第四章 月の影

 

「どうやら相沢二査のテムジンは自らを『ダイモン』と名乗る謎の組織により、情報操作、および実力行使の双方から攻撃を受けているようです」

 会合地点まであと一息と言うところで、祐一は再び姿を消した。そこで、香里はこれまでの経緯からわかっている情報を司令部に伝えた。

「また、ジュピタークリスタルの消失に関しても、ダイモンが関与しているものと推測できます。早急な対応が必要と思われます」

『わかった、報告ご苦労だった。貴官を含む複数筋からの情報を総合すると、どうやらそのダイモンこそが長年にわたって当局が追い続けてきたターゲットだろう。できることなら本格的な調査に入りたいところだが、場所が悪い……』

「相沢くんは……いえ、相沢二査は今どこに?」

『相沢一査は……』

 いつの間にか祐一は昇格している。

『月面に転送された』

 地球の次は月、忙しい祐一だった。

『そこで美坂三査には追って通達があるまでは現状で待機してもらうが、美坂準査は司令本部に帰還してもらう』

「栞をですか?」

『ダイモンは鉄壁と呼ばれたMARZネットのファイアウォールをすり抜けて、相沢一査のVRに情報攻撃を仕掛けてきている。その調査、及びセキュリティの強化には美坂準査の力がどうしても必要だ』

 ダイモン。悪意をむき出しにする真の敵。彼らの目的は、果たしてどこにあるのだろうか。

 

 ふと気がつくと祐一は、月面に転送されていた。一応転送後に司令部から通信が入り、祐一は略式ではあるが一査への昇格を告げられた。祐一がいるあたりはムーンゲートの近くで、FR‐08(フレッシュリフォー)が管理している地域だ。ここでも祐一はDNAやRNAを問わずに攻撃対象とされる危険があるため、緩衝地帯への移動を指示された。

『こいつ……シャドウかっ?』

 無用のトラブルを避けるために緩衝地帯まで移動を始めた祐一は、早速トラブルに巻き込まれていた。相手のVOXルーのパイロットはそう叫ぶと、狂ったようにミサイルを乱射し始めた。

 

 VOXルーは一連のVOXシリーズの中の一機種であるが、基本的にはVOXリーにミサイルポッドを装備しただけの廉価VRである。だが、ルーはVOXシリーズのユニットスケルトンの装備試験機であるため、意外とレアなVRである。余談だが、その外見は第1世代VRのベルグドルに酷似している。

 

「シャドウだって?」

 おそらくは祐一の戦闘能力を見て勘違いしたのであろう。

 シャドウについては祐一も耳にしたことがある。漆黒の機体を駆る謎の戦闘集団、あるいはそのVRを指す言葉だ。もっとも、祐一には並みのVRをはるかに凌駕する、極めて危険な存在であると言う程度の認識でしかない。

 確かにMARZ所属のVRは、その任務の性格上他のVRよりも高い性能を与えられている。だが、それは装甲を削ってまで獲得した機動性能に由来する部分が多く、結局のところVRパイロットの技量が要求されるピーキーな機体特性を持っているということだ。

 そのパイロットの叫びが気になった祐一だったが、とりあえず緩衝地帯への移動を再開した。

 しばらく進むと、祐一の目の前に闇をまとったかのような漆黒のVRが立ちふさがる。

 それは漆黒のエンジェランであった。

 その無機質な表情に、祐一は背中が冷えるのを感じた。

 

「シャドウですかっ?」

 栞を火星行きの定期便へ送った後、司令部からの通信を受けた香里は思わず大声をあげた。

『相沢一査が現在いる地域はムーンクリスタルを安置するムーンゲートに近く、シャドウ出現率の高い危険区域としてFR‐08(フレッシュリフォー)によって封鎖されている。そのため緩衝地帯への脱出を指示したが、すでに幾度か交戦している模様だ』

 シャドウとはVRの駆動源であるVコンバーター内のVディスクに潜む怨念のようなもので、これにやられるとまず命はない。また、潜在的にどのVRもシャドウ化する危険性を秘めており、シャドウ汚染率が上がるごとに戦闘力も上がり、駆逐が難しくなっていくのだ。

