ある夏の一日
皆さんおはようございます、天野美汐です。毎日暑い日が続きますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
私たちの住む街。冬になるととにかく雪が降り積もるこの街にも夏がやってまいりました。
これは、そんなある夏の日の、私たちの物語です。
「……どうしましょうか……」
床に直接ぺたんと座り込んだ私の目の前にある衣類。ピンク色のキャミソールに、私は深くため息をついてしまいます。
今の季節は夏です。毎日が暑いです。着るものが薄着になるのもわかります。
栞さんが言うには、今時はこういう格好をするのが普通だそうですが……。
買ってしまってから言うのもなんですが、こんな下着みたいな格好ができるわけないじゃありませんか!
それなのに、どうして私がこんなものを持っているのか。話は三日ほど前にさかのぼります……。
この日私の家ではすでに恒例行事となっている『第三十六回女性の容姿に関わる討論会定例会議』が行われていました。この会合に参加しているメンバーは私と栞さん、そしてあゆさんの三人で、私たちのことを相沢さんが『貧乳連合』とか『ない乳同盟』と読んでいることからも、この会合がどういった集まりなのかご理解いただけると思います。
普段は女性の、ある一部分の体格向上を目指した会合の場を持ち、お互いに成果報告をを行っているのですが、今日の会合は普段と様子が違っていました。それというのも……。
「うぐぅ?」
私と栞さんの視線を浴び、あゆさんはいつもの様子で小首を傾けます。その表情からは、なぜ自分が注目されているのわからないという色が窺えました。
「あゆさん、それ……」
「これ?」
あゆさんの着ている純白のサマードレス。
これは肩を紐でとめる、胸元が大きく開いたデザインのドレスで、腰の部分に巻いてある帯がまるで翼のように広がっていました。いつものカチューシャの代わりに巻いた白いリボンは、いつものあゆさんとは違う雰囲気をかもし出しています。
冬の間はダッフルコート、春はオーバーオールという具合にどちらかというとボーイッシュなイメージだったのですが……。今のあゆさんは、どこかのお嬢様のように見えます。春先に切った髪が肩の辺りまで伸びているので、余計にそう見えるのかもしれません。
「名雪さんのお下がりなんだよ」
そう言ってあゆさんはやわらかく微笑みます。あゆさんは名雪さんに憧れてますし、理想の女性像としてみていますから、まずは格好から入ることにしたのだそうです。あゆさんの持つかわいらしさを最大限に引き出す、というコンセプトのもとに行われたであろうコーディネートは、全て名雪さんの手によるものだそうです。
このあたりが名雪さんのセンスの良さが窺えるところですね。
それにしても、それほど大きいわけでもなく、さりとてそれほど小さくもない、所謂美乳系のバスト。きゅっと引き締まり、ウソのように細くくびれたウェスト。そして、やや小さめで形の良いヒップ……。
小柄ながらも出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるあゆさんのスタイルのよさには驚きです。今までの格好が肌の露出を抑えたもので体型が目立たないものでしたから、私もまるで気がつきませんでした。まさしく腐ってもたい焼き、流石はメインヒロインというところですね。
この日の会合はイメージチェンジに成功したあゆさんの話題に終始したのですが、問題はその後の栞さんでした。
「あゆさんの馬鹿〜!」
はむはむ、ごっくん。
「裏切り者〜!」
はむはむ、ごっくん。
「ほら、美汐さんも食べてください。今日は私のおごりですから」
そう言ってくれるのはありがたいのですが、バニラアイスばかり食べられるものではありません。すでにカップを五〜六個食べてしまった栞さんと違い、私はまだ一つ目も終わっていません。
「……それとも、美汐さんは私のアイスは食べられないとでも言うんですか?」
「いえ、そんなことはありませんが」
これはいけません。栞さんの目は完全にすわっています。バニラアイスで酔っ払う人なんてはじめて見ました……。
本当に美味しいものは人を酔わせると言いますが、これはちょっと……。
「それに、アイスが溶けてしまっているではないですか……」
食が進まないのは栞さんの食べっぷりに気おされたのですが、今の栞さんには私がなにを言っても無駄のように思えます。
「こうなったら仕方ありません、ぐ〜っといっちゃってください。ぐ〜っと」
そんな酷なことはないでしょう……。
「こうなったら美汐さん、私たちもやるしかありません」
「なにをですか?」
「この夏のイメージチェンジです」
そんなわけで私も胸元の大きく開いたキャミソール、しかも丈はひざ上10センチのワンピースを買う羽目になってしまいました。この短さは学校の制服をのぞけば、少なくとも私の手持ちの衣類の中では群を抜いています。
「はぁ……」
再び私の口からため息があふれてきます。いくら今までのイメージを払拭するためでも、物事には限度というものがあります。これを選んでくれた栞さんは『これは勝負服です』といっていましたが、これで一体なにを勝負するのでしょうか……。
まさかこの格好で相撲をするわけでもないでしょうに。
相撲……?
