第一章 雪の出会い

 

 それは、秋子が高校卒業を間近(まぢか)(ひか)えた、冬のある日のことだった。

 この日もこの街は雪が降り積もっていた。一面の銀世界に姿を変えたこの街は、ある意味幻想的な風景ではあるのだが、この街の住人には見慣れた光景である。

「ちょっと、買いすぎちゃったかな……」

 両手いっぱいに買い物袋を抱え、秋子は小さく口の中で(つぶや)いた。秋子は少し手の込んだ料理をつくるのを楽しみとしていたため、普段から買い物の量は多いのだが、今日は二つ年上の姉が友人を連れてくると言うので、いつもより買い物の量が多い。そのため秋子は満足に前も見えない状態で歩いていた。

「おっと」

「きゃっ」

 突然なにかにぶつかった秋子は買い物袋を落としてしまい、その弾みで袋の中身が雪道に散らばってしまった。

「悪いっ! よそ見してたもんで」

「そんな、わたしのほうこそぼんやりしてて」

 あわてて秋子は中身を拾おうとするが、ぶつかった相手の見知らぬ青年は雪の上にひざをつき、その目の前で中身を集め始めていた。

「ほら、これで全部だな」

「あ……はい……」

 青年の協力もあって、秋子は無事に中身を袋に戻した。

「ありがとうございました。それでは……」

「ちょっと待った」

 軽く一礼して去ろうとする秋子を青年が呼び止めた。

「はい?」

 その声に秋子は、肩先でそろえた長い髪を揺らして振り返った。

「女の子が前も見えないほど買い物したらだめだぞ」

 そういうと、青年は秋子の手から買い物袋を取る。

「また何かにぶつかるかもしれないし、俺が持ってやるよ」

「すいません」

「なに、気にするな。ところで、買い物はこれで全部なのか?」

「いえ、あの……」

 秋子は言いにくそうに言葉を(にご)らせた。

「……お米を……」

 

「本当に、ごめんなさい」

「いや、気にするな……。言い出したのは俺なんだから……」

 買い物の品物を玄関に置くと、青年は息も絶え絶(ただ)えに口を開いた。

「乗りかかった船だし、それに女の子に大荷物を持たせるわけにもいかないしな」

「でも……。そうだわ、お礼にお茶でもいかがですか?」

 秋子は名案、とばかりに手をたたいた。

「できればそうしたいが、ちょっと用事があるものでな」

「そうですか……。じゃあ、しかたありませんね」

 心なしか、秋子の肩がかくっ、とさがる。

「まあ、縁があるならまた会えるだろうさ。それじゃっ!」

 そういうと青年は秋子に背を向け、どこかへ走っていく。その背中を(なが)めつつ、秋子は小さく自己嫌悪した。

(わたしって、どうしてこうドジなのかしら)

 どちらかというと、しっかり者の姉に比べて秋子は内気でのんびりとした性格をしている。そのせいで他人に迷惑をかけることも多く、現に今も迷惑をかけた相手の名前すら聞いていない有様(ありさま)だった。

 もっとも、秋子は男子とまともに会話をしたこともないくらい初心だったので、それは無理のないことなのかもしれない。

 それでも秋子は、自分の引っ込み思案(じあん)さに深いため息をつくのだった。

 

