第八話 空間歪曲航法
リーフ星系の主星アクアプラスはリーフ太陽系第三惑星に位置するファーイーストハート連合を束ねる中心地で、その周辺にはコミパ、マジアン、ウタワレといった恒星区がある。古くから公益の要衝として栄えている場所で、銀河東方星域を占める一大勢力となっている。
銀河北方星域を統括するキーストン連邦星系に属するムーンパレスとは国境が隣接しており、その近傍宙域にある資源惑星の領有を巡って幾度か交戦状態になっており、その戦いは俗に千年戦争とまで言われている。しかし、千年間ずっと戦っているわけではなく、散発的に紛争が繰り返された結果これだけの期間に及んでしまったのだ。両恒星系は直線距離で四百光年ほど離れており、開戦当時はまだ星系間連絡門の整備が進んでいなかったため、遠く離れた惑星間の移動によって生じるウラシマ効果が問題となっていた。
その問題を解決する手段として両陣営が開発したのが、自己判断、自己修復、自己進化の能力を備えた自律駆動型の戦闘兵器、俗に言う自動戦闘人形である。
自動戦闘人形とはPerfctible and Ultemate Powered Progressive Electric Trooperの頭文字をとったもので、完全にして究極の力を持った進歩する電騎兵という意味がある。基本的にはフェニックスやドラゴンなどの幻獣の姿を持つが、状況に応じて多脚型の節足動物の形態をとる場合が多い。自動戦闘人形の開発はムーンパレスとファーイーストハート連合の双方によって行われ、会戦期間中に多くの機体が戦線に投入された。
戦闘は基本的に自動戦闘人形同士で行われるので、戦争による人的被害を出さない手段として注目されてもいたが、それが新なる災厄の銃爪になろうとは誰も予想していなかった。長い会戦期間中に大量に投入された自動戦闘人形は、いつしか有人惑星を完膚なきまでに殲滅する恐るべき戦闘兵器へと自己進化を遂げていたのだ。
彼らは自己修復の機能を元に自己増殖という機能を進化させ、開発した両国家の予想をはるかに上回る進攻速度で銀河を蹂躙しはじめたのだ。最初のころは辺境星域を航行する民間船の遭難などの小規模のものだったが、次第に有人惑星への侵攻を開始するなどの大規模なものへとなっていった。
これらの脅威に対して各陣営は宇宙軍を用いて対抗をはじめたが、いかんせん自動戦闘人形側の圧倒的物量の前には太刀打ちできず、自己進化能力に由来する兵装関係の更新速度の速さには対応し切れなかったのだ。さらに多数の自動戦闘人形同士が合体して構成される要塞惑星は、自動戦闘人形の補給や修復のみならず、宇宙資源を利用した自己増殖をも可能としていた。
しかし、人類もいつまでも彼らの思い通りにさせてはおかず、いくつかの対抗手段を講じていた。まず宇宙軍の増強を開始し、それに伴って装備の更新などを行った結果、現在の膠着状態にまで巻き返す事には成功したが、自動戦闘人形の脅威に対する抜本的な解決にはいまだ遠い状況であった。
そのころ惑星カノンでは人工的に遺伝子を調整した人間を創造し、自動戦闘人形に対抗する手段とする計画が発動されたが、完成直前に惑星が自動戦闘人形によって殲滅されてしまい、その技術は失われてしまった。一説によるとその研究の成果となる個体は滅亡寸前に惑星を脱出したと言われているが、その事実が確認されたわけでもない。そのため、各星域では俗に失われた子供たちと呼ばれる集団が、今もこの銀河のどこかを放浪していると言う噂だけが広まっているのだ。
「いない?」
星系間連絡門を抜け、アクアプラスへと降り立ったのは代表の祐一と依頼主のあゆ、それに祐一の秘書的な役もこなす香里の三人で、残りのクルーは衛星軌道上のドッキングポートに係留されているカノンで待機任務についている。三人は来栖川綾香との会見場となる来栖川重工の系列会社、長瀬インダストリーの応接室で、応対していた受付嬢の雛山理緒から簡潔に事の次第を聞いた。
「……なんでも、ムーンパレス船籍の船が消息を絶ったとかで、綾香様は現地調査に向かいました」
それを聞いて三人は挨拶もそこそこに辞去し、地上に降りるためのコミューターを駐機しているポートに向かった。カノンのような外洋型の宇宙用艦艇は、よほどのことでもない限り惑星上に降下することはなく、衛星軌道を回るドッキングポートに係留するのが普通だ。地上に降りるときは艦の搭載艇か、ポート発のシャトルを利用することになっている。