がっぷり四つのぶつかり合い。くんずほぐれつ大激闘。そして決まり手、四十八手……。
私は一体……なにを考えているのでしょうか……。頬が熱くなっていくのを感じます。今私の顔を鏡で見たとしたら、トマトのように真っ赤でしょうね。
「美汐〜、遊ぼ〜」
そんなことを考えていますと、不意に玄関の扉が勢い良く開かれ、にぎやかな声と足音が近づいてきます。
「美汐〜」
そしてノックもなしに部屋の扉が開かれます。まあ、いつものことなのですが……。
「あれ? 美汐、どうしたの?」
「なにがですか?」
「顔、真っ赤だよ」
イチゴジャムみたい、というのは真琴の普段の生活がよくわかるところです。
「そんなことよりも真琴、部屋に入るときにノックぐらいはするものですよ」
私は床に座り込んだまま、真琴に『親しき仲にも礼儀あり』ということを懇切丁寧に教え諭しました。
「……あう、ごめんなさい……」
私が話し終えると、真琴は涙目になって謝りました。素直ですね、真琴は。
「あれ? 美汐、それ……」
真琴は私の目の前にある衣類、キャミソールを見た途端、キラリと瞳が輝きました。そう、それはまるで獲物を見つけた子狐のような、そんな瞳でした。
「美汐もそういうの着るんだ……」
「着ません」
「着ないの?」
「ええ」
「じゃあ、どうしてそんなの持ってるの?」
いきなり核心を突く質問に、私は一瞬言葉に詰まってしまいます。流石にあゆさんがうらやましくなって、栞さんとの売り言葉に買い言葉でつい買ってしまったなんて、口が裂けても言えません。
「あのね、美汐……」
真琴は私と同じように床に座り込むと、じっと私の目を覗き込みました。
「……このお洋服は名雪のお下がりなんだけど……」
今真琴が着ている服、肩紐のない胸の辺りにまきつけるようなタンクトップとデニムのホットパンツは名雪さんのお下がりで、活動的な真琴のイメージに合わせて名雪さんがコーディネートしてくれたものなのだそうです。
「このお洋服にはね、名雪の思い出が一杯詰まっているんだって……。もう名雪は着られなくなっちゃったけど、その分真琴に思い出を作って欲しいんだって」
真琴は真剣な表情で一生懸命に話してくれています。こんな饒舌な真琴を見るのは、なんだかはじめてのような気がします。
「それにね、せっかくのお洋服も、誰にも着てもらえないんじゃ可哀相でしょ?」
上目遣いのうるうる瞳。だめです真琴、そんな目で見ないでください。
「ねえ、美汐……」
「……わかりました……」
私はため息混じりにうなずきます。そうまで言われては、着ないわけにもいきませんし。
とりあえず真琴に外に出てもらうと、私は未知の領域に足を踏み出すことにしました。
さてと、とりあえず……。
私は着ていた服を脱ぎ、飾り気のない白の上下だけになって、姿見の前で服を合わせてみます。
だめですね、これではブラの肩紐が見えてしまいます。そうなると肩紐のないタイプのブラに変えたほうが……。そうなると下の方も……。
いつものコットン百パーセントでもいいのですが、ここはこの服に合わせて……とっておきのアレを……。
着替え終えた後で姿見を見ますと、そこには天使が一人……。これは少し言いすぎですが、これが私? と思うくらいの変貌振りには、当の私が一番驚きました。
