第十一話 乙女、その意地にかけて
あゆ達は十番目の魔羯宮に迫っていた。もうすでに日は沈み、あたりに星が瞬きはじめる。
魔羯宮からは何の小宇宙も感じられず、無人の宮であるかと思われた。
「危ない! みんな跳んでっ!」
魔羯宮を出てすぐの事だ。突然大地が裂け、あゆたちを飲み込もうとしたのだ。舞の叫びがなかったら、全員奈落の底に落ちていた事だろう。
「ありがとう、舞さ……」
お礼を言おうとしたあゆは、舞が魔羯宮に取り残されているのを見た。
「みんなに跳べと言っておきながらこの場に残っているなんて。自分の跳躍力に自信がないのかしら?」
舞の背後にやぎ座の黄金聖闘士が姿を現した。
「私まで跳んでいたら……今頃あなたの第二撃で全員がやられていた……」
「ふ〜ん、あの三人を無事に向こう側に行かせるために、あえてこの場に残ったって言うんだ……」
そう言うと、山羊座の黄金聖闘士は不敵に微笑んだ。
「乙女ね、あなた……」
舞はゆっくりと振り返る。するとそこには、髪をツインテールにした一人の少女が立っていた。
「あたしはやぎ座の七瀬留美。どっちが真の乙女か勝負よっ!」
「舞さーん!」
突如として始まった二人の乙女勝負に、あゆ達の叫びがむなしく響く。
「行こう、二人とも。わたし達がここでもたもたしていたら、魔羯宮に残った舞さんの気持ちが無駄になっちゃうよ」
「はい……」
後ろ髪ひかれる想いだったが、あゆ達は次の宝瓶宮を目指した。
(さよならは言わないからね、舞さん……)
「さて、そろそろ始めましょうか。乙女勝負をっ!」
留美の振り下ろした手刀により、舞の身体は切り裂かれていく。その凄まじいまでの拳圧に、舞は戦慄した。
「なにを驚いているの? さあさあ」
鋭く切り裂くその威力は、拳と言うよりもまさに剣そのものだった。
「どうやら気がついたみたいね、あたしの手刀はどんなものでも切り裂く、エクスカリバーなのよ」
留美の背後には、竹刀の形をした小宇宙が浮かび上がっている。
余談だが、エクスカリバーはアーサー王伝説などでは聖剣と呼ばれ、剣の形状をとる事が多い。だが、本来の意味は『鋭く切り裂くもの』であるため、便宜上わかりやすい剣の形状をとっているに過ぎないのである。つまり、鋭く切り裂くものであるならば、例え竹刀の形状を取っていても問題ないのだ。
「さあ、止めよっ!」
「私もそう容易くやられたりはしない。今度はこっちの番……」
「えっ?」
「牛丼昇龍覇!」
「甘いわねっ! あたしにそんな子供だましの技は通用しないわっ!」
舞の牛丼昇龍覇を受けた留美は、瞬時に空中で体勢を入れ替える。
「えっ?」
今度は舞が驚く番だ。
「どんぶりの勝負でも負けはしないわ。くらいなさい、キムチラーメン!」
ちょっぴり甘めの牛丼が、瞬時にピリ辛のキムチラーメンに置き換わる。舞は自分で仕掛けた牛丼をキムチラーメンで返されてしまい、あまりの辛さに戦慄した。しかもキムチのお変わりは自由だ。
「さ〜て、そろそろ楽にしてあげましょうか」
留美の手刀を舞は自分のどんぶりで受け止める。だが、最高の硬度を誇るはずの舞のどんぶりは、いとも簡単に切り裂かれてしまう。
「流石はドラゴンのどんぶりね……。でも、それでもうあなたの身体を守るものは何一つとして無くなったわ」
ついでに留美は舞の聖衣を次々に切り裂いていく。留美のエクスカリバーが炸裂する度に、舞の見事なボディラインが露わになる。
留美もプロポーションに自信がないわけではないが、舞と比較すると貧相という一言が良く似合う。
「これで最後よっ!」
「舞?」
遠く五老峰の地で、佐祐理は星空を見上げながら舞の身を案じていた。
「死んでは駄目ですよ、舞……」
「な……なんですって……?」
マスクを斬ろうとした留美の一撃を、舞は真剣白刃取りの要領で受け止めていた。
「あたしの手刀を素手で受け止めるなんて……」
