「美汐〜お誕生日おめでと〜」

 真琴のかけ声と同時に一斉にクラッカーが鳴らされ、主賓席の美汐に色とりどりのテープが舞い落ちる。

「ありがとうございます、皆さん」

 襟元で軽くウェーブを描く小豆色の髪にまとわりつくテープをはらおうともせず、美汐は極上の笑顔を浮かべていた。

 美汐の前に置かれたバースディケーキは、この日のために真琴があゆと一緒に秋子の指導を受けて作ったものだ。そのせいか少し形はいびつだし、色も真っ黒であるが、それでも二人が一生懸命に作ったガトーショコラなのだ。

 ケーキに立てられた十七本のロウソクを吹き消すと、再びその場に集った一同から歓声が上がる。そして、秋子、名雪、祐一、あゆ、真琴、香里、栞、舞、佐祐理、北川が、それぞれ思いを込めたプレゼントを美汐に手渡していく。それを受け取る美汐は、よく見ると目じりには少しだけ涙が浮かんでいた。よほど美汐は嬉しかったのではないかとも思えるが、途端にはじまった喧騒にまぎれてしまい、誰にも気づかれる事はなかった。

「ねえ、美汐。これ食べてみてくれる?」

 おずおずという感じで、真琴は美汐の前に小皿に取り分けられたガトーショコラを差し出した。その隣ではあゆが祐一に差し出しており、期待に満ち満ちた瞳で見つめている。実のところ美汐はこの二人の料理の腕は祐一から聞いて知っているし、特にあゆはトーストを真っ黒な炭に変える達人と聞き及んでいる。

 その意味ではかなり不安要素があるが、ふんわりとした感じのガトーショコラが放ついい香りに心惹かれるものがあるのも事実。

(……見た目は大丈夫なようですね……)

 なかなか決心のつかない美汐であるが、期待と不安が入り混じったような真琴の視線に、次第に耐えられなくなっていく。

 一体どうすれば、と思い悩みはじめたあたりで、美汐は祐一が熱い視線を送っている事に気がついた。

(相沢さん、あなたという人は……)

 どうやら祐一は美汐を毒見に使おうとしているらしい。いや、よく見るとその場に集った一同も、美汐の一挙手一投足に注目していた。一見すると礼儀正しいようではあるが、その実美汐が食べて平気なら大丈夫だろう、という意図が見え見えだった。

 覚悟を決めて美汐が一口食べると、途端にチョコレートのいい香りが口の中いっぱいに広がっていく。

「美味しいです」

「よかったぁ……」

 ふんわりざっくりとした生地が味わい深く、甘さも控えてあるので実に食べやすい。美汐の賛辞に真琴は大喜びだ。

 それを聞いて安心したのか、祐一も一口食べる。

「美味しいじゃないか」

「本当? 祐一くん」

 祐一の賛辞に、途端にあゆが顔をほころばせる。甘さ控えめすっきりビターなテイストは、甘いものが苦手な祐一にも配慮したもので、二人の真心が伝わってくるような感じがして実に美味しい。

「ああ、本当にお前達が作ったのか?」

「本当ですよ、祐一さん」

 少し意地悪な祐一の言葉に、やんわりと答えたのは秋子だった。

「流石にテンパリングとかの技術がいるものは私が手伝いましたけど、それ以外は全部あゆちゃんと真琴が作ったんです」

 そう言って秋子は優しく二人を背後から抱きしめた。その柔らかな温もりに包まれて、あゆと真琴は少し照れたように微笑むのだった。

 

「あ、そうだ。美汐に聞きたいんだけど」

 やがて楽しく談笑をしながら宴は進み、たけなわとなったあたりで真琴が口を開いた。

「なんですか?」

「うん、あのね……」

 そう言って真琴は少しはにかんだような笑顔を見せる。

「さんたくろーすっているよね?」

 

スノータウン・クリスマス

 

「サンタクロース、ですか……?」

「うん、さんたくろーす」

 きらきらと輝く真琴の純真な瞳に見つめられた瞬間、美汐は返答に困ってしまった。ここはやはり『いない』と言って現実に気づかせるべきなのか、それとも『いる』と言って夢を壊さないようにするべきなのか。