 商店街にある喫茶店『百花屋』の中。花に囲まれた店内の窓際の席に、一組の男女が座っていた。

「遅いな、あいつ……。一体何してるんだ?」

「ふふっ」

 先ほどから表の通りや店の入り口をせわしなく見回している男性に、その隣に座っていた女性がいたずらっ子のような視線を送る。

「大祐さんにとって、よほど大切な人なんですね。その人……」

 ちょっぴり妬けちゃうわね、とその女性、天沢未悠(あまさわみゆ)はグラスを片手に微笑んだ。

「まあな……」

 と、彼、相沢大祐(あいざわだいすけ)は冷めかけたコーヒーのカップを片手に(つぶや)くような声を出した。

「あいつとは昔馴染(なじ)みの腐れ縁でね、こんな小さな子供のころからの付き合いなんだよ」

 と言って大祐は、テーブルの高さぐらいに手をかざす。

「時間にはうるさいはずなんだが……まさか事故にでもあってるんじゃないだろうな……」

 そんなことを話していると、突然店の扉が勢いよく開かれた。

「わるいっ! 遅くなった」

「遅いぞ、水瀬。なにやってたんだ?」

「すまんな、相沢。ちょっと野暮用(やぼよう)でな」

「事故にでもあったのかと思ったぞ」

「まあ、当たらずとも遠からずだな。ところで相沢、そちらの方は?」

「ああ、紹介しよう。天沢未悠さんだ」

「はじめまして」

 未悠は席をたってお辞儀した。

「こちらこそはじめまして、水瀬雪人(みなせゆきと)です。それにしても……」

 雪人は未悠の顔をじっと見つめた。

「あの……わたしの顔、何かついてますか?」

「いや、別に……。ただどっかで会ったような気がしただけだ」

「おいおい、水瀬……」

 大祐があきれたような口調で口を挟んだ。

「会って早々、人の婚約者を口説(くど)くな」

「そんなつもりはないぞ。ただそんな気がしただけだ」

 とりあえず二人の前の席に、雪人は腰を下ろす。

「それにしても相沢。お前どうやって未悠さんと知り合ったんだ?」

 大祐と雪人は出向と言う形で、本社からこちらに派遣されていた。そのため、雪人は大祐の交友関係をある程度は知ってはいたのだが、未悠とは初対面である。

「ああ、この間俺だけ出張になっただろ。そのときに知り合ったんだ」

「……仕事に来てるんだか、女口説きに来てるんだかわからんな……」

「それを言うなよ、こっちはこっちで大変だったんだ」

 大祐の話によると、取引先の会社で大祐が起こしたとんでもないミスを、そこで働いていた未悠が難なく解決してくれたのだそうだ。

 その日の出会いに運命を感じた大祐は、必死の思いで未悠を口説き落としたのだと言う。

「そのときの大祐さんすごい必死だったのよ。なにしろ『結婚してくれないと死んでやる〜』って……」

「……随分(ずいぶん)熱烈なプロポーズだな、相沢……」

 雪人の冷ややかな視線に、乾いた笑いを浮かべる大祐。

 その後しばらくの間、三人はのんびり談笑をしていた。

 

 家族に紹介したいと言う未悠の誘いで、一向は未悠の家に向かって歩いていた。

「ここがわたしの家です」

 そういって未悠が案内した家に、雪人はどこかで見たような既視感にとらわれた。

「ただいま」

「お帰りなさい、姉さん。あら……?」

 エプロン姿で姉を出迎えたにきた少女は、先程雪人が助けた少女だった。

「おや、君は。また会ったな」

「あら? もしかして秋子の知り合いなの?」

 

 未悠と大祐のささやかな婚約発表の後、天沢家のリビングは明るい笑いに包まれていた。

「なるほど、そんなことがあったのね」

「雪が珍しくてよそ見して歩いてた俺も悪いんだが……。まあ、事故みたいなものだな」

 雪人も大祐もあまり雪の降らないところの出身だったので、こうまでたくさんの雪を見るのははじめてなのだ。

「もしかしたら、運命の出会いかもしれないわね。ねえ、秋子?」

「……お茶のおかわり、持ってきますね……」

 そういってリビングを後にする秋子の顔は、妙に赤い。

「ところで未悠、家族って言うのはもしかして……」

 大祐の問いに、未悠は無言で頷いた。

「わたしたち、早くに父親を亡くしてね。その後は母が女手一つで私たちを育ててくれたんだけど、三年前に交通事故でね……。それからは秋子一人がわたしの家族よ」

「それは……なんて言ったらいいのか……」

「いいのよ、大祐さんは気にしないで」

 そのときのショックはすさまじいものだったが、今ではなんとか笑えるようにはなったのだそうだ。

「でも、あの子はまだそのときのことを引きずってるらしくて……。秋子のあんな明るい表情を見たのは久しぶりだわ」

 そういって未悠は優しく微笑んだ。

「だからって言うわけじゃないけど、雪人さんがあの子のそばにいてくれるなら、わたしも安心できるんだけど……」

「良かったじゃないか水瀬。ちょうど今お前フリーだろ?」

「確かに、それはそうだが……」

「あ……でもやっぱり、ご迷惑ですよね……」

 未悠が少し申し訳なさそうな声を出す。

「もう、姉さんったら」

 ちょうどそこに、秋子が新しいお茶を持ってリビングに戻ってきた。

「いくらなんでも、そんな突然じゃ水瀬さんにも失礼ですよ」

「あら? じゃあ、秋子は水瀬さんのことが嫌いなの?」

「そんなの……まだ良くわからないし……」

 未悠の意地悪な質問に、秋子は真っ赤な顔で答えた。

「そのあたりに関しては同意見だな」

 おもむろに雪人が口を開いた。こちらは秋子とは違い、幾分(いくぶん)落ち着いた表情である。

「でもまあ、こうして会ったのも何かの縁だし。好きか嫌いかはともかくとして、俺としては困ったことがあったら力になってやっても構わないぞ」

 

 こうして二人は出会った。

 

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