かわす事の大切さを知る舞が、留美に見せた起死回生の技だ。
「……一つだけ言っておく……」
舞の背後に立ち上る湯気のような小宇宙が、次第に昇龍のような姿に変化していく。
「私は一人では死なない……。必ずあなたも道連れにする……」
舞の乙女小宇宙が飛躍的に高まっていく。それは黄金聖闘士である留美を遥かに圧倒し萌え盛っていた。
「牛丼昇龍覇は、私が命がけで体得した技。子供だましかどうか、もう一度受けてみるっ!」
「自分の萌え要素に目覚めて乙女小宇宙が高まったとはいえ、牛丼昇龍覇なんて恐れるに足らないわ。それがそのまま自分の弱点であるのに気がついてもいないくせに」
舞の牛丼昇龍覇には弱点がある。時間にしてわずかな間であるにせよ、牛丼昇龍覇を放つ際によだれがたれてしまうのだ。黄金聖闘士である留美が、そのわずかな隙を見逃すわけがない。
「喰らえっ! 牛丼昇龍覇」
「な……なんですって……」
舞は留美のキムチラーメンをしっかりと口で受け止めていた。
「舞……あなた……」
「牛丼昇龍覇の弱点なんて……あゆに言われたときに気がついていた……」
「それじゃ、あなたはあえて弱点に誘い込む事で、背水の陣を取ったと言うの……?」
だが、キムチラーメンのあまりの辛さに、舞は大地に倒れてしまう。
「見事よ、舞さん。でも、あなたも無事ではすまなかったみたいね……」
キムチラーメンの辛さは相当なもので、それは血を吐くぐらいだ。だが、それでも舞は立ち上がろうとしている。
「いいわ……。キムチラーメンが封じられたとはいえ、あたしにはまだエクスカリバーがある。牛丼昇龍覇の使えなくなったあなたに勝ち目はないわ」
留美はゆっくりと右手を振り上げた。
「これで終わりよっ!」
だが、舞は大地を転がり、留美の一撃をよける。
「見苦しいわよ。あなたほどの乙女が往生際の悪い、これ以上の無駄な悪あがきはみっともないわよ」
「言ったはず……。必ずあなたも道連れにするって……」
舞の乙女小宇宙が最大限に萌え上がる。
「なんて事……。舞さんの乙女小宇宙が衰えるどころかさらに増大していくなんて……。まさか舞さんにはまだ何か残されているとでも言うの?」
(ごめん……。佐祐理……)
それは、舞が五老峰で佐祐理と修行していたときの事だ。
「いい? 舞。亢龍覇は禁じ手として、絶対に使っちゃ駄目だよ」
「どういう事? 佐祐理」
「舞は牛丼昇龍覇を会得して、それを昇華した亢龍覇を会得する事が出来たわ。でもね、舞。昔から亢龍、天の極点まで昇りつくした龍が滅んでしまうように、亢龍覇を使うと牛丼の湯気のように消えてしまうって言うことなの」
「そんな……」
「それほどまでに威力が絶大なの……。それにかなう者は誰一人いないわ、例え佐祐理でもね……」
佐祐理の言葉に舞は戦慄した。
「それにね、舞。あまりの威力に舞の身体も耐え切れないんですよ。だから亢龍覇は相手を倒すのと引き換えに自分の身体をも滅ぼしてしまう、いわば諸刃の剣なんです。わかったら舞、亢龍覇は絶対に使ってはいけませんよ」
「……佐祐理に禁じられていた……」
「な……なんですって……?」
五老峰の佐祐理、その名は留美も聞いた事がある。
「これを使うとどうなるかはわからない……。でも、これだけは言える」
舞は留美の身体を背後から抱きしめた。留美の背中に舞の豊かな胸が押し付けられる。
「……それはあなたも私も確実に滅ぶって言う事……」
舞は乙女小宇宙を全開にし、留美と一緒に天空高く舞い上がった。
「牛丼亢龍覇!」
やぎ座の火が消えるころ、あゆたちは宝瓶宮の目前に迫っていた。そして、その時舞の小宇宙が大きく爆発するのを感じた。
振り向いたあゆたちが見たのは、天空高く上っていく牛丼の湯気の姿だ。
そしえ、それは遠く五老峰にいる佐祐理も目にしていた。
「亢龍覇を使ってしまいましたね、舞……」
舞は自分の事よりも友情のために生きる女。使えばこうなる事はわかっていたというのに、佐祐理の胸に悲しみが広がっていく。