「行き違いになったか……」
「困ったわね……」
「うぐぅ……」
ポートに向かうレンタカーの中で、三人は短く言葉を交し合う。どうやら星系間連絡門を通過する際にすれ違ったエクストリーム級が綾香の座上する艦らしい。それがわかっていればそのときにコンタクトも取れただろうが、今となっては後の祭りだ。
「それで、どうするの?」
「そうだな……」
ハンドルを握る祐一は助手席にいる香里に返事をしつつ、ルームミラーで後席にいるあゆの様子を見た。あゆの顔色はかわいそうなくらいに真っ青になってしまっているが、それも無理のないことだろう。なにしろあゆの故郷は今自動戦闘人形の脅威にさらされている。今回のこの会見が失敗すれば、ムーンパレスに待っているのは滅びの道だ。
「取りあえず俺たちが戻りしだい緊急発進、その後は一気に空間歪曲航法で追いかけるしかないだろうな」
「空間歪曲航法で?」
「星系間連絡門の順番待ちなんて、かったるくってやってらんないよ」
香里は形のよい眉をひそめつつも、その思考は冷静に祐一の指示を実行するための方法を模索しはじめる。
「そうね……アクアプラスの衛星軌道を離脱後、第五惑星を利用してスウィング・バイ。一気に星系外に出た後空間歪曲航法……やってやれないことはないわね」
星系間連絡門はその性質上軍、民間を問わずに各恒星系間の移動に広く利用されているものである。そのためこの近傍の宙域は利用しようとする艦艇の順番待ちで、かなり長い列となっているのだ。
空間歪曲航法も基本的には星系間連絡門と同じ原理で長距離移動をするもので、カノンの様な民間船に搭載されているのはかなり珍しいが、軍用艦艇は緊急展開をする都合上標準装備となっている。この二つの航法は基本的に船体の周囲に高エネルギーの繭をまとう形で周辺宙域の影響を受けずに時間と空間を跳躍する事が可能な超空間を構成するもので、星系間連絡門が門自体の高エネルギーによって超空間を構成しているのに対し、空間歪曲航法は艦艇からのエネルギーで超空間を構成するという違いがある程度である。
だが、惑星などの高質量体の近傍では超空間の構成が解かれてしまうために、通常空間に復帰してしまうという欠点があった。そのため、星系間連絡門は恒星や惑星の影響を受けにくい各星系の外縁部に設置されている。
「とりあえず香里。美汐に連絡して、航路管制局に飛行計画書を提出するように伝えてくれ」
「わかったわ」
早くも携帯端末を操作して美汐と連絡を取りはじめる香里の姿を、あゆは後席からじっと憧憬のまなざしで見つめていた。
カノン搭載艇の烈風は戦闘を目的に使用するには少々大きめの船体を持つが、それ以外の任務に充当するには理想的な大きさの艇である。並列副座のコックピットのほかにも十名程度のクルーが乗れる居住スペースと、やや大きめのカーゴルームを持つことから幅広い任務に使用できるのが特徴だ。
普段は真琴と美汐が専任パイロットを務めているが、今回は両名ともカノンで待機しているので祐一がパイロットを務めていた。
「油圧チェック、エンジン回転アイドリング、主機内圧異常なし、アンチスキッドチェック、トランスポンダOK、APUOK……」
チェックリストの項目にしたがって、祐一は烈風の離陸手順を開始する。
「管制塔、こちらは烈風。離陸許可を求めます」
その脇では香里がてきぱきと管制塔と連絡を取る。
『管制塔より烈風。離陸を許可する』
「じゃ、いくぞ」
祐一は烈風をハンガーからはずすとスロットルを絞り込み、エプロンから一気に誘導路に機体を進入させる。
「ちょっと早くない?」
普段より速い移動速度に香里が声をかける。なにしろ烈風の移動速度は出力を八〇%程度に絞り込んであるとはいえ、飛行場内の速度制限を僅かに上回るものだったからだ。
「時間がもったいないからこのまま一気に加速して離陸する」
言うが早いか祐一は誘導路から滑走路に出た途端に加速を開始する。普通は安全確認と機体の最終チェックのために滑走路手前で一時停止をするのだが、祐一は誘導路からでた勢いを殺さないままにスロットルを開いた。
「V1……VR……」