「もう、なにを言ってるんですか。真琴さんは」

 美汐が言葉に詰まってしまったのを見かねてか、左手を腰に当て、やや胸を張った感じの栞が代わって口を開いた。

「いいですか? サンタクロースの正体はですね、実は……」

「栞っ!」

 突然祐一に口を押さえられ、途中まで言いかけた言葉が、むがぐぐ、となってしまう。祐一はそのまま栞を連れ、足早にリビングから出て行った。

「なにするんですか、いきなりっ!」

 玄関先で解放され、大きくぷはぁ、と息を吐いたところで祐一に詰め寄る栞。

「なにをじゃない。お前まさか、サンタの正体はお父さんです、とか言うつもりだったんじゃないだろうな?」

「そうですよ」

 きょとん、とした表情でそう答える栞に、祐一は頭を抱えた。

「でも、サンタの正体がお父さんなんだっていう事は、誰だって知ってる事じゃ……」

「いないんだよ。あいつらには……」

 栞の言葉をさえぎるようにして吐き出された祐一の言葉に、栞はそれ以上言葉を続けられなくなってしまう。

 実際名雪は父親の顔を知らないし、真琴は天涯孤独の身の上だ。あゆの父親の生死は不明であるが、彼女も似たような境遇なのであろう。なにより長期間にわたって昏睡状態であったあゆにとっては、こうしたイベントもかなり久しぶりの事なのだ。

 栞も入院生活が長く、クリスマスでも家に帰れないという事もあったが、それでも両親や香里をはじめとして、病院の関係者達が盛大にパーティを開いてくれたりもした。その意味で言えば、栞はまだましなほうなのだ。

「ごめんなさい……私……」

「わかってくれればいいんだ」

 途端に涙があふれ出る栞を、祐一は優しく抱きしめてやる。とりあえず、栞が落ち着くまでそうしてあげる祐一であった。

 

「心配ないよ、真琴。サンタさんはちゃんといるから」

 そのころリビングでは、名雪がいつもの様子の優しい感じの声で真琴に話しかけていた。

「本当に? 名雪。さんたくろーすって本当にいるの?」

「うん」

 名雪はにっこりと微笑んでうなずくが、真琴は逆に、あう〜、と暗く沈んでしまう。

「……でも、保育所のみんなはいないって言ってたよ。あんなのウソだって……」

 なんとも世知辛い世の中になったものではあるが、これが現実と言うものだろう。子供達が妙に世間にすれた感のある御時世であるせいか、良く言えば純粋な真琴はやり込められてしまう事もしばしばなのだ。

 だから真琴は美汐に聞いたのだ。美汐なら物知りだから、きっと知ってると思って。

「あのね、真琴。サンタさんに来てもらうには、お手紙を書かないといけないんだよ」

「お手紙?」

 真琴はきょとんとした様子で聞き返した。その隣ではあゆも興味津々という感じで名雪の言葉に耳を澄ませている。

「うん、書いたお手紙はね、お母さんに渡せば出しておいてくれるから」

 名雪が、ね、と目で微笑みかけると、秋子も、了承、と目で微笑み返す。母娘ならではの見事な以心伝心だ。

「良かったね、真琴ちゃん。それじゃあ、ボクと一緒にお手紙書こうね」

「うん。真琴、サンタさんにお手紙書くっ!」

 なんとか場が丸く収まったようなので、美汐はほっと胸をなでおろした。このあたりの対処はやはり年の功というところだろうか。リビングの隅のほうであゆと一緒に手紙を書きはじめた真琴の姿に、ふと美汐はそんな事を思った。

 

「サンタクロースね……」

 宴も終わり、一抹の寂しさが残るキッチンで、なにやら作業をしている名雪の背中に向かい、祐一は呆れた様子で話しかけた。

 この日美汐は水瀬家のお世話になる事になっていたが、香里と栞、舞と佐祐理は帰宅していた。そのときに北川が送っていく事になったので、妙に張り切っているような横顔が印象的だった。

 もっとも、佐祐理には舞がいるから安心ですね〜、と言われていたので、少しだけ落ち込んだ表情をしていたものだが。

「なあ、名雪。お前いつまでサンタって信じてた?」

「え?」

 さらさらロングのストレート髪を揺らし、名雪は肩越しに振り向いて祐一を見る。

「いつまでって言われても……」

 唐突な祐一の質問にも、名雪は唇に手を当てて、ん〜、と考え込む。その仕草はまるで子供のようで、名雪を歳相応には感じさせないものだった。このあたりは秋子にも通じるところがあるので、やはりこの二人は親子なんだな、ということが実感できる。

「小学生のころだったかな、学校のお友達に『サンタの正体はお父さんなんだよ』って言われたことがあるんだよ」

 どこか寂しげな表情で、名雪は口を開く。その口調はやや重い響きで祐一の耳に届いた。

「わたし、お父さんの顔知らないから……だからかな」

 そこまでいって名雪はクスリと微笑んだ。

「商店街でサンタの格好してたおじさんに『お父さん?』って聞いちゃった……」

 すっごい恥ずかしかったんだよ、といって名雪は屈託の無い微笑を浮かべているが、それは今だから笑い話になるのだろう。父親の顔を知らない名雪にとって、父親という存在に特別な意味があるであろうことは想像に難くないからだ。