「舞さん、わかっているの? このままじゃ二人とも死んでしまうわ。いや、あたしは黄金聖衣をまとっているから長く耐えられても、生身のあなたははひとたまりもないわ」
「……もとより覚悟の上……」
「どうしてそうまでして戦うのよ?」
「……祐一のため……」
舞の言葉に、留美は愕然とする。祐一のために命をかけるヒロイン、それこそがまさに留美の目指す乙女の中の乙女の姿だ。
「負けたわ……」
舞を死なせたくないと留美は思う。だが、すでに二人の身体は天空高く上り詰めており、もはやなす術が無い。
こうなった以上、せめて星になって祐一を見守ろう。そう留美は思った。
「……今、舞さんの小宇宙が消えた……」
あゆたちは立ち上った湯気が消えていった方向を、ただ呆然と見上げていた。今はもう舞の小宇宙は完全に消えてしまい、感じ取る事が出来なくなっている。
「二人とも、舞さんの事を悲しんでいる場合じゃなさそうだよ……」
名雪の静かな声に、あゆと栞は振り向いた。
その視線の先には、みずがめ座の黄金聖衣をまとった秋子がたたずんでいる。
「あゆちゃんと栞ちゃんは先に行って、ここはわたしとお母さんだけにして欲しいの……」
「名雪さん……」
あゆと栞は、二人の間に何者も入りこめないような神聖な空気を感じる。二人は断腸の想いで宝瓶宮を後にした。
「名雪、私は……。いえ、何でもありません」
「お母さんには感謝しているよ、聖闘士として育ててくれた事とか、色々ね……」
二人の間に闘気が高まっていく。
「だから、今日こそお母さんを越えて見せるよ。お母さんから教わった、全てをかけてね」
「いいわ、かかってきなさい名雪」
「イチゴサンデー!」
名雪のイチゴサンデーを、秋子は片手で受け止める。
「天秤宮でも言ったはずよ名雪。イチゴサンデーは百花屋メニュー、借り物の必殺技だって」
秋子はイチゴサンデーを無造作に投げ捨てた。
「料理の『さしすせそ』は? 答えなさい、名雪」
「う……『さとう、しお、す、せうゆ、みそ』」
「そう、それがお料理の基本。その組み合わせは無限の広がりを持っているといっても過言ではないわ」
秋子はゆっくりと両腕のパーツを合わせ、独特のポーズをとる。
「うにゅぅ、その構えは……」
「謎ジャムエクスキューション!」
秋子の最大の奥義である、謎ジャムエクスキューションの直撃を受ける名雪。だが、直撃を受けたにもかかわらず、名雪はゆっくりと立ち上がった。
「名雪……あなた謎ジャムエクスキューションを受けて……。なぜ……?」
「お母さんならわかっているはずだよ。聖闘士には一度見た技は通用しないって……」
名雪の乙女小宇宙が高まっていく。
「及ばないまでも、お母さんの位までは小宇宙を高めて見せるよ。そして、今日こそお母さんを越えて見せる。ジャンボミックスパフェデラックス!」
「無駄ですよ。名雪」
秋子はまたも名雪のジャンボミックスパフェデラックスをうちかえす。その技の反動で名雪は、宝瓶宮の床に叩きつけられてしまう。
「あなたの攻撃は通用しないのだという事がまだわからないの? でも、私の謎ジャムエクスキューションをかわした事だけはほめてあげます」
秋子はゆっくりと名雪のそばに立つ。
「もはやこれまでですね、もう一度イチゴに包まれて眠りなさい。ストロベリーコフィン!」
名雪の身体を、ゆっくりとイチゴジャムが包んでいく。それは何者も破壊される事のないジャムの棺。今この場にてんびん座のナイフが無い以上、ここから名雪を解き放つ方法もない。
「うにゅう……」
だが、名雪はまだあきらめていない。
「ま……まさか……」
秋子の目が驚愕に見開かれていく。
「うにゅぅぅぅぅっ!」
名雪は自分の周囲のイチゴジャムを食べつくし、脱出に成功した。
「黄金聖闘士数人がかりでも破壊する事が不可能なストロベリーコフィンを、たった一人で食べつくしてしまうなんて……」
