第二章 雪の降る街

 

 身内だけでひっそりと行なった姉の結婚式の後、秋子は家に一人ぼっちになってしまっていた。未悠はしばらくの間一緒に暮らそうと言ってくれたのだが、秋子としては両親の思い出が残るこの家を離れたくはなかったのだ。

 そんな寂しさを埋めるように雪人と会っていた秋子だったが、いつしかそれは秋子にとって日課となっていき、雪人のほうも出来る限りの時間を秋子のために()いていた。

 そして、一年ほどたったある日のことだった。

 

「お……」

 灰色の空を見上げていた雪人が、嬉しそうな声を出した。

「雪が降ってきたな」

「本当ですね」

 秋子もつられて空を見上げる。空一面を多い尽くす灰色の天井からは、小さな白い結晶が舞い降りて来る。

 また、雪の季節がやってきたのだ。

「やっぱり雪はいいな。俺、雪は好きだし」

「そうなんですか?」

 秋子は少し微笑んで聞き返した。この街に住む秋子にとっては珍しくない雪だけれども、そうでない雪人にとっては珍しいものなのだろう。

「まあ、俺の名前にも使われているしな。もっとも、それについてはいい思い出があるわけでもないが……」

「え……?」

「実は俺……天涯孤独の身の上でな」

 雪人の言葉に、秋子は言葉を失った。

 赤ん坊のころ雪人は、孤児院の前に捨てられていた。その日は大雪で、高熱を出した雪人は三日三晩生死の境をさまよっていた。そして奇跡的に回復した後、雪の日にちなんで雪人と名づけられたのだと言う。ちなみに、水瀬と言う姓は孤児院の院長の姓だったりする。

「そんなわけで、俺が子供のころはあんまり雪が好きじゃなかったんだ」

 雪人の口調は明るかったが、その反対に秋子の表情は暗く沈んでしまう。

「ほら、そんな顔しない」

 雪人はうつむきがちだった秋子の顔を、少し強引に上を向けた。

「確かに、子供のころには生まれの不幸を呪ったこともあるさ。でも、今は生きてることに感謝してるんだぜ。そのおかげで相沢にも会えたし、秋子にも会えたんだから」

 穏やかな微笑を浮かべたまま、言葉を続ける雪人。

「それにな『笑う角には福来る』って言うじゃないか。だからそんな顔しないで、秋子も笑っていてくれよ。俺はお前の笑顔が好きなんだから……」

 言ってしまってから雪人は、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

 秋子もまた、そんな雪人の不器用な優しさが好きだった。

 

 二人の定番のデートコースとなった百花屋のドアを開けると、カランカランと言うドアベルの音が出迎えてくれた。

「いらっしゃい」

 よく見るとドア付近には、百花屋のマスターがハンドベルを片手に座っていた。

「あの……何をしているんですか……?」

「やあ、秋子ちゃんか。いやね、ちょっとドアベルが壊れちまったもんでね」

 雰囲気だけでも味わってもらおうとしたらしいが、ある意味違和感のある光景である。

「秋子ちゃんもそっちの兄ちゃんも、いつものでいいんだろ? そこの窓際の席へどうぞ」

「はい」

 二人が席に着くと、しばらくしてテーブルの上には百花屋特製のブレンドコーヒーと、フルーツたっぷりのジャンボパフェが置かれた。

 ちなみにこれが、二人の百花屋定番メニューである。

「マスターの()れてくれるコーヒーは絶品だね。コーヒーにはうるさい俺も納得の味だ」

「うれしいこと言ってくれるね」

 そういってマスターは満足そうな笑みを浮かべる。百花屋のコーヒーはマスター自慢のウォータードリップ方式なので、他の店では味わえないような深い味わいが売り物なのだ。

「だがな、いくらうるさいからといっても、この間みたいに店で大騒ぎするのはやめてくれよ」

 しっかりマスターに釘を刺され、雪人は冷や汗をかきながら乾いた笑いを浮かべた。

「じゃ、お二人さん。ごゆっくり」

 

「あの……それで雪人さん。大事なお話って言うのは……」

 秋子は自分の食べていたパフェが半分ほどなくなったあたりで、おもむろに話を切り出した。

「ん……ああ、そのことか。実はな……」

 雪人の説明ではもうじき出向期間が終わるので、近いうちに本社の方に帰らなくてはいけないのだそうだ。すでに結婚をしている相沢はともかくとしても、雪人には問題があった。

 それは、秋子のことである。

 あの雪の日の出会いから、約一年の歳月がすぎようとしており、その間にも雪人は秋子のことをとても大切に思うようになった。

 秋子もはじめのうちは寂しさを埋めるためのお付き合いだったが、そのことはいつしか二人にとってかけがえのない時間となっていき、お互いに好意を寄せ合うようになるのに、それほど時間はかからなかった。

