風邪をひいたときは…

 

 某月某日、名雪が風邪をひいた。

「いくら夏でも、裸で寝れば風邪もひきます」

 という秋子さんの言葉が祐一の耳に痛い。

 そのときの様子を、祐一は後に刊行された彼の回顧録にこう書き残している。

 

 そのときの秋子さんからは、温和な表情とは裏腹に背後に底冷えのするような殺気を感じた。

「祐一さん、私はまだおばあちゃんになりたくありませんから……」

 口調こそ穏やかであるものの、そのときの俺には秋子さんが鬼か夜叉のように見えた。

 

 それはともかくとして名雪の看病を開始する祐一であったが、生来のアレルギー体質である名雪には市販の薬を迂闊には使えない。おりしもこの日は休日で医者も休みであり、薬の処方箋を用意する事もできない。そんなわけで祐一たちが協力して名雪を看病する事にしたのだった。

「さあ、名雪。熱測るからパンツ脱いでお尻出せ」

「いきなりなに言い出すかな? 祐一は……」

 のどの痛みに耐えながら名雪はかろうじて声を出し、ジト目で祐一を睨みつけた。

「莫迦じゃないの?」

 名雪の冷たい視線に、祐一は一瞬気おされてしまう。

「なにを言ってるんだ名雪。俺は真剣にお前の事を心配して言ってるんだぞ、断じてスケベ心とかそう言うものはない!」

 真顔でそう言い切る祐一であるが、名雪の反応は冷ややかだ。

「……鼻の下が伸びてるよ……」

「そ……そんなことはないぞ」

「目つきがいやらしいよ?」

「目の錯覚だ」

 その後も二人は、脱げ、いや、の言葉の応酬を繰り返し、二人の舌戦はいつしか千日戦争(ワンサウザントウォーズ)の様相を呈してきた。

「こうなりゃ力づくで……」

「やだ、ちょっと祐一……」

 パジャマを脱がそうとする祐一、必死で抵抗する名雪。だが、風邪で弱った身体ではとてもじゃないが抗いきれない。

「グエヘヘヘ、おとなしくしろ……」

「本当にいやぁ〜っ!」

「なにやってんの〜っ!」

 そのとき、洗面器の水をかえてきたあゆが祐一の凶行を目撃、小さな身体に似合わないタックルで祐一をはじきとばした。

「痛た……あゆ、真琴?」

「名雪さんの看病はボクたちがするから、祐一くんは外に出てて」

「そうよぅ、真琴たちは秋子さんからじきじきに頼まれたんだからね」

 この日秋子はどうしてもはずせない仕事のために外出していた。こうした娘の一大事には母親として付きっ切りで看病をしてあげたいが、それすらもかなわない望みである。

 幸か不幸か現在の水瀬家には祐一をはじめとしてあゆに真琴といった居候がおり、名雪を一人ぼっちのままで寂しがらせる事もなかったのだが、問題は祐一だ。

 二人の関係は秋子も知るところであり、一応公認の間柄であるが、少々行き過ぎた様子のある祐一の深い愛情が秋子の悩みの種であった。

 愛し合う二人なだけにそうなってしまうのも自然の成り行きであろう。しかし、いまだ学生の身分ではなにかと厄介である事には変わりがない。祐一が名雪の事を大切にしてくれているのはわかっているのだが、だからといって秋子はまだおばあちゃんになるつもりはないのだ。

 仕事に出かける前に任せてくださいと胸を叩く祐一の姿は頼もしくもあったが、同時に秋子の胸には不安要素が広がっていく。そこであゆと真琴に祐一の暴走を阻止してくれるように頼み込み、秋子は断腸の思いで家を後にしたのだった。

 

「大丈夫? 名雪さん」

「うん、ありがとねあゆちゃん」

 部屋から祐一を追い出し、頭の手ぬぐいを取り替えてくれるあゆに名雪は微笑んでみせる。どうやら先程の一件でまた熱がぶり返したようだ。

 実のところ名雪の風邪が長引いている原因、とまではいかなくてもその一因となっているのが祐一の名雪への愛情であった。名雪が心配なのはわかるが、だからといって過剰に愛情を注がれては、当の名雪も気の安まる暇がないのだ。

「名雪、苦しそう……」

「そうだね……」

 こういうときには解熱剤とかを用いるのが一般的なのだが、アレルギー体質の名雪には迂闊に市販の薬が使えない。医者の指示により薬剤師が処方してくれる薬ならともかく、素人判断では最悪の場合生命に関わってしまう。あゆは入院生活が長かったために、そうした事情について人一倍詳しいのだ。

「あ……」

 あゆは秋子さんが出かけるときに、名雪が熱で苦しんでいたらこの薬を使ってくださいと渡されたものがあるのを思い出した。

「なにそれ? 変な形の薬……」

「座薬だよ」

「どうやって使うの?」

「ん〜……」

 興味津々な様子の真琴に、口で言うよりは実演したほうがはやいか、とあゆは思った。

「名雪さん……」

「なに? あゆちゃん」

「パンツ脱いでお尻出してくれる?」

 

