第六章 惑星遊撃戦線
『我らはダイモン。姿無きダイモン』
惑乱の企みは全て暴かれ、災いの元凶となった真の敵がついに姿を現した。
『かつて恩寵のVクリスタルを意のままに操り、栄華の絶頂を極めた知性の末裔。あるいは過去の亡霊。人々よ、蒔かれた種子は芽を出した。貴様たちは、自ら滅びの道を選び取ったのだ。求めた未来、運命は、破滅の祝祭となって崩壊する事象の狭間へ消えてゆく。のど元に突きつけられた殺意の刃に気づくことなく。また、気づいたとしてもどうすることもできず。しばしの安寧に夢を見よ……』
その日、悪意に満ちた哄笑を誰もが耳にした。
「ジュピタークリスタル解放のインパクトによる時空の歪みは、電脳虚数空間に潜伏するダイモンの事象崩壊要塞の活動を促したわ。全ては、敵の術中にあったのね」
苦虫を噛み潰したような表情で香里は言った。先の木星圏におけるジュピタークリスタルの消失と、その後の一連の騒動はこのための布石だったのである。結果として祐一はそのインパクトによる時空の歪みに巻き込まれる形で地球や月を転戦することになったのだった。
事象崩壊要塞は、実空間で生起する全ての事象を崩壊に導くダイモンの最終兵器である。これを阻止するためには、電脳虚数空間内に潜伏するダイモンの事象崩壊要塞の活動を停止、あるいは破壊しなくてはいけなかった。
「そして、事象崩壊要塞の破壊には、ダイモンフラグメントが必要なのよ」
「ダイモンフラグメントが?」
「調べてみてわかったんだけど、ダイモンフラグメントは事象崩壊要塞が起動するときに、崩壊に導く対象を特定するためのセンサーの役割を果たしているのよ。つまり、これを逆探知すれば電脳虚数空間内に潜伏する事象崩壊要塞の位置を特定できるんだけど……」
「なにか問題があるのか?」
「解析精度を上げるためには、星系内に散在するダイモンフラグメントを7つ全て集める必要があるわ。そして、未回収のダイモンフラグメントは、星系内のどこかに潜伏している、ダイモンが保有する重機動要塞群が持っているのよ」
これらのことは、事象崩壊要塞の構築度が100%になるまでに終了しなくてはならず、こうなると完全に一刻の猶予もないとすらいえるのである。
MARZの戦いは、新たなる局面を迎えた。
上級正査への昇格を告げられ、司令本部に戻った祐一は、そこに現れたオペレーターの姿を見て愕然とした。
「こんにちは、祐一さん」
「佐祐理さん? どうしたんですか?」
惑星遊撃任務につく祐一を出迎えたのは、佐祐理だった。
「MARZの作戦が、対ダイモンの事象崩壊要塞構築を阻止するべく、各惑星間の遊撃任務という新段階に移行したことに伴い、佐祐理が祐一さん専属のオペレーターに任命されたんです」
そう言ってお辞儀をする佐祐理は、実に頼もしかった。
「それから、今後司令本部との交信はダイモンのハッキングを防ぐために、セキュリティレベルがSSSへと引き上げられます」
「SSS?」
「しおりんスーパースペシャルの略だそうです」
「それはありがたいな」
なんとなく祐一は、ない胸をはって自慢する栞の姿を思い浮かべた。
「後、司令本部よりダイモンに関する情報も提供してくれるそうです。まだまだ佐祐理も至らないところもあるかもしれません。ですが、こうしている間にも要塞の構築は進んでいます。佐祐理もがんばりますので、どうかよろしくお願いします」
「こちらこそ、佐祐理さん」
二人はかたく握手をした。
「お疲れ様です、祐一さん。早速ですが、ダイモン関連情報をお話しますね」
「お願いします」
祐一たちは戦闘の合間に、司令部から送られてくるダイモンに関する情報について、話し合うことにしていた。自分たちが相手にしている敵がどういう連中なのか、祐一も知っておく必要がある。
「全てはVC84年に月面遺跡からムーンゲートが発見されたことに始まります」
そこにあったのがVクリスタルと呼ばれる謎の物体であった。この巨大な結晶体は電脳虚数空間、さらにはその深奥にある異界へとつながる門を開く鍵となっていた。人々はこぞってクリスタル制御の方法を模索し始めた。
当時地球圏でも最大規模の企業国家であり、月面遺跡の発見者でもあるDN社は、遺跡のもたらすオーバーテクノロジーを独占するべく、極秘裏に0プラントという特殊機関を設立した。
「月面に存在する謎の遺跡ムーンゲート。これは人類非起源の遺跡であり、これを造営した知性体はすでに滅亡したものと考えられてきました。ですが遺跡内のクリスタル質などには彼らの残留思念が充満していました。彼らは人類と接触することによって眠りを覚まされ、過去の亡霊となってよみがえってきたのです」
