丘の上のぽにょ
「まったく、こいつは……」
この日は夏休みの途中にある登校日。祐一は目の前で幸せそうに寝ているいとこの少女に向かってひとり呟く。
(なんて可愛いんだ……)
サラサラロングのストレートヘアが名雪の寝相にあわせてベッドの上に綺麗なラインを描き、軽く閉じられた瞼の長いまつげも美しい。名雪の呼吸に合わせて上下する胸のふくらみもさることながら、それをしっかり押し付けられているけろぴーがなぜだか不思議と勝ち誇ったような笑顔を浮かべているようにも見える。
「うにゅ……く〜」
まるで視姦のような祐一の視線に気が付きもせず、その目の前で名雪はコロンと寝がえりをうつ。すると、その動きに合わせて名雪の豊かなバストがぽにょんと揺れる。
「くっ……」
そんな名雪の無防備な姿に、そういえばここ最近名雪とぽにょぽにょしてないな、と祐一は思う。あの冬に恋人同士となって以来、祐一はそれこそ毎晩のように名雪とぽにょぽにょしていたのだが、三年に進級してから現在までの数ヶ月間はほとんど修行僧のような禁欲状態にあったからだ。
名雪にとっては高校最後の大会があるので、それに専念できるように配慮してくださいと、秋子さんから直々にお願いされては、祐一も了承せざるをえないのだった。
確かに祐一が望めば、名雪以外にもぽにょぽにょ出来る女の子がいないというわけでもない。しかし、名雪とぽにょぽにょしていないのに、他の女の子とぽにょぽにょするわけにもいかないという、祐一の悲しい矜持があるのだった。
そんなとき祐一はやわらかそうな名雪のほっぺたを、ついついぽにょぽにょしてしまう。思った通り、やはりぽにょぽにょと柔らかい。
ところが、そうしているうちに祐一は名雪の他の部分もぽにょぽにょしてみたくなってしまう。豊かなバストを、引き締まったウェストを、豊満なヒップを、綺麗なラインの太ももを、整った形のふくらはぎを……。
ぽにょぽにょしたい……
ぽにょぽにょしたい……
ぽにょぽにょしたい……
ぽにょぽにょしたい……
ぽにょぽにょしたい
ぽにょぽにょしたい
ぽにょぽにょしたい
ぽにょぽにょしたいっ!
祐一の野望が頂点に達し、いざ事を起こそうとしたちょうどその時。
「……あ、おはよう。祐一」
おおきく伸びをして、目覚める名雪であった。これがここ最近の朝の二人の風景である。
「うぐぅ、祐一くんどうしたんだろう……」
「あう〜」
夏も終わりに近づいた学校に向かういつもの道を歩きつつ、妙に不機嫌そうな様子の祐一にあゆは首を傾げた。そんな祐一の様子に、真琴はあゆの背中にぴったりと身を寄せたまま離れようともしない。
「わからないよ。わたしが起きたときには、もうあんな感じだったよ?」
その原因が自分にあるとは全く気が付いていない様子で、名雪は可愛らしく小首を傾げる。
「……あのな」
「わっ」
不意に祐一は名雪のぽにょぽにょとしたほっぺたをつかむと、そのままふにふにとひっぱる。
「ひ……ひたいよ〜、ゆうひち〜」
「誰のせいだと思ってるんだ? 誰の」
完全に八当たりであるが、それでも名雪のぽにょぽにょとした感触を楽しんでしまう祐一。
「…………………………」
ふと気がつくと、いつの間にか香里がすぐそばに立っていた。しかもその表情は二人の仲睦まじい様子に、呆れているかのようだった。
「……何やってるのよ?」
朝の挨拶もしないまま、真顔で突っ込んでくる香里。
「あ、皆さんおはようございます」
「栞ちゃん、おはよう」
「おはよう、栞〜」
その脇ではあゆ、真琴、栞の三人がにこやかに挨拶を交わしている。
「何をやっているの?」
もう一度香里は、真顔で問いかける。しかもその声はやけに冷静だ。
「何をしているように見える?」
「……仲がいいわね」
吐き捨てるようなその口調には、完全にバカップルを見る響きがあった。
「う〜、そんなんじゃないよ。香里〜」
祐一の手から逃れた名雪が、さっと香里に駆け寄る。
「わたし、いじめられていたんだよ?」
珍しく名雪が反論しているのだが、先程までの二人の様子を見る限りでは全く説得力というものがない。それだけに香里も、ふ〜ん、としか返しようがない。
「相変わらず、お二人は仲が良いですね」