「名雪〜っ!」

 その一部始終を、祐一は部屋の外で扉に耳を押し当てて聞いていた。決してやましい気持ちがあるわけではない、それだけ名雪の事が心配なのだ。

「あゆっ! 後生だ。俺に、俺にその役をやらせてくれっ!」

 祐一は激しく扉をノックするが、その程度でなんとかなるようなやわな扉ではない。

「あゆ〜っ!」

「あう〜、祐一うるさい」

 先程から祐一はどんばんどんばんと激しく扉を叩いている。それは名雪の目覚ましにも匹敵する大音量で、すっかりご近所の迷惑だ。今はお昼時だからまだいいが、夜中なら苦情が舞い込むであろう事は必至だ。

「さあ、名雪さん」

「でも……」

「恥ずかしがる事なんてないよ、女の子同士なんだから」

「う〜……」

 確かに祐一に見られるよりは同性であるあゆのほうがはるかにまし。だが、やはり場所が場所なだけに少々恥ずかしくもあり、少なくとも母親である秋子以外には見られた事のない場所だ。まあ、それは同性同士の話で、祐一には身体の隅々まで見られている名雪ではあるが。

 短い逡巡の後、名雪はあゆの前に無防備な姿をさらした。

「わ……そんなところに挿入(いれ)るんだ……」

 妙に手馴れたあゆの手つきに、真琴は感心している様子で名雪の恥ずかしい姿を覗きこんでいる。

「名雪さん、もっと力を抜かないと挿入(はい)らないよ」

「そんなこと言っても……」

 本来ならなにかを挿入(いれ)るほうではないのだから、これも無理はない。これが病院なら専用の道具があるので挿入(いれ)るのも比較的楽なのだが。

「……仕方ないな……」

 あゆの指が妖しい動きを見せる。

「ひあっ! あゆちゃん、そこ……」

 なんともせつなげな名雪の声が部屋に響く。

「名雪っ! 名雪〜っ!」

 しかし、ヒートアップした祐一の声とノックの音にかき消され、幸か不幸かあたりにはそれほど響いていないようだ。

「ひあんっ!」

 名雪の身体がぴくんと跳ね、力が緩んだ瞬間を見計らってあゆは座薬を挿入した。

「これでよし、と……」

「ふわ〜……あゆってテクニシャン……」

 座薬挿入の一部始終を目の当たりにした真琴は、大きく目を見開いて感心したように呟いた。

「ボクも入院中はよくやられたからね……」

 ため息混じりにそう呟くあゆ。確かに痛みを止めたり熱を下げたりするにはこれが一番なのはわかるが、なんとなく人間としての尊厳を失ってしまったかのようにも思えるのだ。普段は天使のような白衣の聖女が、このときばかりは悪魔の化身のようにも見える。

「あゆのばかやろ〜っ!」

 叫び声と同時に足音が遠ざかっていき、やがて凄まじい音と同時に玄関の扉が開かれた。

「あゆ、祐一が……」

「……放っておこうよ……」

 もはやあゆもあきらめの境地だ。

「これで静かになるよ。今は名雪さんをゆっくり寝かせてあげないと……」

 あゆは真琴と協力して名雪の身だしなみを整えると、座薬挿入で力尽きた名雪を静かに寝かせるべく部屋を後にした。

 

 ぴんぽ〜ん♪

 

「はぁ〜い」

 突然の来客を疑問に思いつつも、美坂香里は軽く身だしなみを整えて玄関に向かう。

 

 ぴんぽんぴんぽんぴぽぴぽぴぽ〜ん♪

 