 香里はシャドウについてそれほど詳しく知っているわけではないが、それでも祐一が今深刻な危険にさらされているであろうことは、十分に想像できた。

 なぜなら、シャドウに汚染されたVRは極めて危険な戦闘体だからだ。

『当局もこれ以上のシャドウとの接触を避けたいところであるが、そこはMARZの所轄領域外であるため直接的な支援ができない。FR‐08(フレッシュリフォー)との交渉も難航していることからも、相沢一査には独力で現状を打破してもらう以外に方法はない』

 確かにそれ以外の方法はないだろう。香里は思わず唇を噛んだ。

『進捗があれば追って連絡する。引き続き美坂三査は現状で待機していてくれ』

 

 突如として黒いエンジェランは黒い影を引くような勢いで、祐一のテムジンに急接近してきた。鋭い動きから繰り出される攻撃を、祐一はなんとか寸前でかわす。

「こいつは……」

 エンジェランとの戦いは名雪との模擬戦で何回か経験しているが、この黒いエンジェランの動きはそのときのデータをはるかに上回るものであった。

 一瞬祐一はエンジェランがにやりと笑ったような感覚を覚えた。

 VRにはパイロットの保護を目的として機体にリミッターがかけられているのだが、シャドウに汚染されたVRからはそういった感じを受けなかった。

 通常の反射速度をはるかに上回る反応速度で攻撃を仕掛けてくるエンジェランに祐一は苦戦していた。まだ祐一のテムジンがMARZ仕様だからいいようなものの、火星戦域で標準的に使用されているVRであれば、今よりももっと苦戦しているか、あるいはとっくの昔に撃破されているところである。

 その時である、何者かが定位リバースコンバートにより現れた。

『君か、MARZは……。あるいは、己の身を偽る者か……?』

 そこに現れたのは白いテムジンだった。火星戦域でもあまり見かけない最新型であるテムジン747の、背面部のマインドブースターに装備されたグリンプスタビライザーが、まるで翼のように広がっていた。その白いテムジンは黒いエンジェランに攻撃を開始した。一瞬呆然とした祐一であったが、すぐに白いテムジンに呼応し、黒いエンジェランの撃退に成功した。

『僕の名は久瀬、白虹(びゃっこう)騎士団のものだ。所属不明のVRが、この付近に出現したと言う報告を受けたので駆けつけてきた』

 颯爽と現れた白いテムジン、ホワイトナイトは簡単に挨拶した。だが、そのホワイトナイトは静かに祐一を見つめている。果たして、その真意はどこにあるのか。

 

 白虹(びゃっこう)騎士団は主にシャドウ討伐を任務とする部隊で、FR‐08(フレッシュリフォー)が統括する白檀艦隊(ホワイトフリート)に所属する戦闘集団である。対シャドウ用の特務部隊である彼らのVRは高いポテンシャルを持ち、地球圏でも最強の精鋭部隊となっている。

 

『このあたり一帯はムーンゲートの近傍にあるため、シャドウ発生率の図抜けて高い危険区域として我々白虹(びゃっこう)騎士団が封鎖している。侵入者である君には、シャドウ汚染機体の嫌疑がかかっているのだ』

 そう言うと、久瀬のホワイトナイトはすっとファイティングポーズをとった。

『悪いが、試させてもらうぞ……』

 ホワイトナイトは白い影を引く勢いで迫ってきた。その圧倒的なまでの攻撃力に、祐一は防戦一方となる。

「くっ……」

 ガードの上から弾き飛ばされ、祐一のテムジンは無様に大地に転がった。

 流石に白虹(びゃっこう)の騎士相手では分が悪かった。

『戦闘中君のVコンバーターが発する特異周波を観測させてもらったが、結果は正常だ。だが、潜在性は否定できない。面倒に思うかもしれないが、君をムーンゲート影響域外へ護送させてもらう。ついて来てくれ』

 司令部の許可を得て、祐一はホワイトナイトに従った。

 

「『白虹(びゃっこう)騎士団』ですか?」

 司令部からの通信を受け取った香里は、ほっと胸をなでおろした。

 シャドウ駆逐を主任務とする最強のホワイトナイトの存在は香里も知っている。これで当面のシャドウの脅威は去ったと言ってもいいだろう。この奇妙な巡り合わせに香里は感謝した。