「うん、そうだね」
「あう〜、家でもこんな調子なのよぅ」
それを見ていた三人も、ご馳走様という感じなのであった。
「あはは〜、祐一さんだ〜」
「……おはよう、祐一」
続いて姿を現したのが、佐祐理と舞の二人であった。この二人が制服姿なのには理由がある。あの冬の騒動の際に、二人は仲良く入院をしてしまっていた。結局、受験も就職活動もしていなかった二人は、当人達の強い希望もあって留年が確定。なので、今は祐一達のクラスメイトとなっているのだった。
「皆さん、おはようございます」
そして、最後に丁寧なあいさつと同時に姿を現したのが、天野美汐であった。
「おはよう、天野。ところでなんだ? その腕に抱えているのは……」
見ると美汐は両手でなにかを抱えている。それはふわふわの綿毛のようでもあるし、なにかの生き物であるようにも見える。美汐の腕の中でなにやらもぞもぞ動いている様子からも、どうやら生き物であるようだ。
「はい、この子は……」
その時、その生き物は美汐の腕から顔をあげる。その顔は狐に似ているようだが、どことなくぬいぐるみのような雰囲気もあった。
「ぽにょ〜」
奇妙な鳴き声をあげるのと同時に、その生き物はまんまるい胴体から申し訳程度についた手足を伸ばし、美汐の腕から大きくジャンプして名雪の胸に飛び込んだ。
「ぽにょ、ぽにょ〜」
「わっわっ」
突然の出来事に、名雪の反応が遅れる。その間にも奇妙な鳴き声をあげる生き物は、名雪の豊かなバストをぽにょぽにょしており、妙に堪能している様子だった。
「ちょっと、なんなのよ」
「ぽにょ〜」
続いて香里の胸に飛びつくと、やはり楽しそうにぽにょぽにょしはじめる。
「わっ、大丈夫ですか? お姉ちゃん」
「ぽにょ〜」
その生き物が栞の胸に飛びついた瞬間、なぜか服の上をずるずると滑り、そのまま地面に落ちてしまう。それを擬音で表現すると、まさに『つる、ぺた〜ん』であった。
(なんですか? 今の役に立たなかった感じは……)
「ぽ……ぽにょ……」
それで力尽きてしまったのか、地面にうつぶせに倒れたままその生き物はよわよわしい声を出す。
「はぇ〜、大丈夫ですか〜?」
佐祐理はその前にひざまづくと、優しく手を差し伸べた。
「ぽにょ〜」
途端に元気を取り戻したのか、その生き物は勢いよく佐祐理の胸に飛び込むと、再びぽにょぽにょしはじめる。
「……可愛い」
自分の胸でぽにょぽにょしている様子に、満足そうに眼を細める舞。
「ぽにょ〜」
「わっ、こっちきた」
しかし、栞の時と同じく真琴の胸に飛びこんだ瞬間に、ずるずると服の上を滑って地面に落ちてしまう。
「真琴ちゃん、大丈夫?」
先程の栞と全く同じリアクションに真琴は眉をしかめるものの、すぐに起き上がったその生き物は素早く標的をあゆに変える。
「ぽにょ〜」
「うぐぅ!」
その場にいた全員の視線があゆに集中し、誰もが『つる、ペた〜ん』になると思われた。
「ぽにょぽにょ〜」
「うぐぅっ!」
しかし、普通にぽにょぽにょしている風景に、誰もが言葉を失った。
「なぜだ……? なぜあいつは普通にあゆを相手にぽにょぽにょしてるんだ……?」
かすれたような祐一の呟きは、その場にいた全員の心を代弁しているかのようだった。
「あ、もしかすると……」
「なにか知ってるのか? 名雪」
「うん、確かあゆちゃんはBカップなんだよ」
「そうかわかったぞ。あいつはBカップ以上の相手にだけぽにょぽにょするんだ」
「なるほど、そう言う事ね」
「そうでしたか〜」
にこやかに頷き合う香里と佐祐理の隣で、舞も少しだけ嬉しそうに頷いている。しかし、その足元ではいつの間にか栞と真琴が膝を抱えて座り込んでおり、凄まじいまでのジト目であゆを見ていた。
「……正直、あゆさんはずるいと思います」
「あう、同感よぅ」
「これはやっぱり、あゆさんがメインヒロインという事でしょうか」
「あう〜」
「……すみません。私も仲間に入れてください」
ふと気がつくと、美汐も真琴達と一緒になって膝を抱えている。
「あの……まさか天野さんも?」
「はい……」
沈痛そうな面持ちで頷く美汐。
「私も、ぽにょぽにょしてもらえませんでした……」
その時三人の中では、奇妙な連帯感が生まれていた。