「ちょっ……なんなのよ一体……」

 鳴り止む様子を見せないチャイムを疑問に思いつつも、香里が玄関の扉を開けるとそこには見知った顔、相沢祐一の姿があった。

「香里〜っ!」

 扉が開くなり祐一は香里に抱きつくと、その豊満な胸に顔を埋めてグリグリと擦り付ける。

「いきなりなにするのよっ! ちょっ……離れなさいよっ!」

「聞いてくれよ香里〜、あゆと真琴が酷いんだ……」

「いいから離れろっ!」

 容赦ない香里の肘打ちが祐一の首筋に炸裂し、そのまま祐一は白目をむいて悶絶した。

「で?」

 ここは美坂家のリビング。先程の怒りがまだ尾を引いているのか、香里はソファーに深く腰掛け、胸元で両腕を組んだままつっけんどんな様子で口を開く。

「そう怒るなよかおりん、せっかくの美人が台無しだぞ」

「いきなりあんなセクハラ紛いの事されて、それでへらへら笑ってたらただの変態よっ!」

 香里の言にも一理ある。

「じゃあ、いきなりじゃなければいいんだ?」

「それは……その……」

 途端に顔を真っ赤にして、もじもじとうつむく香里。確かに祐一の事は嫌いではないし、心の準備ができていたら……。

 そこまで考えて香里はあわてて頭を振り、その考えを振り払った。その様子を眺めて楽しんでいるのだから、祐一も意外と性質(たち)が悪い。

「お茶です」

 丁度そこに栞が人数分の紅茶を持って現れた。淹れたてのダージリンの良い香りが鼻腔をくすぐる

「それで、どうしたんですか? 祐一さん」

「うむ、実はだな栞……」

 妙にえらそうな態度で紅茶を一口含み、軽く喉を潤してから祐一は事情を説明していく。

「名雪さんが風邪を?」

「それで、名雪は大丈夫なの?」

「今年の風邪は性質(たち)が悪いのか、いまだに回復しなくてな。だから俺が付きっ切りで看病してやろうと思っているんだが、あゆと真琴が邪魔をしてな」

「付きっ切りで看病?」

 途端に胡散臭げな表情で祐一を見る香里。

「ああ、添い寝してやったり、服を着替えさせてやったり、身体を拭いてやったり、とにかく色々……」

「……それ全部セクハラです……」

「なにを言うんだ栞、こんなにも俺は名雪の身体を心配しているというのに、これがそんな事を考えている男の目か?」

「……にごってるわね……」

「……死んだ魚の目をしてます……」

「……………………………」

 別に目を見なくても、伸びきった鼻の下を見れば一目瞭然であるが。

「悲しいな……」

 不意に祐一は上を向き、ぐっと唇をかみ締めた。

「……こんなにも俺は、名雪の事を愛しているというのに……」

 そっと目を閉じ、拳でぐっとぬぐう。祐一の目じりに涙が光る。

「相沢くん……」

 心配して立ち上がった香里を栞は片手で制すると、すっと祐一に歩み寄って手の中の目薬を取る。

「……バレバレです。お姉ちゃんならごまかせるかもしれませんが、この私はごまかせませんよ」

 小悪魔的な栞のスマイルに、祐一は短く舌打ちをする。

「それで? 相沢くんは名雪になにをしようとしたの?」

「なにって、体温を測ろうとしただけだ」

 まるで刺すような香里の視線にたじろぎながらも、祐一は喉の奥から絞り出すように声を出す。

「体温?」

「ああ、だから俺は名雪のパンツ脱がせてお尻で……」

「当たり前よっ! 馬鹿っ!」

 結局最後まで言い終えないまま、祐一は香里に蹴り飛ばされて星になった……。

「お姉ちゃん……」

 妙に冷静な様子で栞は口を開いた。

「……どうせ蹴り飛ばすんだったら、最後まで言わせてあげたほうがよかったんじゃないですか?」

「聞くに堪えないのよ……」

 肩で息をしつつ、香里はかろうじて声を出す。

「名雪さんも大変ですね……」

「そうね……」

 確かにこれも名雪に対する祐一の深い愛情のなせる業とも言えるが、行き過ぎた愛情というのはストーカーと一緒で単なる変態行為でしかない。このとき美坂姉妹はその事を実感した。

「名雪のお見舞いに行きましょうか」

「そうですね」

 

 ぴんぽ〜ん♪

 

「はぁ〜い」

 不意の来客にあゆが返事をし、玄関に出迎えにいく。

「あ、美汐〜」

 あゆがリビングにつれてきた人物に、真琴は嬉しそうな声を上げる。人見知りの激しい真琴は、こうした不意の来客が苦手なのだ。

「名雪さんがお風邪を召されたと伺ったのですが、お加減はいかがですか?」

「今薬が効いてるのか、ぐっすり眠っているよ」

「美汐は名雪のお見舞いに来てくれたの?」

 そう真琴は美汐に尋ねつつ、名雪へのお見舞い品と思しきイチゴを受け取った。

「それもありますけど、私はあゆさんに呼ばれて来たんです」

「あゆに?」

「ほら、名雪さんってアレルギー体質で普通の薬が使えないでしょ? だから民間療法に頼るしかないかなと思って」

「ああ、美汐ってすっごい物知りだし、おばあちゃんの知恵袋みたいな感じで……」

「真琴ちゃんっ!」

 自分の発言の重大さに気づき、真琴はあうと押し黙る。恐る恐る美汐を見ると、そこだけが別世界のように暗くなっており、美汐の姿だけ浮かび上がっているように見えた。

「おばあちゃん……私がおばあちゃんですか……。確かに『おばさんくさい』と言われた事はありますけど、よりにもよっておばあちゃんですか……」

 確かにおばさんとおばあさん。一文字足しただけでえらく意味合いが違ってくる。そのまま暗くどよどよとした雰囲気の中で、ただ一人ぶつぶつと独り言を言う美汐はとても怖かった。

「ボ……ボクが言ったんじゃないよ」

「そ……そうよ、祐一が言ってたのよ」

「そうですか、相沢さんが……。そうですか……」

 そして、う〜ふ〜ふ〜ふ〜ふ〜……と微笑む美汐の姿は、ただただ妖しく、ただただ恐ろしかったという。

 

 後に祐一は、自分の回顧録の中にこう記している。

 突然夜中に身体が動かなくなって目が覚めて、そうしたらいきなり心臓の辺りに激痛がはしって、恐ろしく苦しんだ事があったんだ。

 なんだか訳わかんなかったけど、とにかく平謝りに謝ったら痛みが消えた。

 あれは一体なんだったんだろうな……。

 

