「祐一〜」
それは、よく晴れた夏の暑い日の出来事だった。
「ん〜?」
「恵方巻き、食べない?」
節分?
「恵方巻き?」
「うん」
さっきからキッチンでなにやら作っていると思ったが、まさかそんなものを作っていたとは祐一にも予想外だ。
「恵方巻きって言ったらあれだろ? 節分に食べる」
「うん」
そんな冬のイベントをなんでこんな夏の真っ盛りにやるのか、祐一には全くわけがわからない。
「もう、祐一は今日が何の日か知ってる?」
「今日って、あれだろ? 広島に原爆が落とされた……」
「それもあるけど、実は今日も節分なんだよ」
「は?」
思わずハニワ顔になって訊き返す祐一。そんな祐一の態度に苦笑しつつ、名雪は言葉を続ける。
「節分っていうのはね、立春、立夏、立秋、立冬の前の日の事を言うんだよ」
一般的には立春の前日に当たる節分が、一年の無病息災を祈願して豆まきなどの行事を行う関係上、特に有名となっている。
厳密にいえば立夏や立秋、立冬の前日も節分なので、その日に恵方巻きを食べようと言うのは完全に便乗商品の様相を呈してきているのだが、ある意味においては商魂たくましいと言わざるを得ない。もっとも、この立秋を前にした節分は半年無事に過ごせたお祝いと、これからの無病息災を祈願すると言う意味もあるのかもしれないが。
ちなみに、二十四節気では冬至から始まって、小寒、大寒、立春、雨水、啓蟄、春分と続き、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至となる。ここから季節は折り返し、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分を経て、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪となって、季節が一巡する。立秋とは秋の兆しが見えはじめる時期になった事を示し、この日から立冬までが秋の季節となる。まったくの余談だが、暦の上では立秋こそが暑さの頂点となり、この日を境に暑中見舞いを残暑見舞いにしなくてはいけなかったりする。
「まあ、能書きはどうだっていいや。とっとと食べるぞ」
「うん」
縁側に二人より添い恵方に向かい、ただ黙々と恵方巻きを食べる。あたりには風に揺れる風鈴の音以外には、もぐもぐぱりぱりという咀嚼音が響くのみだ。
「……ふう、ごちそうさま」
「おそまつさまでした」
名雪の淹れてくれたお茶でのどを潤し、ほっと一息つく祐一。七福神にちなんだのか、かんぴょう、キュウリ、出汁巻き、しいたけ、ウナギ、でんぶ、紅ショウガなどと言った七種類の具の取り合わせの味わいが、なんとも絶妙である。福を巻き込むと同時に、夏の暑気払いにもうってつけだ。
「祐一は、なにかお願い事したの?」
「あー……それはな……」
名雪の笑顔を目の前にしては、祐一も本当の事を言うわけにもいかない。流石に、ずっと名雪と一緒にいたいと言うのを、口にするのは恥ずかしすぎる。
「世界が平和でありますように。……っていう冗談はともかくとして、俺の願い事なんて訊かなくてもわかるだろ?」
「うん、そうだね」
世界の平和も大事だけれど、それ以上に大事なのが名雪の笑顔。それを一生守っていく事を、祐一はあの冬の日に誓っていたのだった。
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