スケーターズワルツ

 

 それは栞の誕生日がすぎた二月の休日の出来事だった。

 この日栞は、最愛の姉とその親友の名雪。そして、祐一の四人で近くのスケートリンクに遊びに来ていた。

 産まれてこのかた病弱で、スケートなんて初めての栞。ちょっとだけ緊張した様子でスケートリンクに立つ。

「いくわよ、名雪〜」

「おーけー、香里〜」

 その目の前で、香里と名雪は華麗な滑りを披露している。その姿を例えるなら、香里が妖艶で情熱的な黒鳥、名雪が清楚可憐な白鳥というところであろう。ちなみに、ぱんつの色ではない。

(やっぱり、思ったとおりですね……)

 二人の見事な滑りっぷりに、栞は内心ほくそえむ。

 そう。これで栞は、祐一のコーチを受けられるからだ。

 

「さあ、栞」

 それこそ歯が光るくらいの祐一さんのスマイルが私に向き、まぶしいその笑顔がまるで太陽のように輝いて見えます。

「でも、私……」

 祐一さんは私の目の前で、大きく両手を広げて待っていてくれます。あそこに行くには、この氷の上を滑っていかなくてはいけません。

「大丈夫だ、俺を信じろ」

「祐一さん……」

 その言葉を信じた私は、勇気を出して最初の一歩を踏み出します。そして、一歩。また一歩と震える足取りながらも、私は祐一さんに近づいていきます。

「あっ……」

「栞っ!」

 バランスを崩して倒れそうになる私を、祐一さんはしっかり抱きとめてくれます。その暖かな厚い胸板の感触に、私は頬が熱くなっていくのを感じていきます。

「大丈夫か? 栞……」

「はい、あの……」

 私はその小さな手で、祐一さんのたくましい腕をきゅっと握ります。

「……もう少し、このままでいてください……」

「ああ……」

 そして、抱き合う二人はいつまでも幸せに暮らしました。

 とっぺんぱらりのぷぅ。

 

(完璧です)

 まるでドラマのような展開に、思わずガッツポーズなんかとっちゃう栞。

 しかし、肝心の祐一はというと……。

「……名雪〜、もうチョイゆっくり……」

「もう、祐一だらしないよ」

 栞の目の前で、祐一は名雪に両手を持たれた情けない姿で引っ張られていた。

 それを見た途端、豪快にひっくりこけてしまう栞。

「栞ちゃん、転ぶときはお尻から転ばないと危ないよ?」

「なっなっなっ……」

 名雪のさわやかなアドバイスも、今の栞には届かない。それほどの衝撃を栞は受けていた。

「あの……。もしかして、祐一さん……?」

 その問いかけに、祐一は不敵な笑みを浮かべて答える。

「実は今日が初めてだ」

 起きないから奇跡って言うんですね……。そんな栞の呟きも、リンクの雑踏にまぎれてしまう。こうして、栞の野望は終わりを告げるのだった。

 

「それにしても意外よね〜」

 華麗なすべりを披露していた香里が、さっと近づいてくる。

「まさか、相沢くんがスケートできないなんて」

「そうですね」

 栞もこくこくとうなずいて同意した。

「うるさいぞ、香里」

「だって、ほら……。相沢くんって一見スポーツ万能そうに見えるじゃないの」

 先程からずっと名雪の腰にしがみついたままでいる祐一の情けない姿に、情け容赦なくからかい口調で声をかける香里。こういうときの香里は、結構厳しい事を平気で言うのであるが、名雪がそばにいるせいかそうした部分があまり感じられないのが不思議だ。

「要するに、あれだ。ことわざでいう『河童も木から落ちる』ってやつだ……」

「そりゃ落ちるでしょうよ」

 こういうときの香里は、本当に容赦がない。その辛らつさには祐一もすっかり言葉を失ってしまい、なによりその蔑むような視線には栞もすで引いていた。

「『弘法の川流れ』」

「それはただの自殺よ」

「『サルも筆の誤り』……?」

「……相沢くんの場合は、別の意味で筆を誤りそうね」

 不思議な沈黙があたりを包み込む。

「まあ、どうでもいいわ……」

 ため息混じりにそう口を開く香里。その表情には疲労の色が濃い。普段から祐一と名雪の二人を相手にしていれば、こうもなるだろう。

「とりあえずあたしは栞をコーチするから、名雪は相沢くんをお願いね」

「うん、わかったよ」

 

「いい? 栞」

 凛、と張り詰めた香里の声がスケートリンクに響き渡る。こういうときの香里は、何故か妙に楽しそうだ。きっと根はサディストなのに違いない。

「こうして、ああして、そうすれば滑れるようになるから。わかった?」

 香里は身振り手振りを交えて教えてくれるのだが、栞にはさっぱりわからない。いくら香里が学年トップの成績保持者であっても、人になにかを教えるのは苦手なようだ。

「とにかく栞、まずはこっちまできてくれないと教える事も出来ないんだけど……」

「えう……」

 それは栞にもわかっているが、緊張しているせいか、なかなか最初の一歩が踏み出せない。

「大丈夫よ、栞。あたしを信じて」

 優しいその声に後押しされるようにして、栞は銀盤の上に最初の一歩を踏み出していく。まだ震える足取りながらも、栞は一歩一歩着実に香里に近づいていく。

「あっ……」

 突然バランスを崩し、氷の上に倒れそうになる栞。

「栞ぃっ!」

 間一髪、銀盤に激突する寸前に栞の身体を抱きとめる香里。そのふくよかな胸の感触に、栞は見る見るうちに涙目になっていく。

「大丈夫? 栞。怪我はない?」

「あ、はい……。大丈夫です、お姉ちゃん」

 お姉ちゃんの胸がクッションになってくれました。なんて、口が裂けてもいえない栞であった。

 

 一方、祐一と名雪はというと。

「ほら、祐一」

「そんなこと言ってもな名雪、俺今日が初めてなんだぞ」

「大丈夫だよ。わたしに任せて、ね?」

「お……おう……」

「わ、だめだよ祐一、そんなにはをたてちゃ。そこ、意外とデリケートなんだよ?」

「ああ……悪い、名雪……」

「あわてないで、祐一。ゆっくり……ね?」

「こ……こうか? 名雪……」

「うん、いいよ。そんな感じ……。うん、上手だよ。祐一……」

「そ……そうか?」

「うん、それじゃ祐一。そのまま……きて……」

「いいのか? 名雪……」

「うん、わたしは大丈夫だから……」

「よし、いくぞ名雪……」

「きて、祐一……」

 なんのコーチをしている事やら。

 

「よしっ! 行くぞ、栞」

「わっわっ、待ってくださ〜い」

 努力の甲斐あってか、なんとか滑れるようになった祐一と栞。そんな二人の様子を名雪と香里はリンク脇に設けられた休憩所から、微笑ましく見守っていた。

 まだまだ危なっかしい二人だといったら、きっと二人は怒るだろう。

 でも、危なっかしいからこそ、こうやって二人で助け合っていくのかもしれない。

 今までも。

 そして、これからも……。

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