「そんな……。お別れ……なんですか?」

「まあ、そういうことになるな。そこで、ものは相談なんだが……」

 雪人は真剣なまなざしで秋子を見た。

「水瀬秋子になってくれないか?」

「……え……?」

 秋子は再び言葉を失う。

「つまりだな、その……。俺と結婚してくれ……ないかな、と……」

 しどろもどろになりつつも、雪人はなんとかプロポーズを続けた。そして、秋子も黙ってうつむいたまま、ずっとそれを聞いていた。

「だめ……かな……?」

「………………………」

「あの……秋子……?」

「………………………」

「………………………」

 秋子の沈黙に合わせるように、雪人も沈黙した。

 不思議な静けさがあたりを包み込む。それはまるで、時計の針ですら時を刻むのを忘れたかのような長い静寂のときであった。

 やがて、秋子の口がゆっくりと開いた。

「……了承……」

 秋子も、真剣なまなざしで雪人を見た。

「あの……わたしなんかでよければ、ですけど……」

「あ……ああ……」

 そのまま二人は、真っ赤な顔をしてうつむいてしまう。再び、はじまるどうにも気まずい沈黙の時間。

「話はまとまったようだな」

 雪人が顔を上げると、そこにはコーヒーポットを片手にしたマスターの笑顔があった。

「マスター……。いつからそこに……?」

「そろそろコーヒーのおかわりがいるんじゃないかと思ったんだがね」

 マスターは、こんなことならもう少し気のきいたBGMでも用意しておけばよかったかな、と口の中で(つぶや)いた。

「まあ、それはともかく。おめでとう、秋子ちゃん」

 マスターにそう言われて、秋子はますます顔を赤くした。

 

 店を出た二人は、しばらく商店街を散策していた。秋子の手には、百花屋のマスターからお祝いにもらった特製クッキーの包みが握られていた。

「あ……」

 秋子はあるショーウインドウの前で足を止めた。雪人が見てみると、そこには豪華なウェディングドレスが飾られている。

 うっとりとドレスを眺める秋子の横顔を見て、雪人はあることを思いついた。

「そうだ、秋子。ちょっと俺に付き合ってくれないか?」

「いいですけど……どこへ?」

「俺のとっておきの場所に連れてってやるよ」

 雪人は秋子の手を握り、歩き出した。

 人通りの多い商店街を出て、閑静な住宅街を抜け、丘陵(きゅうりょう)沿いの細い道を登っていく。やがて二人は丘の中腹に広がる草地に出た。

「ここは『ものみの丘』ですね……」

「地元の人間はそう呼んでるのか」

 静かに吹きぬける風が、秋子の髪をなびかせた。

 この場所は以前雪人が街の周囲を見回したときに、丘の中腹に切り取られたかのように広がる草原を見つけたのだ。面白そうなのでここを訪れてみると、なだらかな斜面のその先に街を一望することができた。見晴らしのいいこの風景に心を奪われて以来、ここは雪人のとっておきの場所となったのだ。

 まるで山の神様が街を見下ろすために作られたような場所は、以前は青々とした草原だったが、今は雪が地面を覆い隠して真っ白な舞台となっている。

「唐突だけど、ここでやりたいと思ってな」

「なにをですか?」

「俺たちの結婚式」

「……え?」

「いや……さ。指輪も買ってやれない。綺麗なドレスも用意できない。こんな情けない男だけど、秋子は俺と結婚してくれるかな……」

 秋子はそれには答えずに、黙ってその場に座ると、周囲の雪を集めて丸めだした。

「あの……秋子……?」

「せっかくの日に、二人きりというのもさびしいですから……」

 そういって秋子は、雪人に極上の笑顔を向ける。

「雪人さんは胴体の方をお願いしますね」

「おう」

 二人は力をあわせて小さな雪だるまを作ると、最後の仕上げにもらってきたクッキーで顔を作った。こうして二人のはじめての共同作業により誕生した雪だるまは、二人の愛の結晶とでも言う存在であった。

 指輪もない。きれいなドレスも何もない。参列者は雪だるまだけだったが、それでもこれは結婚式だ。

 雪人は雪だるまの前で秋子への永遠の愛を誓い、そして二人は口づけを交わした。

 今までにも何度か交わしてきたことはあるが、今日の口づけは違っていた。それは永遠を誓う二人の神聖な儀式であった。

「これでお前は、水瀬秋子だ」

「はい、雪人さん」

 そういって微笑む秋子の頬に、一筋の涙が伝わった。

「悪いな。なんだか俺、秋子の事泣かしてばかりいるみたいで……」

「いいんです……」

 秋子はゆっくりと頭をふる。

「悲しい涙じゃないから、いいんです」

「秋子……」

 雪人は秋子の体をそっと抱き寄せた。まるでこの街に降る雪のように、雪人は秋子の体を優しく包み込むように抱きしめた。

 その腕の中のぬくもりを感じつつ、秋子は幸せに包まれているような感触に涙があふれ、雪人の胸に顔をうずめた。

 そんな二人の幸せな風景を、雪だるまだけが眺めていた。

 

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