「……さて、風邪薬は一般的に解熱に効果のあるアセトアミノフェノン、せきや鼻水にはマレイン酸クロルフェラミニン。これらの薬は薬効も高いので胃腸薬やビタミン剤を併用して服用しますが……」

 美汐の解説に真琴はついていくのがやっとだが、あゆには聞き覚えのある薬効成分の名前ばかりだ。当然副作用とかも知っているし、体質によってはアレルギーを起こしやすい事も知っている。それにそんなに薬ばかりだとかえって身体に悪いんじゃないかとも思えてくるのだ。

「名雪さんはアレルギー体質との事で、色々と漢方薬を用意してみました」

「かんぽうやく?」

 興味津々と言う様子で真琴は美汐が持参した品々を覗き込んだ。

「まずは小青龍湯に葛根湯、喉の痛みにかりんのはちみつ漬け……」

 次々に出てくる自然の生薬は、まさしくおばあちゃんの知恵袋を体現するものであった。

「あれ? このネギはなんなの?」

 真琴が手にしているのは一本の長ネギ、それも茎の太さが2センチはある深谷ネギだ。

「これも民間療法では使うんですよ」

「確か喉が痛いときに、首に巻くんだっけ?」

 あゆはうろ覚えの知識を披露する。喉の痛みに苦しんでいる名雪には、丁度いいのかもしれない。

「いえ、お尻に挿入するんです」

「………………………」

「………………………」

 小さく拳を握り締めて力説する美汐に、あゆと真琴は無言で顔を見合わせる。

「名雪さんは今座薬を挿入してるから無理だよ……」

「そうですか……」

 そのときの美汐の顔は、とても残念そうに見えた。

 

「う……うん……」

「お目覚めになりましたか?」

「美汐……ちゃん?」

 そこまで言って名雪は、急に激しく咳き込み始めた。苦しそうに咳き込む名雪の背中を、美汐は優しく何度も撫で摩る。

「落ち着きましたか?」

「うん……ありがとね、美汐ちゃん」

 ようやっと呼吸も落ち着いたのか、名雪は美汐に笑顔を向ける、だが、その笑顔は普段の溌剌としたものではなく、どこか弱々しく感じられた。なんとなくだが、今の名雪からは『守ってオーラ』が発せられているみたいにも思え、つい世話を焼きたくなってしまうのだ。

 まったくの余談だが、現在祐一が暴走しているのはこのオーラの直撃を受けたからと思われる。あゆも真琴も同様で、普段お世話になっている名雪に恩返しするには絶好の機会であると思っているのだ。

「それにしても名雪さん、すごい汗ですね」

「あ……うん」

 座薬が効いたのだろう。先程より少し熱も下がったようであるが、そのせいか名雪はすごい汗をかいていた。

「そのままですと身体にも悪いですよ。早く着替えを……」

「……そうだね」

 名雪はパジャマのボタンをはずそうとするが、まだ熱で朦朧としているのか、上手くはずせないようだ。

「お手伝いしますね」

「あ……うん……」

 ボタンをはずしていくたびに名雪の白い素肌があらわになっていく。きめ細かな肌、豊かな白い双丘。それは同性である美汐をも魅了するものであった。

「美汐〜、名雪の様子はどう?」

 そこへ突然ノックもせずに真琴が部屋に入ってくる。この突然の闖入者に、つい手を止めてしまう美汐。

「あ……え〜と……」

 真琴の目の前には、名雪のパジャマを脱がそうとしている美汐の姿がある。この状況から導き出される結論はひとつしかない。

「ご……ごゆっくり……」

「違いますっ!」

 そのまま部屋を出て行こうとする真琴を、美汐はあわてて呼び止める。

「名雪さんがたっぷりと汗をかいているので、着替えるのを手伝っているだけです」

「あ……そうなんだ……」

 美汐の指示で真琴はぬるま湯の入った洗面器と、蒸しタオルと綺麗なタオルを持ってくる。

「それじゃあ、真琴が名雪を拭いてあげるね」

 みているほうが楽しくなりそうなくらいの笑顔で、真琴は名雪の身体を拭き始めた。

「ご〜し、ごし♪」

「真琴、そんな拭き方ではだめですよ」

「あう?」

 美汐は真琴からタオルを受け取ると、名雪の身体を抱きしめるようにして清拭を始める。

「まずはこのようにして、背中とか脇の下とかの汗をかきやすい場所に蒸しタオルを当ててじっくり蒸らします。このときに長めに当てるのがコツですよ」

 真琴のように力任せに拭いてしまうとデリケートな肌が荒れてしまい、汚れを取るどころか逆に傷つけてしまう事もある。こうして蒸しタオルを当てる事で汚れを浮かせ、軽くふき取るようにするのが清拭のコツなのだ。蒸しタオルを当てられた名雪の表情が緩んでいく事からも、美汐の清拭は相当気持ちよさそうだ。

