第五話 悲劇、死の女王
ここは南太平洋に浮かぶ小島、デスクイーン島。香里はこの島で聖闘士となるべく修行を積んでいた。
「きゃあっ!」
「立ていっ! 香里。お前はこのデスクイーン島に来て何年になる?」
大地に倒れる香里に、師の罵声が飛ぶ。
「お前がその優等生面を捨てぬ限り、これ以上強くなることはできんぞ」
「はい」
「それがいかんと言っとるのだっ!」
情け容赦ない師の一撃を受け、香里は気を失ってしまう。
「ううっ……」
時折水が滴る暗い岩屋の一室で、香里はうめき声を上げる。
「大丈夫ですかぁ? 香里さん……」
「栞?」
「もう、違いますよぉ。あたし由依ですよぉ……」
「そうだったわね……」
彼女の名前は名倉由依。香里がこの島に来てからの付き合いだ。由依は生き別れの姉を探しているそうで、その姉に香里がそっくりなのだそうだ。
「でもぉ、あたしそんなに妹さんにそっくりなんですかぁ?」
「そうね……」
特に姿かたちが似ていると言うわけではない。ただ、全体から感じる雰囲気が別れたきりの栞にそっくりなのだ。
「雰囲気……かしらね……」
「それにしても香里さん、毎日ひどい傷……。どうしてこんなことに……」
「『精神の鍛錬』って言ってたわね……」
だが、それすらも理不尽な暴力をふるうための口実なのかもしれない。このときの香里はそう思っていた。
「とにかく由依、あなたはもう帰ったほうがいいわ。ここにいると、あなたまでなにをされるかわかったものじゃないわ」
「わかりましたぁ……」
由依はうなずくと、重い足取りで岩屋を後にした。
「今日が最後だ」
師はきっぱりと宣言した。
「今日わしを倒してフェニックスの聖闘士となるか、あるいはこのデスクイーン島の土となるか、二つに一つ!」
最後の死闘がはじまる。
師と香里は、お互いに一歩も引かない攻防戦を繰り広げる。そのそばには、二人の対決に息をのんで立ち尽くす、由依の姿があった。
「はあぁっ!」
香里の拳が師の急所を捉える。だが、香里はその拳を寸前で止めた。
「馬鹿め、なぜ止めた。その甘さが命取りになるのがわからんのかっ!」
師の放つ拳を香里は寸前でかわす。だが、その先にいたのは由依だった。
「あ……あれ……?」
なにが起きたのかわからない、と言う表情で由依はがっくりと崩れ落ちる。
「由依っ!」
香里はあわてて駆け寄ると、由依の身体をしっかり抱きかかえた。
「しっかりして、由依!」
「あ……お姉ちゃん……」
由依は光を映さぬ瞳で香里を見あげる。
「こんなところにいたんだぁ……。よかった、やっと会えた……」
由依は香里の腕の中で、最後に微笑んで力尽きた。
「由依〜っ!」
「馬鹿め、その娘はお前が殺したのだ。敵に止めをさせないお前の甘さがな」
そのとき、香里の中で爆発的に力が膨れ上がった。
「な……なに?」
膨れ上がる力は師を圧倒し、その身体を激しく大地に叩きつける。そして、香里の身体にはフェニックスの聖衣が装着された。
「それでいいのだ……なまじ大切なものなど持っているから……。弱くなるのだ……」
こうしてフェニックスの聖闘士となった香里は、その日以来涙を流すことはなかった。
暗黒四天王を倒し、あゆたちは洞窟の最深部へ進んだ。といってもあゆは暗黒拳の影響から立ち直ってはおらず、舞に背負われている。
「どうした? 栞」
「何でもありません。先を急ぎましょう」
栞はそういうが、舞は栞の思いつめたような表情が気になった。
これから実の姉と戦わなくてはならないというのはわかるが、栞からはそれだけではないなにかを舞は感じるのだ。
そのとき、栞のストールが反応を示す。
「舞さん、すぐ近くにお姉ちゃんがいます」
舞が身構えたその先に、悠然と香里が姿を現した。
「栞は下がって」
「でも、舞さん……」
「ごちゃごちゃと話してないで、二人がかりでかかってきたらどう? それでもあたしはかまわないわよ」
「うにゅ、二人じゃないよ……」
「名雪さん」
香里の背後から姿を現した名雪に、栞は喜びの声を上げた。