「つまりはそれがダイモンって訳だ」
「そうですね……」
佐祐理はなぜか浮かない表情だ。
クリスタル制御の方法は試行錯誤を極め、一時は0プラントの三分の二が電脳虚数空間に消えてしまうという未曾有の危機をもたらした。このことにより0プラントの活動規模は縮小され、やがて衰退していった。それに変わって新たに設立されたのが、VRをはじめとした遺跡のオーバーテクノロジーを応用した商品兵器の開発を行う8つのプラントだった。
「Vクリスタルを生み出したのは彼らではありませんが、制御方法としてムーンゲートを構築したのは確かです。でも、そんな高度な技術や知性も今はなく、むしろ退化してしまった怨嗟の思念が、虚栄を求める人々の心を蝕んでいるんです」
「一体どうやって? やつらに実体はないんだろう?」
「確かにダイモンは電脳虚数空間に潜む姿無き脅威です。ムーンゲートから漏出した後、ダイモンの妄執はデジタルベースの情報社会に浸透していったのです。閉塞する社会に対して、巧みな情報操作で目先の利益をちらつかせることによって、人々は気がつかないうちにダイモンの走狗となってしまうのです」
ふと祐一は、オーバーロードという存在について思った。彼らの中にはネットワーク上でしか存在しない擬似人格である場合もある。そういう意味ではオーバーロードもダイモンもあまり変わらないような気がした。
「ダイモンは人間の心の弱さにつけこんで、破滅へと誘います。早い段階からダイモンの存在を知り、その脅威を知る人たちは極秘裏に第8プラント、後のFR‐08の主導で超時空因果律制御装置タングラムの開発を開始したのです」
「タングラムだって?」
その存在は祐一も知っている。だが、それを知っているにもかかわらず、それが何なのかまでは知らなかった。
「本来タングラムはVクリスタルの活性化を制御し、平行宇宙の交錯をも管理する、究極の存在なのです。これを運用することによって、電脳虚数空間内の妄執でしかないダイモンも封印されるはずでした」
平行宇宙の事象を管理することにより、ダイモンの影響を遠ざけようとするのが目的だったため、タングラムの用途に関しては極秘情報だった。
また、この事実から遠ざけるため、外部には複数の場当たり的な方便で説明されていたのである。
「ところが、そうはならなかったわけだ」
佐祐理は静かにうなずいた。
「タングラムの開発は極秘裏に行われました。ですが、ダイモンの影響下にある人たちは、当時開発を担当していたFR‐08の中枢部にまで食い込んでいたんです。VCa0年にタングラムの起動実験が行われた結果、地球圏に未曾有の大混乱が巻き起こりました。それが、あのオペレーションムーンゲートの真相なのです。このことにより、タングラムは電脳虚数空間の彼方に放逐されてしまったのです」
これと前後して起きたのが、当時DN社が保有していた8つのプラントの一斉売却と独立であった。結果としてDN社は組織としては崩壊してしまい、それに替わり台頭してきたのがFR‐08だった。
この混乱にまぎれて暗躍したFR‐08は、かつてDN社が保有していた各企業体を掌握し、その75%を傘下に加えることで、地球圏でも最大規模の企業国家となったのだった。
「ダイモンの影響下にある人たちは、このままFR‐08の台頭を良しとしませんでした。そこで彼らは、VCa4年に当時の総帥を暗殺したのです」
このあたりは祐一も耳にしたことがある。詳しい事情までは公開されなかったものの、結果として地球圏に最大規模の影響力を持っていたFR‐08は未曾有の大混乱となり、分裂の危機に陥ったのだ。そして、この混乱の後に台頭したのは一人の少女だった。
「その後FR‐08の総帥として擁立されたのは、当時若干十五歳の少女でした。タングラムの開発者でもある彼女は、自らの政権安定とタングラムの奪回を目指し、ダイモン派の粛清に奔走しました。」
この少女の擁立に際して、当初はFR‐08内部でも様々な動きがあった。あからさまな不快の意を示すもの。積極的な支援を行う素振りを見せつつ、少女の傀儡化を狙うものなど、枚挙にいとまが無かい。ところが、大方の予想を裏切って、彼女は為政者として実に有能だった。自身の政権を確立する一方、巧みな経営手腕で分裂しかかっていたFR‐08を纏め上げ、抜本的な組織改変を成し遂げてしまったのである。
連日の激務に追われて各地を転戦しているうちに、FR‐08が保有するフロートキャリア『リビエラ』が彼女の作戦司令室兼執務室になってしまったというのも有名な話だ。