「それでそのときに、お母さんからサンタさんにお手紙を書いて、来てもらうっていうのを聞いたんだよ」

 さっきリビングで真琴に言ってたやつだな、と考えてから、祐一は名雪の淹れてくれたお茶を一口ずずっとすする。

「名雪はなんて書いたんだ? その手紙」

「……笑わないでよ?」

 妙にまわりを気にしながら、名雪はそっと祐一に顔を近づけていく。

「あのね……」

「うん」

「……弟か妹が欲しいって書いちゃったの……」

 頬をほんのり朱に染めて、名雪は祐一の耳元でそっと囁いた。

「名雪、お前それは……」

「うん、わかってるよ。お母さんもね、きっとすごく困ったと思うんだよ……」

 そこまで言って名雪はそのときの事を思い出したのか、いつもよりずっとやわらかく感じる笑顔を浮かべた。

「でもね、わたしが目を覚ましたとき。隣にけろぴーが寝てたんだよ」

「そうか……」

 普段から笑顔の名雪からは想像がつきにくいが、実は根っこの部分で結構寂しがりやなところがある。ここ最近はそうではないが、祐一が水瀬家に来る以前の名雪は秋子と二人暮らしであり、秋子の仕事が遅くて帰れないときには家で一人ぼっちというのはよくあることだった。

 二人で暮らすには不自然なくらい広い家で、たった一人きりになる。秋子が事故に遭い、名雪が心を閉ざしたとき、祐一はいやというほどそれを味わったものだ。

 だけど、名雪にはけろぴーがいた。おそらくは名雪の辛さや悲しさを今までずっと受け止めてきた存在なのだろう。

 確かにけろぴーは、物言わぬぬいぐるみでしかない。だが、名雪にとってはなによりも大切な家族の一員なのだ。

「ところで、名雪。ちょっと聞きたいんだが……」

「なに? 祐一」

「けろぴーって、男なのか? 女なのか?」

「祐一、変な事聞くね」

 その問いかけに、名雪はクスリと微笑んでこう答えた。

「けろぴーはけろぴー、だよ?」

 よくよく考えてみれば、ぬいぐるみにやきもちを妬いても仕方がない。名雪の屈託のない笑顔に、祐一は自らの失言を悟った。

「ああ……ところでだ、名雪……」

 そんな内心の動揺を悟られまいと、祐一は強引に話題を変える。

「なにやってるんだ? さっきから」

「これ?」

 名雪は少し身体をずらして流し台の上にあるものを祐一に見せる。

「たこさんウインナー用のウインナーを作っているんだよ」

「ウインナー?」

「うん、明日のお弁当の下ごしらえ」

 そういいながら名雪は、手際よくウインナーをこしらえていく。

「祐一は知ってた? 羊さんの腸で作るとウインナー。豚さんで作るとフランクフルト。牛さんで作るとボロニヤ。鯨さんで作ると百尋って言うんだって」

「ふぅ〜ん」

 軽くうなずきつつ祐一はふと思う。この家の食べ物は一体どこからどこまでが手作りなのだろうかと。もっとも、秋子が作ったものは、なんでも美味しくいただいている祐一ではあるが。

 

「と、言うわけなんだ。香里」

「なにがどう『と、言うわけ』なのかはわからないけど。とりあえずわかったと返事だけはしておくわ」

 人気も絶えた放課後の教室で、心底呆れたように口を開く香里。その表情には、すでにあきらめの色が浮かんでいる。

「で? あたしはなにをしたらいいのかしら?」

「ああ、香里に頼みたいのはだな」

 祐一の話を聞いていくうちに、香里の表情に疲労の色が蓄積されていく。

「つまり、あたしはサンタの衣装を用意すればいいのね?」

「ああ、頼めるか? 香里」

 あゆや真琴の夢を壊したくないという気持ちもわかるし、今月は誕生日やクリスマスやらで出費がかさむのもわかる。そんな中で祐一がサンタの衣装代を浮かせたいと言う気持ちもわからなくは無い。