「さあ、次は下のほうですね」

「し……下はいいよ。自分でするから……」

「だめですよ名雪さん。女の子はいつでも身体を清潔に保っておきませんと」

 美汐はにっこりと名雪に微笑みかける。

「さあ、パンツ脱いでお尻出してくださいね」

 そして、いいようにもてあそばれる名雪であった。

 

 こんこん♪

 

「名雪さ〜ん、起きてる?」

 軽く扉をノックして、あゆが部屋に入ってくる。その手にはほこほこと湯気が立つ茶碗を持っていた。

「……どうしたの?」

 おそらくは汗をたっぷりとかいたので着替えたのだろう。先程までとは違うパジャマで寝ている名雪だったが、妙に陶酔したような表情で横たわっていた。

「……美汐もテクニシャン……」

 真琴の呟きの意味がわからず、あゆは小首を傾けた。

「あれ? あゆ、なに持ってるの?」

「ああ、これ? 葛湯だよ」

「くずゆ?」

 聞きなれない言葉に真琴は小首を傾ける。

「葛の根から抽出したデンプンにお砂糖を加え、お湯で練ったものですよ」

 美汐が適切なフォローを入れる。

「山から掘ってきた葛の根をよく洗って木槌で叩いてつぶし、それを水の中で揉みだすとデンプンが出てきます。そして灰色になった水を布でこして、そっと置いておくとデンプンが底に沈みます。それから何度も水を替えてよく洗い、天日で乾燥させたものです。葛湯は風邪などで体力を消耗しているときの栄養補助食品として効果が高いんですよ」

 こういうときにはおかゆやおじやを食べるのが一般的であるが、名雪はのどの痛みのせいかそうした食べ物が食べられなかった。もしかしたら葛湯なら食べられるかもしれないと思い、美汐が持参した葛粉をつかってあゆが作ったものだ。

 あゆの料理といえば黒焦げの消し炭を思い浮かべる人もいると思われるが、葛湯は粉を入れてお湯を入れてかき混ぜるだけというインスタント食品みたいなものであるため、そうした心配とは無縁の存在である。

「はい、名雪さん。あ〜んして」

「い……いいよあゆちゃん。自分で食べれるから……」

「だ〜め。はい、あ〜ん」

 こうなるとあゆも引かない。その小さな身体には、名雪をお世話するんだと言う決意がみなぎっている。それに根負けしたのか、名雪はあゆの差し出したさじを口に含む。

「どう? 名雪さん……」

「うん、美味しいよ。あゆちゃん」

 その極上の笑顔に、あゆは胸をなでおろす。今まで名雪がほとんど食べ物を受け付けなかっただけに、その喜びもひとしおだ。

 葛湯を食べておなか一杯になったのか、名雪は再び眠りについた。

 

 ぴんぽ〜ん♪

 

「はぁ〜い」

 突然の来客に倉田佐祐理は軽く身だしなみを整え、いそいそと玄関に向かう。扉を開けると、そこには見知った顔があった。

「あ、祐一さん。いらっしゃいませ」

「佐祐理さぁ〜ん!」

 大きく叫んで佐祐理の胸に飛び込もうとした祐一であったが、その寸前に喉元に当てられた銀色の剣に身体を硬直させる。

「……まい……?」

「……魔物の気配がした……」

 相変わらず嬉しいのかどうなのかがよくわからない能面で、祐一に剣を突きつける舞。その目には微塵も容赦がない。

「まあ、名雪さんがお風邪を……?」

「そうなんです……。それで俺が看病をしてやろうと思っているのに、あゆと真琴が邪魔をするんです……」

 涙ながらに訴える祐一であるが、その実態はほとんどセクハラまがいの行為であるため、あゆと真琴の反応は至極当然の事といえた。だが、そうした事情を知らない佐祐理は、真剣に祐一の言葉に耳を傾けていた。

「ですから佐祐理さんっ!」

「は……はいっ!」

 突然大声で呼ばれ、つい佐祐理も返事をしてしまう。

「その胸で泣かせてくださぁ〜い……」

 そうして佐祐理に飛びかかる祐一を、すかさず舞が剣で打ち払う。それは天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)もかくやのごときの見事な剣閃で、祐一は自分になにが起きたのかもわからないうちに星になった。

「佐祐理、大丈夫?」

「はえ〜、少しやりすぎではないですか? 舞……」

「……祐一なら大丈夫」

 なにしろ祐一は何度痛い目にあっても、懲りずに夜の学校に通い続けたつわものだ。あの程度の攻撃など微塵も意に介していないだろう。

 そんな事よりも舞には、一つ懸念事がある。それは……。

「……名雪さん、心配ですね……」

「……………………………」

「お見舞いに行きましょうか?」

 佐祐理がそう言うと、舞の無表情が微妙に変化する。それは彼女を良く知らなければわからないような微妙な変化だ。舞と暮らし始めてからの佐祐理は、こうした舞のまるで難しいクイズのようないくつもの微妙な変化を見つけていた。