香里がチェックリストを読み上げていく。V1とはエンジントラブルなどの事故が発生した場合に離陸を断念できる速度である事を意味し、VRは離陸の際の機首上げの速度に達した事を意味する。それを聞いて祐一は烈風の着陸脚を収納した。
「V2……相沢くん?」
「黙ってろ」
V2はエンジントラブルなどの事故が発生しても、離陸を断念できない速度に達した事を意味する。祐一は滑走路上で烈風の機体を水平にして一気に加速、離陸速度に達した機体がさらに増速する。
「せぇのっ!」
滑走路が終わるぎりぎりのところで祐一は操縦桿を引き、そのまま機体を一気に垂直上昇させた。まるで緊急発進の手本を見ているかのような見事な機動に、管制塔内に常駐する管制官たちから拍手と歓声が巻き起こる。なにしろこんな離陸は航空ショーでもない限り見られないし、民間機でこんな離陸をやったら一発でライセンス剥奪だからだ。
アクアプラスはほぼ地球と同じ大きさであり、惑星の重力もほぼ同じだ。したがって、惑星の重力を振り切って衛星軌道に達するには、大体秒速七九〇〇mの速度を必要とする。宇宙港は基本的に惑星の赤道付近に設置されており、離陸の際には惑星の自転運動を利用できるようになっているが、それでも衛星軌道に到達するまでに消費するエネルギーが少ないに越した事はない。
祐一の取った方法は一見派手に見えるが、理にかなった方法とも言えるのだ。
「……高度五〇〇〇、七〇〇〇、一〇〇〇〇、一五〇〇〇、二〇〇〇〇、三〇〇〇〇……」
主翼前縁のストレーキと翼端から派手にヴェイパーを曳きながら烈風が急上昇していく中、コ・パイロットを勤める香里が狂ったように針が踊る高度計を読み上げる。青かった空は次第に星が瞬きはじめ、それにつれて次第に身体が軽くなっていくように感じる。
「うぐぅ……」
とはいえ、猛烈な加速Gに身体を拘束されてしまっているのでそんなことを感じる余裕すらないあゆであったが、これでも旧時代に宇宙へ行く手段の一つであったスペースシャトルよりも加速Gは押さえられており、その証拠になんの訓練も受けていないあゆでもなんとか耐えられるくらいなのだ。
高度が五〇〇〇〇mを越えたあたりから祐一は徐々に機体を傾け、ほとんど背面飛行をするような形でさらに高度を上げていく。つい先程まで平らだったアクアプラスの大地が彼方へと消え去り、薄く白い雲を貼り付けたような星の輪郭が見えるばかりとなる。
「あ……」
不意に正面のモニタースクリーンに映し出される映像に、あゆは思わず息を呑んだ。墨で塗りつぶしたみたいに真っ黒な宇宙、その向こうにかすかに見える星の瞬き。そして、その下に広がる青く輝く丸い水の星。
「綺麗なもんだろう」
「うん」
祐一の声にあゆは瞳を輝かせた。眼下に見える青い惑星は、まさしく人類の営みそのものを示しているからだ。
「こうやって宇宙に出てしまえば、あそこはちっぽけな青い惑星にすぎない。でも、そのちっぽけな星の上で何十億人って人が暮らしてるんだ」
「……そうだね……」
それはかつて、ムーンパレスでも普通に見られた光景だろう。しかし、今は自動戦闘人形の来襲により、その輝きは失われつつあった。
「だから、取り戻すぞ。ムーンパレスにもこの輝きを」
「うんっ!」
柄にもなく照れた様子の祐一の声にあゆは力強くうなずき、そんな二人に様子を香里は微笑ましく見守っていた。
「二人とも無駄口叩いてないで、そろそろ迎合ポイントよ」
香里の声にメインスクリーンを見ると、衛星軌道上のドッキングポートから離脱したカノンが大写しになっているところだ。烈風がアクアプラスを離陸してから約一時間、祐一たちは高度が二二〇〇〇〇mに達したあたりで無事にカノンと合流した。
アクアプラスを出発してから約一時間後、カノンはリーフ太陽系第五惑星に接近していた。
リーフ太陽系の第五惑星は人類発祥の地と呼ばれるソル太陽系にある木星に酷似したガス状の惑星で、リーフ太陽系内でも最大の惑星である。液体水素や金属水素、ヘリウムを主体とした大気を有しており、資源惑星としても活用されている。実のところ、ムーンパレスとファーイーストハート連合が領有を巡って争っているのは、こうしたガス状の資源惑星なのだ。
「第五惑星の重力圏内に入りました」
「よしっ」
美汐の声が響くと同時に、強大な第五惑星の重力がカノンの船体に僅かな振動を加える。メインスクリーンに第五惑星の巨大な姿が映し出されると、操縦桿を握る祐一の腕に力がこもる。