それは名雪の持つ、イチゴ狂いのだお〜星人の異名を髣髴とさせる脱出方法だ。
「言ったはずだよ、お母さん……」
名雪は再びゆっくりと立ち上がる。
「及ばないまでも、お母さんの位には高めてみせるって……」
名雪と秋子はお互いに拳からジャムを繰り出す。
名雪の繰り出したジャムと、秋子の繰り出したジャムが、丁度中間地点でくすぶっている。
「これは……名雪が私と同じくらいのジャムを放ったと言うの?」
秋子はこの事実に驚愕したが、中間地点でジャムが拮抗しているこの状態が何よりの証拠だ。
「見事です名雪……。よく私の位までジャムを高めました」
だが、それでも名雪に秋子を倒す事は不可能に近い。秋子が黄金聖衣をまとっている以上、名雪に勝ち目はないのだ。
「名雪?」
そのとき名雪は、秋子と互角のジャムを放ちつつ眠っていた。
「起きなさい、名雪。このままでは私達の間でくすぶっているジャムが全てあなたに襲いかかるわ!」
秋子の叫びもむなしく、力の均衡が崩れたジャムは名雪に襲いかかる。
「名雪っ!」
「うにゅ?」
目を覚ました名雪はそのジャムをすべて受け止め、そしてはね返した。
「まさか……。あれほどのジャムをはね返すなんて……」
直撃を受けた秋子は黄金聖衣がジャムの影響を受けている事に気がついた。名雪は命が尽きようとしているこの瞬間に、秋子を越える究極のジャムに目覚めつつあったのだ。
だが、まだ秋子には勝算がある。イチゴサンデーもジャンボミックスパフェデラックスも封じられた今、名雪には秋子にジャムをぶつけるだけの決め技がないからだ。
そして、秋子はゆっくりと最大の必殺拳、謎ジャムエクスキューションの構えを取る。すると名雪もまるで鏡に映したかのように、秋子と同じ構えを取った。
「あれは……謎ジャムエクスキューションの構え……?」
それは謎ジャムエクスキューションの構え。だが、謎ジャムエクスキューションは秋子最大の拳だ。一度や二度うけたからといって、そう容易く真似できるような代物ではない。
「……いいでしょう。どちらのジャムが勝つか……」
そして二人はほぼ同時に、謎ジャムエクスキューションを放った。
「あゆさん、あれを……」
双魚宮へと向かうあゆたちは、一片の雪が舞い降りてくるのを見た。
「こんな季節に雪なんて……まるで名雪さんがお別れをしているみたいです……」
「振り返っている暇はないよ、栞ちゃん。ほら、双魚宮はもうすぐそこだよ」
あゆはまっすぐ双魚宮を指差した。
「あゆさん、双魚宮についたら先に行ってください」
「栞ちゃん?」
「双魚宮の黄金聖闘士は私に任せて欲しいんです」
「見事です……。名雪……」
秋子は我が子の成長ぶりに目を見張った。
「この戦いの中で謎ジャムエクスキューションをうけながらも自分のものにして……。新たなジャムを開発し、究極の萌え要素に開眼しました……」
秋子は軽く微笑む。それは慈愛に満ちた母の笑顔だ。
「できる事ならこの先も名雪、あなたと共に歩んで生きたい……。あなたの成長を、いつでもそばで見守っていてあげたい……。でも、それは……」
不意に視界が反転し、秋子はゆっくりと宝瓶宮の床に倒れた。
(かなわぬ……願い……)
「お母さん……」
ゆっくりと崩れ落ちる秋子の姿を、名雪は薄れいく意識の中で見ていた。
「お母さんは、自分の生命をかけて……。わたしを究極のジャムに導いてくれたんだよね……」
名雪の瞳から、熱いものがあふれ出す。それはゆっくりと頬を伝い、雫となって落ちる。
「いつか……いつか二人で帰ろうね、暖かいあの家に……」
がっくりと名雪はひざをつく。
「ありがとう……お母さん……」
秋子に遅れて、名雪もゆっくりと宝瓶宮の床に倒れる。
(そして……さようなら……)
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