 そこで、演劇部に所属していた香里なら、その伝手で衣装がなんとかなるのではと祐一は考えていたのだ。

「……しょうがないわね」

 口ではそういいつつも、香里は口元に妖しい笑みを浮かべるのだった。

「よく似合っているわよ。相沢くん」

「よく似合っているはいいんだがな……」

 場所を演劇部の部室に移し、香里から渡された衣装に袖を通した祐一は、大きな姿見の前で低くうめく。

「……女の子用じゃないのか? これ……」

 よく見るとこのサンタの衣装にはスラックスが無く、裾がミニスカートになっているせいか、ほとんど学校指定の女子の制服のようだった。

「しっかり着といて、言う台詞じゃないわね」

 そう言いつつ、カメラを取り出す香里。

「はい笑って、ちーず」

 突然のフラッシュにびっくりしつつも、笑顔でカメラに向かう祐一。

「あ、おい。香里……」

「はい、もう一枚。ち〜ず」

 再びのフラッシュに、また祐一は笑顔でカメラに向かう。

「で? なんなんだ、それは」

「デジタルカメラよ」

 香里は部屋に備え付けてあるパソコンを起動すると、カタカタとキーボードを操作してカメラをUSBで接続し、メモリーのデータを転送する。

「こいつは……」

 ディスプレイ上に所狭しと並ぶサンタコスの祐一の映像を、当の本人は唖然とした表情で眺めていた。

「なかなか上手に撮れてるわね」

 と、香里は文字通りの自画自賛だが、祐一の表情はどんどん蒼ざめていく。

「おい、香里……」

「心配要らないわ。これはただの確認だから」

 香里によると、こうして写真に取る事で肉眼ではわからないような微妙な差が出るのだそうだ。普通の写真だと現像に時間がかかるので即座に確認というわけにいかないが、デジタルカメラならこうしてデータを転送する事で即座に確認が可能となるのだ。

「これなんかよく撮れてると思わない?」

「あのな……」

 確かによく撮れているとは思うが、どうにもコメントに困ってしまう。

「そんなに心配しなくてもいいわよ」

 香里がキーボードを操作すると、ディスプレイ上の写真が消える。

「これでいいでしょ?」

「ああ」

 とりあえず事なきを得たようなので、ほっと胸をなでおろす祐一。そんな祐一の姿を見つつ、香里は微笑を浮かべていた。

 

「ふい〜」

 そして、迎えた十二月二十三日。この日水瀬家において盛大に催された名雪生誕祭を皮切りに、その翌日の基督聖誕前夜祭を迎えた祐一は、あゆと真琴が寝静まったのを確認した後、サンタクロースに扮して二人が用意した靴下にプレゼントを入れると、自室に戻って大きく息を吐いた。

「サンタクロースというよりは、さんざん苦労するって感じだな……」

 口ではそういうものの、祐一の顔にはなにかをやり遂げた達成感がうかがえる。明日の朝起きたときの、あゆや真琴の驚く顔を想像すれば、不思議と疲れが癒されていくようにも感じる。

 さて、そろそろ寝るかと祐一が服を脱ぎかけた、そのとき。

 

こんこん。

 

 控えめな感じでノックの音が響いた。

 こんな時間に誰だろう。秋子さんかな、と思いつつ扉を開けてみるが、そこには誰もいない。

 

こんこん。

 

 不審に思っていると、再び部屋がノックされる。今度は廊下側ではなくベランダの方から響いてきたので祐一がカーテンを開けてみると、そこにはサンタの衣装を着た名雪が白い息を吐いて立っていた。

「名雪?」

 祐一はあわてて窓を開けると、名雪を部屋に招きいれた。

「ごめんね、こんな時間に……」

「いや、いいさ」

 よく見ると名雪が着ているサンタのコスチュームは、胸元に大きなリボンがあしらわれているため、ぱっと見た目は学校の制服のように見えた。ただ、下がミニスカートで、白い生足が外気に冷えてとても寒そうであったが。

「どうしても今日中に渡しておきたかったから……」

 下から祐一を見上げるような感じで微笑む名雪。

「こんなものしか用意できなかったけど、わたしからのプレゼントだよ……」

 後ろ手に持った小箱に、きゅっと力が入る。

「受け取って……もらえるかな……?」

「名雪っ!」

 思わず名雪の体を抱きしめる祐一。冷え切った名雪の体に、自分の温もり分け与えるかのように。

「ありがとう、名雪。最高のプレゼントだよ」

「え? あの……」

 このとき名雪は、祐一がなにかとんでもない勘違いをしているのではないかと思った。

「んむ……」

 しかし、唇を奪われた次の瞬間には、なにかもうどうでもよくなっていた。

 

 愛し合う二人に、聖なる夜の祝福を。

 

 まったくの余談だが、この後二人にサンタクロースから、少しだけ気の早いプレゼントが届く事となる。

 しかし、それはまた別のお話である。

 

 

 

 さて、一方そのころの美坂家では。

「名雪、うまくやってるかしら……」

 自宅のパソコンに転送した、祐一のサンタコスの写真を眺めつつ、親友の成功を願って微笑む香里の姿があった。

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