 そんな祐一や佐祐理をはじめとしたごく近しい人にしかわからないような舞の表情を見つけると、つい佐祐理も嬉しくなってしまう。

 とにかく、今の舞はいつもの能面であるにもかかわらず、どこか楽しそうで、どこか心配そうな、そんな微妙な表情をしていた。

 

 ぴんぽ〜ん♪

 

「はぁ〜い」

 突然の来客に小首を傾けつつも、あゆは玄関に出迎えに行く。扉を開けるとそこには見知った顔があった。

「あれ? 香里さんに栞ちゃん」

「名雪が風邪をひいたって聞いて」

「それでお見舞いに来たんです」

 あまり誰かに心配かけたり、大勢で騒いだりするのもなんなので、名雪が風邪をひいた事は誰にも教えていないはずなのに、どうして香里たちが知っているのかあゆには疑問だった。

「……相沢くんがうちに来たのよ……」

 その一言であゆの疑問は氷解した。こんな事になるならしっかりつないでおけばよかったとも思うが、今となってはもう遅い。とはいえ、仮につないでおいたとしても祐一の事だから容易く脱出し、名雪に狼藉を働くかもしれない。そう考えると今のままでもいいかと思うあゆであった。

「名雪さんの具合はどうなんですか?」

「よく眠ってるよ。今はとにかく名雪さんを休ませてあげないと」

 名雪へのお見舞い品と思しきイチゴを受け取り、あゆは二人をリビングへと案内する。リビングでは美汐と談笑していた真琴が、香里と栞の登場に目を丸くしていた。

「あれ? 香里に栞、どうしたの?」

「名雪のお見舞いに来たのよ」

「それで、名雪さんの具合はどうなんですか?」

「疲れているのか、ぐっすりと寝ていますよ」

 涼しい顔で美汐が答える。この際名雪を疲れさせたのが誰かについて言及してはいけない。

 

「あれ……香里……。それに栞ちゃん?」

 先程に比べれば改善されたものの、まだ名雪は苦しそうな表情をしている。その姿はどこか弱々しく頼りなげに感じられ、香里も栞もつい世話を焼きたくなってしまうくらいだ。

「相沢くんから話は聞いたわ。具合はどうなの?」

「ん……だいぶ楽になったみたいだけど……」

 少しかすれたような声を聞く限りでは、まだ予断を許さないようだ。

「名雪さん熱は? どのくらいあるんですか?」

「まだ……測ってないけど……」

「それじゃ、体温測りましょうか。名雪」

 途端に香里は嬉々とした表情で話しかけてくる。

「さあ、パンツ脱いでお尻出して」

「……香里までなに言いだすかな?」

 ジト目で香里を見る名雪。

「なに言ってるのよ。あたしはこんなにも名雪の事を心配しているって言うのに……」

 不意に香里は上を向き、くっと唇をかみ締めた。

「……悲しいわ……」

 香里の目じりに涙が光る。

「あたしたちの友情って……そんなものだったの?」

 それを聞いた途端に名雪はばつがわるそうな表情をするが、その反対に栞の反応は冷ややかだ。

(流石はお姉ちゃんですね……)

 今香里の右手の中には目薬が握られている。ちなみに、それは先程祐一が使っていたものだ。

(今さっき祐一さんがやっていた事を、今度は名雪さんに使ってます)

 だが、栞は今時こんなものでだまされるような人がいるようには思えなかった。

「う……ごめんね、香里……」

 しっかりだまされている名雪に、栞の目は点になる。今の名雪はまるで、無垢というか、穢れを知らない純真さというか、今時の少女が失ってしまったものを持っているかのようだ。

「いいのよ、わかってくれれば」

 そうして微笑み会う二人。そこには、確かに女同士の友情の姿があった。

「一般的に体温は口の中とは腋の下とかで測るけど、本当はお尻で測るのが一番正確なのよ」

「そうです名雪さん」

 姉の目配せを受け、ここぞとばかりに栞がたたみかける。

「特に風邪をひいた後の体温は正確に測るのが一番なんです。ちょっとした体温の微妙な変化が、そのまま命取りになる事もあるんですから」

 元々病院生活が長かっただけに、栞の言葉には妙な説得力がある。

「そう言うわけですから名雪さん、お尻脱いでパンツ出してくださいね」

「……逆よ、栞……」

 そして、いいようにもてあそばれる名雪であった。

 