「これで三対一……」
だが、このような状況でも、香里は相変わらずの微笑を浮かべている。
「何人かかってこようと問題じゃないわ。どうせあなたたちは、フェニックスの羽ばたき一つで消し飛ぶのよ」
香里の背後にフェニックスの姿が浮かび上がる。
「かおりん天翔!」
香里の体を中心に放たれた波動が、三人の体を弾き飛ばす。勝利を確信する香里だったが、大きくその目を見開いた。
「あゆ……どうして……?」
「舞さんの体が盾になってくれなかったら、ボクも危ないところだったよ……」
「そう……だからあゆはかおりん天翔の直撃を受けなかった……」
「それよりも香里さん、どうして栞ちゃんにまでこんなひどいことするんだよ。やっと会えた、この世に二人きりの姉妹なのに」
「あなたになにがわかるって言うのよ!」
「香里さんのわからずや〜っ!」
あゆの放つタイヤキ流星拳が香里を捉える。その衝撃で香里の聖衣は粉々に砕け散った。
「まだ戻れるよ、香里さん。栞ちゃんの優しいお姉さんだったあのころに……」
「言いたいことはそれだけ?」
香里は大人の雰囲気をかもし出す微笑と共に立ち上がった。そして、砕かれたはずの聖衣が再生し、再び香里に装着されていく。
「ああっ……聖衣が再生した……」
「驚く必要はないわ。フェニックスの聖衣はあなたたちの聖衣とは違って、自己修復能力があるのよ」
ゆっくりと香里は、あゆに歩を進める。
「いいところまで来たけど……最後に笑うのはあたしだったみたいね」
「うぐぅ〜……」
「これで終わりよっ! あゆっ!」
香里はあゆめがけて正拳突きを繰り出した。だが、次の瞬間香里は我が目を疑った。
「こ……これは……」
「舞さんのどんぶりだ……」
牛丼昇龍覇を放つときの舞のどんぶりが、あゆを守るように飛び出してきたのだ。
「それならこれはどう?」
香里は続けて攻撃を繰り出すが、またも我が目を疑うことになる。
「これは……」
「栞ちゃんのストールだ……」
「そんな……どうして……」
「ボクにもわからないよ……。でもね、感じるよ。香里さんのことを思うみんなの気持ちが……」
「なんですって……」
「今から教えてあげるよ。このタイヤキ流星拳でね」
「なにかと思えば馬鹿の一つ覚えのタイヤキ流星拳? そんなものがこのあたしに通用するはずが……」
だが、流星拳に宿る凍気を感じ、香里は愕然とした。
「これは凍気……? 名雪の凍気が流星に宿って……たい焼きがアイスに……?」
あゆの渾身の一撃を受け、香里は大地に倒れ伏す。
「ふふっ……見事ね……。言うなれば、友情の勝利かしら……?」
「香里さん……」
「なにをしているの? あゆ。早くあたしに止めを刺さないと、いつまでたっても戦いは終わらないわ……」
とはいうものの、あゆにそんなことができるはずもない。
「……待ってください……」
よろめく足取りで、栞がこちらに近づいてくる。
「もう……おねえちゃんを許してあげてください……」
「栞……」
「栞ちゃん……」
栞はゆっくりと香里に近づくと、その体をしっかり抱きしめた。
「あたし……あんなにひどいことしたのに……栞を辛い目にあわせたって言うのに……それでも、あたしを姉と呼んでくれるの……?」
「だって……」
栞は香里の体を力いっぱい抱きしめる。
「お姉ちゃんだもの。この世でたった一人の、大事なお姉ちゃんだもの」
「栞っ!」
香里もまた、栞の体を力いっぱい抱きしめる。
「お姉ちゃんっ!」
いつの間にか名雪も舞も目を覚ましており、その感動的な光景に、その場にいた全員が涙していた。
「あ、そうだ香里さん。感動的なところ悪いんだけど……」
「なに?」
「祐一くんはどこにいるの?」
「ああ、相沢くんだったら……」
次の瞬間、誰もが耳を疑う。
『サンクチュアリ〜?』
祐一への告白権をかけたこの戦いは、まだまだ続くようだ。
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