第四話 眠り姫
『Sippuu,this is kanon.Over.(疾風、こちらはカノン。どうぞ)』
「This is sippuu.five five.breaking into landing speed.(こちらは疾風。感度良好。着艦速度に減速中)」
『You are right on the glide slope.(進入角度予定通り)』
「Read you.(了解)」
美汐と短くやり取りをしながら、祐一は疾風を放熱用のフィンを大きく広げたカノンに接近させていく。疾風のメインスクリーンには白銀の翼を広げる神鳥形態のカノンの流麗なボディラインが続き、下面後方部分のカーゴルームから伸びたドッキングアームが大写しとなる。
『One minute and counting.(後一分、カウント続行)』
「Coming contact with mother arm.5,4,3,2,1……(マザーアームと接触。5、4、3、2、1……)」
疾風の機体背面部より伸びたドッキングアームが、カウントダウンにあわせて徐々にカノンのマザーアームに接近する。やがて機体に小さな振動が走り、無事に接続された事を意味するグリーンサインがメインスクリーンに表示された。
「Contact.(接続)」
『Confirmed.welcome home sippuu.(確認しました。お帰りなさい、疾風)』
「ただいま、っと」
「お帰りなさい」
エアロックも兼ねた通路をコントロールシートごと移動してブリッジに戻った祐一を、香里が笑顔で出迎えた。まだ警戒態勢を続行しているが、当面の危機は去ったために与圧がかけられたブリッジの空気を、祐一は大きく吸い込んで一息つく。
ふと隣の主操縦士席を見ると、戦闘で疲れたのか名雪がこっくりこっくりと舟をこいでいる。だが、それでもコントロールスティックとスロットルレバーから手を放していないのは流石というところだろうか。そんな名雪の様子に笑みを浮かべる祐一ではあるが、その目元には厳しい色が浮かんでいた。
「栞はCICか?」
「ええ」
祐一の声に香里は軽くうなずいた。
「よし、第二種警戒態勢を維持、周辺の索敵を続行だ。真琴と美汐は烈風のスタンバイ、出撃もありうるから準備を怠るなよ」
「あう、わかった」
「了解」
二人のコントロールシートが下がり、烈風への移動を開始した。
「どうしたのよ、一体……」
「名雪が警戒態勢を崩していないからな、まだなにかあると見ていいだろう。こんなところを襲われたら、ひとたまりもないからな……」
宇宙空間で一番問題となるのが超光速推進機関などの機器の冷却である。これが大気中などの環境であれば空気などを触媒に用いた冷却が可能となるのだが、宇宙空間ではそういうわけにもいかないので、機器から発生する熱の放散が深刻な問題となっている。宇宙空間での基本的な移動は最初に行き足をつけての慣性飛行で、出来る限り熱の発生を抑えるようにするのが常識だ。通常航行時には発生する熱と放散できる熱がある程度つりあうのでさほど問題にはならないが、戦闘時などの高機動状態では放散しきれない熱が機体に蓄積していく事で主要な機器がオーバーヒートしてしまい、それ以上の稼動が不可能となってしまう。再稼動するためにはある一定以上の時間をかけての冷却シークエンスが必要となり、その間は全く身動きのとれない無防備な状態が続いてしまう。
これが軍用宇宙艦艇であれば強制冷却ユニットを使用して短時間のうちに冷却を完了する事も出来るのだが、艦内スペースに余裕のない民間船ではそういうわけにもいかない。実のところカノンが神鳥形態に変形するのも、戦闘時に居住ブロックとエンジンブロックを離す事で被弾時の生存率を高めると同時に、翼のように展開した放熱用のフィンを使って、戦闘中でも効果的な機器の冷却を行う事を目的としているからだ。
「……まあ、とりあえず後の事は香里に任せるから……」
「いいけど、相沢くんはどうするの?」
「寝る」
言うが早いか祐一は、シートをリクライニングさせて眠ってしまう。機長席と主操縦士席で仲良くならんで眠りにつく二人のあどけない寝顔を、香里は苦笑しつつも暖かく見守るのだった。
「く〜」
「ふか〜」
刻々と時間が過ぎる中、二人の寝息だけがブリッジを満たす。こうしているときは普通の人と変わらないのにね、と香里は軽く呟き、小さく息を吐いた。
失われた子供達。
かつて惑星カノンにおいて、自動戦闘人形に対抗するための手段として開発されていた、人工的に遺伝子情報などを書き換えて特殊な能力を与えられた子供達。それが祐一達カノンクルーの本来の姿なのだ。
もっとも、この開発計画自体は七年前の自動戦闘人形の来襲による惑星カノンの滅亡により失われてしまったとされている。その際に完成したばかりのカノンで辛くも脱出に成功した祐一達であるが、もって生まれた特殊能力ゆえにまともな生活が出来ず、結局このような星間交易商人になるしかなかったのだ。
丁度良く艇もあるし、なにより木の葉を隠すには森の中が一番、というのが、惑星カノン滅亡の際に一緒に逃げてきた開発責任者、水瀬秋子の言葉である。
もっとも、いくら特殊能力があるからといっても、それが祐一達に有利に働くというわけではない。能力を行使する際には、さまざまな弊害をもたらすものなのだ。具体的な例をあげると、名雪の持つ超越感覚という能力は、あらゆる乗り物を操縦する上で必要な感覚と、予知能力ともいえるある程度の未来予測をも可能としている能力であるが、使用可能な時間に制限があり、使用後は回復のために一定時間の睡眠をとる必要がある。また、使用可能な時間は睡眠時間に比例するため、普段から名雪は寝る事を推奨されているのだ。
なにしろカノンの運命は、名雪の両腕に託されているのだ。彼女の卓越した操縦能力がなければ、おそらく今頃はとっくの昔に宇宙に塵に変わっている事だろう。