『相沢一査にはホワイトナイトの誘導に従うよう通達してある。現在当局もFR‐08(フレッシュリフォー)との交渉が継続中だが、とりあえず当面の危機は去ったと言ってもいいだろう』

 

『シャドウとは人間の理性のさらに奥、無意識に存在するさまざまな衝動が、Vクリスタルの干渉作用によって人々の意識のうちに具象化され、制御不能となる現象だ』

 ムーンゲート影響域外への護送中、久瀬はシャドウについていろいろ語ってくれた。

『VRの駆動源となるVコンバーターとの絡みからVRパイロットが罹患(りかん)することが多く、一度こいつにやられると命はない。だが、シャドウと一体化したVRは実に強力な戦闘体となり、その駆逐には大変な危険が伴う。我が白虹(びゃっこう)騎士団があるのは、まさにそのためなのだ』

 そう言って胸をはる久瀬のホワイトナイトは、実に頼もしかった。

 だが久瀬との接触以後、シャドウとの遭遇率が高まった。そもそもこの地域はシャドウ発生率の高い危険区域であり、立ち入り禁止として白虹(びゃっこう)騎士団の管理下に置かれている。にもかかわらず、あたかも雨後のタケノコのようにシャドウに汚染されたVRが湧き出してくるのだ。

『不覚!』

 シャドウの攻撃を受け、ホワイトナイトが大地に倒れる。

『救援を乞う……』

 無意味に近接戦闘をしようとするからこうなるんだ、と祐一は小さく呟き、久瀬の援護に回る。

『貴官の助力に感謝する』

 本当にこいつホワイトナイトなんだろうな、と祐一の中に疑念の(かげ)が広がった。そのせいかどうかはわからないが、時折祐一たちは窮地に追い込まれることもあった。

 とはいえ、相手は久瀬が言うところの汚染率75%のシャドウだ。ここまでの汚染率になると、流石のホワイトナイトも苦戦するのだろう。結局のところ祐一の積極的な支援により、なんとか撃退しているのが現状だった。

『これはあくまでも推測に過ぎないが、どうやら君の存在が触媒になっているようだ』

 戦闘の合間に久瀬が語りかけてきた。

『オラトリオ・タングラム戦役が勃発して以来、ここに迷い込んでくるVRは少なくない。そのうちのかなりの数が発見されることもなく消息を絶っているのだが、今になって君の存在に触発され、シャドウとして覚醒しているようだ』

 シャドウ出現率の高さの原因は祐一。どうもそれはジュピタークリスタル消失のインパクトが原因であるらしかった。おそらくはその時に生じたなんらかの歪みが、シャドウという形で現出したのだろう。

『申し訳ないが、荒療治をさせてもらう。シャドウ多発の原因は、ジュピタークリスタルの消失と何らかの関連があると思われる。そのときのインパクトで実空間のバランスが崩れ、君は月面に転送されてきた。僕の直感が正しければ、君はムーンゲートに赴いて自らのシャドウと相対する必要がある』

「俺のシャドウと……?」

『自らの力で、自らのシャドウを倒す。これが今回生じた歪みを矯正する、もっとも手っ取り早い方法なのだ』

 祐一は久瀬の誘導に従い、ムーンゲートに赴いた。

 

 自分の前に相対するシャドウ。色が黒いことを除けば、それは自分と同じテムジン707S/Vであった。

 黒いテムジンの攻撃は熾烈だった。それは今まで祐一が戦ってきた、どの相手よりも手ごわいと言えた。何しろ相手は自分である。そして、自分を越えないことには勝利はなかった。

 祐一は何度も倒れた。だが、そのたびに祐一は立ち上がり、ついに勝利を収めた。

『近隣のシャドウ活性値が軒並み低下している。我が任務は達成された、礼を言う』

 それまで祐一の戦いをじっと見守っていた久瀬が、静かに話し始めた。

『我々白虹(びゃっこう)騎士団はシャドウ討伐のために力を授かっている。任務が果たされた今、君と行動を共にすることは叶わない……。断腸の思いだが、ここでお別れだ』

「いや、こっちこそ助かった。もし久瀬がいなかったら、俺はここまで辿り着けなかったと思う」

『さらばだ』

 素っ気無いほどの別れであったが、これもまた任務である。そして、火星に帰ることが、今の祐一の任務なのだ。祐一はムーンゲートを後にして緩衝地帯へとむかった。

 