「彼女の活動は既得権益にしがみつくダイモン派の妨害にあって難航しました。そして、折から続くプラント間の抗争、DNAとRNAの対立、これらを全て巻き込む形で発展し、限定戦争としてビジネス展開したのがオラトリオ・タングラム戦役なのです」
「なんだって?」
祐一は言葉を荒くした。
「オラトリオ・タングラムは、超時空因果律制御装置タングラムの既得権をかけた戦いじゃなかったのか?」
この戦いを勝ち抜いたものには、タングラムの既得権に対する優先権が与えられる。運命そのものに干渉できるタングラムを手に入れるということは、自らの望む未来を手に入れることができるということである。
それが大戦前のキャッチコピーだった。ところが実際にタングラムと接触しても、何かが変わるというわけではなかった。
「現在に至るまで、オラトリオ・タングラム戦役に収束の兆しはありません。なぜなら、ダイモンはすでに電脳社会のアキレス腱とも言えるデジタル情報網を掌握していて、これを悪用することであるはずのない戦いを演出し、平和をかき乱しているのです」
人々はダイモンの背後にある破滅の脅威から目をそむけ、企業国家も戦争代行業者も終わりのない戦いを歓迎していたのだ。
「扇動による争乱から需要が生まれ、目先の利益に目がくらんだ人たちは限定戦争を興行します。莫大な人的、物的両面から来る損失は、そこから引き出される利益で帳消しになります。これが、電脳暦の人類が生み出した限定戦争というシステムの実態なのです」
かつて、限定戦争下で潤滑油として機能すると、ダイモンは自らをそう評した。今にして思えば、それはダイモン流の皮肉なのだろう。企業国家間のシェア争いや、手段を選ばぬ大規模犯罪の抑止を目的とするMARZは、限定戦争下の国際戦争公司や企業国家にとって邪魔な存在ですらある。火星戦域を問わず、各戦線で敵視されるのも無理の無いことだった。
「現在ダイモンの影響力は、深刻なまでに広がっています。ムーンクリスタルの負の遺産であったシャドウ、アースクリスタルの負の遺産であるヤガランデ。そして、ジュピタークリスタルの負の遺産であるアジム&ゲラン。これらの存在をダイモンは自在に操るまでになっているのです」
VCa9年の現在では、月面のムーンクリスタル、地球のアースクリスタル、火星のマーズクリスタル、そして木星のジュピタークリスタルの四つのクリスタルが発見されている。この太陽系内に散在する結晶体群がもたらす深刻な脅威を、祐一はその身をもって知っていた。
「VCa6年にFR‐08総帥の地位にいた少女はその職を退き、自己資産を投じて火星戦域にMARZを設立しました。表向きは火星戦域の治安維持を目的としていますが、MARZの真の目的は企業国家の権益保護ではありません」
「つまりは、他に目的がある。ということですね」
「ごめんなさい。佐祐理の話、長すぎましたね」
それきり佐祐理は黙ってしまった。祐一はその態度に何か気になるものを感じたが、あえて追求することはしなかった。
事象崩壊要塞の構築度を最低限に抑えつつ、祐一は各星系を転戦してダイモンの重機動要塞を撃破していき、順調にダイモンフラグメントを回収していった。
このころには祐一のテムジンも747Jから747J/Vへと強化されており、各星系を巡る攻防戦の頼もしいパートナーとなっていた。ダイモンの重機動要塞を撃破する一方で、祐一は薔薇の三姉妹やSHBVDの二人と交戦することもあったが、もはや彼らは祐一の敵ではなくなっていた。
そして、ついに7つのダイモンフラグメントが揃った。
7つのダイモンフラグメントが揃うことにより、電脳虚数空間内のタングラムへと続く道『ゲート・オブ・タングラム』が開かれた。
「MARZの真の目的はダイモンの駆逐にあります。そして、ダイモンの駆逐はタングラムの奪回を意味しています」
「タングラムの?」
佐祐理は静かにうなずいた。
「それは自らの運命を自らの手に取り戻すことです。そのために、佐祐理は『MARZ』を設立したのです」
「佐祐理さんが?」
「祐一さんには、これからダイモンの潜伏する電脳虚数空間に突入して、事象崩壊要塞破壊の任務についてもらうことになります」
「悪いっ! 佐祐理さん。もう少し時間をくれ」
佐祐理はまだ何か言いたげだったが、祐一の狼狽振りにそれを断念した。
ダイモンフラグメントの回収、電脳虚数空間への突入、短い時間の間に色々なことが起こりすぎて、祐一の頭はパニック状態だ。
それにMARZの総帥が佐祐理だった。この事実も祐一を混乱させる要因となる。
一体自分はどうしたらいいのか、祐一はそれすらもわからなくなっていた。
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