ブラのカップのおかげなのか、つんと突き出した胸。相対的に細く見える腰周り。どれをとっても先程までの私とは別人のようです。そのまま姿見の前で一回転して見ます。どこもおかしいところはないみたいですね。
「えっと……確か……」
私は以前に読んだ本のモデルがしていたように、右手を頭の後ろに回し、左手を腰にあてます。
と、そんなときでした。
「なんだよ真琴、いきなり呼び出して……」
「まあまあ、いいからいいから……」
がやがやとにぎやかな声が近づいてきます。この声は……。
「美汐〜、着替え終わった〜?」
ノックもなしに扉を開ける真琴。そして、その中には脱ぎ散らかした服と、鏡の前でポーズをとる私。
相沢さんがあんぐりと口をあけているのが見え、その隣では真琴が大きく目を見開いていました。
不意に訪れる沈黙の刻。刻が止まるとはこういうことを言うのでしょう。
「天野〜っ!」
突如として沈黙を破った相沢さんは、叫ぶなり私に飛びかかってきます。しかも器用にも空中でTシャツとGパンを脱いでトランクス一枚で……。これが噂のルパンダイブ?
相沢さんの魔の手が、私にかかろうとした刹那の出来事です。私の目の前に、突如として橙色の旋風が巻き起こりました。
「祐一の馬鹿〜っ!」
目が醒めるくらいに鮮やかな真琴のアッパーカットが相沢さんに炸裂します。そのときの真琴の背後には、確かに『JET!』の文字が見えました。
「へんた〜いっ!」
今度は稲妻のような踵落としが炸裂し、相沢さんはまるでつぶれたカエルのようなうめき声を上げ、床にはいつくばってしまいました。
すごい破壊力です。私も、真琴も……。
「……ん? ここは……」
「気がつかれましたか?」
私の膝枕の上で相沢さんが目を覚まします。もう少し寝顔を見ていたかったのですが、しかたありませんね。
「あれ? 俺はどうして……」
「家へ来るなり倒れてしまったんですよ。憶えていないんですか?」
「なんだかものすごく頭が痛いんだが……」
「倒れたときにぶつけたのではないですか?」
「真琴は?」
「帰りましたよ」
「天野がキャミソでうっふ〜んって……」
「なんのはなしですか?」
私はすでに普段の格好に戻っていますし、この件について真琴にはかたく口止めしてあります。真琴は涙目になって逃げるように退散しましたが、後で肉まんをご馳走してあげれば機嫌を直してくれるでしょう。
「夢でも見たのではないですか?」
「そうか……。そうだよな、まさか天野が……」
私の膝の上で相沢さんは納得したように何度も首を動かします。それはいいのですが、あっさり納得されてしまうのもなんなんですけど……。
でも、上手くごまかせたみたいなので、これはこれで良しとしましょう。
「夏ですからね」
「ああ、そうだな……」
そのとき吹きぬけた風が私たちを優しく包み込み、肩口で切りそろえた私の髪を揺らします。
澄み渡る空はどこまでも青く、梢の蝉時雨が彩りを添えます。
そんなある夏の日の出来事でした。
結局あのキャミソールは、大事にたんすの奥にしまっておくことにしました。おそらくはもう着ることはないでしょうね……。
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