 今は夏休みの真っ盛り。しかもこの日はバイトがシフトの関係で休み。そんなわけで北川は、アパートの自室でごろごろと自堕落な生活を送っていた。

 そろそろ夏休みの宿題も片づけないとな〜とか、そうすると美坂に連絡取るしかないかな〜とか考えていると、突然部屋の扉が凄まじい音を立てて蹴り破られた。

「……相沢……?」

 もうもうと舞うほこりの向こうに、北川は見知った顔を見つける。その人物は誰あろう北川の親友の一人、相沢祐一だった。

「北川〜っ!」

 叫ぶなり祐一は、北川の顔面にパンチを叩き込む。ずしんとした衝撃が北川のあごから脳に伝わる。

「いきなりなにしやがるっ!」

 こうなると北川も負けてはいない、すかさず祐一の顔面にパンチを叩き返す。北川のパンチを顔で受け止めた祐一は、そのままにやりと不敵な笑みを浮かべた。

 二人の不毛な殴り合いは続く。北川の部屋の中で、しかも祐一は土足のままで。二人が動くたびにただでさえ汚い北川の部屋が、さらにいっそう汚くなっていく。

「ちょっと待てっ! なんでオレたちはいきなり殴り合いなんてしてるんだ?」

「名雪が風邪をひいたんだっ!」

 殴りあいながら二人は器用に会話する。

「そんな理由でオレは殴られたのか?」

「俺がせっかく看病しようとしてるのに、あゆと真琴が邪魔をするんだ」

「まさかおまえ……水瀬にエッチな事をしようとしたんじゃないだろうな……」

「なにをいうかっ! 俺はただ名雪の熱を測ろうとお尻で……」

 祐一の繰り出した右ストレートを、北川は軽くしゃがんで左の肩越しにかわす。そのとき、二人の動きにあわせて流れる汗が煌めいて線をひく。

「それが原因じゃ、ボケがぁっ!」

 立ち上がるときの加速を上乗せした、北川の痛烈無比なるアッパーカットが祐一のあごに炸裂。そして、祐一は星になった。

「まったく、水瀬も大変だな……」

 これも愛情の果ての出来事なのかと思いつつ、すでに荒廃して見る影もなくなった部屋の惨状に北川は大きくため息をつく。

「……お見舞いにでもいってやるか……」

 人、それを『現実逃避』という……。

 

 ぴんぽ〜ん♪

 

「はぁ〜い」

 玄関に出迎えに出たあゆが扉を開けると、そこには見知った顔があった。

「あれ? 佐祐理さんに舞さん。どうしたの?」

「はい、名雪さんがお風邪を召されたとかで……」

「……見舞いに来た……」

 舞の差し出したお見舞い品と思しきイチゴを受け取りつつ、あゆは祐一の行動に内心頭を抱えていた。おそらく今回の祐一の奇行は名雪を愛するが故の行動であろう。しかし、だからといって街の皆さんに迷惑をかけるような行為は謹んでもらわないといけない。

 このときあゆは、祐一が帰ってきたらしっかりつないでおこうと心に誓った。

「それで、名雪さんの具合のほうはどうなんですか?」

「え? ああ、うん……」

 突然声をかけられ、あゆはふと我に返る。

「みんなも来てくれたし、今容態は安定してるよ」

「はぇ? 皆さんですか?」

 あゆは事情をかいつまんで説明する。祐一の暴走は、すでに佐祐理たちにも及んでいたのだ。

「そうなると、まだ被害は増えそうですね〜」

 という具合に佐祐理は能天気なのだが。

「はぁ……」

 と、思わずため息の出てしまうあゆであった。

 

「あ……倉田先輩に、舞さん……」

「あはは〜、佐祐理の事は佐祐理でいいですよ〜」

 こうして病で臥せっているときは、佐祐理の持つ人柄のよさがありがたく感じる。その隣の舞もいつもの能面であるものの、名雪の身体を心配するような面持ちであった。

「実は佐祐理、名雪さんが風邪をひいたと聞いて、お薬を持ってきたんです」

「薬……ですか? でも、わたし……」

「名雪さんの事情は伺っています。そこで調べてみましたが、この薬からはアレルゲンとなるようなものが検出されませんでしたので、大丈夫ですよ」

 佐祐理は笑顔でそう言うが、何故か名雪の心には不安の色が広がっていく。

「あの……どういう薬なんですか?」

「どうって……。とても気持ちの良くなるお薬ですよ?」

 不安的中。

「あの……やっぱりわたし、そう言うのはちょっと……」

「そう……ですよね……」

 ふっと佐祐理の表情から笑顔が消える。それと同時に部屋の風景が消え、辺りは黒一色に包まれる。

「一弥も満足に看病してやれなかった佐祐理に、看病なんてされたくありませんよね……」

「あ、いえ……。そういうわけでは……」

「ああっ! 一弥……一弥ぁっ!」

 あたかもスポットライトが浴びせられているような中で、よよと泣き崩れる佐祐理。その隣で舞は少し呆れたような表情で首を横に振るばかりだ。

「ああ、あのっ! わたし佐祐理さんのお薬、使ってみたいです」

「本当ですかぁ?」

 佐祐理が顔を上げるのと同時に、部屋の風景が戻ってくる。

「それで、どんなお薬なんですか?」

「はい、これは塗り薬なんですよ」

「塗り薬?」

 またいやな予感のする名雪。

「このお薬を胸に塗ると、とっても気持ちよくなれるんです」

 まったくの余談ながら、この塗るタイプの風邪薬は実在する。

「あの、わたしやっぱりそういうのは……」

 名雪は自分の胸を抱きかかえるようにして防御姿勢をとった。

「まい〜」

 佐祐理の声にすばやく名雪の背後に回りこみ、羽交い絞めにする舞。舞の豊満な胸に押され、丁度名雪も胸を突き出す形となる。

「……ごめん」

 震える声で謝罪の言葉を述べる舞。よく見るとその身体も小刻みに震えているようだ。

「それでは、いきますよ〜」

 妙に嬉しそうな様子で名雪のパジャマを脱がす佐祐理。見る間に名雪の白い裸身があらわになる。

「ひあっ! 冷た……」

「名雪さんの肌ってきれいですね〜、つやつやしてます……」

「ああっ! そんなとこ……」

「あはは〜、ここですかぁ?」

 そして、いいようにもてあそばれる名雪。まったくの余談だが、その間中舞は震える声で名雪に謝り続けていた。

 