『相沢くん』

「香里か、なんだか随分久しぶりのような気がするな」

『そうね。それにしても相沢くん、ホワイトナイトに護送してもらえてよかったわね』

「ああ、まったく不幸中の幸いだったよ」

 なぜか苦戦を強いられたような気もするが、それは言わない祐一であった。

FR‐08(フレッシュリフォー)との交渉も妥結したわ。今から回収に向かうから、会合点まで来て』

「了解」

 テムジンのGPSに会合点の座標データが転送されてきた。

『白騎士に救われるとはね……』

 そのとき、聞き覚えのある不気味な通信が入る。

『悪運が強いよ、MARZの犬……』

 またしてもダイモンのハッキング攻撃が始まったのだ。

『だがまあ、そろそろ消えてもらうとしようか、我らがダイモンのために……』

 再び、祐一のテムジンのヘッドアップディスプレイが不調に見舞われた。

 闇の中から悪意に満ちた哄笑が鳴り響いてくる。今度ばかりはダイモンも本気のようだ。

 ジュピタークリスタルの消失に伴う地球、そして月面への強制転送。あるいはシャドウとの交戦。これらは全てダイモンが仕組んだもので、確実に祐一を始末しようとしたものだ。

『命を糧に富は巡る。闘争本能を否定せず、流される血を鮮度の高いうちに有効利用すれば、モニター越しのイベントとして罪悪感も減殺(げんさい)する。それが、限定戦争というものだ……』

 祐一は今、ダイモンによる情報攻撃と実力行使の二重攻勢の只中にあった。もはや一刻の猶予もなく、祐一は早急に敵勢力を突破し、香里の待つ会合点に向かう必要がある。

『MARZよ、我々は待ち望んでいる……。敗北し、くず折れる貴様の姿を……』

(そうはさせないよ……)

 悪意の声にまぎれて、か細い声が聞こえた。

『今や正義も悪も、モニター内で繰り広げられる戦争イベントの安易なキャッチコピーへと堕した。命も戦いも、イデオロギーも所詮は商品にすぎず、空虚な心は貪ることで刹那の安堵を得るばかり。消費を理念とする企業国家の成立は、つまるところ充足と言う名の飢餓を与え続けるシステムの駆動なのだ。総じて我らダイモンの存在は、このような電脳暦の社会に矛盾しない。むしろ潤滑油として機能する、高度なパラダイムと自賛しよう。MARZよ、己の反社会性を思い知るがいい……』

 祐一の行く手を阻んだのは、強襲型浮遊要塞ダイモン・アームであった。ダイモン・ワームに酷似した形状だが、こちらは左右にダイモン・オーブを数珠繋ぎにしたような外見をしている。攻撃パターンは単純で、無数の小型爆弾を放出している間は動きが止まるため、そこを狙って攻撃を加えることで撃退できた。

 ダイモン・アームが大爆発を起こすと同時に、祐一は白い光に包まれた。これはダイモンの悪意とは違う、優しい光だった。

(祐一くんは、ボクが守ってあげるよ……)

「その声はあゆ? あゆなのか……?」

 

 そのころ香里は、回収艇の中で祐一の到着を待っていた。先ほどまで激しかったダイモンの情報攻撃が、今はうそのように収まっている。

 祐一を回収するには絶好の機会なのだが、祐一はなかなか姿を現さなかった。

 最悪の事態も考えた香里だったが、頭を振ってその考えを否定した。自分が信じなくてどうするの、と香里は何度も呪文のように呟いていた。

 不意にコックピットに警報音が鳴る。それは味方機の接近を告げるものだった。モニターを眺める香里の瞳に涙が光った。

 左腕を失い、スライプナーが半分に折れていながらも、ゆっくりとこちらに向かってくる祐一のテムジンを確認できたのだ。

『ただいま、香里』

「おかえりなさい……」

 祐一は無事に帰ってきた。テムジンも、無事とは言わないまでも帰ってきた。

 その事実に、香里は涙が出るほどの嬉しさを感じていた。

 

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