スゥイング・バイは惑星の持つ重力を利用して加速する手段と思われがちだが、惑星を基準にしてもその侵入速度と離脱速度に差は生じないので、単にその惑星の近傍を通過するだけになってしまう。しかし、恒星を基準にすると惑星の公転速度が離脱速度に加算されるため、エネルギーをほとんど消費せずに加速が可能となるのである。ちなみに、惑星の公転方向の後ろ側を通過すると加速し、前方を通過すると減速する。
「本船はこれより第五惑星を利用してスゥイング・バイに入る。加速後は一気に星系を離脱して空間歪曲航法に移行する。美汐、カウントダウン開始」
「了解」
メインスクリーン脇のサブディスプレイに表示された数字が、第五惑星の接近に合わせてカウントダウンを開始する。このスゥイング・バイという加速方法は惑星の公転速度と加速しようとする物体の侵入角度との間に密接な関係があり、厳密に計算しなくては望みどおりの効果は得られないのだ。そのため、カノンはスゥイング・バイによる加速から空間歪曲航法に至るまで、全ての操船を美汐が構築したプログラムで行う自動操船となっている。祐一が操縦桿を握っているのは、万一の際には手動で操縦することもありうるからだ。
カノンの船体に僅かな振動が駆け抜けた次の瞬間。カノンは無事に第五惑星の重力圏を離脱し、一気に星系外に抜けるコースに乗る。
「リーフ太陽系を抜けました」
ブリッジに栞の声が響くと同時にカノンの超光速推進機関が臨界に達し、空間歪曲航法の下準備に入る。
「エネルギーフィールド展開っ! 跳躍っ!」
祐一たちの身体がコントロールシートに押さえつけられ、メインスクリーンに光の点として表示されていた星たちが一斉に線を描きはじめるのと同時に、カノンは一条の光跡を残して超空間に移行した。
「超空間への移行確認」
「船体各部異常なし」
センサー類のチェックを行う栞と、常に機体の状況チェックしている美汐の報告に、祐一がほっと一息はいた次の瞬間だった。船体に異常な振動が走ると同時に、緊急警報が鳴り響いた。
「なんだ?」
「超空間の構成、崩壊しつつありますっ!」
「なにっ?」
空間歪曲航法の際に構成される超空間は、惑星などの高質量体の近傍ではそれを維持できなくなる。そのため、事前のチェックは入念に行っていたはずだし、航路上にそうした高質量体が存在しないのは確認済みだ。
「通常空間に復帰しますっ!」
悲鳴にも近い美汐の声がブリッジに響いたとき、メインスクリーンに表示されたのは一隻の巨大戦艦だった。
「ぶつかるっ?」
誰もがそう思い、目を閉じたその次の瞬間。
「うにゅ……」
名雪の巧みな操船により、カノンはかろうじて衝突を免れるのだった。
「助かった……のか……?」
「みたい……ね……」
すっかり動転して息も絶え絶えという感じの祐一の声に、香里がかすれた声で相槌をうつ。カノンのブリッジ内は概ねそんな様子で、その中でもあゆは完全に目を回してしまっていた。
「……エクストリーム級か……道理で……」
実は巨大な宇宙戦艦も高質量体であるため、その近傍を通過しようとすると超空間の構成が解かれてしまう場合がある。今回の場合は探していていた相手に巡り会えたのだから、ある意味不幸中の幸いといったところだろう。
「美汐、あのエクストリーム級に連絡。着艦許可を求めてくれ」
「一体どこの馬鹿よっ! あの船は」
そのころ、エクストリーム級のブリッジではキャプテンシートに座る来栖川綾香が形のよい眉を吊り上げて怒りをあらわにしていた。なにしろニアミスした距離は一メートルと離れていない。一歩どころかもう半歩間違えていれば大惨事は確実だったからだ。
「綾香様、先程の船から通信が入っております」
「通信?」
「はい、あちらの船名はカノン。当艦に着艦許可を求めておりますが」
いかがいたしましょうか、というセリオの声に、綾香はまるで新しい玩具を見つけたネコのような瞳で口を開いた。
「いいわ、着艦を許可します」
「かしこまりました」
カノンと連絡を取るセリオの後姿を眺めながら、綾香はにんまりと微笑んだ。
「……面白くなってきたじゃないの……」
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