第四章 そして、雪の降る街で

 

 秋子の新生活は多忙を(きわ)めていた。

 それと言うのも大祐の仕事を未悠が手伝っていたために、秋子は名雪と一緒に祐一の面倒を見る事になってしまっていたからだ。

「二人とも、良く寝ているわね」

 未悠は二人の寝顔を(のぞ)き込み、優しく微笑んだ。

「悪いわね、秋子にはいつも迷惑かけちゃって……」

「いいのよ。忙しくしてた方が気もまぎれるし」

 あの突然の別れからだいぶ時間はたったものの、未だに秋子は立ち直りきれていなかった。

「それに、祐一さんがいてくれたほうがいいのよ」

「そうなの?」

「名雪は一人だと元気なくて、お乳もあんまり飲んでくれないんだけど。祐一さんがいるとそうでもないのよ」

「あら、うちもだわ」

 未悠は大きく頷いた。

「祐一も一人だと変にむずがっちゃって、おとなしくしてくれないのよ。名雪ちゃんの前だとそんなことないのにね」

 もっとも未悠は仕事もあったし、乳の出も余りよくなかったので、祐一のことは余りかまってやれない負い目もある。

 その点秋子は乳の出が良かったので、この時期の祐一と名雪は乳兄妹とでも言う間柄だ。

 そんなわけで祐一は母親からの愛情は余り受けられなかったものの、それを埋めるような秋子の愛情に包まれていたため、名雪と一緒に幸せな毎日を送っていた。

 

 しかし、その幸せは長くは続かなかった。この街から雪が消えて春を迎えるころ、突然大祐は本社へ復帰することになったからだ。

 別れの日に秋子は名雪を抱きかかえて見送りをしていた。

「姉さん、大丈夫?」

 今日姉はこの街を出て、名前も知らないような遠くの街へ旅立っていく。この街から出たことのない秋子にとって知らない街に行くという事は、とにかく不安だらけのことだ。

「大丈夫よ。うちの人だっているし、祐一だっているしね」

 そんな秋子の不安を吹き飛ばすような勢いで未悠は微笑む。

「わたしのことより、秋子の方が心配よ。一人で大丈夫?」

「わたしは……大丈夫よ」

 秋子はそっと腕の中にいる名雪に微笑みかけた。

「今は、一人じゃないから……」

 その笑顔に未悠は安心した。これでもう秋子は間違いを犯さないだろうと、未悠は心のそこからそう思った。

「それじゃあね、秋子。名雪ちゃんも元気でね」

「姉さんもね」

 祐一を抱えた未悠が二人に別れを告げ、引越しのトラックに向かったそのとき、突然名雪が大声で泣き出した。

 あわてて秋子は名雪をあやしてみたが、まるで泣き止む様子が無い。

「あ〜う〜」

 そのとき、まだ言葉もしゃべれない祐一が声を出した。すると名雪は泣くのをやめ、再び安らかな寝息を立て始めた。

「また、遊びに来るからね。名雪ちゃん」

 そういって未悠は名雪に微笑みかけると、トラックに乗り込んだ。

 秋子と名雪は、トラックが見えなくなるまでずっと見送っていた。

 

 あの日の別れから早いもので、十年の歳月が過ぎ去っていった。

 繰り返す日々の生活の中で、秋子は嬉しいことも悲しいことも名雪と分かち合って生きてきた。

 また、毎年冬になるとこの街を訪れる祐一も、水瀬家の楽しみの一つだ。

 窓辺で降り積もる雪を眺めている名雪の髪を、秋子はそっとなでた。

「それにしても名雪、だいぶ髪が伸びたわね」

 つややかな名雪の髪の感触を楽しみながら、秋子は言葉を続ける。

「そろそろ髪型とか変えてみる?」

「うん。それじゃあね……」

 じっと母親の髪型を見つめる名雪。あの日に切った髪も今ではだいぶ伸び、それを秋子は三つ編みにしていた。

 嬉しいことがあった日も、悲しいことがあった日も、喜びや悲しみ、二人で過ごした日々を編むように。そして自分と名雪、今はもういないあの人と三人分の幸せを束ねるように。そんな思いを込めた髪型にしていた。

「お母さんみたいにしたい……」

 名雪は少し頬を赤らめ、恥ずかしそうに言った。

「了承」

 秋子は名雪の髪を手早く()くと、髪を二本の三つ編みにまとめた。これは自分とあの人と、名雪の幸せを願う二人の思いをこめたものだ。

「うわぁ……」

 鏡を見た名雪が、嬉しそうな声を出す。

「お母さん、どう? 似合ってる?」

「可愛いわよ、名雪」

 名雪の笑顔を見ながら、秋子も優しく微笑んでいた。

「そうだわ、祐一さんが来たら、一緒にあなたのお誕生会をやりましょうね」

「お母さん、大好き!」

 名雪は笑顔で母親の胸に飛び込んだ。その確かなぬくもりを感じた秋子は、自分は今一人じゃないんだと言うことを実感していた。

 

 この子は、父親の愛情を知らない。だからその分、母親としての愛情を与えてあげたい。

 でも、いつまでも甘えてばかりではいけない。

 大きくなったら、一人でも生きていけるような強さを身につけて欲しい。

 それまではずっと自分がそばにいて、あなたの幸せを見届けてあげる。

 この子の母親として……。

 

 雪が、静かに降り積もっていく。

 思い出の中を、白く埋め尽くすように。

 喜びも悲しみも、全てを優しく包み込むように……。

 

 秋子はふと、灰色の天井を見上げた。先ほど降り始めたばかりの雪が、あたりを真っ白に染めていく。

 明日目を覚ませば、そこは昨日までの街とは違う別の世界に変わっている。あの人が好きだといっていた季節が、またやってくる。

 あの人はもう思い出だけど、きっとこの空のどこかで私たちを見守ってくれている。秋子はそんな気がした。

 そして、自分もいつかあの人のいる世界へ旅立つときがやってくる。

「お母さん……」

 ふと気がつくと、名雪が心配そうな表情で秋子の顔を見上げていた。

「どうしたの? お母さん……」

「なんでもないわよ」

 秋子は優しく名雪に微笑みかけた。

「このお天気だと、表にお洗濯物を干せないから……。お家の中に干すことになるけど、お手伝いしてくれる?」

「うん!」

 名雪は三つ編みにしたばかりの頭を、大きく振ってうなずいた。

 

 雪は静かに降り積もる。時は静かに流れゆく。

 それは、繰り返す季節が奏でる永遠のメロディ。

 そしてまた、穏やかな日常の中を歩いていく。

 この子と、一緒に……

 

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