第九話 戦慄、神の胃袋
「処女宮に入ってくるなり、いきなり襲い掛かってくるなんてひどいよ」
あゆのタイヤキ流星拳を一瞬で食べつくし、おとめ座の黄金聖衣を着た少女、川名みさきは憮然とした表情で応じた。
「今度は私の番」
舞はあゆと入れ替わるようにしてみさきの前に立ちはだかる。
「牛丼昇龍覇っ!」
「牛丼一杯くらいじゃぜんぜん足りないよ」
一瞬にして食べつくしたどんぶりを、舞に返すみさき。
「舞さんっ! 行って、ストール!」
「それは食べ物じゃないからいらない」
するとストールは攻撃をやめ、栞の体に絡み付いていく。
「そんな……ストールが私に向かってくるなんて……」
「うぐぅ……この人強い……」
あゆ達はみさきの底知れぬ胃袋に戦慄した。
「もう食べ物はないみたいだから、これで終わりにするよ」
みさきの手の中で、乙女小宇宙が萌えはじめ、やがてそれは学食のメニューに変わる。
「大盛りっ!」
みさきの乙女小宇宙が最大限に高まる。
「全部征服」
みさきは学食メニューの端から端までを全て食べつくした。あまりの衝撃にあゆたちは吹き飛ばされ、昏倒してしまう。
「う〜、やっぱりこの程度じゃ満足できないよ……」
流石に神の胃袋を持つと言われるおとめ座のみさき。学食メニュー全制覇を成し遂げてもその胃袋にはまだ余力がある。
「……何か持ってないかな……」
そう言ってみさきが栞に手をかけようとしたそのときだ。
「う〜……痛いよ……」
みさきの指先から赤い血が落ちる。突如として飛来した何かによって、傷つけられてしまったのだ。
「これは……なにかの羽根かな?」
目の見えないみさきは、指先からの感触で物事を判断するしかない。
「……その通りよ……」
ゴゴゴゴゴ、と言う表現がぴったり合うような小宇宙を背負い、処女宮に香里が現われた。
「よくもあたしの妹達を……」
「あなたがフェニックスだね……。でも、一体どうやってここまで……」
香里の突然に出現にみさきはうろたえた。
(う〜、この人声が雪ちゃんにそっくりだよ……)
なんとも戦いにくい相手であるため、みさきは一気に決着をつけようとした。みさきの乙女小宇宙が徐々に高まっていく。
「な……あの女の小宇宙が、あたしの小宇宙を飲み込むくらいに増大していく……」
「選びなさいフェニックス。いまから見せる六つの世界の中で、一番気に入った場所があなたの死に場所だからね」
「なんですって?」
「学食六道輪廻」
「きゃあぁぁぁ……」
学食地獄界。
阿鼻叫喚、売り切れてしまう恐怖。ここに足を踏み入れたものは、手に入らないメニューに苦しむ世界。
学食餓鬼界。
他人を押しやってでも望むものを手に入れようとし、手に入れたメニューを貪り食らう世界。
学食畜生界。
まさしく弱肉強食の世界。強い者だけが好きなメニューを手に入れられる世界。
学食修羅界。
唯一つのメニューを巡り、血で血を洗う戦いを繰り広げる世界。
学食人間界。
常に他者の顔色を伺い、一人でメニューを決められない世界。
学食天界。
ついに望むメニューを勝ち取り、勝者となった世界。だが、少しでも気を抜くとメニューはひっくり返り、再び学食地獄界へ落ちてしまう危険な世界。
香里の体は、この六つの世界を順に巡っていく。
「おしまいみたいだね……」
処女宮の床に倒れ臥す香里の姿に、みさきは安堵のため息を漏らした。
「この人が落ちた世界は学食地獄界か学食修羅界かな?」
だが、次の瞬間。地面に倒れていたはずの香里の拳が煌き、みさきの額を射抜く。
「わわっ、ごめん雪ちゃん。ちょび髭はわざとじゃないんだよ……」
「残念だけど学食を極めたあたしにその技は通じないわ。さあ、あたしの幻魔拳にかかった以上、今度はあなたが地獄を見る番よ」
「う〜、こっちだって学食地獄は関係ないもん。それよりもそっちはまだ学食六道輪廻が続いてるけど?」
「えっ?」
「どうしたの? 香里」
ふと気がつくと香里は学食に来ていて、親友と一緒に昼食をとっているところだ。
「なんでもないわ、ちょっと夢を見ていたみたい……」
「そう……」
名雪は軽くため息をつくと、再びAランチに没頭しはじめる。
「それにしても、名雪ってば本当にそればっかりね……」
「そんな事ないよ」
「何言ってるの、名雪は昨日もそれだったじゃない」
