして、その間の名雪の憔悴ぶりは、誰の目にも明らかに映る。それを心配したあゆが名雪を百花屋に誘うのだが、なんと名雪は好物であるはずのイチゴサンデーにほとんど手をつけることがなかったのだ。

 どうもこうしていると祐一と一緒にいるときのことを思い出してしまうらしく、その意味ではあゆの作戦は失敗したと言えるだろう。

 これに驚いたのが百花屋のマスターだ。

 普段彼は名雪を窓際の席へと案内している。それというのも、名雪のような綺麗系の美少女がなんとも美味しそうにイチゴサンデーを食べる姿は、この店にとってまたとない宣伝になっているからだ。

 それに最近は祐一と二人で利用することもあり、その仲睦まじい様子に惹かれてこの店を利用するカップルも多く、その意味で百花屋はちょっとしたスポットになっている。それだけにマスターのショックは相当なものだ。

 結局のところあゆは元気を出させるどころか、前以上に名雪を消沈させることになってしまい、重苦しい雰囲気を引きずったまま家路についたのだった。

「ただいま〜」

「……ただいま」

「おかえりなさい……」

 明るい声と暗く沈んだ声を出迎えたのは、涙交じりの秋子の声だった。

「今、連絡があったの……」

 ただごとではない様子の秋子に、二人は聞き耳を立てる。

「祐一さんが、事故でね……」

「祐一が事故?」

 秋子の声をさえぎるように名雪が大きな声を上げる。名雪の脳裏には、忌まわしき冬の出来事が思い出されていた。

「そんな……嘘……」

 名雪はぐらりと揺れる天井の風景を見た後、意識を手放した。

「名雪さん、しっかりして! 名雪さ〜ん!」

 薄れゆく意識の中で、名雪が聞いたのは悲痛そうなあゆの叫びだった。

 

「あれ?」

 目を覚ました名雪が見たものは、知らない天井だった。だけど名雪は、目が覚めないほうが良かったように思えた。

 自分の愛する人がいない世界に、生きていても仕方がないからだ。

「目が覚めたか……」

 そのとき、名雪の耳朶を打ったのが聞きなれた声。名雪が誰よりも恋焦がれる祐一の声だ。

「そんな……嘘だよね……」

 名雪は心配そうな目で見つめる祐一を前に、呆然としたように口を開く。

「わたし……夢を見てるんだよね……」

 祐一は黙って名雪の頬を引っ張る。すべすべとした感触が妙に懐かしく、しかもどこまでも引っ張れそうにやわらかい。

「いふぁい、いふぁいよ祐一」

「じゃあ、夢じゃないな……」

 そう言う祐一はいつものように悪戯好きな少年のように笑っている。どうやらこれは夢ではなく、本物の祐一のようだ。

「でも、どうして?」

「どうしてって、なにがだ?」

「だって、祐一が事故にあったって……」

「事故? ああ……」

 祐一は納得したように、何度も首を縦に振った。

「事故で電車が遅れるから、こっちに着くのは遅くなりそうだ、って電話したんだが……」

 それを聞いた名雪の目が点になる。

 実は秋子の方も、今晩はカレーにするつもりで真琴と一緒にたまねぎを刻んでいただけだったりする。

「そうなんだ……。びっくりさせないでよ」

「びっくりしたのはこっちだ!」

 突然祐一は大きな声を出す。ここが病院の個室でなければ、あたりの迷惑になっているところだ。

「家に帰ってみればお前が倒れたって言うし、秋子さんはおろおろととりみだして落ち着かないし、あゆと真琴じゃ要領を得ないし……。余り心配かけるなっ!」

 祐一の声に、名雪はぴくっと身を固くする。

「まったく……」

 祐一はそっと名雪の身体を抱き寄せた。

「……無事でよかった」

「祐一……」

 久方ぶりに感じるお互いの温もり。もう何年も味わっていないような感覚に、次第に二人の顔と顔が接近していく。

 そして、互いの唇が触れ合おうとした刹那、背後で大きな音がした。

「なにやってるのよ、あゆ〜」

「真琴ちゃんが押すから……」

 振り向くとそこには、病室の入り口で真琴があゆにのしかかるようにして倒れていた。

「あゆ、真琴……」

「あ、え〜と……あう〜」

「あ、祐一くん。ボクたちのことは気にしないでいいからね」

 続きを促すあゆに、祐一は頭を抱えた。せっかくいいムードだったのに……。

 とはいえ、あゆも真琴も名雪を心配してくれていることには変わりがないし、せっかくお見舞いに来たというのに、これでは中に入れもしない。

 やはり名雪と二人きりにはなれないのだな、と祐一は自嘲気味に呟いた。

 

 夏はまだ続く

 どこまでも澄み渡る青い空の下で

 お互いの絆を確認した

 そんなある日の出来事

 

「え……?」

「親父とお袋に話してきた。お前とのこと……」

 祐一と名雪はいとこ同士だ。どんなにお互いが好きあっていても、やはりなにかと問題がある。

 二人がまったくの他人同士であるなら、問題は無いのだが……。

「それで? 祐一……」

 不安そうな瞳で祐一を見上げる名雪。不安を解消するように、祐一は優しく名雪の頭を撫でる。

「『了承』だってさ」

「あ……」

 名雪は破顔し、その瞳からは涙があふれ出る。

 祐一は名雪の身体を優しく抱きしめると。

「ん……」

 お互いの思いを確かめ合うように、あつい口づけを交わすのだった。

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