それ以外にもカノンのメインコンピューターとリンクした後の栞は回復のためにバニラアイスを必要とし、複雑な情報処理演算を行った後の香里は回復のために大酒を飲むなど、意外と困った側面を持つ。その意味では回復のための睡眠という祐一と名雪はまだ可愛いほうだといえるのだ。
そんな祐一の可愛い寝顔を覗き込み、香里は軽く微笑んだ。
(計画が生み出した自由なる戦士。そして、あたし達の戦闘司令官……)
祐一はメンバーの中でも卓越した空間把握能力を有しており、名雪とはいとこ同士という関係のためか、名雪ほどではないにしろありとあらゆる乗り物を操縦する能力を持っている。また、祐一の特筆する能力は、仲間に対する優れた指揮管制能力を有する点だろう。なにしろこれがなければ、香里達がいくら優れた能力を持っていたとしても、自分達の能力をどのように行使してよいのかわからないからだ。
(……誰も見ていないわよね……)
不意に香里はあたりを見回す。名雪は安らかな寝息を立てて夢の中だし、栞はCICでリンク中。真琴と美汐は烈風で待機、つまり今ブリッジにいるのは香里だけなのだ。そっと辺りを窺ってから、香里はゆっくりと祐一の寝顔に顔を近づけていく。
そして、香里の唇が祐一の唇と触れ合おうとした刹那、突如として警報音がブリッジに鳴り響いた。
「な……なに?」
後もう少しだったのに、と思いつつもサブディスプレイに目をやった香里は、抜け駆けは許しませんよ、といわんばかりの栞の笑顔のグラフィックと、救難信号を発する漂流物体の存在を示す光点を見た。
「Permission to sortie.(出撃許可求む)」
『O.K.reppuu,permission granted.instrument recorder on.Good luck to come back.(了解烈風、出撃を許可します。航行記録用レコーダーをオン。健闘を祈ります)』
香里と短くやり取りをかわした後、カノンの下面ハッチから白銀にグリーンのストライプの入った烈風が姿を現す。烈風はカノン搭載艇の中でも大型の部類に入る航宙戦闘機で、機体の全長は五十五メートル、全幅は三十五メートルにもなる。無論この機体寸法では疾風ほどの軽快な運動性能は期待できないが、広めのカーゴルームを持つペイロードの高さを利用しての爆撃仕様や、大気圏突入能力を活かした連絡艇としても重宝する機体である。
「オートパイロット作動、誘導波にシンクロしました」
「あう、了解」
並列副座のコックピットでメインパイロットを勤めるのが真琴で、その隣でナビゲーターを勤めるのが美汐だ。基本的に烈風は、この二人のコンビで操縦する事が多い。
烈風に二基装備されている超光速推進機関が二条の光跡を描き、救難信号を発する漂流物体に近づいていく。
「データによると、バーンブリームに搭載されている救命ポッドのようですね」
照合解析を終えた美汐が、漂流物体のデータからそう判断する。こう見えて美汐は神の手の異名を持っており、こうした機器の扱いを得意としている。栞がカノンのメインコンピューターとリンクする能力を持つのに対し、美汐はどちらかといえばハッキングなどの能力に長けており、コンピューターに侵入するウィルスから、防御用のワクチンまでありとあらゆるプログラミングを構築する事が出来るのだ。
「救命ポッド?」
「天使の卵タイプですね。このタイプは非常時には生存者を冷凍睡眠状態にしますから、長時間の生存が可能になります」
恒星系内や惑星の近傍などの人間が生存している区域内でならすぐにでも救助の手が差し伸べられるが、このような恒星系から外れた外洋に当たる宙域では救助すらままならない場合がある。そこでこの種の救命ポッドでは生存者を冷凍保存し、延命率を高める工夫がなされている。
天使の卵タイプの救命ポッドはその名の通り卵形をした最新のもので、このような救命ポッドは軍用宇宙艦艇をはじめとした外洋型艦艇には軍民を問わず普遍的に搭載されているものだ。もっとも、この手の救命ポッドは下手に発見が遅れると何百年もそのままというケースがあり、その意味ではあまり効果的な脱出手段とはいえないのかもしれないが。
やがて、烈風のメインスクリーンに救命ポッドが大写しとなる。少なくともカノンのメインスクリーンの映像からは生存者がいるようには見えなかったため、もしも誰かが生きているのなら喜ばしい事だと真琴は思った。
真琴は烈風の機体上面にあるカーゴルームのハッチを開き、マニピュレーターアームの先端をそろりそろりとポッドに近づけていく。
「真琴、ここは慎重に」
「わ……わかってるわよぅ……」
唇の先を少しとがらせつつも、真琴はメインコンソール脇のサブディスプレイを凝視し、真剣なまなざしでアームを操作する。烈風とポッドの相対速度をあわせ、文字通り卵を掴むような繊細さでカーゴルームに収容した。
「どう? 美汐……」
「ポッドはまだ生きているみたいですね。生命反応もちゃんとありますし……」
とりあえず烈風をカノンへの帰還軌道に乗せた後、真琴は美汐と一緒にポッドの調査をしていた。周辺の索敵を続行している栞から続報がないため、この宙域一帯では唯一の生存者といえるだろう。それだけに美汐の解凍作業は慎重に慎重を期するものだった。
やがてゆっくりと天使の卵の外殻が外れ、中からまるで眠っているかのような少女が姿を現した。
「女の子だ……」
「眠り姫、というものですか……」
栗色の髪が肩の辺りまで伸び、白いローブに身を包んだ少女は、見たところ真琴よりも年下に見える。
果たして、この少女の正体とは。
それはまだ、誰にもわからない。
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