「そんな事ないよ」
「おとといもその前も、ずっとそうじゃない」
「そんな事ないよ」
「はっ……」
「どう? 学食での出来事は?」
「幻魔拳を放ったあたしのほうが幻覚を見るなんて……」
香里はみさきの底知れない実力に戦慄した。
「これが黄金聖闘士と青銅聖闘士の実力の差だよ。そんなあなたにに聖衣は不要だね」
みさきの一撃で、フェニックスの聖衣はうちくだかれてしまう。そのときにせんべいが割れるような音がしたのはご愛嬌だ。
「そんな……最強を誇るフェニックスの聖衣が、一瞬にしてうちくだかれてしまうなんて……」
「さあ、もう一度行くよ。学食六道輪廻!」
「くっ……」
咄嗟に香里は身をかわす。みさきの学食六道輪廻から逃れるには、とにかく遠くに逃げるしかない。
「これなら……」
香里はみさきの小宇宙が及ばないほど遠くへ逃げる。
「えっ……?」
「残念だったね」
香里にしてみればかなり遠くまで逃げたはずだ。だが、実際にはそれほど遠くまで逃げたわけではなく、ほんのわずかな距離を移動しただけでしかなかった。
「あなたにしてみれば随分と遠くまで逃げたつもりだったみたいだけど、実際にはそれだけの距離だったんだよ」
「そう言う事……」
「えっ?」
香里は不敵に微笑んだ。
「かわすのが不可能なら、攻撃以外にないって言う事ね。あなたを倒すには何十回でも何百回でも攻撃するのみって言う事よ」
「なにを言い出すかと思えば、聖衣もないのにどうやって?」
突如として香里の周囲に青白い炎が巻き起こり、香里の身体に再びフェニックスの聖衣が装着された。
「う〜、忘れてたよ。フェニックスの聖衣は、黄金聖衣にも備わっていない自己修復機能があるって事……」
「わかってくれたかしら。あなたがいかに強くても、そのたびにフェニックスは蘇えるの……。そして……」
香里の乙女小宇宙が高まっていく。
「最後には貴女を倒すのよ。このかおりん天翔がっ!」
だが、みさきはかおりん天翔を食らっても微動だにしない。
「無駄だよ。そんな食べ物でもなんでもない技で、私は倒せないよ」
「言ったはずよ。一度できかなくても、何度だって続けるって。このあたしの生命がある限り」
「その生命も、もうすぐ消えるよ」
「なんですって? かおりん天翔っ!」
またしてもみさきは微動だにしない。香里の最大の必殺技が、ここまで完璧に通じないのは初めての事だ。それと同時に香里の心にはみさきに対する恐怖がわきあがり、もしかしたら倒すのは不可能なのではないかと思わせていた。
「確か……香里さんだったね、あなたも多少は地獄を見てきた女。そんなあなたを生身で地獄に落とそうとした私が甘かったよ……」
みさきを中心に、凄まじいまでの乙女小宇宙が集中する。
「あなたにはそれなりの姿でいってもらう必要があるみたいだからね、そうすれば復活するなんて事はありえないよ」
みさきの前に、どどんと大きな鍋が出現した。
「そ……それは……」
「全部香辛。このおとめ座のみさき、最大の奥義を今から見せてあげるよ」
みさきの全部香辛は完璧な調和を持ったスパイスの集合体だ。この全部香辛は言うなれば攻防一体の戦陣とも呼べるもので、これが発動した以上攻撃も防御も不可能となる。
「ううっ……お鍋のふたが開いた……」
鍋の中から黄色の物体がある。どうやらこれはカレーのようで、その蒸気が処女宮に広がると急に香里の身体が痺れはじめ、全身の感覚を奪う。
「第一感剥奪、あなたは今触覚を失ったよ。次は嗅覚……」
カレーの凄まじい匂いが香里の鼻腔を直撃すると、香里から嗅覚が奪われてしまう。
「これで第二感剥奪。次は……」
「ううっ……」
みさきはカレーを無理やり香里の口に押し込んだ。あまりの辛さに香里の舌が麻痺してしまう。
「第三感剥奪……」
そして、みさきはおもむろにカレーは食べはじめる。次から次へと消費されていく皿に、香里は見るのが嫌になる。
「第四感剥奪……」
最後に食器の立てる音も聞こえなくなり、香里の五感は全て絶たれてしまう。
「さあ、止めだよ」
だが、その腕は何者かによって止められてしまう。それは栞のストールだった。
「今度は私が相手です。お姉ちゃんを死なせるわけにはいきません」
「死にぞこないがでてきたところで、どうする事も出来ないよ?」