「ま、真琴達が普通なのよね。けっして小さいとか、足りないとか言うんじゃなくて……」
「そうです。私達くらいのサイズの人こそが、つつましさと奥ゆかしさを持った淑女なのです。単に大きいだけなんて、垂れるのが早くなるだけなんですよ」
「私達の事はあえて言うなら、淑乳というところでしょうか。でしたら、私達で淑乳同盟でも締結しませんか?」
美汐はあゆ、栞と共に女性の容姿にかかわる討論会に参加するメンバーであるが、ここ最近のあゆの成長ぶりには置いていかれているような気がしてならない。そこで美汐は栞達に新たなる同盟を結成する事を提案したのだった。
「それもいいかもしれませんね」
「あう〜」
ぼそぼそと小さな声で言葉をかわしつつ、三人はどことなく敗北感を漂わせる無表情のまま、力なく握手を交わす。かくして、軽くて薄くてぺったんこで、ちょっぴりがっかりで残念な三人による淑女同盟が結成される事となる。
「うぐぅ、くすぐったいよ〜」
「ぽにょぽにょ〜」
そんななかで、謎の生き物だけがなんとも嬉しそうにあゆのバストをぽにょぽにょしているのだった。
「ぽにょ?」
「ぽにょです」
朝の全体朝礼も終わり、ホームルームも終わって後は帰るだけとなった祐一達は、いつもの屋上手前の踊り場に集結し、美汐から事情を聴いていた。
「ぽにょというのか? あの怪生物は……」
名雪の胸で楽しそうにぽにょぽにょしているぽにょを横目で眺めつつ、祐一は呆れたような声を出す。本来ならこうした事態はもっと驚くべき事なのであるが、こういう出来事には慣れてしまっているせいか、誰一人として騒ぎ出すものはいなかった。また、ぽにょの外見は可愛いぬいぐるみであるように見える事から、大騒ぎにもなっていないという現実がそこにあった。
なにより、ぽにょの外見が狐にも猫にも見える事から、猫アレルギーのある名雪が大喜びだったのである。
「いったいなんなんだ? あのぽにょというのは」
「はい」
一呼吸置いてから、美汐は口を開く。
「文献によりますと、あれは昔のとある修行僧が女性との交流を絶つ事で、禁欲状態に置かれてしまった結果……」
ぽにょぽにょしたい……
ぽにょぽにょしたい……
ぽにょぽにょしたい……
ぽにょぽにょしたい……
ぽにょぽにょしたい
ぽにょぽにょしたい
ぽにょぽにょしたい
ぽにょぽにょしたいっ!
「……という想念が具現化してしまったものだと……。どうかしましたか? 相沢さん」
「いや……」
思いっきり心当たりのある祐一であった。
詳しく話を聞くと、ぽにょは女性の豊かなバストが好きで、それをぽにょぽにょしたがるのだそうだ。それ以外には特に実害もなく、ぽにょの外見も可愛いぬいぐるみのようにふわふわなので、ぽにょぽにょされたからと言ってこれといった問題もない。その証拠に名雪達もぽにょの好きなようにぽにょぽにょさせている。
とはいえ、その光景を羨望の眼差しで見ている栞、真琴、美汐の三人にはかなり気の毒ではある。特に美汐は丘の上ではじめてぽにょに出会った直後に『つる、ぺた〜ん』とされてしまっているせいか、かなり複雑な表情だった。
「それで、これからあいつはどうなるんだ?」
「そうですね……」
ため息混じりに、先程までとは少し違った感じの複雑な表情を浮かべながら美汐は小さく息を吐いた。
「ぽにょがぽにょぽにょするのに満足したら、消えてしまうでしょう。元からぽにょはそうした存在ですから……」
「そうなのか?」
「はい、ですから相沢さん。ぽにょが最後を迎えるその瞬間まで、思う存分ぽにょぽにょさせてあげてくださいね」
「と、いう事は……その間ずっと俺は名雪とぽにょぽにょ出来ないのか……?」
それには答えず、美汐はただ複雑な表情を浮かべるのみだった。
ぽにょが姿を消したのは、それから三日後の事である。
それは出会いも別れも唐突過ぎた、北国の夏のような出来事であった。
しかし、名雪達に悲しんでいる暇はない。
「くそ〜っ、名雪とぽにょぽにょしたいっ!」
「ぽにょ、ぽにょ〜」
そのころには第二第三のぽにょが現れていたからだ。
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