 ぴんぽ〜ん♪

 

「はぁ〜い」

 来客を出迎えに玄関に向かったあゆが扉を開けると、そこには見知った顔があった。

「よっ、あゆちゃん」

「あれ、北川くん?」

「水瀬が風邪ひいたって聞いたからな、これお見舞いだ」

 そう言って北川はあゆにイチゴを手渡す。

「いやぁ、商店街行ったんだけどどこにもイチゴがなくてさ、つい探しちまったよ」

「……そうだと思うよ……」

 あゆは黙って下を見る。それにつられて北川が下を見ると、先程のあゆの言葉の意味がわかる。そこにはミュール、パンプス、ハイヒール。ついでにローファー、スニーカーと女性用の履物がずらりと並んでいるからだ。

 ちなみにこの日の出来事は『街からイチゴが消えた日』として、商店街の語り草となっている。

「……みんな、来てるのか?」

「……うん」

 

「あら、北川くん?」

 リビングに案内されてきた北川を見て、香里が驚いたような声を上げる。

「どうしたのよ? 随分男前になって……」

「いや、ちょっとな……」

 流石にさっきまで祐一と殴り合いをしていたとはいえない。

「あう、アンテナも来たんだ」

 無邪気な真琴の声にひっくり返る北川。

「真琴ちゃんっ!」

「だって、祐一がそう言えって……」

 あゆがたしなめた途端に真琴はじわりと涙目になってしまうので、当の北川はそれ以上なにも言えなくなってしまう。

「あの野郎……いつか絶対に殺す」

 どうやらその怒りは祐一に向けられたようだ。

「まあ、それにしてもだな……」

 不意に北川は相好を崩し、先程までの怒りの表情が一転して柔和な笑みに変わる。

「こうしてみんなが集まるなんて、よっぽど水瀬は慕われているんだな」

「当然でしょ?」

 香里は両手で胸を抱きかかえるようにして微笑む。

「だって、あたしの自慢の親友よ」

 あの冬の日、栞を救ったのは祐一かもしれない。だが、妹を拒絶していた香里に栞と向き合うきっかけを与えたのは名雪なのだ。

「そうだよ。それにこれ……」

 あゆは天使の人形を取り出す。七年もの歳月の間土に埋もれていた人形は見る影もなくぼろぼろになっていたが、それを直したのは名雪だったりする。

「そうよぅ、最初に真琴にこの家にいていいって言ってくれたのは、名雪なのよ」

 ちなみに祐一は、初めは真琴の事を追い出そうとしていたのだ。

「本当に、名雪さんにはいくら感謝してもしたりませんね」

 笑顔で栞が締めくくる。言葉には出さないが、舞も同じ気持ちだ。実際祐一が舞に渡したウサギ耳のカチューシャは名雪からもらったものだし。

「名雪さん、早く良くなるといいですね」

 その美汐の言葉は、ここに集った一同の総意だろう。

「それにしても……」

 不意に佐祐理が口を開く。

「祐一さんはどこまで行ってしまったんでしょうか?」

 

 さて、一方そのころの祐一は。

「名雪〜っ!」

 名雪の全快を祈願し、近所の神社でお百度参りの最中だった。

 

 そんなこんなで名雪は風邪から回復したが、今度は祐一が風邪をひいてしまった。

「もう、いくら夏でも野宿なんかしたら風邪をひくよ」

 お百度参りを達成したはいいが、そのまま疲れて汗だくのままで寝てしまったのが敗因だ。名雪は祐一の体たらくにあきれ果てており、ついつい口調も荒くなってしまうのだが、その声音には祐一を心配する響きがある。

「祐一は、わたしが看病してあげるからね」

 そう言って小さくガッツポーズをとる名雪の姿に、祐一は心の中で静かに快哉をあげる。

 名雪の看病。おかゆをフ〜フ〜して食べさせてくれたり、身体を拭いてくれたりと色々してくれるに違いない。そのときにナース服でやってもらうのもいいかもしれないな、と祐一はあらぬ妄想をたくましくする。

「じゃあ早速だけど祐一、熱を測るから……」

 そこまで暖かい響きだった名雪の声が、急に冷たいものに変わる。

「パンツ脱いでお尻出してくれる?」

「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 そして、物語は続いていく。

 終わらない、Kanonの調べのように。

 喜劇は、繰り返される……。

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