(そうよ、栞。これはあたしの戦いなんだからね)
香里は五感を絶たれてなお、戦闘意欲を失っていなかった。元々香里は好物が明らかになっていないため、その攻撃はかおりん幻魔拳に代表されるように、肉体面よりも精神面へ作用するものを得意としていたからだ。
その最後に残された香里の意思が、みさきに対してなおも抵抗を続けていた。
「それなら残りの第六感も破壊してあげるよ。全部香辛!」
「お姉ちゃんっ!」
みさきによって第六感までもが破壊されてしまった香里は、もはや心臓だけが動いている生ける屍といってもいい状態になってしまう。
「う……嘘でしょ……?」
それにもかかわらず香里の乙女小宇宙はどんどん増大していき、みさきの乙女小宇宙をも上回る勢いで萌えはじめる。
「これが……香里さんの萌え要素……」
(それは……あなたが教えてくれたのよ……)
みさきの背後に香里はゆっくりと立つ。
(自分の萌え要素に目覚めた今、あたしの乙女小宇宙は貴女をしのぐほど萌えているわ……)
香里はみさきの身体をしっかり抱きしめる。
(さあ、これからあたしと永遠の世界に行きましょう)
「まさか、このまま乙女小宇宙を高めて自爆する気なの?」
(さようなら栞。みんなと一緒に、相沢くんのところまで行くのよ……)
「お姉ちゃぁーんっ!」
栞の絶叫に答えるように、小さく微笑む香里。
次の瞬間天地をつんざくような衝撃音が処女宮に響き渡る。凄まじい爆風の後には、みさきの黄金聖衣が残されているだけだった。
「……お姉……ちゃん……」
やっと出番が来たと思ったら、いきなり自爆していなくなってしまう。そんな香里の不幸に、栞はただ涙した。
処女宮での悲しい出来事も癒されぬまま、あゆたちは次の天秤宮へ向かっていた。
「ここは確か舞さんの師匠の佐祐理さんが守護する宮だったよね」
「それなら、この宮は素通りできますね、舞さん」
「……だといいけど……」
三人は一斉に天秤宮に突入した。
「うぐぅっ!」
そこであゆたちは信じられないものを見る。それはイチゴジャムに包まれた名雪の姿だった。
「名雪さんの小宇宙が消えたのはこのせいだったんだ……」
「一体誰がこんな事を……」
「それは多分名雪の師匠……」
あゆ、栞、舞の順番で口を開く。
「あれ……? 名雪さんの師匠って言ったら……。秋子さんだよ……」
あゆには信じられなかった。あの秋子さんがわざわざ天秤宮まで出向き、名雪をこんな目にあわせているという事が。
「あれ? 感じましたか、皆さん」
突然栞が大声を上げた。
「今、確かに名雪の小宇宙が……」
「まだ名雪さんは生きてるんだ。今助け出してあげるよ、タイヤキ流星拳!」
あゆの放つ流星拳が次々にジャムの棺にヒットする。しかし、たい焼きはジャムに食い込むだけで、棺そのものを破壊する事は出来なかった。
「そういえば前に佐祐理が言っていた。秋子さんのジャムの棺は黄金聖闘士が数人がかりでも破壊する事が不可能だって……」
確かにジャムがどんな攻撃も吸収してしまうのでは、破壊のしようがない。
「万事休すですね……」
香里に続いて名雪まで犠牲になってしまうみたいで、栞は自分の無力さを呪うしかなかった。
そのとき、三人の後ろで何か重いものが落ちる音が響く。
「なんでしょうか、あの箱は……」
「あれは……佐祐理の聖衣……」
舞は聖衣に歩み寄ると、ゆっくりと箱を開けた。
「うぐぅ……それを一体どうするの?」
「前に佐祐理に聞いた事がある。てんびん座の聖衣は他の聖衣にはない特徴を備えているって」
舞はてんびん座の聖衣を分解した。するとその部品は変形し、お箸になった。
「まさか、てんびん座の聖衣は……」
栞の言葉に答えるように、舞は聖衣を分解して食器にした。てんびん座の聖衣は装着するだけでなく、一つ一つが食器になるように作られているのだ。
舞は次々に、お箸、お皿、フォーク、ナイフ、スプーン、ストローの六種、合計一二個の食器に分解していく。そして舞はナイフを持ち、あゆと栞にスプーンを持たせた。
「私がこれでジャムを切るから、二人はジャムを食べて……」
「うぐぅ……」
「えう〜……」
あゆと栞の悲鳴が、天秤宮に響き渡った。
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